ブックマーク / kame710.hatenablog.com (22)

  • 2018.6.30 いま愚直であること - カメキチの目

    カメキチの目 先日、大阪を中心に大きな地震が起こりました。テレビに何度も映し出される塀の倒壊やごく一部とはいえ家の火災は阪神淡路大震災を思い出させ、ゾーとしました。 (東北大震災の大津波によっておもちゃのように流されてゆく家々、車…。阪神淡路では大空襲を受けたかのようなビルや高速道路の倒壊、燃えつくされる家々…) 季節が寒いとき、時間がもう少し早かったら… 想うと鳥肌が立ってきました。 遠い将来、人類は火星などに居住。そのための実験がなされるほど科学や技術が進んでいても、地震の予知にはサジを投げた感の気象庁(それだけ難しいことなのだろう。だから天災は忘れた頃に突如、私たちを襲う。「50年に一度」「100年に一度」という人を脅すような表現になるんですね)。 備えはとてもたいせつですが、備えは「備え」です。なんせ相手は大自然。歳とった私には良寛の「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候…」がピッ

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    koji-blog 2018/06/30
  • 2018.6.26 見るべきほどのことは見つ - カメキチの目

    カメキチの目 「見るべきほどのことは見つ」 と、思いながら一生を終われたらいいです。 大きく出ましたが(笑)、「見るべきほどこと」というのは価値観のようなもの。 人によりそれぞれですから、人の数だけあることになります( その価値観の多様さを、やブログは強く感じさせてくれます)。 とくにブログは、「今」という時間までいきいき感じさせてくれる。 私にはあまり興味・関心がないオシャレ、ダイエット、美容、…などですが、そういう情報を書かれる若い女性の読者にも、ほとんど理解できないコンピュータ関係記事…などの若い男性の読者にもなっています(きちんと読まなくてなくてゴメンなさい)。しかし、一生けんめい書いておられる姿を記事の向こうに想像し、「元気」をいただいています。 自分の狭い世界の外を見聞きするのは楽しいけれど、この記事は、私にとっての「見るべきほどのこと」。 「見るべきほどのことを見つ」は、『

    2018.6.26 見るべきほどのことは見つ - カメキチの目
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    koji-blog 2018/06/26
    論理的規制大事ですよね。興味深く読ませてみらいました。
  • 2017.3.28 受難 - カメキチの目

    カメキチの目 もう7年目になった。 2018年の3月11日。きょうは28日なので、日にちに換算すれば365×7+(28-11)=2572日。 先日の朝日新聞の連載コラム「折々のことば」に、(半世紀きにわたって世界中の地震、津波、風水害など自然災害だけでなく、テロや感染症、事件、事故など「人災」も、現地に出向いて調査・研究、その成果をもとに防災・危機管理を啓発し続けている)山村武彦さんという方の言葉が載っていた。 「犠牲になった人と、助かった人の間に明確な理由や共通の法則などありはしない」 ちょっとした時間のズレ、そのときたまたま自分が居た場所、そのときの状態、心の迷い(いっこくも早く逃げるべきか。だいじな家族が残っていないか確認し、家族写真だけでも持ちだしに家まで行って引き返すべきか。徒歩でだいじょうぶか。車に乗るか…)などが生死を分けたという。 コラム担当の鷲田さんは、生き残った人びとは

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    koji-blog 2018/03/27
    納得させてもらえないですよね、現代の政治からは。
  • 2018.3.13 『存在論的…』③ - カメキチの目

