東島誠氏の『公共圏の歴史的創造』に書かれた次の問題は、沖縄の集団自決に関する歴史記述にも関連する問題である。 反・修正主義に立つ大多数の歴史家が死守しようとする、学問のあり方そのものに、修正主義を克服できない桎梏がひそんでいるのではないだろうか。 実際、こうして「通史」を実体化している最中にも、日本国内において歴史修正主義が台頭してきているのである。これらが本来同根のものであることを自省すべきであろう。そしてこの修正主義者に対する日本の歴史家の反駁は、その学問的誠実さと努力の傾注とは裏腹に、必ずしも旗色がよいとは言えない。なぜなら、修正主義者たちの構え自体が、「大虐殺や従軍慰安婦の事実を実証せよ」という、経験科学のアキレス腱への攻撃である以上、実証が成立しなければ修正主義者に軍配を挙げざるを得ないからである。実証の成立を最終的に判定するのは学者集団ではない。多数のオーディエンスであり、生活