未完の傑作として知られるスペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア教会に高さおよそ140メートルの新たな塔が完成し、新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない中で希望のシンボルになってほしいと地元の人たちが期待を寄せています。 世界的な建築家、アントニオ・ガウディの代表作でスペイン有数の観光名所、サグラダ・ファミリア教会では8日、「マリアの塔」と呼ばれる新たな塔が完成し、お披露目を祝うミサが開かれました。 大司教の祝福に合わせて、高さおよそ140メートルの塔がライトアップされると、市民や観光客から大きな拍手と歓声が上がりました。 サグラダ・ファミリア教会は1882年に着工し、ガウディの没後100年となる2026年の完成を目指して建設が進められてきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で工事は一時中断を余儀なくされました。 しかし、感染拡大が収まらない中で希望のシンボルにしたいと、教会は
「掩体壕(えんたいごう)」という言葉をご存じだろうか。第二次世界大戦中に築かれた、飛行機を空襲から守るための格納庫である。 関東地方では東京都の調布飛行場や千葉県の香取飛行場跡、茂原飛行場跡などに現存しており、私は以前それらの掩体壕を巡る記事を書いた(参照記事→「飛行機用の防空壕、「掩体壕」のたたずまい」)。 掩体壕は関東地方のみならず全国各地の飛行場に築かれており、中でも高知空港の近くには計7基の掩体壕が残っているという。それらは現在どのような状態なのか、気になったので見に行った。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前
日本の各地には、伝統的なスタイルの家屋が建ち並ぶ町並みが存在する。高度経済成長期から現代にかけての都市開発や建て替えによってその数はだいぶ減ったものの、それでも今もなお昔ながらの風情を残す地域は少なくない。 私は全国の古いモノ巡りをライフワークとしており、これまでそれなりの数の町並みを見てきた。今回はそんな私の偏見と独断による、すごいと思った町並みを紹介したい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 奇跡の寺内町「奈良
螺旋階段、好きですか? 僕は以前螺旋階段や建築物が大好きでわざわざ北海道までいって螺旋階段を巡ったりしていました。 で、実際螺旋階段ってどこで見れるの?って質問は当時かなりの方から受けました。 (写真に触れずに『これどこですか?』って質問されると返信する気が無くなっちゃいますよね) というわけで需要があるかはわかりませんが本日は有名どころからちょっとマイナーなところまで、都内の螺旋階段を5つご紹介します。 東京文化会館 上野駅の公園口を出ると目の前にあります。 前川國男設計。 ちょっと前まで工事で入れなかったんですが現在は入れるようになっています。 有名なのは写真の赤い螺旋ですが実はもう一つ関係者入り口側に青い螺旋階段もあります。(通常立ち入れません) ザ!螺旋階段といった感じで撮りやすく色もインパクトがあってかっこいいです。 ※現在は撮影不可になってしまったようです 東京文化会館|来場者
このサイトは、世界各地の建物紹介をインターネット上で1つにまとめた参加型共同作成Webです。The site introducing buildings in Japan and the world. Each photographs and caption will make you want to visit the place. This is the collaboration site of members. If you'd like to introduce buildings, you can join the site! Basically, written in Japanese, but we have some part in English.
