12人が亡くなり、1000人以上がケガをした台湾での大地震から3日目。震源に近く大きな被害が出た花蓮市では、地震発生後3時間で避難所ができ、受け入れが可能になりました。スピード開設が可能になった理由とは…。 (※詳しくは動画をご覧ください)
12人が亡くなり、1000人以上がケガをした台湾での大地震から3日目。震源に近く大きな被害が出た花蓮市では、地震発生後3時間で避難所ができ、受け入れが可能になりました。スピード開設が可能になった理由とは…。 (※詳しくは動画をご覧ください)
ソーシャルメディアでは断続的に言ってきたのだけれど、復興と子供についてまとまった文章を書いたことはない。少し前の話ではあるけれど、私以外には書けないだろうと思う話をいくつか聞いたこともあって、少し書いてみることとする。 率直に言って、福島の復興政策に関連する子供の扱いは、私のまわりの親世代の間では、かなり評判が悪い。「評判が悪い」程度で済めばいいのだが、「激怒している」と言ってもいいかもしれない。かくいう私もその一人だ。私の場合は、2017年から怒り続けているので、「遷延性激怒(せんえんせいげきど)」とでも呼べるかもしれない。こんなところで新語を作ってもしょうがないので、呼称はとにかくとして、長く怒っている、というところから話を始めたい。 怒っている理由は、端的に「復興(アピール)に子供を使うな」という一言に尽きる。福島の経験を伝える、福島の現状の学びの機会を与える、正しい状況を知る、それ
2024年元日、令和6年能登半島地震が発生した。1月末時点での避難者数は14,000人を超え、住宅被害は計46,294棟(※1)、ライフラインの完全復旧もいまだに見通しが立っていない状況だ。1日でも早く復興し、被災者の方々が心身ともに休める日が訪れて欲しいと願うばかりだ。 輪島市の1月の平均気温は3.3度。体育館などでの避難所生活は体力をも奪われ、心身ともに疲労が蓄積されていくことだろう。そんななか、1月31日に「ムービングハウス」と呼ばれる仮設住宅が輪島市に設置された。ムービングハウスとは、その名の通り「動く家」だ。すでに完成された家をトレーラーで運び込み現場に設置する。 東日本大震災の際には、震災発生から31日後に仮設住宅建設事業者の公募が始まり、そこから実際に仮設住宅が建設され入居が可能になったのはその2ヶ月後。約3ヶ月で仮設住宅が建つというのは非常に早い対応で、震災発生当時はそのス
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能登半島地震で被災した50代の会社員男性は1月1日の発災から1ヶ月近くたった今も、輪島市内の避難所にいる。石川県や輪島市が2次避難所として登録するホテルや旅館に移動しようと計3回、2次避難の申し込みに応募したが、いずれも条件が折り合わなかったという。いったい何が起きているのか。避難所ボランティアの仲介で体験を聞いた。 見知らぬ人とツインルームをシェア1月10日、避難所で輪島市からの2次避難のチラシを受け取った。そのころは体育館に100人ぐらいいて、段ボールでやっとついたてを作って、プライバシーが保護されるかどうかといった体だった。会社からはしばらくオンライン会議で出社扱いとするといわれたので、会議の時は、家財を積んだ車の中にこもってパソコンを携帯のテザリングでつないで出席していた。2次避難先のホテルだったら、オンライン会議の出席が多少楽になるかな、と思ってQRコードから申し込んだ。 輪島市
能登半島地震で段ボール製の簡易住宅「インスタントハウス」が大活躍している。組み立ては15分、原価は約1万円で、屋根と扉、窓もついた小さな「家」だ。被災地の子供は「体育館におうちができた」と話しているという。インスタントハウスはどうやって生まれたのか。開発した名古屋工業大学の北川啓介教授に、フリーライターの川内イオさんが取材した――。
