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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (8)

  • 「昔のインターネットは面白かった」と思っている世代からみた「今のインターネット」

    anond.hatelabo.jp gothedistance.hatenadiary.jp p-shirokuma.hatenadiary.com 「昔のインターネット」の話になると、つい、いっちょ噛みしてしまいたくなる(今では「擦る(こする)とか言うんですかね)。 僕自身の記憶を辿ってみると、2000年代、まだISDN全盛の頃から、ホームページビルダーで個人サイトを作っていた頃、そして、眞鍋かをりさんが「ブログの女王」と呼ばれ、雨後の筍のようにブログサービスが立ち上がっていった時期の頃は、「楽しかった」というか、「とにかく時間を惜しんで更新していた」のだ。仕事は今よりずっと忙しくて時間に追われていたのだが、夜遅くに帰ってから睡眠時間を削って毎日更新していた。 いやむしろ、忙しくて仕事にもあまり夢中になれず、生き甲斐をブログにアウトソーシング(外注)していたのではないか、とさえ思う。 1

    「昔のインターネットは面白かった」と思っている世代からみた「今のインターネット」
  • もう読んでくれる人がいなくなって、話題にも、お金にもならない『ブログ』というもの - いつか電池がきれるまで

    yutoma233.hatenablog.com 『おのにち』さんは「はてなブログ」を長い間書いておられる方で、僕とは直接の絡みはほとんどないものの、固定読者も大勢いて、マイペースで更新されているのだろうな、と思っていました。 別にブログをやめるとかそういう話じゃなくて、『はてなブログ』有料版の期限が切れたのを延長せずに無料版でやります、というだけの話ではあるのだけれど、最後のほうに、こんな文章があったのです。 最近は、昔感じていたブログへの熱意みたいなものが残念ながら薄れてきつつあるんですけど、それでもやっぱり書くことは楽しいし、同じブログ仲間だ!と親近感を抱いている人達もたくさんいるので、これからも細々と続けていけたらいいなぁと。 ああ、ブログへの熱意みたいなものが薄れてきているのは、僕だけじゃないんだな、と。 それは別に今にはじまったことではなくて、もう5年前くらいから、僕が書いてい

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    kamanobe
    kamanobe 2022/08/09
  • すぎやまこういち先生のこと - いつか電池がきれるまで

    www.itmedia.co.jp 90歳というのは、人生を終えるのには早すぎる、という年齢ではありません。 『ドラゴンクエスト』シリーズの最新作が発表されるたびに、僕は内心、すぎやまこういち先生の姿を思い浮かべ、どうか先生がずっと『ドラクエ』の音楽をつくり続けてくれますように、と願っていました。 堀井雄二、鳥山明、そして、すぎやまこういち。 この3人のうち、誰が欠けても、それは僕にとっての『ドラゴンクエスト』ではないから。 僕は高校時代、家の近くの『ベスト電器』のマイコンコーナーで、すぎやま先生の音楽をずっと聴いていました。 当時はまだマイコン(今のパソコン)が世の中にようやく浸透しはじめた頃で、そのマイコンコーナーには、新しもの好き、機械好きの人たちが集まっていたのです。 マイコンコーナーでは、さまざまなゲームのデモが流れていて、僕は何時間も、そこで『イース2』や『ザ・スクリーマー』『

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  • 『はてな匿名ダイアリー』の「パチンコ出玉規制によって現場で起きている惨劇」を読んで - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp このエントリとブックマークコメントでの反応をみていると、『はてな』には「パチンコのことについて書かれているというだけで、ものすごく嫌悪感をあらわにする人が多いのだな」と思うのです。 b.hatena.ne.jp これを読んで、一部の人たちの反応で、『はてな』を語るなんて、「主語が大きい」とか、「雑」とか思ったあなた!その通りです。 でも、そう思う人も少なくないはずなのに、「パチンコ界隈の人って、独特のリズムで全く意味のわからない文章を書くよね」というコメントにスターをつけることには躊躇しないというのも、矛盾しているのではなかろうか。そもそも、みんなそんなに「パチンコ界隈の人」の文章を読んでいるのだろうか。 故・田山幸憲さんの文章は美文だと思うし、木村魚拓さんのコラムは面白いんだけどなあ。 あんまり脱線すると話が長くなって、「またわけのわからない文章を書い

