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人間に関するhatsumotoのブックマーク (65)

  • 分裂勘違い君劇場 - 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる 

    いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろうの補足。 実際には、いじめる側は、トータルではすごく損なのだけど、世間知らずな上に頭が悪い子供は、その辺の損得勘定ができないのじゃないかと思います。 たとえば、シロクマさんが挙げるいじめのメリット: ・クラス内において自分達がボス集団であることの誇示 ですが、ボス猿にもいろいろ種類がいると思うんですね。 もちろん、「自分に逆らった者を容赦しない」、というところまでは、ほとんどのボス猿がやると思いますけど、「卑怯な弱い者いじめを繰り返す」というのは、別の話であって、それをやるかどうかは、タイプによって違ってくる。 で、卑怯で陰湿な弱いモノいじめを繰り返すようなタイプのボス猿は、実際には、やっててあまり「おいしく」ないと思うわけですよ。 そもそも、「自分よりも明らかに弱い者に、卑怯で陰湿ないやがらせをして優越感を味わう」と

    分裂勘違い君劇場 - 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる 
  • 追い抜いちゃった人たち、愛=暴力、資本

    続けざまに言及してしまって大変恐縮なのですが、先日リンクするだけしていたしあわせのかたちさんの追い抜いちゃった人たちというエントリについて、メモしておきます。 あらゆる労働は<わたし>という主体には、「見合わない」というかたちで認識される。(...) 「三次元異性との恋愛は、こちらが支払う努力に対して対価が見合わない」ということと、「いまの労働は、私の支払う(支払った)努力に対して対価が見合わない」ということは、同じである。どちらも「社会的行動は等価交換されるべきだ」という個人主義、近代主義、資主義上の奇習を、普遍的で当然の前提だと脳内に組み込まれているのだ。(...) 一般的に二次元萌えの非モテニートは、個人主義や近代主義や資主義に「追いつけない人」という理解をされている。しかし私は(内田樹と同じく)そうは思わない。彼らは個人主義、近代主義、資主義を「追い抜いてしまった人」なのだ

  • 白川静先生を悼む - 内田樹の研究室

    白川静先生が10月30日に亡くなった。 享年96歳。 白川先生の漢字学三部作『字統』、『字訓』、『字通』はそれぞれ先生が74歳、77歳、86歳のときに完成した。 私ごときが五十路をいささか過ぎたあたりで、「もうおおかたの仕事は終えたし、余生は雑文を草して、世間のお邪魔にならないように生きたい」などと口走るのは「100万年早い」ということを痛切に感じさせる偉大な業績である。 『字通』を私はつねに書き物机の上に置いてある。 漢字の原義(に限らず、なにごとにおいても「起源のようす」)について知りたくなるのは子どものころからの私の癖である。 この幼児的で法外な好奇心をつねに満たしてくれる思想家として私が名を挙げることができるのは、マルクス、フロイト、レヴィ=ストロース、そして白川静の四方である。 この四人の共通点は、「人間の諸制度はそもそもどういうところから始まったのか?」という起源にかかわる問い

  • 教育基本法にはぜんぜん関係ないですが、いじめについて - Demilog

    ■[暴力]教育法にはぜんぜん関係ないですが、いじめについて いじめについてはそもそも学校以外の場所ではどうなっているかを思い起こしてみましょう。 子どもでも大人でも人間が複数集まって活動していると必ず他人に身体的・心理的な暴力をふるったり、隠微な嫌がらせをする人が出てきます。 さて、そのような時に一般的にはどのような対応がされているでしょうか。暴力をふるうものがあればあれば単純に暴行罪で罪に問うことができます。職場などで権限を利用したいじめパワハラと呼ばれて対策が進められるようになり、加害者にペナルティが課せられたりするようになりました。家庭のような閉じた場では最も陰湿な加害行為が起こりがちなのですが、そこでもDVや児童虐待という認識が生まれたことで、被害を受けている人を守ろうという機運が出てきています。マリー・フランス・イルゴイエンヌさんによる「モラル・ハラスメント」という概念の発

  • 大学教員の日常・非日常:悪い店には悪い客

    クビにされそうだった大学教員です。現役大学生とか、これから大学生になる人とか、大学生の親になる人向けのつもりで。 面白かったときにブログランキング【ココ】を押してもらうと、中の人が喜びます。 クレーム担当の話なんかを読んでますと、どこでも応用のきく話だなぁ、と。 やる気のない学生ってのは、やる気のない講義にあらわれるもんです。 というか、やる気のない講義が、学生のやる気のなさを誘発するというかね。 おばちゃんたちが「あの学年、うるさいでしょう」なんて噂してたりしても、フラスコの講義、演習では私語ひとつなかったりしてね。 もちろん、何したってダメっつーか、どうしようもなく、やる気のない人間はいます。 が、以前にどっかで書いたような……っと、ここか。常識がマヒする話ですね。人間ってのは周囲に流される生き物なんだよん、という実験もアメさんのところで紹介されていました。 前例を見習えば、学生も3