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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (8)

  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ : 『アルス・コンビナトリア―象徴主義と記号論理学』 ジョン・ノイバウアー[著] 原研二[訳] (ありな書房)

    →紀伊國屋書店で購入 『アムバルワリア』を読んだら次にすること チェスで人がコンピュータに勝てないと判ってからどれくらい経つか。感情や情念といった言葉を持ち出して、人にしか書けない詩があるという人々はなお多く、現に「詩」は相変わらずいっぱい書かれている。しかし、チェスの棋譜を構成していくのと同じ原理が詩をつくるとすれば、人は詩作でもコンピュータに勝てないことが早晩判るはずだ。そう考える詩学がある。チェスと詩学が全く違わないことを、作家ボルヘスは『伝奇集』中の有名な「『ドン・キホーテ』の作者、ピエール・メナール」に宣言した。 ニーチェが「感情の冗舌に抗して」成り立つとした文学観が存在するが、この言い分をキャッチフレーズに掲げたロマニスト、グスタフ・ルネ・ホッケの我らがバイブルたるべき『文学におけるマニエリスム』によれば、「マニエリスム」という文学観がそれで、読むほどに、ヨーロッパで成立した詩

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    head 2008/03/14
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ - 『人造美女は可能か?』巽孝之、荻野アンナ[編](慶應義塾大学出版会)

    →紀伊國屋書店で購入 オタク死んでも、やっぱマラルメは残るぞかし いってみれば機械マニエリスムが16世紀に始まったことを教えてくれる最近刊に次々と啓発された後、その20世紀末~21世紀初頭における再発を一挙総覧できるのも、有難いし、面白い。それが慶應義塾大学藝文学会2005年末の恒例のシンポジウムのプログラムに多少の稿を加えての今回作。 巽孝之氏の編というので、見ぬうちから安心。序に「わたしたちの人造美女エンサイクロペディア」を謳うが、書き手・読み手として以外に、編む人としての巽氏の目配りぶり、遺漏なき網羅への意志を誰よりも愛ずるぼくなど、目次案をじっと眺めて、もはや画期書と納得した。1954年にフランスで刊行されるや近現代セクシュアリスム論のバイブルと呼ばれて、東野芳明や澁澤龍彦といった論者の決定的霊感源ともなったシュルレアリスト作家・批評家、ミッシェル・カルージュの名著『独身者の機械』

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ - 『人造美女は可能か?』巽孝之、荻野アンナ[編](慶應義塾大学出版会)
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    head 2008/01/26
  • 『貧しい音楽』大谷能生(月曜社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「複製技術を介した音楽体験を考察する」 私は書にインタビューが載っているミュージシャンをひとりも知らず、 しかもテクノやアブストラクト・ヒップポップやミュジーク・コンクレートなるジャンルにもうとい。 書評するのははなはだおこがましいのだが、 それでもなにがしか書いてみたいと思ったのは、 「複製品」におおわれた私たちの日常について 思考が広がっていく喜びがあったからである。 現代生活の中で、身体が刻印された生な芸術品を数え上げるのはむずかしい。レコード、写真、映画など、繰り返し鑑賞できる複製品に取り囲まれている。 書はそうした状況を前提に音楽を論考したものだ。 複製芸術とオリジナルのちがいを問うのではなく、 聴くことをも含めた音楽的体験を問題にしている。 私たちは二重化された「死の空間」に身を映しながら音楽を享受している、と著者は言う。 音がスコアになったときに身体

