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  • 日本で研究者になるのはプチ出家する事と同じだ

    ツイッター(X)上で、研究者の待遇の悪さを嘆いているポストが投稿され、喧々諤々の議論が勃発していた。 研究者辞めようかな。月30万円では家族の生活を支えられない。家族を巻き込んで耐え続けたところで安定した仕事に就けるか分からない。研究者の人生を舐めてるとしか思えない規則や待遇、環境や態度しかない。自分達の世界が異常なことに気づいていない。最近毎日と家計や将来のことで喧嘩してる。 — 武田 紘樹 (@tomatoha831) September 12, 2023 まず第一に、待遇という観点でのみ言えば研究者の期待値は最悪である。 恐らく似たような能力を持った人間が民間に行ったのなら、年収は2倍~5倍は稼げるだろう。起業まで視野にいれれば、10倍以上かもしれない。 研究者のメリットってなんなの? じゃあこれをもって研究者という人生を選ぶことが馬鹿げた事なのかと言われれば、それは断じて否だのだ

    日本で研究者になるのはプチ出家する事と同じだ
  • 映画バービーは思想と思想のガチンコバトルだった

    色々と話題になっているので映画バービーをみてきた。 感想だが、普通にビックリする位に面白かった。 自分は男性だが、途中で2回もガチ泣きしてしまい、当初の想定とは全く異なる形でこの映画を楽しめた。 知らない人も多いだろうから映画バービーのあらすじを簡単に書くと、この映画はバービーランドという理想上の世界で生きるバービー(女)とケン(男)が、フェミニズムや男性社会をモチーフにアレコレと慌ただしい展開を辿る作品だ。 そのテーマ性から、この映画フェミニストやアンチフェミニストが喧々諤々の議論を繰り広げる作品となっており、一部の界隈では話題沸騰となっている。 ぶっちゃけ…もうこの時点で9割の人は「あっ…そういうの別にいいんで…」となるように思うのだが、個人的にはフェミニズム等に興味がない人でも十分すぎる位にこの傑作を楽しめると思う。 というか絶対に見た方がいい。なぜなら人生の真理が描かれているから

    映画バービーは思想と思想のガチンコバトルだった
  • 本物がみたいのなら、貴方が誰かを本物にしなくてはいけない

    このは若き頃の佐藤さんが北方領土返還に全力で挑み、その際に出会った盟友であるサーシャさんとの数十年ぶりの再開が描かれたものだ。 僕はデビュー当時から佐藤さんの作品を追っかけ続けられるという幸運に恵まれたのだが、書を読むと「ああ、歳を積み重ねるという事は、こういう事なのか」と感慨深く感じさせられるものがある。 偶然なのかもしれないけれど、このに限らず昨今は人生の総決算をする著名人が多い。 村上春樹は<街と、その不確かな壁>をリバイバルし、自身の第一線からの引退を示唆し、後人に道を託す姿をみせた。 正直作品としての出来は微妙だったが、老体に鞭を打てでも後世にメッセージを託すその姿には、作品自体の出来を超えた価値があったように思う。 宮崎駿も、それまでだったら完全なるファンタジー制作しかしなかったのに、人生の意義や意味といったものを個人の人生教訓をたっぷりと詰めて、視聴者へと問うた。 こち

    本物がみたいのなら、貴方が誰かを本物にしなくてはいけない
  • 依存症行為は自分自身と向き合わないと、治らない

    学生時代の話なのだが、当時ものすごくバレーボールに打ち込んでいた友人がいた。 彼のその情熱は傍からみていて異常な程だった。 試合中に網膜剥離を起こしたのに自分が抜けるとチームが負けるからと試合を強行させたといえば、なんとなくその異常さが垣間見えるだろう。 こんなプレイスタイルだからなのか、彼は当にしょっちゅうテーピングやらアイシングといったものをやり続けていた。 痛み止めもバカスカ飲みまくっており、こいつは早死するなぁと思ったものだった。 ある時、その彼に「そういうのって、効くの?」と聞いた事があった。 これは自分自身がテーピングやアイシング、飲み薬といったものの効用がイマイチ感じにくかったが故の質問だったのだが、彼は即答で 「効くよ」 と答えた後に、続けて面白いことを述べた。 「けど、こういうのに頼ってると弱くなる。だから使わないに越した事はない」 先送りにしていいことは、あまりない