読売新聞で1月6日6時38分に以下の記事が配信される。 石川・穴水の避難所、40~50代の集団が自販機破壊し金銭盗む…目撃者「避難所がパニックに」 被害を目撃した避難者の30歳代男性や同校によると、発生したのは地震発生直後の1日夜。当時、避難者が続々と校内に集まり、100人ほどが身を寄せ合っていた。学校は地震の揺れでほとんどのガラスが割れており、誰でも自由に入れる状態だった。 同日午後8時頃、校庭に金沢ナンバーの車が見え、40~50歳代の男女4、5人の集団が校内に入ってきた。集団は「緊急だから」とだけ話し、女の指示を受けた複数の男がチェーンソーとみられる道具を使って自動販売機を破壊し、飲料水や金銭を盗んだという。 目撃者の男性は「けたたましい音が学校中に響き渡っていた。避難所はパニックになり、誰も止められなかった」とおびえた表情で語った。同校の島崎康一校長は「避難者も不安に感じているので、
香川県と県製粉製麺協同組合(木下敬三理事長)、本場さぬきうどん協同組合(大峯茂樹理事長)は1日、「災害時における麺類の調達等に関する協定」を締結した。大規模災害の発生時に避難生活を余儀なくされた人たちに、うどんなどの炊き出しを行うことを定めている。 浜田恵造知事は「大規模災害が起きた場合、被災した影響による精神的ストレス、極度の肉体的疲労のため、なじみの薄い非常食はなかなかのどを通らない。普段から慣れ親しんだ県民食ともいえるうどんの提供や炊き出しは心強い限り」とあいさつした。 木下理事長は「本来、協定書に記載された内容は実施されないことが望ましい。万が一の事態には、お役に立ちたい」、大峯理事長は平成23年に東日本大震災被災地でうどんの炊き出しを行ったことに触れ「いろいろ経験したことを生かし、できることをやりたい」と述べた。 本場さぬきうどん協同組合は東日本大震災発生後、11人で香川県から冷
みつごご @mitsugogo 【体験記】 能登半島地震で震度6?7?を実家で被災したので経験談としてスレッドに書いていきます。 地震の内容なので、みるのが辛いという方は無理せずスルーしてください。 停電で情報がない中に書いた拙い文章です 自分が見たもの経験したものを書いたものなので、間違っていることもあるかも 2024-01-05 17:04:56 みつごご @mitsugogo 【前提情報】 ・家族構成は父・母・妹・父方のおばあちゃん(高齢で痴呆気味)・自分の5人。 ・自分以外は能登町の実家暮らし ・自分は東京から年末年始で12/29から帰省。1/3に東京に戻る予定だった ・のんのんびよりレベルのガチ田舎。最寄りのマックは50km先 ・都市ガスはなく、みんなプロパンガス ・下水道もなく浄化槽(電気必要)を各家庭に設置している 2024-01-05 17:04:56 みつごご @mits
2011年3月11日の東日本大震災と、それに引き起こされた福島第一原発の事故から、もうすぐ13年になる。
元日に石川県能登地方で最大震度7を観測した地震。被災地では大規模火災や津波の被害が徐々に明らかになってきています。珠洲市周辺ではおよそ3年にわたって活発な地震活動が続いていて、珠洲市では2023年5月にも…
北アフリカのリビアで発生した洪水では死者数は5000人を超え、数千人の行方が分かっていないと地元メディアが伝えていて、長引く国の混乱で被害の全容の把握が遅れています。 洪水による被害は広い範囲に渡り、がれきの撤去に必要な重機なども流されていることから、救助活動が難航しています。 リビア東部では大雨による洪水で大きな被害がでていて、地元メディアなどは、国の東部を統治している政府幹部の話として、死者数は5000人を超え、数千人の行方が依然、分からないままだと伝えています。 大きな被害がでた都市デルナに住む41歳の男性は13日、NHKの電話取材に対して、デルナでは11日未明ごろから雨が強まり、午前3時ごろ、ダムの決壊で生じたとみられる濁流が市街地を飲み込んだと証言しました。 男性は「デルナでは濁流が通った2、3キロにわたって建物がすべて流された。医療従事者やレスキュー隊が不足している。一刻も早く