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    kamanobe 2018/05/28
  • カンニング竹山さんの「すべらない話」と他者の「感想」を否定するということ - いつか電池がきれるまで

    ninicosachico.hatenablog.com zuisho.hatenadiary.jp azanaerunawano5to4.hatenablog.com 「笑い」っていうのは、難しいよね。 fujipon.hatenablog.com 去年、上記のようなエントリを書きながら、「僕も『繊細チンピラ』なのかもしれないな……」って思っていたので、このカンニング竹山さんの話について、興味深く読みました。 あの番組、これらを読んだあとタイムシフト視聴したのですが、僕はあのエピソードに対して、「これは前田健さんのためにも『笑いとばす』のが供養になるのかな……差別的だとは思わないけれど、笑えるほど僕は竹山さんとも前田さんとも近くないしな……」と困惑した、というのが正直なところです。 まあ、バラエティ番組を先入観なしで観るのと、こんなふうに「検証」する気分で観るのとでは、全然違うでしょうけ

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    kamanobe
    kamanobe 2017/01/12
  • 「自主校閲する素人」と「手抜き校閲されるプロ」 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:物言いは“すべからく”上品に:日経ビジネスオンライン この小田嶋さんのコラムは非常に興味深いものです。 「校閲の劣化」っていうのは、いまの出版文化にとって、大きな問題なんでしょうね。 「コストカット」「効率化」には勝てない。 (それが良いか悪いかは別としてというか、たぶん「悪いこと」なんですけど) これを読んで、僕は「じゃあ、ネットの場合はどうだろう?」と考えていたんですよ。 ネットの文章も、いまは「世界に向けて発信しているんだから」と責任を問われることがありえます。 でも、少なくとも(作家や政治家や芸能人以外の)素人個人ブログレベルで、専門家が「校閲」していることは、ほぼ100%ないと思います。 実は、ネットが普及する前、ほんの15年前くらいまでは、「校閲されていない文章」って、ほとんど読む機会がありませんでした。 学級新聞や子どもの作文(先生が手を入れてたりしますけど)、同

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  • 僕と『俺の屍を越えてゆけ』 - いつか電池がきれるまで

    昔のゲームのことを思い出すと、そのゲームで遊んでいたときの自分のことも頭に浮かんできます。 僕にとってのファミコンの『スパルタンX』は、台風で中学校が休みになった日に遊びまくったゲームだし、スーパーファミコンの『ダービースタリオン』は、大きな試験を終えて、社会人として仕事を始める前のプレッシャーに押しつぶされそうだった日々の記憶とともにあるのです。 『俺の屍を越えてゆけ』というゲームが発売されたのは、いまから15年前、1999年のことでした。 僕はその頃、仕事を終えると、家でひたすらプレステでゲームをするか、覚えたてのネットサーフィンをしていたものです。 僕は、地に足がついていませんでした。 前年の暮れに、母親が長患いの末に亡くなって以来、なんだか、生きている実感みたいなものが、僕のなかから抜け落ちてしまっていたのです。 僕のことを殊更にかわいがってくれていた母親で、亡くなる前まで「自分の

    僕と『俺の屍を越えてゆけ』 - いつか電池がきれるまで
  • 「人と、人が生みだしたものとの距離」について - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):ネットで叩かれると辛いな(はてな匿名ダイアリー) 参考リンク(1)を昨日読んで、「そうだよね、辛いよね……」と思っていたのですが、ネットで叩かれる辛さ、みたいなのは、経験者じゃないと想像しがたいところがあります(なんか世界中が敵にまわったような感じがしたことが、僕にもありました)。 まあほんと、なんとかならんものかねえ、なんて考えていたときに、以下の文章を読んだわけです。 参考リンク(2):嫁へ行くつもりじゃなかった――私の新婚日記 (2) 愛がなくても結婚できます | マイナビニュース 岡田育さん、いつも面白いなあ、なんかこう、頭のなかにあっても、言葉にできないようなモヤモヤとしたものを、うまく切り取ってくるんだよなあ、なんて思いつつ読んだのですが、最後の追記を読んで、「参考リンク(1)」の話と繋がったような気がしたんですよ、僕には。 連載第1回がネット上で話題になった

    「人と、人が生みだしたものとの距離」について - いつか電池がきれるまで
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