『風立ちぬ』を観て一晩たっても、なんだか地に足が着かないような感じでふわふわしている。とんでもないものを観てしまった。 飛行機のエンジン音にはお経の唸り声のような人間の声が使われていて、ぞっとした。二郎という主人公は、人間には許されざる怪物造りに手を染めていると思った。 墜落した飛行機の機体の前に二郎が立ち尽くす場面は、天から落ちてきたロボットの前に立つムスカの姿と重なる。飛行機とラピュタ、人間には許されない夢を見た男のバリエーションである。二郎の幻影や現実の中で何度も何度も墜落を繰り返す飛行機は、ドロドロになって腐り果てる巨神兵だ。 恋愛の場面にはすごく驚いた。 これまでの宮崎映画だと、異性から好意を寄せられても気づきもしないであっさりスルーするとか、少年か少女にほっぺをチュッとされてボッとなるとか、そういうのを描いてお茶を濁して、恋愛面でのロマンチックな部分はひたすら隠し通してきた。そ
フィフス・エレメント(その人に影響を与え、価値観を構成する要素となった5つの表現)- 空中キャンプ 「その人に影響を与え、価値観を構成する要素となった5つの表現」を挙げていくという遊びである。(中略)「影響を受けやすい中学・高校時代のエレメントほど可」「ありふれたエレメント、恥ずかしいエレメントほど可」 空中キャンプさんのこちらのエントリがおもしろかったので、私も真似してみました。 天空の城ラピュタ 公文式 スガシカオ Xファイル アンネの日記 『天空の城ラピュタ』は、子ども時代、遊びに来た友達のおもてなしビデオとして何十回も観ました。おしゃべりにもお絵かきにも飽きてきた午後4時の気だるい空気が、これを流すと打破されるのです。なんのかんの言って宮崎駿にかなり情操教育されているのかもしれません。一番好きな場面は、ロボット兵が動き出して地獄絵図になるところ。『となりのトトロ』のビデオにもお世話
以下は預言者パウルの半生の数場面につづく物語である。
1.パウルの誕生と青年時代 小生の父となるタコは老獪で恐れを知らず、母となるタコは優美で美しかった。 諸兄は、タコの交尾というものをご存知であろうか。なんでも脊椎世界には「くんずほぐれつ」という言葉があると聞くが、たった4本ぽっちの手足しか持たない脊椎動物からそのような言葉が生まれるということ、そこに小生はいささか哀しみのようなものを覚えずにはいられない。 小生の父にあたるタコと、母にあたるタコは海底で出逢うとすぐさま、8本、8本、計16本の足を絡め、ちょうちょう結び、いかり結び、あやとりの東京タワーなどを即興で作り上げながら、性の営みに情熱の限りをつくした。まさに「くんずほぐれつ」である。その記憶はいまも海に漂っており、ふとした海水の流れから当時の彼らの熱狂をうかがい知ることができる。 母にあたるタコが産卵し、小生の人生の出発点となったのは、原発の排水によってあたためられた海であった。
冴えない田舎医師ボヴァリーと結婚した美しき女性エンマは、小説のような恋に憧れ、平凡な暮らしから逃れるために不倫を重ねる。甘美な欲望の充足と幻滅、木曜日ごとの出会い。本気の遊びはやがて莫大な借金となってエンマを苦しめていく。 たいへん身につまされる小説でした。深みにはまる不倫の恋や莫大な借金っておそろしいね、というのももちろんあるけど、それよりなにより、日ごろ好んで小説なんか読んでるような、夢見がちな人間の救いがたさが描かれているところが一番こわい。現実を物語との二重写しでしか見られず、そこここに運命の恋を見出そうとするエンマは、風車を巨人に見立てて突撃する女版ドン・キホーテのようです。 作者のフローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったの言わないのというのは有名な話ですが、それを言ったら、小説や映画、その他フィクションのたぐいが三度のご飯よりも好きなあなたや私は、みんなボヴァリー夫人にな