    依存症行為は自分自身と向き合わないと、治らない
  • 僕の北岳・間ノ岳縦走日帰りピストン失敗記

    「日で一番高い山は富士山だが、じゃあ2番目は?」 この慣用句はよく2番目以降は無名であり、1番にならないと意味が無いという事を説明するのに使われる。 ちなみに日で2番目に高い山は山梨県にある北岳で、3番目に高い山は山梨と静岡にまたがって存在する間の岳である。 この2つは驚くべき事に山頂同士が峰から峰で繋がっており、縦走する事ができる。つまり…気合をいれれば日で2番目に高い山と3番目に高い山はセットで制覇可能なのである。 「2年前は富士山に登ったし、ここいらで2番と3番も登ってみるかな」 ふとそう思い、日帰りピストンを企画して実行した。 毎日12キロ走ってるし、気合を入れればなんとかなるだろうと思ったのだ。まあ最初に書いておくが、目論見は失敗したのだが… というわけで今回は反省の念も込めて、北岳・間ノ岳登山の感想と学びを書いていこうかと思う。 前泊すれば6:30から登れる 北岳に登るに

    僕の北岳・間ノ岳縦走日帰りピストン失敗記
  • 宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』は宮崎駿の人生そのものである

    宮崎駿監督の最新作であり恐らく最終作である『君たちはどう生きるか』をみてきた。 最初に言っておくと、僕はこの映画を非常に高く評価している。ラストシーンでは自分でも全く予期していなかったのだが涙がボロボロと込み上げてきて、美味しんぼの有名シーンのようになってしまっていた。 とはいえ多くの人がご存知のとおり、この映画の評価はメチャクチャである。 全く意味がわからなかったとクソミソにけなす意見から、僕のように凄いと絶賛する意見で真っ二つに分かれており、評価が星1と星5で割れるという、ある意味では凄い事になってしまっている。 まず第一にいえる事として、この映画は脳みそをカラッポにしてみて楽しめるタイプのものでは全く無い。 読み解き側にある程度の教養やタフネスといったものが求められるという時点で、かなり観客側に求められるものが大きい。 加えてこの映画のテーマがそれまでのジブリ作品とはかなり一風変わっ

    宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』は宮崎駿の人生そのものである
  • コントロール不可能なものを、コントロールできると誤認すると不幸になる

    メメント・モリという単語がある。意味としては死を忘れるなだとか死を想えといったものだ。 この概念自体は割と有名なので聞いたことがある人も多いだろう。 現代で最もこの概念を共有させたのは、かのスティーブ・ジョブズによるスタンフォード大学での講演で、彼はそこで 「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」 「違うという答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直した方がいいんじゃないだろうか」 と問いかけ、最後に「ハングリーであれ。愚か者であれ」と宣言してスピーチを〆た。 人間はいつか死ぬ。だから精一杯生きよう。そういう風に認知をスイッチするのに、この言葉は恐らく使われている。 お前は不死身ではない ただ同時に、このメメント・モリという言葉がどういう事を言いたいのかがよくわからなくなる事も多かった。 確かに私達は必ず死ぬ。 しかし、それならそれで陰な死を考える

    コントロール不可能なものを、コントロールできると誤認すると不幸になる
  • 何がカッコいい、カッコ悪いかはアイデンティティの本幹に関わる難しい問題

    ちょっと前にライターのヨッピーさんが 男の子を育てる時は父親が積極的に介入した方が良いな。父母の集まりで「3歳になったら息子に空手でも習わせようかと思ってる。なんだかんだ男の子社会は『こいつを怒らせたら怖いな』っていうのが抑止力になるから」って言ったら男親は「確かに」って反応だったのに女親はピンと来てなかったもんな。 — ヨッピー (@yoppymodel) June 19, 2023 と呟いて、喧々諤々の議論が生じていた。(子どもを野生児にしたい|ヨッピー) この発言に対する反応は真っ二つといっていいほどに割れている。 「そうそう、力は生き抜くためにも必要だ」として擁護する反応もある一方、「そういうマッチョイズムが生きにくい社会を生み出しているのだ」と批判する声も多い。 どちらの反応にもそれなりには理がある。なので両者の議論は平行線を辿ってしまい、交わる事がないわけだが、そもそも何で話が