    カメキチの目 ③の今回は、「幸福」ということです。 (書の紹介のしかた、感想などに私の主観がかなり入っているような気がしています。お許しくださいね) 人間の生きる目的は、「私はとくにないよ」と言う人もいようし、いても人によってさまざまに違いない。 でも、「幸せ」でありたいとは誰もが一致するに違いない。 幸せであるときは、おそらく自分が好きになっている。 つまり、よくいわれる「自己肯定感」というものに包まれている気がする。 ②で「WHOLE」を書きましたが、この英語の意味「全体の」「まるごとの」…は、ここでは長所も短所もひっくるめてということ(でも「長所・短所」というのは固定的なものではない。ある個性が「長所」となったり「短所」となったり…)。 「自己の存在まるごと」ということ。 (ここまで書いてきて、私はあの「森友学園問題」で直接ことに当たっていた方《役人》が自殺したと聞いてやり切れない

    2018.3.13 『存在論的…』③ - カメキチの目
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    koji-blog 2018/03/13
    いる あるで感じる幸福ってとても重要だと思います。参考になります。
  • 20183.7 『存在論的ひきこもり論』① - カメキチの目

    カメキチの目 「存在」とか「人生」ということ。 初めて意識したのは思春期ころだった。あれから半世紀にもなるが、わからない。 普遍的で抽象的であるがゆえに古今東西、「名言」などにいろいろいわれ表現されてきた。 こういうことには感じやすいので、胸に響く言葉、文章に出あえば嬉しかった。 感じるだけで、いくらすばらしいと思っても「実行」にうつすことがむずかしいものは感じる止まりであった。 実行するには「実行力」、「努力」が要る。ともに私には欠けていた。 実行しなければ意味がなくても、「実行力」の欠如を思い知ることになり自己嫌悪に陥ることがあっても、名言を知っただけでもよかった。 ■「存在」ということ 「自分は自分」「他人(ひと)は他人」といってしまえば、そうなのだが、私は他のだれかさんであったかもしれない。 「存在」ということは、とても重い。 「私がいる」という事実はとても重いことなのだ。 私はい

    20183.7 『存在論的ひきこもり論』① - カメキチの目
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    koji-blog 2018/03/07
    なるほどー!うなづいて読みました!
  • 2018.2.24 アルマー② - カメキチの目

    カメキチの目 「どうでもよくない話」の続き(これで終わり)。 あれはあれで終わりのはずだったのですが、みなさんからコメントいただいて(ありがとうございました)、刺激を受けて続きを書きたくなりました。しつこいと思われるでしょうが… ■コメントくださったなかに、ステキなお若い人から 【「道徳」と標準服,実に違和感を感じます 購入するかどうかは自由…この柔らかいファシズム感,NHKの視聴料同様,日社会の病原菌の一つに思えてなりません 想像力に欠けた大人程不徳な存在はないです】 とあり、深く考えさせられた。 とくに「購入するかどうかは自由…この柔らかいファシズム感」にすごく感じた。 口では、つまり形のうえでは「自由」というけれど、(ほんとうに「購入するかどうかは自由」なのでしょうが)入学する子どもたちの実際の立場にたてば、よほどしっかりとした何かを持ちあわせた子どもでないと、(違った服装だったら

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    koji-blog 2018/02/24
    柔らかいファシズム感。思い返してみると、学校現場にでも多々あると考えています。結局、トップから打ち出しをされると中々断れないもんです。空気を読んでしまうもんですよ。
  • 2018.2. 10 マウスを買った - カメキチの目

    カメキチの目 初めてですが、「レビュー記事」を書いてみようと思いました(買った商品が気にいったので)。 物のレビュー記事には遠く及びそうにありません。 マウス(もちろんパソコンの)を買った。 「Premium Fit  BSMBW500S(最後のSはサイズかな)」という。 バッファロー製のこれです。 いままで使っていたのが壊れたわけではない。 そういえば、マウスが壊れたという話は聞いたことはないです。 パソコン体が壊れかえたことありますが、マウスは引きつづいて同じモノを使っていたから変化がありません。こんど、机の配置がえみたいな感覚(気分転換?)で新しいマウスに変えてみました。 使っていたのが気にいらなくなったわけでもないので、ムダ、贅沢、バカなことと思ったですが、老いて物欲が減ったせいか買いたいモノはあまりなく、いいかーと思ったのです。ちょっとした刺激にもなりました。 値段は1700

