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  • 【追悼文・村松友視】プロレスラー国会議員・アントニオ猪木とは何だったか(村松 友視) @gendai_biz

    40年にわたってアントニオ猪木との親交を続けてきた作家・村松友視氏による追悼文の後篇を、前篇に引き続いてお届けする。1988年、参院選出馬を発表した猪木に、村松氏はプロレスの味方気分で反発し、落ち込んだのだが、その顛末やいかに? 一緒に出た政見放送 当時の私にとってのイノキは、もはや『私、プロレスの味方です』を書いた当時のファンとしての感触をはるかに超える存在になっていた。これは、刻々のイノキ流プロレスの変遷や、プロレスというジャンルを超えた夢への眼差しと行動力を、直接のつき合いの中で感得しつづけたあげくの私の中でのイノキ像の変貌だった。したがって、そのアントニオ猪木が、国会議員などという陳腐な額縁におさまってしまうのか……それがイノキの参院選出馬に対して反射的に湧いた感情だった。 私は、力道山があのような「事件」に遭遇することなく生きのびたなら、事業家→政治家へ……という流れに沿って政治

      【追悼文・村松友視】プロレスラー国会議員・アントニオ猪木とは何だったか(村松 友視) @gendai_biz
    • アントニオ猪木さんを追悼し『グラップラー刃牙外伝』の全200Pページ分が無料配信。ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんをモデルに「夢の対決」を板垣恵介氏が描く

      株式会社秋田書店は、2022年10月1日に逝去されたアントニオ猪木さんを偲び、オマージュを捧げたキャラクター「猪狩完至」の活躍を描いた『グラップラー刃牙外伝』をマンガクロスにて、全200Pページ分の無料配信を開始したと発表した。 アントニオ猪木追悼企画 「#グラップラー刃牙外伝」マンガクロスに緊急掲載!! プロレス界の夢である マウント斗羽vsアントニオ猪狩を描いた全9話が マンガクロスにて無料公開ッッ!! 詳しくはこちらから…ッ↓https://t.co/mazEElZ0Nc pic.twitter.com/yaAMX1hBW0 — 刃牙30周年プロジェクト【公式】 (@teambaki) October 6, 2022 『グラップラー刃牙外伝』は、プロレス界の二大巨頭、マウント斗羽とアントニオ猪狩(猪狩寛至)が長年の決着をつけるため、東京ドームで激闘を繰り広げるというストーリー。 19

        アントニオ猪木さんを追悼し『グラップラー刃牙外伝』の全200Pページ分が無料配信。ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんをモデルに「夢の対決」を板垣恵介氏が描く
      • アントニオ猪木を偲び「グラップラー刃牙 外伝」無料公開、プロレス界の二大巨頭描く(コメントあり)

        1999年に秋田書店より刊行された「グラップラー刃牙 外伝」はプロレス界の二大巨頭であるマウント斗羽とアントニオ猪狩(猪狩完至)が、長年の決着をつけるため東京ドームで激闘を繰り広げる物語。本作発表当時、ジャイアント馬場、アントニオ猪木が、片や死去、片や引退という形でリングから姿を消し、現実世界での直接対決が実現しない形となっていた中、この作品はそのファンの夢をマンガで追いかけたものとなっている。 作者の板垣恵介は「20年以上も以前(まえ)の作品だけど、新たな追悼作品完成までの今暫く、宜しければお楽しみください」とコメント。週刊少年チャンピオン編集部は「感謝の心をこめて、板垣恵介先生がプロレスの夢を渾身の力で描かれた『グラップラー刃牙外伝 猪狩vs斗羽』を今あらためて読者に届けたいと思います」と綴った。 板垣恵介コメント予兆があったとはいえ、やはり急すぎる訃報だった。 20年以上も以前(まえ

          アントニオ猪木を偲び「グラップラー刃牙 外伝」無料公開、プロレス界の二大巨頭描く(コメントあり)
        • グラップラー刃牙外伝 【アントニオ猪木追悼企画】 | 板垣恵介 |試し読み・無料マンガサイトはマンガクロス

          アントニオ猪木追悼企画。プロレス界の夢を描いた『グラップラー刃牙外伝』緊急掲載!!

            グラップラー刃牙外伝 【アントニオ猪木追悼企画】 | 板垣恵介 |試し読み・無料マンガサイトはマンガクロス
          • 刃牙:マウント斗羽VSアントニオ猪狩 外伝を無料公開 アントニオ猪木さん追悼 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

            板垣恵介さんの格闘マンガ「刃牙」シリーズの外伝「グラップラー刃牙 外伝」が、秋田書店のウェブサイト「マンガクロス」で無料配信をスタートした。同作は、故・アントニオ猪木さんにオマージュをささげた猪狩完至の活躍を描いたマンガで、1999年に刊行された。アントニオ猪木さんをしのび、無料配信されることになった。

              刃牙:マウント斗羽VSアントニオ猪狩 外伝を無料公開 アントニオ猪木さん追悼 - MANTANWEB(まんたんウェブ)
            • グラップラー刃牙外伝 【アントニオ猪木追悼企画】 | 板垣恵介 |試し読み・無料マンガサイトはマンガクロス

              グラップラー刃牙外伝 第1話 始まっちまう!! - アントニオ猪木追悼企画。プロレス界の夢を描いた『グラップラー刃牙外伝』緊急掲載!!