    何がカッコいい、カッコ悪いかはアイデンティティの本幹に関わる難しい問題
  • チーズに目覚める、現時点におけるサイゼリヤ利用の最適解

    ファミレスに限らず、飲店の利用における最も重要な点は「何を求めてそこに行くのか」だと思う。 金に糸目をつけないで自分だけにむけられた有機的な旨いものがべたいのか、あるいは多少の量産的で無機質さを受け入れた上で安価にセントラルキッチン方式のチェーン店にいくのかは、同じ美味しいでも尺度が全く異なる。 飲店に限らず、何かにお金を使うということは、それを利用する事を通じて自分を表現するという事になる。 そういう意味ではキチンと相手を引き立ててあげられるようなお金の使い方ができる人は粋だし、イチャモンをつけて相手を腐すような人は無粋である。 賛否両論、サイゼリア さて今回のテーマはサイゼリヤである。なにかとインターネットにおいて話題になるこのお店だが、面白いことにとても賛否両論あるチェーン店でもある。 例えばTwitterなんかだとエリックサウスのイナダシュンスケさんのような方は「素朴な料理

    チーズに目覚める、現時点におけるサイゼリヤ利用の最適解
  • 「戦わずして勝つ」というより、むしろ「戦ったら負け」なのだと気づいた。

    職場で妙にうまく自分の意見を通す人がいる。最近この人から当に大切な事を学んだので、今日はそれについて書こうかと思う。 人間というのは面白いもので、同じことをやっても好かれる人と嫌われる人がいる。 貴方も「言ってることは正しいかもしれないけど、それにしてもコイツ、酷い言い方するなぁ」と思った事が一度や二度はあるだろう。 俗に言うところの「口のきき方に気をつけろ」というこの現象の正体が自分は当に長い間よくわからなかった。そもそも「口のきき方」って単語自体が、なんか曖昧で要領を得ない。 そういう事もあって、冒頭に出した自分の意見を上手に通し続ける人が不思議で仕方がなかった。 ぶっちゃけた事をいうと、彼はそこまで人間的に魅力があるようにはみえなかったし、何かカリスマがあるような人でもない。 決して口ベタではないが、上手くも無い。 しかし気がつくと周囲とは軋轢を作らずに事を推し進めるのである。い

    「戦わずして勝つ」というより、むしろ「戦ったら負け」なのだと気づいた。
  • 「弘法は筆を選ばず」の、ほんとうの意味がやっとわかった

    を読んでいて久々に感銘をうけた。フミコフミオさんの”神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する”である。 フミコフミオさんはこのの中で「文章を書きたいのなら、書き捨てしよう」と仰る。 書き捨てとは文字通り”紙に書いて捨てる”行為の事で、フミコフミオさんいわく、この書き捨てこそが自身の秘伝なのだそうだ。 書き捨てすると、信じられない位に思考が進む 「書き捨て?なんかつまんなそうだな…」 そう思われる方もいらっしゃるかもしれないが、実際にやってみるとわかるが書き捨ては思考が大変に進む。 かなり前に自己啓発でマインドマップというものが流行った事があるが、書き捨てはあれに近い。 なぜ書き捨てで思考回路が先に進むのかというと、人間は一度に一つの事しかできないからだ。 例えば何かを考える際に、その事にウンウン唸っていると、それを意識の元に置いている時点で思考回路が一つ専有されてしまう。 しか

    「弘法は筆を選ばず」の、ほんとうの意味がやっとわかった
  • 世の中には他人の目が最初に気になる人と、気にならない人の二種類がいる事を知った

    あなたは誰かにミスを指摘され、イラッとした経験はあるだろうか? あるいは自分がやった仕事について、何らかの批判をされて不快になった経験でもいい。 僕はこれらにブチッとなるのは四六時中である。「うるせえなぁ」「褒め言葉以外、要りません」と常々思っていた。 人生というのは不快になる為のものではない。だから不満の元となる原因からは距離を置き、心地よい時間を増大させるのが最高の戦略である…と、かつての自分は信じていた。 しかし色々あって、最近は随分と認識を改めるようになった。 というわけで今回は不快感との付き合い方について書いていこうかと思う。 イラッとするのは生理現象だが、どう対応するかは自分の問題 とある人の瞑想体験記を読んでいた時の事である。 その人はあるコース参加者の態度が気にわないと思ったようで、コースマネージャーにそれを打ち明けたのだという。 コースマネージャーは彼女の意見を一通り聞

