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ブックマーク / bunshun.jp (2)

  • ”強い”はずなのに魅力ゼロの中国とどう付き合うか | 文春オンライン

    これまで5年間勤務してきた多摩大学の非常勤講師の職を離れることになり、先日最後の講義を終えた(なお、勤務を離れた理由は不祥事とかではない。念のため)。 私はむかし塾講師のバイトをやっていたせいか、講義では小難しい理論を喋るよりも、来退屈な内容をおもしろく喋ってヤル気のない子をヤル気にさせるほうが得意であり、多摩大では1年生向けの中国語(必修の語学)の担当がいちばん楽しかった。いっぽう、頭を抱えたのが「普通の講義」である。 私たち中国ライターは、日常的に「中国とどう付き合うべきか」といった質問を受けることが多い。なので、講義でもひとまず日中関係史のような内容を喋っていたが、果たして大学教育の水準に見合う話だったのかは現在も悩ましいところだ。 ただ、中国は変化のスピードが速い。5年前の2012年度と現在の2017年度を比べると、似たような講義をしていても学生側に顕著な肌感覚の違いを感じたこと

    ”強い”はずなのに魅力ゼロの中国とどう付き合うか | 文春オンライン
    nakami_midsuki
    nakami_midsuki 2018/02/06
    ビリビリ動画の関連会社のアズールレーンや、絵夢のアニメスタジオなんかは、置いておき、PCやスマホのメーカーについては、バックドア問題のせいで、今も信頼できず困惑。とはいえ、何か生まれてきそうではある。
  • ご存じですか? 3月3日は応仁の乱が始まった日です | 文春オンライン

    室町時代の文正2年1月18日の明け方、去る6日に将軍・足利義政により管領(室町幕府における政務の最高責任者)を罷免された畠山政長が、京都・将軍御所の北東にある上御霊社(かみごりょうしゃ。現在の御霊神社)に陣をとった。この日は西暦(グレゴリオ暦)でいえば1467年3月3日で、いまからちょうど550年前のきょうにあたる。日史を大きく画したともいわれる応仁の乱(応仁・文明の乱)は、いままさに始まろうとしていた。 畠山家は細川氏・斯波氏と並び管領職を認められた三家のひとつで、政長は長らく、従兄弟にあたる畠山義就(よしひろ)と家督争いを続けていた。最初に家督を継いだのは義就だが、家臣の造反で都を追われる。しかしその後も復権をめざし、たびたび軍勢を率いては上洛、この年正月にはついに将軍・義政の支持を得た。失脚した政長は前日の1月17日夜、屋敷に自ら火を放ち京都を出ると見せかけて、御所をうかがう地点に

    ご存じですか? 3月3日は応仁の乱が始まった日です | 文春オンライン
    nakami_midsuki
    nakami_midsuki 2017/05/09
    著者について:【ニュース】歴史学の成果を伝える難しさ~「歴史の複雑さ伝える 「応仁の乱」がベストセラー 呉座勇一さん(歴史学者)」(東京新聞)~ - 仲見満月の研究室 http://naka3-3dsuki.hatenablog.com/entry/2017/05/09/220500
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