                グラップラー刃牙外伝 【アントニオ猪木追悼企画】 | 板垣恵介 |試し読み・無料マンガサイトはマンガクロス
              • アントニオ猪木氏が生前「統一教会の集会に参加」の報、3つの論点で背景を考える

                くぼた・まさき/テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで200件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。 新刊『潜入 旧統一教会 「解散命令請求」 取材NG最深部の全貌』が発売中。 情報戦の裏側 できれば起きてほしくない「不祥事」だが、起きてしまった後でも正しい広報戦略さえ取れば、傷を最小限に済ませることができる。企業不祥事はもちろん、政治家の選挙戦略、芸能人の不倫ネタまで、あらゆる事

                  アントニオ猪木氏が生前「統一教会の集会に参加」の報、3つの論点で背景を考える
                • アントニオ猪木さん “最後”の闘魂メッセージ - クローズアップ現代

                  https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pmeLpRO4wl/ 7月21日。 私は都内のホテルの一室で、“あの人”が来るのを待っていました。 “燃える闘魂”アントニオ猪木さん。 音楽番組「ライブ・エール」のスペシャル企画で、内村光良さんと一緒にインタビューすることになったのです。 猪木さんは完治が難しいとされる難病「心アミロイドーシス」を患い、体重は激減しながらも、闘病する姿をインターネットなどで積極的に発信。信念である「元気があれば何でもできる!」を、体を張って伝えています。 その奥に秘められた思いとは何なのか? 初対面を前に鼓動が高鳴る私。 そこに、猪木さんは現れました。 まず、真っ赤なマフラーが目に飛び込んできました。そして、穏やかな笑顔。 車いすでゆっくりと近づいてくるその体は、座っていても大き

                    アントニオ猪木さん “最後”の闘魂メッセージ - クローズアップ現代
                  • “アントニオ猪木とは何者だったのか!?” 藤波・ハンセン・新間・古舘が激白 - クローズアップ現代

                    https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pBe2a19gzN/ プロレスの黄金時代を築き上げ、人々を熱狂させた“燃える闘魂”アントニオ猪木。 アントニオ猪木とはいったい何者だったのか? “一番弟子” 藤波辰爾 “ライバル” スタン・ハンセン “過激な仕掛け人” 新間寿 “名勝負実況” 古舘伊知郎 アントニオ猪木の人生を彩った男たちが、激白した。 (クローズアップ現代 取材班) “一番弟子” 藤波辰爾さん 「僕は猪木になりたかった」 藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)さん(68) 幼いころから猪木さんに憧れ、1970年に日本プロレスに入門し、付け人を務めた。1972年に猪木さんが旗揚げした新日本プロレスに参加。50年以上、師弟関係を続けてきた。 -藤波さんにとって猪木さんはどんな存在なのでしょうか。 藤波さん:

                      “アントニオ猪木とは何者だったのか!?” 藤波・ハンセン・新間・古舘が激白 - クローズアップ現代
                    • 🐻アントニオ猪木さん🎵の思い出❕ : 後志が1番❗❗❗

                      2022年10月05日 🐻アントニオ猪木さん🎵の思い出❕ 🐻✋今回は「燃える闘魂」のキャッチフレーズで昭和、平成のプロレスブームをけん引し、参院議員も務めたアントニオ猪木さんについて記事にします。アントニオ猪木(本名猪木寛至=いのき・かんじ)さん1943年(昭和18年)2月20日生、横浜市出身。 中学の時にブラジルに移住。遠征した力道山の目に留まり、17歳の時に日本プロレス入団。力道山の死後、ジャイアント馬場とのコンビでプロレス人気を復活させた。 キャッチフレーズは「燃える闘魂」。🐻👍『猪木さんの登場曲❕』(『元気ですか~』の動画と一緒に押すと迫力を増します。🐻👍) 🐻👍『元気ですか』 日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」89年にスポーツ平和党(当時)から出馬し参院選に当選。2013年の参院選では日本維新の会から立候補して国政へ復帰した。

                        🐻アントニオ猪木さん🎵の思い出❕ : 後志が1番❗❗❗
                      • アントニオ猪木は死の4日前に“ある言葉”を遺していた…燃える闘魂を50年撮り続けたカメラマンが語る「猪木流・お別れ会」の夜(原悦生)

                        アントニオ猪木が10月1日の朝、死去した。79歳だった。いつかこの日が来ることがわかっていたとはいえ、訃報に接して私は全身から力が抜けていくのを感じた。“燃える闘魂”がついに死を迎えてしまった。 その日の夜遅く、私は猪木さんの顔を見に行った。玄関を入って、左を見る。左奥の部屋に、猪木さんのベッドがあったからだ。そのベッドに、変わらずアントニオ猪木は眠っていた。闘病中と違うのは、掛け布団の胸の上に赤い闘魂マフラーが置かれていたことだった。ベッドの手前には焼香台がある。 「猪木さん」と呼び掛けても、先日まで巧みな寝返りを打っていた闘魂は、なぜか動こうとしない。 9月27日、アントニオ猪木と最後に会った日 猪木さんに最後に会ったのは死の4日前だった。9月27日、古舘伊知郎さんらと一緒だった。 猪木さんは少しずつしか食べられないけれど、好きだったホテルオークラの冷製スープ(ビシソワーズ)、スモーク

                          アントニオ猪木は死の4日前に“ある言葉”を遺していた…燃える闘魂を50年撮り続けたカメラマンが語る「猪木流・お別れ会」の夜(原悦生)
                        • アントニオ猪木が生前に語った、アリ戦での挫折を救ったタクシー運転手の言葉と「引き分けでよかった」理由