    世の中には他人の目が最初に気になる人と、気にならない人の二種類がいる事を知った
  • 心頭滅却の為の低山ハイキングのススメ

    去年辺りから低山トレッキングにハマっている。 これまではどちらかというと、高山のに興味があった。富士山や雲取山、千畳敷カールの登頂経験は素晴らしい体験で、地図を見ながら 「俺、こんな山を登ったんだな」 と振り返るのはとても楽しい。 その調子で日百名山を一通り制覇するのも悪くはなかったのだが、車を持たない自分には多くの山はアクセスに難があり、どうにも気が乗らなかった。 山登りは楽しいのだが、アクセスに手間がかかるのが難だ。 もうちょっと気軽に何とかならないかと思ったところ、東京は高尾山がハチャメチャに便利な事に気がついた。 新宿から1。帰りもラクチンな高尾山~陣場山トレッキング 高尾山は東京の西側にある有名な低山だ。東京周辺に在住の方なら、遠足等で一度や二度は訪れた事があるだろう。 高尾山がいいのは登山口まで電車が伸びているという点にある。新宿から京王線で直通、高尾山口駅まで乗ってけば、

    心頭滅却の為の低山ハイキングのススメ
  • AIの仕事のクオリティ、高すぎない?

    AIの発展が目覚ましい。 Twitterをみていると、お絵かきAIやChat GPTによる優秀な仕事がサラサラと流れていく。 その仕事のお点前は、既に平均的なビジネスパーソンの域を超えているようにすら見え、かつそれが数日単位でレベルアップする有様である。 自分はそれをみて「はー」と感心するだけだったのだが、つい最近になって翻訳AIで有名なDeep Lを使用し、卒倒するぐらいの衝撃を受けた。 今日はその衝撃を書いていこうかと思う。 日の研究者を悩ませる英語問題 古より日人研究者の頭を悩ませてきたのが英語である。 日人の英語の酷さは海外では有名なようで、有名な論文の投稿規定に「日人は英文校正サービスを使用した後に論文を投稿してください」という意図の事がやんわりとした表現で書かれていた事があったという程である。 例に漏れず、僕も英語はそこまで得意な方ではない。簡単な日常会話や専門誌の読解

    AIの仕事のクオリティ、高すぎない?
  • ホストやってたけど普通はサイコパスになれんよ

    俺はホストやってたけど、人間的に騙しまくるのは無理だったので辞めた。 まずホストに来る女は全員病んでる。必ず病んでいる。初回というのがあって金額が安いので「物は試しに」などと言う輩もいるが、基的に何かしら心に闇を抱えていることが多い。それを「ホストに来さえすれば解決する。こっちは客だぞ」と思っていることが多い。 色んなホストで初回ばかり来るやつは初回荒らしと言われる。こういうやつは基わかる。まず金を持っていない。金を持っていないのにも関わらず頼み慣れている。観光のような形で来るやつらだ。こういう相手には基的にホスト側も全力で行かない。ゴミ客のような扱いでとりあえず義務的にやる。 ホストは女の金を見ている。服装から風俗嬢か、一般人かなどを見ている。一般人で1人で来るヤツは比較的狙い目だ。普通は1人でホストになんか来るわけがないからだ。友達がいない・繋がりがないことを証明している。 ホス

    ホストやってたけど普通はサイコパスになれんよ
    kounotori0305
    kounotori0305 2023/05/14
    こういうガチ勢に越前リョーマ評を一回やってみて欲しい。単純なサイコパスなのか、超人なのか、あるいは両方なのかが傍から見てるとわからない
  • どんなに非生産的で、バカバカしくて、無駄だとしても、誰かのプライドは地球よりも重苦しい。

    先日、宮古島の肉センターにて、重要なポジションを任されていた社員が待遇の改悪を示され、契約関係破棄したニュースを目にした。 宮古島で牛、馬の肉処理できず センター職員が契約切れ 大型連休に間に合わない可能性も(琉球新報) – Yahoo!ニュース なんでも宮古肉センターでは大型の家畜の解体作業をできる職員が”1人”しかおらず、そのキーマンがいなくなったら全工程が進まないような状態にあったのだという。 どう考えても全体の生産性を考えれば…この職員には居てもらわなくては困る。 そう考えると…待遇を上げるならまだしも、待遇を下げるだなんて処遇は気が狂っているとしか思えない。 しかしこれは人間の集団心理から紐解けば、実は不思議な行動ではない。 今日はこの件を題材に、なぜ貴方の給料が全く上がらないのかを示唆する情報を書いていこうかと思う。 人は誰しも自分の事を褒めてもらいたがっている 極論をい