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  • 『綺想迷画大全』中野美代子(飛鳥新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 ディテールの神に嘉されて永久に年とる暇などない めちゃめちゃ知識を強いるポストモダン批評満載の建築学のが続いて流石に頭が痛い、少し楽しいビジュアルで目を楽しませようというか、同じ痛いのでも目に痛いタイプのを新刊で何冊か選びたいと考えていたところ、そういう仕事なら今現在ナンバーワンたる第一人者シノロジスト[中国文化史家]、中野美代子先生の『綺想迷画大全』が出てきた。以前『乾隆帝-その政治の図像学』を取り上げたが、大新聞のドケチ書評欄みたいに一著者は一年通じて一度のみというようなことをぼくは言う気などさらさらないし、それに中野先生といえばビジュアル、それも作品社叢書メラヴィリア収中の『肉麻(ろうまあ)図譜』で特に色彩絢爛の中国図譜に関して一体どれだけ未知な材料を持つ人なのかと常々びっくりさせてくれるお仕事ぶり、なのに新書版の限界で『乾隆帝』はビジュアル華麗という印

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    head 2008/01/26
  • 『お江戸超低山さんぽ』中村みつを(書肆侃侃房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ:『江戸の大普請―徳川都市計画の詩学』タイモン・スクリーチ[著] 森下正昭[訳] (講談社)

    →紀伊國屋書店で購入 タイモン・スクリーチにこんな芸があったのか 「その筋」のお偉方に「青い目の人間に江戸の何がわかる」などと言われながら、『江戸の身体(からだ)を開く』で新美術史学の新しい「黄金時代オランダ絵画」観とのアナロジーによる江戸「認識論」革命を論じ、博士論文の邦訳『大江戸視覚革命』ではB.スタフォードと対抗するように朝における18世紀「アートフル・サイエンス」の様相を一挙に明るみに出してみせることで、タイモン・スクリーチは誰に何と言われようと江戸を標的にするナンバーワン・ジャパノロジストになった。そして一挙に「くだけた」ところでは、「高橋鐵以来」(中条省平氏評)という『春画』で講談社選書メチエにおける高売上の記録をうちたてもした。 もう東京に20回も来た、と今回ので威張って(?)みせているが、20回くらい来たところで何、ということが外国人による江戸研究には、どうしようもなく

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『ウーマンウォッチング』 デズモンド・モリス[著] 常盤新平[訳] (小学館)

    →紀伊國屋書店で購入 「文明の衝突」の真の戦場が少女たちの体であること ただ楽しく読んでいれば良いというのなら、こんなに楽しいはない。その昔、デズモンド・モリスに「人間の知性に対する侮蔑」と叱られたフィジオノミー(観相学)と18世紀後半というかなり専門的な議論をやった時、周辺の一寸面白い関連書という感じで、大きく見開いた瞳の中にヒト一人立っているあまりにズバリな表紙のモリス『マンウォッチング』を見つけ、一読はまってしまった。逆に、彼の名を歴史的にした超ベストセラー“The Naked Ape”(1967年初版/邦訳『裸のサル』)によって動物行動学を知ったわけだが、成り行き上、セミオティックスとかプロクセミックス、キネティックといった一種の「身振り」の記号論が流行している中、進化生物学の方からサポートしてくれるなかなか貴重な存在という印象を受けた。 ヒトやサルの外形・外観に表れたどんな要素

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    head 2008/01/26
  • 『言語のレシピ』 ベイカー (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 明治以来、日人は日語を特殊な言語と思いこんできたが、日語が特殊だというのは欧米の言語や中国語と比較するからであって、世界的に見れば決して特殊というわけではない。 書は文の作り方という視点からまとめた言語類型論だが、現存する6000の言語のうち、英語のような語順の言語(主語-動詞-目的語)と日語のような語順の言語(主語-目的語-動詞)はほぼ同数で、それぞれ2500ほどあるという。書では「主語-動詞-目的語」型の言語を「主要部先行言語」、「主語-目的語-動詞」型の言語を「主要部後続言語」と呼び、英語と日語で代表させている。日語は特殊どころか、二大類型の一方を代表する言語なのだ。 三番目に多いのは「動詞-主語-目的語」型の言語で、ウェールズ語、中米のサポテック語など600ほどある。以下、「動詞-目的語-主語」型、「目的語-主語-動詞」型がつづくが、「目的語-

    『言語のレシピ』 ベイカー (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    head 2007/03/31
    「日本語は特殊どころか、二大類型の一方を代表する言語なのだ」
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