                          元プロレスラーで参院議員も務めた"燃える闘魂"アントニオ猪木さんが、10月1日午前7時40分、心不全のため79歳で亡くなった。 1976年6月26日、モハメド・アリ(右)との試合を終えて握手を交わす猪木さんこの記事に関連する写真を見る 猪木さんは、17歳だった1965年4月に移住先のブラジル・サンパウロで力道山にスカウトされ、日本プロレスに入門した。同年9月30日の台東区体育館での大木金太郎とのデビュー戦から、日本プロレス時代はジャイアント馬場さんとのタッグ「BI砲」で活躍。1971年12月に「会社乗っ取り」を理由に日プロを追放されると、新団体「新日本プロレス」を設立し、1972年3月6日に大田区体育館で旗揚げした。以後、引退した1998年4月4日の東京ドームでのドン・フライ戦まで、数々の歴史的な名勝負を刻み込んだ。 「猪木の常識、世間の非常識」と自身が語っていたように、新日本プロレスでは

                            アントニオ猪木が生前に語った、アリ戦での挫折を救ったタクシー運転手の言葉と「引き分けでよかった」理由
                          • ❌アントニオ猪木が日本にタバスコを持ち込んだ ⭕アントニオ猪木が日本でタバスコをバズらせた

                            リンク Wikipedia タバスコ タバスコ(正式名称:タバスコペッパーソース、Tabasco pepper sauce)は、辛味調味料(チリペッパーソース)の商品である。メキシコ・タバスコ州原産のキダチトウガラシの品種、チレ・タバスコ(タバスコペッパー)を主原料とする。 アメリカ合衆国ルイジアナ州エイブリー島に本社を置くマキルヘニー社の創業者が1865年に考案し、現在も同社が商標権を持つ(日本における商標登録番号は第1002001号ほか全6件)アメリカの調味料である。 なお、タバスコはチリペッパーソース(chili pepper sau 20 users 167

                              ❌アントニオ猪木が日本にタバスコを持ち込んだ ⭕アントニオ猪木が日本でタバスコをバズらせた
                            • アントニオ猪木さんの御逝去を悼む。元気ですか~!! - 江戸っ子でぃ

                              皆さん、お早うございます。 五島地方、今日は、昨夜からの雨は上がり、曇り空でスタートしそうです。 この数日、エンタメ界の大御所の訃報が続いた。 9月30日には、笑点などでお馴染み三遊亭円楽さんが肺がんのため72歳でご逝去された。 さらに、10月1日には、元プロレスラーのアントニオ猪木さんが、79歳でご逝去されました。 落語やプロレスが好きな皆さんにとっては、さぞ、ショッキングなことだったでしょう。 シカリさんは、テレビで「笑点」をたまに見るぐらいで、ゆっくり落語を見る(聞く)ことはありませんでした。(心にゆとりがないもので。本当は、好きなんです。) まして、プロレスに至っては、子どもの頃には力道山に夢中になっていましたが、成人してからは、全く見ることはありませんでした。 それでも、このお二人には、なぜか、親しみを感じていました。 特に、アントニオ猪木さんに関しては、五島に来ていただいたとい

                                アントニオ猪木さんの御逝去を悼む。元気ですか~!! - 江戸っ子でぃ
                              • 【独自取材】アントニオ猪木さん弟が明かす”最後の40分” 闘病支えた妻の存在と難病「心アミロイドーシス」|FNNプライムオンライン

                                この記事の画像(18枚) 「本当に眠って、ただ朝方「おいおい」と呼んだだけで、それで他に何もなく苦しみもなく逝ってしまったと」 めざまし8のカメラの前で、涙を浮かべたのは、10月1日に心不全でこの世を去った、アントニオ猪木さんの弟・啓介さん。兄・猪木さんとの最後のやりとりが明かされました。 アントニオ猪木さんの弟・猪木啓介さん: 苦しんで死んだわけじゃないし、本当に眠って。ただ朝方、「おいおい」と呼んだだけでそれで、他に何もなく、苦しみもなにもなく逝ってしまったと、まあ、素晴らしい人生だったんじゃないんですかね。みんなに好かれて幸せに旅立ったんじゃないかと思いますけどね。 亡くなる直前、猪木さんの部屋を訪れた啓介さんは、こう呼び止められたといいます。 アントニオ猪木さんの弟・猪木啓介さん: 兄貴から最後というか、30日の晩ですね。色々と我々遅くまでいて、たまたま兄貴が「ちょっと来い」という

                                  【独自取材】アントニオ猪木さん弟が明かす”最後の40分” 闘病支えた妻の存在と難病「心アミロイドーシス」|FNNプライムオンライン
                                • アントニオ猪木が「世間の目」と闘い続けた62年…「東スポ」の追悼記事を読んで、私が涙したわけ | 文春オンライン

                                  アントニオ猪木が亡くなった。 新聞各紙は猪木の死をどう報じたのか。実はこれ、プロレスファン&猪木ファンにとっては大切な読み比べ案件なのです。猪木にとって一般紙でどう書かれるかは人生の闘いでもあったからだ(※少年時代から呼んでいた「猪木」と、敬称略で書かせていただきます)。 たとえば、 《現役時代は「怒り」を戦うエネルギーに替えた。》(日刊スポーツ10月2日) それはなぜか。かつて猪木は言っていた。 《一般紙はプロレスをいっさい掲載しなかった。他のスポーツと差別され、世間も色眼鏡で見た。「すし店で“プロレスは八百長だから”と話していた客をたたき出した。そんな世間の目とも戦ってきた」》(同前) 「世間」の偏見に対して怒り、エネルギーを燃やした猪木。でも一方で、猪木ほど「世間」を求め、「世間」から慕われた人間もいなかった。ここが世間の関心を渇望せずとも、自然と注目を集めた他のスーパースター、たと