    どんなに非生産的で、バカバカしくて、無駄だとしても、誰かのプライドは地球よりも重苦しい。
  • 人は、痛い思いをしても、だいたい反省しない。

    人間というのは難しい生き物だなと常々思う事がある。 例えばである。風邪を引いて健康のありがたさを実感したという人は多いだろう。 実際、健康というのはある時は何も気にならないクセに、無くなるとメチャクチャに不便だ。 ほんのちょっと喉が痛いだけでも精神的にはかなりらうし、ほんのちょっと熱があるだけで頭は全然働いてはくれない。 こうして健康の素晴らしさを声高に叫びたくなるような経験をしたとしてもだ。 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うべきか…しばらくすると健康の事は忘れ果ててしまうのが人間という生き物である。 痛みを押し隠して走っていたら、学びしかなかった なんでこの話をしたのかというと最近になって僕は右膝を痛め、健常のありがたさを痛感しているからだ。 原因は日々のランニングである。いわゆる故障というやつだ。 故障というのは誠に不思議なもので、元気だった頃は雑に扱っても何も感じなかった程度の負

    人は、痛い思いをしても、だいたい反省しない。
  • 苦しいのに、やめられないのはなぜ?

    「よく走れますね。自分、シンドイの嫌なんで絶対に無理っす」 つい先日、フルマラソンを完走したのだが、ランニング話を人に話題にすると、まず間違いなく上のような回答をもらう。 自分も以前は毎日10キロ走れとか言われたら「死ぬほうがマシ」と答えていたと思う。 それぐらいには体育の時間でやった長距離走にはシンドい思い出しかない。 しかし今では誰に何も言われずとも僕は走る。むしろ今は膝が痛くて故障ギリギリ手前にいるようにも思うのだが、そういう状態であっても走っている位である。 「なんで!?休めばいいじゃん」 普通の人はそう思われる人も多いかもしれないが、今の自分は「走るのを出来る限り止めたくない」のである。 実はここに何かを習慣化するヒントがあるのだが、今日はこれについて書いてみようかと思う。 アイデンティティの一部になるまで、やれ 近所にガチで筋トレに取り組んでいる理容師の方がいる。 彼に「どうや

    苦しいのに、やめられないのはなぜ?
  • 働かないおじさんに怒っている人は、家にある置物にフルスイングできるかを考えてみるといい

    Twitterを眺めていたところ、若者のやる気を奪うのは働かないおじさんだという投稿をみかけた。 Twitterで若手から同世代まで幅広く意見を見てきた所では、若手のやる気を奪い、退職に追い込んでいる要因は幾つもあるものの、パッと見た所で一番強力なのはどうも 「働かないのに職位と給与が高いおじさん」 ぽい。職場環境をホワイト化させても事務を効率化しても彼らがいると若手は辞める。 — あんちゃん (@monosoi_akarusa) February 19, 2023 人間は不平等感をおぼえると強く憤る性質の生き物だ。働かないおじさんはその最たるものともいえるだろう。 正直にいえば、僕も以前はそういう人をみてプリプリ怒っていた。 なんで若手の自分が汗水垂らして苦労しているのに、何をしているのかよくわからない人間が自分よりも給与をもらっているのか全然理解できなかったからだ。 僕は彼らを置物と揶

    働かないおじさんに怒っている人は、家にある置物にフルスイングできるかを考えてみるといい
  • 「仕事を教えたがる人」は「仕事ができない人」への教育で自尊心を補填している

    以前から不思議なものに恋愛アドバイザーという人達の存在があった。 当に恋愛についての存在をするのなら…それこそ順風満帆な結婚生活をしている人間を適当にピックアップするのが最適だ。 そしてそういう成功者を身近で探すのは、そこまで難しいわけでもない。 成功したいのなら、上手くいった人に話を聞くのが一番だ。 受験なら合格した人間に話を聞くのが普通であり、どんなに受験に熟知していようが浪人生に話を聞く必要はあまりない(そういう人ほど饒舌だったりするのだが…) それなのに誠に不思議な事に…世間の恋愛アドバイザーを標榜する人の多くは、実際問題としての自分の恋愛は微妙な成り行きだったりする事も多くて、話はまたややこしい。 それじゃあ、まるで迷える子羊が迷える子羊を抱えて、さまよう羊の群れになるようなものである。 一体なんでそんな事をするのか?以前の僕は全くわからなかった。 しかし問題解決のみが世の中の

    「仕事を教えたがる人」は「仕事ができない人」への教育で自尊心を補填している