家族に関するoiku1515のブックマーク (2)

  • 人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ

    人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    oiku1515
    oiku1515 2019/01/01
    死ぬのって難しい
  • 親孝行エッセイ「かあさんの冷たいけど温かい弁当」フミコフミオ - 親孝行・家族のほっこりメディア【だんらん日和】

    お通夜のあとに出されるあの事。成人して、マイカーを持つようになった時期まで、ずっと、あれが、嫌いだった。 お寿司、唐揚げ、ポテトフライ、枝豆、サンドイッチ。ポテチを筆頭とした乾きもの。それから偉大なる「柿ピー」。 僕は大人になるまでのある一時期、そういった「お通夜の事」を毛嫌いしていた。「味が口にあわない」といった嗜好の問題からでも、宗教的な問題からでも、お通夜の辛気臭い雰囲気からでもなく、ただひたすら一家庭の個人的な経験から嫌いになったのだ。憎んでいたといってもいい。 僕が20歳になる前に父が亡くなり、僕を生んでから専業主婦をやってきた母が、生活を支えるために働きだした。母の就職先は葬儀屋。葬儀屋の仕事は、お通夜が入ったときはどうしても帰宅が夜遅くなってしまう。 今、僕は44才、葬儀屋で働き始めた当時の母とほぼ同じ年齢になったからよくわかるのだけど、長時間の立ち仕事は体力的にかなりキ

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