                                    アントニオ猪木が「世間の目」と闘い続けた62年…「東スポ」の追悼記事を読んで、私が涙したわけ | 文春オンライン
                                  • 佐高信 on Twitter: "アントニオ猪木が亡くなって、メディアには礼讃記事が溢れているが、彼について思い出すのは、青森県知事選挙で原発推進候補を応援したことだ。最初に原発一時凍結派の候補から150万円で来て欲しいと頼まれた猪木は行くつもりだったが、推進派のバックの電事連から1億円を提示されてそちらに行った"

                                    アントニオ猪木が亡くなって、メディアには礼讃記事が溢れているが、彼について思い出すのは、青森県知事選挙で原発推進候補を応援したことだ。最初に原発一時凍結派の候補から150万円で来て欲しいと頼まれた猪木は行くつもりだったが、推進派のバックの電事連から1億円を提示されてそちらに行った

                                      佐高信 on Twitter: "アントニオ猪木が亡くなって、メディアには礼讃記事が溢れているが、彼について思い出すのは、青森県知事選挙で原発推進候補を応援したことだ。最初に原発一時凍結派の候補から150万円で来て欲しいと頼まれた猪木は行くつもりだったが、推進派のバックの電事連から1億円を提示されてそちらに行った"
                                    • 【コラム】アントニオ猪木さん逝く。 | 風の蔵人

                                      コーヒーが飲みたいと思っている。でも、パックのほうじ茶が数多く残っている。果たして、どちらを飲むべきなのか。いや、飲むべきか、飲まざるべきか―。今やそれが大きな問題なのである。 ここから本編 今回の話題は【コラム】です。 (゚д゚)(。_。)ウン チョイと気になった事を書きます。 ニュースや巷であった出来事で気になった事をチョロっと書きます。意見はいろいろありますのでね、あくまで、「ひとつの意見として。」受け入れてくれると嬉しいです。 巨星がまたひとつ落ちる アントニオ猪木氏死去—。そんなニュースに目が留まり、しばらく息が出来なかった。 いや、僕は猪木氏のファンでもないし、大のプロレスファンと言うわけでも無い。(まあ、プロレスファンであれば、必然的に猪木さんのファンになるのだろうけど。)でも、このニュースには心から驚き、「またひとつ、巨星が落ちた。」とも思った。 昭和の大俳優、大歌手、そし

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                                      • アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリーの異種格闘技戦は“大乱闘寸前”の決闘に…舞台裏では「反則負けでいいから、腕でもヘシ折ってやれ!」(堀江ガンツ)

                                        10月1日に逝去した名レスラー、アントニオ猪木。1970年代、新日本プロレスと空手の極真会館の“二大勢力”によって牽引された格闘技ブームは、猪木出場の“ある試合”によってフィナーレを迎えた。『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』(ワニブックス刊)より、「1980 昭和格闘技ブームのクライマックス 殺気に満ちた猪木vs熊殺しウィリー」の章を抜粋して掲載する。“最強”同士が激突した一戦は、いかにして実現したのか――。《全2回の前編/後編につづく》 2000年代、日本で格闘技ブームが巻き起こった。K-1やPRIDEが人気を博し、大晦日には紅白の向こうを張って、民放テレビ局がこぞって格闘技番組を放送していた。しかし70年代後半、それよりも遥かに殺気に満ちた格闘技ブームがあったことを、昭和のプロレスファンなら覚えていることだろう。 その70年代格闘技ブームの牽引したのが、“燃える闘魂”アントニオ猪

                                          アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリーの異種格闘技戦は“大乱闘寸前”の決闘に…舞台裏では「反則負けでいいから、腕でもヘシ折ってやれ!」(堀江ガンツ)
                                        • 【追悼】かつて「アントニオ猪木」が大嫌いでした

                                          2022年10月1日、元プロレスラーのアントニオ猪木が心不全のため死去した。79歳だった。近年は難病を患い「かなり体調が悪いらしい」とウワサされていた一方で「猪木なら大丈夫」と考えていたファンも少なくないハズだ。 かくいう私、P.K.サンジュンもその1人で「まさか猪木が」とそれなりにショックを受けている。燃える闘魂、アントニオ猪木──。プロレスファンになったおよそ30年前、私はあなたのことが大嫌いでした──。 ・猪木との出会い 中学1年生だった私がプロレスにハマったのは、ちょうど第1回のG1クライマックスが開催された頃。すでに猪木は政界に進出しており、私にとってアントニオ猪木は「新日本プロレスの創始者だけど、たまにしか試合をしない昔の人」といった印象であった。 当時の新日本プロレスは藤波辰爾と長州力の2大エースに加え、武藤敬司・橋本真也・蝶野正洋の “闘魂三銃士” の時代。その他にも馳浩、

                                            【追悼】かつて「アントニオ猪木」が大嫌いでした
                                          • 【追悼文・村松友視】アントニオ猪木が死の直前にかけた電話のこと(村松 友視) @gendai_biz

