タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

街と人生に関するmatakenoのブックマーク (5)

  • 「武蔵小杉」で立ち止まり、人生を立て直したあの頃。|文・紺野あさ美 - SUUMOタウン

    著: 紺野あさ美一番弱った頃に出会った街こんなに都会だったっけ? 久しぶりに武蔵小杉に降り立って、少し呆然としました。 今からもう10年近く前ですが、私は一時期この武蔵小杉に住んでいました。テレビ東京のアナウンサーをしていた頃ですね。 その後は結婚を機に退社し、3人の子供たちの出産・育児に追われていましたが、2年ほど前から少しずつお仕事を再開するようになりました。そうすると「元アナウンサー」「モーニング娘。OG」など様々な肩書きで紹介され、「アイドルもアナウンサーも、夢を叶えてすごいね」「人生グラフずっと高いね」そんな言葉をかけられたりもします。 でも、私にも「へこたれていた時期」というのがありまして……。一度会社を休職させて頂いたこともありました。自分の人生の中で一番弱かった頃かもしれません。その時に引っ越した先が神奈川県川崎市の武蔵小杉になります。 利便性より、ゆったりした空気を求めて

    「武蔵小杉」で立ち止まり、人生を立て直したあの頃。|文・紺野あさ美 - SUUMOタウン
  • いち神戸市民の暮らし【下の方に更に追記】

    【ここから文】 私は神戸で生まれて育ちました。昔は裏六甲の北区で、今は海側の住宅街に住んでいます。 他の街は分からないけど、神戸は海も山も都会も田舎もあるいいところだと思っています。 子供のころはよく洋裁が得意な祖母が作ってくれたワンピースを着て、祖父に連れられて王子動物園と須磨海浜水族園に連れて行ってもらいました。 この夏は当に暑くて、灘湾にもくもく立っている入道雲が憎たらしかったです。 神戸都市部の排熱が、全部六甲山から吹く風に淡路島の方まで流されて、雨雲になります。 淡路島の人には少し申し訳ない気がします。ごめんなさい。 こないだ、三宮でコーヒーと紅茶を買って、南京町で老祥記の豚まんを買いました。 育った街だけど、居留地のビルの合間はいつも迷子になります。 山か海が見えると方角がわかるのですが、ビルに囲まれてしまうとたいてい、南北逆になってしまっています。どこにいても山が見えたら

    いち神戸市民の暮らし【下の方に更に追記】
  • 20代の終わり、モラトリアムを離れ出会った堺銀座商店街のクラフトビール|大阪・堺東(文・阿波野巧也) - SUUMOタウン

    著: 阿波野巧也 24歳の時だ。ぼくは大学院を卒業して、6年間の大学生活のうち5年間住んだ京都市左京区を離れることになった。率直にいえば心細い気持ちだった。初めての一人暮らしは退屈で、けれどいつも何かに焦っていた。おそらく世の中の多くの大学生と同じように、自分は何者かになれるはずだという根拠のない自信と、一方で自分はやはり何者にもなれないのではないかという常に後ろを追いかけてくる不安とを心に同居させながら、結局のところストレートで大学を卒業し、縁があって得た内定先へ就職することを選んだ。 就職活動をしながら、京都市に留まりたいという漠然とした気持ちを抱いていたけれど、自分の希望する職種ではそれにかなう職場をなかなか見つけられなかった。そんななかで関西の別の街に住むというのは、京都市に住むことを諦めた上での一つの抵抗だった。あの何者でもなさをぼくに感じさせ続けた街の近くに住んで、その磁場の影

    20代の終わり、モラトリアムを離れ出会った堺銀座商店街のクラフトビール|大阪・堺東(文・阿波野巧也) - SUUMOタウン
    matakeno
    matakeno 2022/12/27
    『ビギナーズラック』の阿波野さん。
  • 「ほっといてくれる」心地よさ。阿佐ヶ谷でひとり、居場所を見つけた(文・山口 亮) - SUUMOタウン

    著: 山口 亮 「人がいっぱいいるから、何かおもしろいこともあるだろう」。富山県高岡市で生まれ育った私の考えはとても単純だった。田んぼのど真ん中で高校生活を過ごした私は、そんなわけで東京へ進学することを決めた。 通学は自転車で30分、週末にはイオン映画鑑賞。お小遣い欲しさにこっそりアルバイトをし、いい加減な恋愛をして気がついたら受験シーズン。特別なことは何もなかったように思うし、だからこそ「なんでもありそうな」東京に行けば何かが起こるような気がしていた。 「お父さん、手続きも受験も全部自分でやるので100万円だけください。あとはなんとかします」 そう頭を下げて受験を乗り越え、東京に引越した。 大学生活をそこそこに過ごし、進級のタイミングで選んだ引越し先は中央線沿線の阿佐ヶ谷だった。それまでと異なる校舎に通学することになり、利便性や家賃相場のバランスを考えて選んだ場所だった。中央線カルチャ

    「ほっといてくれる」心地よさ。阿佐ヶ谷でひとり、居場所を見つけた(文・山口 亮) - SUUMOタウン
    matakeno
    matakeno 2022/07/12
    こんな距離感はつくろうと思ってもつくれないからうらやましい。
  • 16年住んで不満ナシ。マーティ・フリードマンが新宿をトコトン愛する理由 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 古澤誠一郎 写真:小高雅也 日に暮らす外国人は、どのような「角度」から街を見ているのでしょうか。彼ら・彼女らの街に対する愛着や意外な暮らしぶりにフォーカスし、街の魅力を掘り下げるインタビュー企画「日に住んでみた」をお届けします。 ◆◆◆ 今回ご登場いただくのは、新宿で暮らすギタリスト、マーティ・フリードマンさんです。 アメリカで生まれ育ったマーティさんは、世界的なヘヴィメタルバンド「メガデス」で活躍。バンド脱退後は有り余るJ-POP愛から日移住し、音楽というフィールドから日の魅力を発信し続けています。 そんなマーティさんは「日一の繁華街」とも言える新宿に、どのような魅力を見出しているのでしょうか。 日人にとっては当たり前すぎて気づかない「便利さ」や「安全さ」。J-POPにもどこか通ずる雑多さ。そして、「雀荘」や「質屋」の看板を読めるようになり、街の様子が

    16年住んで不満ナシ。マーティ・フリードマンが新宿をトコトン愛する理由 - SUUMOタウン
  • 1