レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、ファンクとラップが融合した先駆的アルバム『Mother Milk (母乳)』で、挫折から立ち直り、彼ら自身とそのサウンドを立て直した。 80年代後半頃のレッド・ホット・チリ・ペッパーズは、まだ今のような影響力のあるファンク・ロック・バンドでなかったことは、つい忘れがちである。そんな彼らのキャリアを大きく変えていたかもしれないような分岐点1989年にあった。ところでこの時にはすでに彼らは地元ロサンゼルスで少しばかり人気があって、特に大学生の界隈においては、荒々しいファンクやロックのサウンドと、あの裸に靴下を股間につけたコスチュームに至るような、やり過ぎなライブ・パフォーマンスも相まって、人々の好奇心の的となっていた。 アルバム『Mother Milk』の制作に取り掛かろうとする頃、バンドを悲劇が襲った。1988年、結成メンバーであり、このバンドの生みの親の