                                            『私、プロレスの味方です』を執筆して以来、40年にわたってアントニオ猪木との親交を続けてきた作家・村松友視氏が、猪木逝去にあたって哀切の寄稿文を寄せた。 「馬鹿のひとり旅」 死の三日ほど前の夜の十一時過ぎ、一度鳴っただけの電話が切れた。イノキさんだな……と直感した私は、ベッドの中の不自由な姿勢でようやく私の番号をプッシュしたあと、受話器をだらりと下げたりポトリと落としたりしているイノキの姿を、しばらく想像していた。 ふたたび電話が鳴って耳に当てると、意外に聴き取りやすい口跡で、「馬鹿のひとり旅」ってのはどうでしょうかね……という言葉が伝わってきた。 馬鹿のひとり旅、バカのひとり旅、莫迦のひとり旅……このところイノキから何度か聞いて、胸のどこかに泳がせていた言葉を、私は喉の奥で反芻していた。これはイノキが自分の詩集につけたいタイトルのようで、「それは、すごく面白いですね。アントニオ猪木著『馬

                                              【追悼文・村松友視】アントニオ猪木が死の直前にかけた電話のこと(村松 友視) @gendai_biz
                                            • アントニオ猪木を偲ぶ - 影無茶のスポーツ24/7

                                              アントニオ猪木が亡くなった。 映像で流れる最近の猪木を見て予感はあったがそれは突然のことだった。 猪木死去のニュースはどの曲でも大きく扱われた。 今朝(10月3日)のワイドショーも大きく時間を割いて扱っていた。 テレビ朝日はあのモハメド・アリとの世紀の一戦の映像を持っているだけに、どの番組でも使い回して紹介していた。 「元気ですかー!」 「1.2.3.だあー!」 どれだけこのフレーズを使ったり、聞いたりしたことか。 またひとつ私の青春が星となってしまった。 私はジャイアント馬場とアントニオ猪木が日本プロレスという団体で同じリング上に立ち、タッグを組んで戦っていたころからライブで見ていた。 対照的な二人のタッグは今考えても史上最高のコンビだったと言って過言でない。 どちらかというとスローな動きだった馬場に対し(それでも若い頃はまだまだ早かった)スピードあふれる猪木は見ていて気持ちが良かった。

                                                アントニオ猪木を偲ぶ - 影無茶のスポーツ24/7
                                              • 三遊亭円楽さん、アントニオ猪木さん、お悔やみ申し上げます - アニメ大好き館

                                                news.yahoo.co.jp news.yahoo.co.jp 三遊亭円楽さんとアントニオ猪木さんが、立て続けにお亡くなりになりましたね。 どちらも、病気と最後まで戦いながら、笑いそして勇気を忘れなかった。そんな印象です。 笑いを届けてくれた人、そして元気を届けてくれた人が、立て続けにお亡くなりになるというのは、悲しいものがありますね。 ですが、お二方とも、泣いて見送るよりも、元気で明るく見送ってあげたほうが良い。そんな気がします。 お二方が、健やかに天国で過ごせますように。 コロナやら、物価の高騰やらで、何かと暗い日本ですが、今こそ、私たちは、元気や明るさを取り戻すべきなのかもしれません。 ここまで読んでくださり、ありがとうございます! よろしければ、ブックマーク、ツイート、読者登録などしてください。 にほんブログ村

                                                  三遊亭円楽さん、アントニオ猪木さん、お悔やみ申し上げます - アニメ大好き館
                                                • 「あなた一人ぐらい、私が食わせてあげる」…アントニオ猪木氏を支え続けた「4人の妻たち」(週刊現代) @gendai_biz

                                                  2022年10月1日に逝去した、アントニオ猪木氏(享年79)。プロレス、ビジネス、そして政治……。幾多もの挑戦をしてきた彼の生涯は、女性がらみのスキャンダルでも話題に事欠かなかったが、それでも猪木氏は前に進み続けた。その原動力となったのが――。 数々の出会いと別れ 生涯で4回の結婚と3回の離婚(うち1回は事実婚)を繰り返し、他にも数々の女性たちとの浮名を流してきたアントニオ猪木氏。 「巨乳好き、なんてことも言われていたことがありましたね(笑)。猪木さんは家庭的なタイプではないですが、”元気”を地でいき、最後まであきらめないような男。彼はいつも夢を追いかけていた。そんな彼はキラキラしていていつも魅力的でしたし、献身的に支えた女性は多い。そんな女性たちとの出会いと別れとが彼を前に進ませていったのではないでしょうか」 そう話すのは猪木氏に詳しいスポーツカメラマン。 そこで彼の人生をその恋愛遍歴と

                                                    「あなた一人ぐらい、私が食わせてあげる」…アントニオ猪木氏を支え続けた「4人の妻たち」(週刊現代) @gendai_biz
                                                  • アントニオ猪木さん、死去10日前に“最期の言葉” 起床困難なほど衰弱した姿で激励に「この声が一番俺の敵なの」

                                                    アントニオ猪木さんのYouTubeチャンネルで10月1日、「最期の言葉」と題された動画が公開されました。猪木さんは10月1日に79歳で死去。動画はその10日前の9月21日に撮影されたものとなります。 動画が取得できませんでした |アントニオ猪木「最期の言葉」 動画は、衰弱した様子でベッドへ横たわる猪木さんの姿でスタート。助け上げられて何とか上体を起こした猪木さんの滑舌がはっきりせず、意味を把握しにくい場面も多々ありましたが、そうした箇所もカットせずそのまま収録。 衰弱した様子の猪木さん(画像はYouTubeから) 猪木さんは「別にやりたくないよ。やりたくないけどみんなやればいいじゃん」と、YouTubeの活動を本格的に再開したいというスタッフの希望に病状もあってか消極的に返答。「何もない」「何の欲もない。金銭欲なのか女なのか、いろいろ。そういう生きてること自体が何であるか」「毎日毎日この3

