批評に関するkatuyama-pekeのブックマーク (2)

  • 大人になっても漫画を読むということ - ピアノ・ファイア

    読書日記を兼ねて、少し真面目な話を。阿佐田哲也の『ギャンブル人生論』で印象に残った節を引用してみます。 著者である阿佐田哲也(色川武大)自身が、ある友人からその兄についての相談を受けるというくだりです。 p21 兄貴にしてみれば、つらかったろうなァ。兄貴に能力が無かったというのじゃないんだからね。これは、もともと能力というものは、社会に適応した能力と、適応しない能力があるんだ。兄貴の場合は多分その能力が後者だったに違いない。 p24 だから、多くの不良少年は能力が欠如して落伍していくのではなく、能力がありすぎるために破目をはずして土俵の外へ足を出すのである。 ギャンブル人生論 阿佐田 哲也 角川書店 1983-01 売り上げランキング : 202869 Amazonで詳しく見る by G-Tools 色川武大の人間観として、その作品世界に通底しているのがこういうものの見方であって、『麻雀

    大人になっても漫画を読むということ - ピアノ・ファイア
    katuyama-peke
    katuyama-peke 2010/02/05
    少年漫画/青年漫画
  • セカイを解読できる脳 - 仮想算術の世界

    「プラグマティズムについて一言」という最近の記事にトラバがついていて、僕の議論には「ほとんど納得しなかった」とわざわざ言ってきている。そういえば、前に「おまえ、トラバ読んでるのか?」と知り合いに訊かれたことがあるのですが、いや、まぁ、もちろんぜんぶ読んでますよ!(笑)。ただ今回は、批判的な意図で送ってきてるんだろうし、僕自身の書き方がよかったとも思えないので、ちょっと別のやり方で補足しておきたいと思います。ナディアの話は、またいずれ。 * 僕がことさら渡邉大輔氏の議論を批判したのは、(A)彼がセカイ系に関する論文で『波状言論』からデビューしたひとであり、かつ(B)今回の論文ではセカイ系のフラットさが「プラグマティズム」という語に言い換えられ、(C)しかもそのフラットな現実をい破ることで「21世紀」の「公共性」に向かうことができる、と論じられていたことに由来する。 まず、僕は(B)の

    katuyama-peke
    katuyama-peke 2008/07/18
    セカイ系というのは、社会の実質を信じることができなくなり、どことも言えない曖昧な場所にぽーんと裸で放り出されてしまった、そんな現代の若者のカタチを指し示していた  このイメージ好き
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