「アイドルマスター SideM」(以下、「SideM」)のアイドルたちが実際の企業や団体とコラボレーションした企画「アイドルマスター SideM 315プロダクション お仕事コラボキャンペーン」。そのひとつである「ナゴヤ防災サミット」での取り組みについて、担当者に話を聞いた。 2021年に始まった「アイドルマスター SideM 315プロダクション お仕事コラボキャンペーン」。 中でも元消防士の木村龍、元警察官の握野英雄、元自衛官の信玄誠司の3人からなる元公務員ユニット・FRAMEと、防災分野の複数の企業や団体とのコラボが起こしたムーブメントは、これまでとは違う新しいそなえへのアプローチとして多くのメディアにもフォーカスされるなど目を引くものがあった。 そのひとつの集大成が、2022年11月に開催され、FRAMEとコラボした危機管理系団体が集結した「ナゴヤ防災サミット2022リアルイベント
私、佐藤翔かけるは宮崎放送局の記者として、日々防災・減災の報道に取り組んでいた。 福島県出身で、取材の原点は地元での東日本大震災。防災報道に携わりたくて、NHKに入った。災害への備えを繰り返しニュースで伝えることで、被害を減らせると信じていた。 はずだった、はずだったのだが、、、 防災って、ちゃんと伝えるの難しくない・・・? 防災が大切だと言えば、否定する人はいない。 ことが起きれば、誰もが恐怖を抱く。 だけど、何も起きていないときに、考えてもらうにはどうしたらいいのだろう?プロフェッショナルだけでなく「興味がない」と思っていたかつての私のような人にも。 そんな悩みを抱えながら取材していたら、なぜか学校で子どもたちに防災を教える「先生」になるよう命じられてしまった。その経緯はこちら。 ふだんニュースでは何万、何十万という「マス」に向けて発信していた記者の私が、1人の先生として9人の生徒と歩
静岡県静岡市清水区だ。 ちょっと聞いてくれ。まじヤバい。 まずニュースにならない。 5万5千世帯だよ。実に清水区の7割から8割。 水道が生き残ってるのは由比蒲原というど田舎限界集落のみ。 興津川水系と言って興津川という清流の表水から上水道を取ってるんだが取水口が流木と土砂で埋まった。つまり取り込めないわけ。流石にライフラインなだけあってもう少し上流に予備的取水口があるんだがこいつの送水管が橋ごと折れた。これで万事休す。復旧させるには重機が必要だが水が引かない。道も細い山道であらゆるところが崩落土砂崩れしかかってる。ある程度水が引いて人海戦術で突貫工事しても濁水処理がかなりかかり早くてこの先数日確定、最悪一週間ダメだそうだ。 かなり昔元々この興津川の渇水で計画断水的なことが必要になったことがあって静岡市の安倍川水系ってところから水を引っ張れるシステムをかなりの予算をかけて完成させてるはずなん
» 【マジかよ】津波と放射能汚染で崩壊していた福島県 双葉町 → 2年ぶりに来たら、とんでもないことになっていた 特集 2011年3月11日の東日本大震災。津波の被害だけでなく、福島第一原子力発電所の事故により、一帯は長らく一般人が立ち入ることのできないエリアに。 大きな進展があったのは、9年後の2020年3月14日。満を持して常磐線が全線開通。ごく一部とはいえ避難指示が解除され、制限はあれど一般人も散策が可能になった。 その時の状況は、「全線開通した常磐線で東京から福島へ / 帰還困難区域だった各駅で下車、周辺を散策してみた」という記事でお伝えしている。この時から2年。久しぶりに福島に行く機会を得た私は、再び2年前に取材した地を訪れてみることに。 ・双葉駅 「特急ひたち」に乗るのも2年ぶりだ。今回のスタート地点は湯本駅。 2年前は気温がめちゃくちゃ低いうえに、雨も降っていた。マジに凍えな
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