    2018.2. 10 マウスを買った - カメキチの目
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    koji-blog 2018/02/10
    ボクも家電屋行くと目がチカチカします。これ以上行くとやばい感覚を持つ必要がありますよね。多くの人が見失いがち。。シンプルがやはり一番ですよね。
  • 2018.2.3『日本辺境論』③ ブリコルール(オマケ) - カメキチの目

    カメキチの目 おもてなし、謙遜・謙譲、佇まい、温厚さ、静寂を愛する心はどれもわが身になじんでいる。 「蛙とびこむ水の音」さえも。 この国に生まれて育ったから自然に身についたことで、ちがう環境の中で生まれ育っていたら、またちがっていたと思います。 脳は「日人仕様」の配線になっているにちがいない。いくら「個人」の特性があるにしても、「環境」の影響は圧倒的だと私は思う。 まわりもほとんど同じだから、あえて問わない限り同じような感じ方をし、同じような行動をとっている。 私は、現代のような国際色ゆたかな中で育ったわけではないし、海外旅行(留学はもちろん)もしたことないので国際感覚はありません。 それでも旅ではよく中国台湾韓国の人にあいます(顔つきが日人と似ているので見分けがつかない。でも、大きなキャリーバッグを引きずっているかどうかでわかることもあります)。そして、生活習慣のちがいを見ること

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    koji-blog 2018/02/03
    あるものでなんとかする。確かにそうですよね。ないものねだりではなく、あるものでいかに工夫できるか。
  • 2018.1.27   『日本辺境論』② - カメキチの目

    カメキチの目 感想③ 「機」の思想 という章(章は全部で三つ)があります。 著者は長いあいだ合気道をやっておられ、広い意味での武道の熟達者でもあり、弟子もとれるほど。 しかし、ご人は思想という学問だけではなく、合気道という身のこなし(ワザ)とともに武道の精神へも精通されています。 「機」というのは、「石火之機」とか「啐啄之機」とか、禅のたいせつな精神です。前者は一瞬に気(意識、精神)を集中するときの「気合い」みたいなものの意義をいっています(後者は少し違いますが説明はここではお許しください。ともかく、「武道」にも通じているようです)。 話は全部とてもおもしろかったのですが、になかったことを含め、私がいちばんに感じたことのみ書きます。 巌流島の宮武蔵と佐々木小次郎のたたかいの結果はご存知のとおり。 そうなるまでの二人の行動、心中についての説はいろいろあるようです。 よくいわれるのは、来

    2018.1.27   『日本辺境論』② - カメキチの目
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    koji-blog 2018/01/27
  • 2018.1.24 ロボット - カメキチの目

    カメキチの目 『日辺境論』の②を書くつもりでしたが、先に書きたくなることが出てきました。 先日みたテレビニュースで、「ロボットの見市」が開催されたところ、さらなる無人化をはかろうとする中国企業の担当者が(ロボット技術を売ろうとする側の)日企業のスタッフと談笑しているところを報じていた。 取材記者に、日側も中国側もそろって熱をこめ「日のロボット技術のすばらしさ」を説いていた。中国企業(そこは製造業だった)は現在、無人化率80%くらい。さらにそれを進めたいようだ。非無人化の20%は製品の「検品」。日の先端技術で製造されたロボットは製品・商品の検査までやれるらしい。 ということは、ほとんど人は要らなくなる(テレビでは「ギィー カチャン ブゥー…」と器用な動き(作業)を繰りかえす長い手だけのようなロボットが映っていました。ちょっと不気味だった)。 要するに、人件費0。経営者はガッポがっ

    2018.1.24 ロボット - カメキチの目
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    koji-blog 2018/01/24
    おっしゃられることがよくわかります。ロボット化が進む先の未来を僕もあまり想像ができません。
  • 2018.1.20 『日本辺境論』① - カメキチの目