首都圏外郭放水路が作られたのは今から12年前。近辺の川の水があふれたとき、地下の水槽に流しこんで貯め、ポンプで江戸川に放水することで周辺の洪水被害を防ぐ、という仕組みである。 この放水路には東京ドーム10杯分の調整実績がある。10杯分が多いのか少ないのか感覚が麻痺してよくわからないけれど、わたしは気が弱く、東京ドームに喩えられたら反射的に巨大だと思うことにしているので、東京ドーム3杯分と言われても驚いてみせることが可能である。 近年、大雨・洪水の被害が増えてきているが、この放水路の管轄内の冠水がなくなり、被害を免れた規模は1兆4000億円にものぼる。 建設費は2300億円とのことだから、ペイするにもほどがある。ただ、税金といえば無駄遣いというイメージがメディアにより刷りこまれており、税金を無駄遣いしていないと少々がっかりしてしまう。無意識に、「無駄遣いしてこそ施設の巨大さが身にしみる」と期
時をさかのぼる 約 5,000 年前、古代都市メンフィスの外れに当時のエジプト人が王の墓として建設したピラミッド。この遺跡群は、現在もギザの街に高くそびえ立っています。ズームインして探索してみましょう。
ホキ美術館 HOKI MUSEUM 千葉市にあるホキ美術館に行ってきた。できた当初から、とにかく建物はすごいよ!建物は一見の価値あるよ!あちこちから聞こえつつ、展示品は…?とか、なんかえらく遠そう…と思って、なんとなく足が遠のいていたのだけれど。実は千葉市内で、千葉から外房線で20分、土気駅からは タクシーでもワンメーター、バスもあるし、歩いても20分かからないくらいの距離だったんですね。もっと遠いようなイメージをしていた 千葉市でも最大級の公園『昭和の森』に隣接していて、なるほど環境も良い… んだけれど、実は逆側のお隣はすぐに新興住宅街になっているんですね。低層なので、住宅側からはあまり突飛でないような建物にはなっておるよ うーん、いやー、じゅうぶん突飛か(笑)日建設計の山梨知彦さんによる、かなり自由気ままな建物で、周囲をぐるぐる回っても、なんだか構造がよくわからない不思議建築だ… ホキ
歩道橋とは車道または鉄道をまたぐように架けられた歩行者・自転車専用の橋のこと。 しかし久米島には自転車はもちろんのこと、歩行者でさえなかなか渡らなそうな歩道橋があるのです。 それがこちら。 海の中に歩道橋。 いったいこの橋はなんでしょうか。 近づいてみよう 陸から岩場を慎重に歩いて10分余り。 干潮だったので橋の近くまで行けましたが、たぶん満潮時は歩いて橋の前までも行けないでしょう。 階段の途中まで水で濡れた跡があるということは、そこまで水がくるということです。 しかも濡れているところは滑って怖かった どうやらこの橋にはきちんと名前があり「シールガチ橋」というようです。 反対側の欄干には「-3.0m航路」とあります。 航路とは船舶などが海上または河川を航行するための通路。 たしかに橋の下を見てみると、船が通れるような水路がありました。 この橋はなぁに? 橋のことを解明する前に、まずはこちら
日本国内のレトロな雰囲気の建物画像貼ってく 1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/01/31 16:48:33 ID:AIIAjtPD0 貼ってく 北海道庁旧本庁舎 市政会館 新潟県政記念館(新潟県会議事堂) 2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/01/31 16:49:51 ID:AIIAjtPD0 岐阜県総合庁舎(岐阜県庁舎)※平成25年閉庁 玄関ホール以外は解体予定 愛媛県庁舎 旧三重県庁舎 ※明治村に移築 44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/01/31 17:31:06 ID:MemBhk060 >>2 愛媛県庁舎はすごい頑丈そうだな 3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/01/31 16:50:38 ID:AIIAjtPD0 宮崎県庁舎 山口県政資料館(山口県会議事堂) 石
澤(さわ)は山下(さんか)に在(あ)り 其(そ)の気(き) 上(うえ)に通(つう)ず 潤(うるお)いは草木(そうもく)百物(ひゃくぶつ)に及(およ)ぶ から 採択し、通潤橋と命名された[5]。 概要[編集] 石造単アーチ橋で、橋長は78メートル、幅員は6.3メートル、高さは20メートル余、アーチ支間は28メートルである[6][7]。橋の上部には3本の石管が通っている。肥後の石工の技術レベルの高さを証明する歴史的建造物であり、国宝に指定されている。なお通潤橋を含む通潤用水は日本を代表する用水のひとつとして農林水産省の疏水百選に選定され、橋と白糸台地一帯の棚田景観は、通潤用水と白糸台地の棚田景観の名称で国の重要文化的景観として選定[8]されている。 橋の中央上部両側に放水口が設置されており(川の上流側に2つ、下流側に1つ)、灌漑利用が少ない農閑期には観光客用に時間を区切って15分程度の放水を行
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軍港として栄えた佐世保は、かつては湾を守るべく周囲に幾つもの砲台を持つ要塞だった。その遺構の幾つかを見てまわった。 以前、対馬にある要塞遺構を巡る記事を書きましたが、その続きみたいなものです。
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