岩波新書から『ぼんやりの時間』という本が出ていると聞きました。親近感のわくタイトルなので、読んでみたいと思っています。 でも「ぼんやりの時間」って、そもそもどんな時間なのでしょうね。おそらく以下のような時間なのではないかと私は考えました。 『私家版・ぼんやりの時間』 ぼんやりの朝は早い。意外と早い。 ぼんやり(以下BY)は朝の五時半にはぱちりと目が覚めて、ひとりでに自分の部屋から起き出してくる。起き出して何をしているのかというと、リビングのテレビでぼんやりと、早朝から再放送している『一休さん』を見るのだった。ぼんやりするためなら早起きも辞さない、それがBYだ。『一休さん』を観るBYは(桔梗屋の弥生さんと新右衛門さんが出てくる回はたのしいな)と思った。 早起きしているにもかかわらず、BYはいつも遅刻ぎりぎりに登校する。自分でも不思議だった。 歴史の授業は遣唐使のところだった。けれどもBYは授
きたる12月6日(日)に開催される第9回文学フリマに、文芸同人誌『UMA-SHIKA』第2号で参戦しています。 『UMA-SHIKA』第1号はマンガで参加したので、最初は編集長から「今回もマンガでどうですか」というオッファーをいただいたのですが、「せっかくの文学フリマなので、ここはいっちょう小説を書きたい!」とわがままを言って書かせてもらいました。感謝! 私が書いた小説のタイトルは『ヨアンナと教授』です。いま話題の森ガールが登場する小説……と言ったら、同人のみなさんに嘘つき呼ばわりされましたが、嘘ではありません! ふとしたきっかけから夢を見ずにはいられなくなってしまった人を書きました。 『UMA-SHIKA』第2号には、8人がそれぞれ短編を寄せていますが、どれもかなり個性的でジャンルもバラエティに富んでます。私もゲラで全部読みましたが、すごく楽しいですよ! 小説家の小説がおもしろいのは当た
蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)posted with amazlet at 09.08.18田山 花袋 新潮社 売り上げランキング: 25656 Amazon.co.jp で詳細を見る 中年作家が年下の女弟子に去られて、女弟子の蒲団の匂いを嗅ぎながら泣く……というあらすじで有名な『蒲団』。たまたま青空文庫を開いて冒頭を読んだら面白くて、そのまま全部一気読みしてしまいました。 この面白さっていうのが、描写力や文章の美しさに感心したり、巧みな構成に驚いたりというような、ふつう小説に期待する面白さとはかなり違っています。なんせ主人公に起こった出来事をつらつら並べただけで、これといって伏線や凝った構成があるわけでないし、主人公の視点で書かれてると思ったら、いきなり妻や女弟子の視点に切り替わって違和感を覚えるしで、現代の読者からすると、まだまだ黎明期にあり試行錯誤している日本の近代小説という感じ
第六夜 「森へ行ってはいけませんよ。森にはカツマカズヨが出ますからね」と、母が言う。自分はもう大きいので、カツマカズヨなんて少しも怖くないが、黙って聞いている。「お父さまが無事お戻りになるまでに、何かあったら困りますからね」母はそう付け加えた。 窓からは遠くに森が見える。今日のような冷え切った日の晩、森の方からときおり「ウィン…ウィン…」と不気味な音が響いてくる。村の人間に言わせれば、それは森の奥深くでカツマカズヨが啼いているからなのである。けれども、カツマカズヨの姿を見た者はまだ誰もいなかった。 月に一度、伯父が訪ねてくる。今日がその日だった。 女子供だけで家を守るのは大変でしょう、あなたはよくやってくれていますよ。伯父はそう母に声を掛け、ミカンや米などが入ったダンボール箱を玄関先に置く。自分にはきまって五百円の小遣いをくれる。 「伯父さまにお小遣いをいただいてよかったわね。それで遊んで
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