    『日辺境論』というを読んだ。 書名はいかめしいけれど、一般向けに「です・ます調」で書かれた新書版の日人論、文化論。 内田樹さんの著書。 「エェー、また内田さん…」ですが、またです。「また」でも私にはとてもおもしろく、初めて知り、新鮮な視点に驚きをもつことがよくあるからです。 これもたいへん多くありました。多過ぎて忘れたことが多くあります(でも気にすることなく忘れます。忘れないと新しいことを楽しめません)。 文も引用し、いくつか感想を述べます。 (紹介したいこといっぱいですが、長くなるので全部で四つ) ーーーーーーーーーーーーーーーーー 感想① 中身はすばらしいけれど、書名が残念だと思った。 無難に『内田のよくわかる日文化論』とでもすればよかったのに… そうすれば屋さんの店頭で手に取り、「どれどれ、ひとつ読んでみるか…」となる人も出ると思います。 いきなり日を「辺境」呼ばわりさ

    2018.1.20 『日本辺境論』① - カメキチの目
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  • 2018.1.10「ケンカ」 - カメキチの目

    カメキチの目 先日、私の子どもくらいのお歳の読者(「マミーさん」といいます)が、「夫婦が睦まじくあるために」の「ケンカのしかた」を、とっても読みやすく、納得しやすく書かれていました(すばらしかった!)。 こんどの記事に限らず、読者の心をワシづかみにされるマミーさんですが、1月4日のぶんをご人の許しをえて掲載させていただきました。 先に「すばらしい!」と感嘆したあとなので、私のつまらないケンカ話は「どうしようか?…」と悩んだのですが、まっ、こういうつまらぬのもある、恥さらしも「反面教師」にしてもらえるかなと思い、やっぱり書くことにしました。 (長年つれそっていても、「思いのズレ」を原因にケンカすることがあり、もっと若いときにマミーさんのこの記事にあいたかったです) 昔の蚊取り線香の「金鳥(キンチョウ)」のCMが好きでした。 「つまらん、つまらん」とクソ真面目に演じる大滝秀治さんのやつ。 そ

    2018.1.10「ケンカ」 - カメキチの目
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    koji-blog 2018/01/10
    仲良く過ごされているんですね。内に秘めた思いを奥様にぶつけることでさらに仲が深まって行ったのではないでしょうか。
  • 2018.1.4 パンダ報道 - カメキチの目

    カメキチの目 明けて第2弾の記事は「グチ」です(ゴメンなさい)。 ちょっと前、12月20日のYahoo!ニュースに次の記事があった。 「東京・上野動物園で19日に一般公開が始まったジャイアントパンダの赤ちゃんのシャンシャンをめぐるマスコミの報道について、和歌山県の仁坂吉伸知事は20日の記者会見で、『上野のシャンシャンしか世の中にいないのか、というくらいの浮かれようだ。最後に《和歌山にもいるんですよ》と一言くらい入れてくれたらいいのに』と注文をつけた」(朝日新聞デジタル) その日の夕方、関西のローカルニュース(民放)ではそのことが報じられました。県知事はどうでもいいのですが、パンダ報道の過熱には知事さんならずともカメもカメムシ、いや苦虫をつぶしたくなりました。 パンダが大好きな人たち(私も大好き)を利用したマスコミ報道にすごく腹がたつ!(大人げないとは百も承知してます) パンダのことだけでは

    2018.1.4 パンダ報道 - カメキチの目
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    koji-blog 2018/01/04
    パンダって可愛いですよねー!
  • 2018.1.1 和気兆豊年 - カメキチの目