                                                      アントニオ猪木さん、死去10日前に“最期の言葉” 起床困難なほど衰弱した姿で激励に「この声が一番俺の敵なの」
                                                    • アントニオ猪木がテレビに遺した「多大なる貢献」

                                                      アントニオ猪木さんが亡くなった。「燃える闘魂」のキャッチフレーズ通り、最期まで“プロレスラー”であり続けた生涯だった。 猪木さんのプロレス界、格闘技興行界における功績は語るまでもない。 モハメド・アリとの異種格闘技戦やタイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセンとの“抗争”など、その闘いざまは見る者に常に強い興奮を与えてくれた。 アントニオ猪木はプロレスを象徴する存在 現在活躍するプロレスラーや格闘家にも猪木さんの影響を強く受けている選手が数多くいる。故ジャイアント馬場さんとともに、猪木さんプロレスの“象徴”であり、「アントニオ猪木こそがプロレス」と言い切るファンも非常に多い。 私は日本テレビ時代、1990年から「全日本プロレス中継」のディレクターを担当していた。 全日本プロレスはジャイアント馬場さんの団体。猪木さん率いる「新日本プロレス」はライバル団体であり、猪木さんと当時直接の接点はなか

                                                        アントニオ猪木がテレビに遺した「多大なる貢献」
                                                      • やすみお嬢さま®️ on Twitter: "アントニオ猪木の歴史をザックリひもといてみますわ。まず石炭商の裕福な家庭に生まれますが折のエネルギー転換期に触れ家が没落、新天地のブラジル移民中の船旅で祖父が死に、過酷なコーヒー園での労働に従事。その後港湾の荷下ろしのお仕事をしていたところ、力道山に見い出され日本に帰国しますわ"

                                                        アントニオ猪木の歴史をザックリひもといてみますわ。まず石炭商の裕福な家庭に生まれますが折のエネルギー転換期に触れ家が没落、新天地のブラジル移民中の船旅で祖父が死に、過酷なコーヒー園での労働に従事。その後港湾の荷下ろしのお仕事をしていたところ、力道山に見い出され日本に帰国しますわ

                                                          やすみお嬢さま®️ on Twitter: "アントニオ猪木の歴史をザックリひもといてみますわ。まず石炭商の裕福な家庭に生まれますが折のエネルギー転換期に触れ家が没落、新天地のブラジル移民中の船旅で祖父が死に、過酷なコーヒー園での労働に従事。その後港湾の荷下ろしのお仕事をしていたところ、力道山に見い出され日本に帰国しますわ"
                                                        • アントニオ猪木が、嫌いで、大好きだった。 - いつか電池がきれるまで

                                                          2022年10月1日。アントニオ猪木、逝去。 www.sponichi.co.jp www.sponichi.co.jp www.sponichi.co.jp 2022年10月1日はお昼までの仕事だったので、仕事を終えて一息入れているときにこの一報を聞いた。 さまざまなメディアから伝わってくる最近の猪木さんの病状から、いつどうなってもおかしくない、と思っていたつもりだったのだが、実際に「そのとき」がやってくると、なんだかとても寂しい。金曜日の午後8時に毎週新日本プロレスのテレビ中継を観るのが楽しみだった子供の頃の自分の一部も一緒にどこかへ行ってしまったような気がする。 子供の頃、僕が見ていた猪木さんは、ジャイアント馬場、全日本プロレス、という「メジャーなもの」「既成の権威」に立ち向かっていく革命家のような存在で、常に大きな存在に喧嘩を売って、自分を燃やし続けていたように見えた。 僕が歳を重

                                                            アントニオ猪木が、嫌いで、大好きだった。 - いつか電池がきれるまで
                                                          • アントニオ猪木さんの死去 海外のメディアなども功績たたえる | NHK

                                                            元プロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなったことについて、海外のメディアも「日本のプロレス界の大物が死去した」などと伝え、功績をたたえています。 このうち、ロイター通信は、アントニオ猪木さんについて、日本のプロレス界の大物だとしたうえで「1976年にボクシングのモハメド・アリと行った試合は『世紀の一戦』と呼ばれ世界的に注目された」などと伝えました。 また、アメリカに拠点を置く国際的なプロレス団体の「ワールド・レスリング・エンターテインメント」は「スポーツエンターテインメントの世界で最も尊敬される人物の1人であり、正真正銘のレジェンドだ」とたたえました。 一方、猪木さんがたびたび訪れていたというパキスタンでは、1976年に国民的英雄のレスラー、アクラム・ペールワンさんと対戦したことでも広く知られています。 シャリフ首相も猪木さんと撮影した写真を自身のSNSに投稿し「伝説的なレスラーの死去を

                                                              アントニオ猪木さんの死去 海外のメディアなども功績たたえる | NHK
                                                            • 【追悼】燃える闘魂。アントニオ猪木。。 - 昭和PRIDE

