40年にわたってアントニオ猪木との親交を続けてきた作家・村松友視氏による追悼文の後篇を、前篇に引き続いてお届けする。1988年、参院選出馬を発表した猪木に、村松氏はプロレスの味方気分で反発し、落ち込んだのだが、その顛末やいかに? 一緒に出た政見放送 当時の私にとってのイノキは、もはや『私、プロレスの味方です』を書いた当時のファンとしての感触をはるかに超える存在になっていた。これは、刻々のイノキ流プロレスの変遷や、プロレスというジャンルを超えた夢への眼差しと行動力を、直接のつき合いの中で感得しつづけたあげくの私の中でのイノキ像の変貌だった。したがって、そのアントニオ猪木が、国会議員などという陳腐な額縁におさまってしまうのか……それがイノキの参院選出馬に対して反射的に湧いた感情だった。 私は、力道山があのような「事件」に遭遇することなく生きのびたなら、事業家→政治家へ……という流れに沿って政治