    カメキチの目 和 気 兆 豊 年 ーわき ほうねんを きざすー 新年、おめでとうございます。 来は、昔の中国の易学でいう「陰」と「陽」のバランスがとれた状態が「和」。 「陰」と「陽」のバランスがとれる予感・予測(「兆」)があれば、そういう年は豊年万作になる、という意味らしい。 「陰」と「陽」というと、感覚的には‐と+、裏と表、ネガティブとポジティブ…というふうになりやすいけれど、ここでは天地自然の気候を指し、豊かな実りには雨の日も晴れの日も必要ということ。 (でも、そういう自然界の現象は人の世、社会にもいえそうですね) 「和」は、「平和」の「和」。 「なごやか」の「和」やか。 ニッポン国、「和(倭)国」の「和」。 ついでに、「和して同せず」の「和」。 めでたい正月なのにトランプのことは書きたくないけれど、ことしの6月、国連気候変動枠組条約(UNFCC)はアメリカを代表した彼がパリ協定から

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    koji-blog 2018/01/02
    今年もよろしくお願いします!
  • 2011.12.9 「道徳」 - カメキチの目

    カメキチの目 前に「いじめ」について書いたが、また書く。 ともかくニュースで聞くことが多い。 悲しい。情けない… この前から怒ってばかりでいのちが縮まるが、縮んでもいい。 「い・じ・め」と聞くだけで、気分が悪くなる。気うつになる。 どうやって考えても「いじめ」を正当化する理屈は「へ理屈」としか思えない。 これに「自殺」と続くとやり切れない。 いじめられることで人生を閉じよう、お終いにしようというのは、その人にとってはそのいじめがたえられないほど辛く、苦しいからにちがいない。 ひと口に「いじめ」といってもいろいろ(「種類」「程度」)あるが、一つひとつが他とはぜったいに取り換えができず、AくんにはたえれてもBくんにはたえられない。 そして、(子どもの場合はとくに)いのちが「消える」「死ぬ」というナマの体験を味わい、感じたことがあまりないと、安易に逃げ道として「死」を選びやすいのでしょうか。 (

    2011.12.9 「道徳」 - カメキチの目
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    koji-blog 2017/12/09
    こんにちは 小学校教師として、道徳の授業を研究しております。言われた通り、一部議論する道徳が求められている場面も見られます。恥ずかしいですが、一番勉強させてもらってるのが担任である自分です。
  • 2011.11.19 秋 - カメキチの目

    カメキチの目 これまで私は気がつかなかったけど、(気はついていたかもしれませんが、意識していなかったと思います)それまで緑一色だった木々が色づきはじめ、この季節になって木を判別できる。 いまは、「私は〇〇ですよ」とばかりに一いっぽんの木が主張しているようだ。 この前の「立山」の景色もふくめてパァーっとご覧くだされば嬉しいです。 ギザギザした岩稜の山は登ってみたかったあこがれの「剱岳」です。 ハートの 先っちょが尖ったようなのは「ナンキンハゼ」です。紅葉も美しいですが、まだ緑の葉っぱとの対比、途中のグラデーションも鮮やかです。初めて意識したのは、若いころ旅で行った奈良、東大寺の並木でした。

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    koji-blog 2017/11/19
    素敵な写真ですね!紅葉を見るいい時期ですよね
  • 2017.11.5 『内田樹の生存戦略』⑦ - カメキチの目

    カメキチの目 Q 「いじめ」はなくなるのでしょうか? A 競争原理の中にいる限り、「いじめ」はなくなりません。 でも、今「いじめ」というのは学校の中だけの現象ではなくて、日社会全体を覆い尽くしているものだから、ある意味ではどこまで逃げても逃げられないのかもしれません。 … 60年代からの高度経済成長によって日はいつのまにか経済大国になってしまった。するとそれまで日人同士支え合っていた互助精神が希薄になり、鮮烈な「パイの奪い合い」が始まります。 「いじめ」については、いろいろな立場にある人がさまざまなことをいわれている。 人により「いじめ」の定義をどうするか、どう位置づけるかによってさまざまな「いじめ論」がでてくる。 けれども、 私としては正直、「いじめ」の定義の議論はどうでもいい。 誰もが人間としてごく自然に、これは「いじめ」なんだろう…と感じるようなイヤな、不快なものごとがあれば、