                                                              10月1日。 永遠のスーパースター、アントニオ猪木(79)が心不全のためこの世を去った。 たくさんのファンの記事やニュースなど、その報道ばかりでもう聞き飽きたという方もいるだろうが、私もファンとして一言お礼が言いたいと思ったので書くことにした。 10月1日 私は週一のルーティンであるサウナに向かおうと車に乗り込んだその時、スマートフォンの通知に「号外、アントニオ猪木死去」の文字…。 私はその場で動けなくなった。 私が最後に猪木氏の姿を見たのは今年8月の毎年恒例である24時間TV。 正直、24時間TVは殆ど観たことがない。 偶然観たTVは痩せ衰えてはいるが懸命に話す猪木氏の姿があった。 「きっと大丈夫であろう」 そう思っていた。 しかし、猪木氏のYouTube「アントニオ猪木最後の闘魂チャンネル」の更新も数ヶ月なかったのが気がかりではあった。 私は子供の頃からプロレスが大好きで毎週発刊されて

                                                                【追悼】燃える闘魂。アントニオ猪木。。 - 昭和PRIDE
                                                              • アントニオ猪木さん「眠るように」天国へ…最期をみとった実弟・猪木啓介さん「前日まであれだけ元気だったのに…」

                                                                アントニオ猪木さん「眠るように」天国へ…最期をみとった実弟・猪木啓介さん「前日まであれだけ元気だったのに…」 – 記事詳細|Infoseekニュース燃える闘魂、完全燃焼―。元プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが、1日午前7時40分、東京・港区の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。2018年に発症した難病指定「心アミロイドーシス」で闘病していた。ムハマド・アリ戦などの歴史的名勝負を残し、89… 欧州遠征に出発。最終戦で欧州最強の男と言われたボックとの一戦を迎えた。〉 1978年12月5日 福岡九電記念体育館 アントニオ猪木 vs 星野勘太郎 〈突貫小僧 星野勘太郎と猪木の現存する唯一のシングルマッチ〉 1980年2月27日 蔵前国技館 アントニオ猪木 vs ウイリー・ウイリアムス 〈新日本vs極真空手!団体の威信をかけた異種格闘技戦〉

                                                                  アントニオ猪木さん「眠るように」天国へ…最期をみとった実弟・猪木啓介さん「前日まであれだけ元気だったのに…」
                                                                • 株が暴落したときは、いつもアントニオ猪木の詩を思い出して勇気をもらっていた - ゆるーくFIREを目指すブログ

                                                                  こんばんは、ブログ主です。 今朝はアントニオ猪木さんの訃報から始まりました。 大変残念です。ご冥福をお祈りしたいと思います。 元気と勇気を与えていただきました。 ありがとうございました。 お疲れさまでした。 猪木伝説は枚挙にいとまがありませんが、ブログ主の特に印象に残った例を以下に記載したいと思います。 【1976年のアントニオ猪木】より 完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫) 作者:柳澤 健 文藝春秋 Amazon この年、猪木はパキスタンで地元の英雄ペールワンと対戦します。対戦前は、この試合はプロレス(結末の決められた試合を演じる)の予定でした。猪木はそのつもりでいます。しかし、対戦相手がガチンコの対戦しか受けないことを聞き、交渉担当のマネージャーを怒鳴ります。「早く行って話をつけてこい!」と。しかし、とうとうリアルファイトをやるしかなくなり、控室では怖さで震えていたとの描写が

                                                                    株が暴落したときは、いつもアントニオ猪木の詩を思い出して勇気をもらっていた - ゆるーくFIREを目指すブログ
                                                                  • アントニオ猪木さん、ありがとうございました! - ハマサンス コンプリートライフ

                                                                    ハマクラシー君。 こんばんはー。 オイラは今日ばかりは元気が出ないのだ~。 オイラはプロレス好きだったからな~。 オイラの中ではアントニオ猪木さんの存在はかなり大きかったのだ。 志村けんさんが亡くなったときも涙が出たが、今回のことも泣いたな~。 猪木さんが元気を与えてくれていたからあまり湿っぽいのは嫌だが、今回はオイラはアントニオ猪木さんのことについて話をしようと思いますわい。 相撲好きのハマクラシー君とはたびたびプロレスと相撲のことでいがみ合っていたな~。 オイラは実はゲームのファイアープロレスリング(セガサターン)をしてからプロレスに興味を持ち出していたので、実は猪木さんの試合をタイムリーでは見ていないのである。 試合を見ていないだけですごいプロレスラーだというのは感じていたがな。 だから唯一猪木さんのタイムリーの試合を見たときは引退試合のドン・フライとの試合だけだった。 でも、その時

                                                                      アントニオ猪木さん、ありがとうございました! - ハマサンス コンプリートライフ
                                                                    • アントニオ猪木氏、北朝鮮を訪問し続けた理由 ぼやく姿に張成沢氏「歴史が証明する」:朝日新聞GLOBE+

                                                                      最後のリング上でポスターを掲げるアントニオ猪木さん=1998年4月、東京・後楽園の東京ドーム、朝日新聞社 猪木さんは、北朝鮮で生まれた力道山の「唯一の愛弟子」という縁で北朝鮮に近づいた。 プロレスラーの力道山=1954年2月、朝日新聞社 1994年に初めて訪朝。金正日総書記の側近だった金容淳朝鮮労働党書記が「プロレスなんて知らない」と語ると、「私が北朝鮮でプロレスの興行を実現します」と約束した。 1995年4月に平壌のメーデースタジアムに20万人近い観衆を集め、興行を行った。朝鮮新報の元平壌特派員だった週刊金曜日の文聖姫編集長は「北朝鮮の人は戦いが好きですから、初めて見るプロレスに興奮し、喜んでいました」と語る。 北朝鮮から戻り、北京の空港で取材に答えるアントニオ猪木参院議員=2018年9、延与光貞撮影 北朝鮮では、たびたび訪朝する猪木氏を「男気のある人物」と好意的に受け止めた。 以後、猪