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    koji-blog 2017/11/05
    競争社会であるからこそそんなつもりはなくても相手をいじめてしまうかもしれない。いまふりかえって見ると僕も誰かをいじめてたかもしれませんね。
  • 2017.10.8 『内田樹の生存戦略』① - カメキチの目

    カメキチの目 すばらしいに出あった。めったにあることではない。 もともと著者の内田樹さんは気に入っており、いままでも何冊か読んでいるが、これは人生相談のような体裁で、身ぢかな「悩み」「問題」に内田樹が答えるというもの。 この人ならではの答えがとてもおもしろかった。 あまりにおもしろいので、「読んでみたら…」とツレにすすめたけれど、「リンパ」(リンパ腺とかの)のを読んでおり、「そっちがおもしろい」と返された。 (リンパよりおもしろいのに…) リンパがあろうとなかろうと、記事にしたいとの読み始めからそう思いました。 (前にも書いたことありますが、内田さんはご自分のブログ記事も著作も、「著作権」を主張しないから自由に使っていいと、何かので述べておられたので、遠慮なく引用し、間に私の思い考えも挟んで紹介します。ただしQアンドAは、私の心に残ったものだけに絞ります) 書名は『内田樹の生存戦略

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    koji-blog 2017/10/08
    勉強になります!!
  • 2017.9.24 耳掃除 - カメキチの目

    カメキチの目 耳掃除。耳クソをとった。 (私が読者になっている方で、たいへんなことで悩んでおられるというのに、こんな気楽な記事かいてゴメンなさい) グーグル画像さんからお借りしました。 つい先日、ちょっと恥ずかしい話だけど、耳鼻咽喉科に耳掃除に行った。 じつは2年前にも行っているので2回目だ。 私の人生で、あくまで2回目のこと。 「耳掃除」。子どもみたいで、通院にはちょっと勇気が要りました。お願いですから「それくらいのことで…」と笑わないでください。 コトここにいたるまでには、いろいろあったのです。 「いろいろ」とはいっても、要は、家での耳掃除は痛いということです。私はああいう痛さは弱い、苦手です。打撲とかは強い(と思う)。 (私の内耳の器官は壊れているのですが、耳自体の痛覚はあり、敏感なのです) 障害者となって手の感覚が鈍いので、だいたいはツレに耳掃除をしてもらっているのですが、こんどは

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    koji-blog 2017/09/24
    僕はお風呂上がりに綿棒でよくとっちゃってます
  • 2017.8.25 『動物のいのちを考える』2 - カメキチの目

    カメキチの目 きょうは7月末の記事の続きです。あっちこっちへとすみません 第二章は、「いのちの『べかた』を考える」。 この部分の著者は新島典子さんという大学の先生。 動物看護学(ある大学にはこういう学部があるのです。すばらしい! 東大や京大もこんなのを設ければいいのに)を教えている。 私は、畜産のウシやブタ、ニワトリなどを「産業動物」と呼ぶとは知りませんでした。 ・生まれたときから「材」となるまで育てる(畜産業)。 ・解体して肉を製造、または搾乳しミルクやバター・チーズを作る(肉産業や乳製品製造業)。 ・運搬し(冷凍車などによる運送業)、販売する(肉屋さん・スーパーなど小売業)。 ・あいだには市場など卸しもあり、関連して牛乳パックやプラ容器なども。 まさに一大産業です。しかも「べる」だから、生きることにぜったい欠かせない。生きるといっても肉しなくてもすみますが、ベジタリアンだっ

    2017.8.25 『動物のいのちを考える』2 - カメキチの目
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    koji-blog 2017/08/26
    動物の命について考えさせられました。。