                                                                        アントニオ猪木氏、北朝鮮を訪問し続けた理由 ぼやく姿に張成沢氏「歴史が証明する」:朝日新聞GLOBE+
                                                                      • アントニオ猪木さんが明かした「アリ戦の真実」 - Plenty of quality

                                                                        アントニオ猪木さんが明かした「アリ戦の真実」― スポニチ Sponichi Annex 格闘技 [http://www..com/ 完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫):title]

                                                                          アントニオ猪木さんが明かした「アリ戦の真実」 - Plenty of quality 
                                                                        • アントニオ猪木さんを偲んで - 猫の爪切りdiary

                                                                          こんにちは。よろしくお願いいたします。 本日は、仕事の為出勤しておりました。 10/1は月初という事もあり忙しく業務をこなしておりました。 昼休憩の時間となり、携帯を見ながら昼食を取ろうと、いつものように携帯を開くとニュースでアントニオ猪木さんがお亡くなりになられたことを知りました。 つい最近24時間テレビに出演されていたのを見まして病気と闘っておられる姿が印象的でした。 私がプロレスを好きになり始めた高校時代。 猪木さんはレスラーとして引退のカウントダウンをされていた頃でした。 私が好きなグレートムタとドームで戦っているのを覚えております。 私の中の猪木さんのイメージは、猪木ボンバイエが流れ圧倒的存在感で長いマフラーを首に巻いて、ビシッとした姿で登場。 「元気ですかー!!」「元気があれば何でもできる。」「1.2.3ダー」 国会で元気ですかーをやってしまい、注意されている姿が記憶にあります

                                                                            アントニオ猪木さんを偲んで - 猫の爪切りdiary
                                                                          • 燃える闘魂、アントニオ猪木よ永遠なれ - 短い雑記

                                                                            燃える闘魂アントニオ猪木さんがついに亡くなりました。 最近の闘病の様子、24時間テレビで見たときなど、覚悟をしなければならないと感じた。 覚悟はしていたが、やはりその知らせには喪失感半端ないって感じです。 どんだけアントニオ猪木さんには勇気をいただいたことか。 その人生哲学に共感し憧れたものです。 アントニオ猪木は全ての常識を覆し、不可能を可能にしたスーパースターです。 あの伝説のアリ戦は猪木でなければ誰も実現できなかった奇跡なんですよ。 あの当時、世界中が注目した正真正銘の「世紀の一戦」だった。 猪木さんのすごさは自身の強さだけじゃないんです。どんな相手でも相手の能力や魅力を引き出す力です。 ストロング小林、タイガージェットシン、スタンハンセン、アンドレザジャイアント、ハルクホーガン、誰でも名勝負にするプロフェッショナルさは唯一無二です。 昭和の大スターの頂点にいたひとりです。 国会議員

                                                                              燃える闘魂、アントニオ猪木よ永遠なれ - 短い雑記
                                                                            • アントニオ猪木を悼んで。アニメの名ビンタシーンを集めてみた - 無職と1クールアニメ

                                                                              news.yahoo.co.jp このニュースが流れてきた時、目を疑った。 本人には申し訳ないが、一文字違いのモノマネ芸人さんを利用した「釣りニュース」かと。 自分は、格闘技には疎い平成生まれ。 そんな僕でも、アントニオ猪木さんが伝説的なプロセスラ―だったことは知っている。 モノマネ番組では必ずネタにされるし、アニメにも登場してきたから。 たぶん、僕のような若者にとって最も身近なアントニオ猪木と言えば、闘魂注入。 小さい頃からバラエティの中で、猪木が登場してきてビンタするという流れがあった。 どうしてそれが生まれたのか、どうして猪木なのか、は知らないけど。 ”お笑い”の一部なんだろうけど、そのビンタシーンに見る猪木はどこかカッコよかった。 注入された方も、痛そうにしながらも感謝しているようだった。 コンプラとかがうるさくなって、ああいうノリは少なくなっていったと思う。 自分なりに、偉大なる

                                                                                アントニオ猪木を悼んで。アニメの名ビンタシーンを集めてみた - 無職と1クールアニメ
                                                                              • アントニオ猪木「最期の言葉」

                                                                                アントニオ猪木公式Youtubeチャンネル「最後の闘魂」 チャンネル登録はこちら https://www.youtube.com/channel/UComGgtc9jFMmhR3qDCOsbXQ?sub_confirmation=1 #アントニオ猪木

                                                                                  アントニオ猪木「最期の言葉」
                                                                                • アントニオ猪木さんが闘った難病「全身性アミロイドーシス」とは? | 毎日新聞

                                                                                  「燃える闘魂」と呼ばれた元人気プロレスラーで、政治家として参院議員を計2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、死去した。アントニオ猪木さんがかかっていた難病「全身性アミロイドーシス」とはどのような病気なのか。 難病情報センターなどによると、アミロイドーシスとは、アミロイドと呼ばれるナイロンに似た線維状のたんぱく質のかたまりが、全身のさまざまな臓器に沈着し、体の異常を起こす病気の総称のことを指す。複数の臓器にアミロイドが沈着する全身性のタイプ(全…

                                                                                    アントニオ猪木さんが闘った難病「全身性アミロイドーシス」とは? | 毎日新聞