「タモリ倶楽部」3月末で終了 放送40年「役割は十分に果たした」 さらば空耳アワー、マニアック企画…
ボツも含めると...作品数は5500本! 同番組では、外国語の歌詞があたかも日本語であるかのように聞こえてしまう現象を「空耳」と名付け、そのように聞こえる箇所を視聴者から募集。それに番組側が映像をつけて映像作品にした上でそれを放送する「空耳アワー」というコーナーが3月24日まで放送されていた。 安斎さんは1992年のコーナー開始から番組MCのタモリさん(77)と共に企画を担当。複数回の休止を挟みつつ、約30年の歴史を重ねてきた。インタビューで編集部がまず聞いたのは、投稿された空耳の選考過程だった。 ――送られてきた空耳の選考はどのような行程で行われていたのでしょうか? 安斎:最初の頃、それこそ始まったばかりの頃は、「スタッフさんが投稿を元に実際の音源で確認」→「聞こえる+面白いかをスタッフさんが協議し数本を映像化」→「その映像を元にさらにスタッフさんが会議を開き、3本に絞り込む」→「収録直
『タモリ倶楽部』の人気コーナー「空耳アワー」を研究した同人誌『空耳アワー辞典』を制作している「空耳アワー研究所」によると、「空耳アワー」常連投稿者である髙橋力さんが2019年10月1日に死去。46歳でした。「空耳アワー研究所」では、同研究所の所長と髙橋力さんの『空耳アワー対談』(2008年、2015年収録)も公開しています。 【訃報】去る令和元年10月1日、空耳アワー常連投稿者であり当サークルの名誉研究員でもある髙橋力さん(享年46)が急逝されました。生前の輝かしい業績を讃え感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/yYhjRzQioQ — 空耳アワー研究所 (@SoramimiLabo) December 31, 2019 高橋力研究員の訃報へのリプの多さに、改めて彼の影響力の大きさを再確認しました。訃報を発表した今でも実感は湧きませんが...。
今年3月、惜しまれながら40年に渡る歴史に幕を閉じた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)。なかでも、1992年にスタートした「空耳アワー」は絶大な人気を誇り、同人誌やファンサイトが生まれるほど。視聴者から「日本語に聞こえる洋楽のフレーズ」を募集し、投稿を再現するVTR(映像)の巧みな演出で深夜に笑いを届けた。この映像のなかで独特な輝きを放っていた“空耳役者”は、今、どうしているのだろうか? 1998年から25年にわたり数々の“空耳作品”に出演してきた俳優の野田美弘に、“空耳役者”としての矜持、そして放送終了後の今について聞いた。 25年前、Tシャツ獲得作品で“空耳”デビュー「夢見心地で何役だったか覚えていない」 「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる」の口上で始まる『タモリ倶楽部』の人気コーナー「空耳アワー」。“空耳役者”として出演していた野田が番組の終了を知ったのは、テレビ朝日
今年3月に終了したテレビ朝日のバラエティ番組『タモリ倶楽部』制作チームが、「第39回ATP賞テレビグランプリ」(全日本テレビ番組製作社連盟主催)の特別賞を受賞し、6日に都内のホテルで行われた受賞式にタモリと同番組のスタッフが登壇した。 タモリ 5月には「第60回ギャラクシー賞」放送批評懇談会60周年記念賞を受賞したタモリは「私、最近褒められ続けておりまして、少々浮いた感じがしてる次第です」と切り出し、「40年前にこの番組が始まるときにうちの社長(田辺エージェンシー・田邊昭知社長)に呼ばれて言われた言葉が、今となってはもう話していいと思うんですけども、『今回やる“タモリ倶楽部”という番組は、今の番組は全て密度を濃くして、編集に編集を重ねて番組を作り出そうとしてるけども、全く逆のスカスカの番組をやれ』と言われたんです。その時はびっくりしました。スカスカの番組ってなんだろう。密度の濃いの反対とい
タレントのタモリがMCを務めるテレビ朝日系バラエティー「タモリ倶楽部」(金曜・深夜0時20分)が31日、最終回を迎えた。 1982年10月に開始し、40年超続いた長寿番組。独特なオープニング映像でも知られ、タモリが個人的に好きな鉄道や、坂にまつわるマニアックな企画、海外の歌の一節が、まるで日本語のように聞こえる部分をピックアップする「空耳アワー」も話題を呼んだ。 最終回も、タモリは「毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』でございます」とお決まりのせりふでスタート。ゲストに爆笑問題・田中裕二、劇団ひとりらを迎え、料理企画「タモリ流レシピを訂正しよう」を行った。 タモリは、番組の最後に「40年間本当にありがとうございました。皆様方の支持のおかげでここまで来ることができました」と視聴者への感謝を語り、40年の歴史に幕を下ろした。
テレビ朝日は22日、1982年(昭57)10月9日に放送がスタートした深夜バラエティー番組「タモリ倶楽部」の放送を、3月末をもって終了すると発表した。「放送開始から40年という節目を迎え、番組としての役割は十分に果たしたということで、総合的に判断し3月末をもって終了することにいたしました」と説明した。 「タモリ倶楽部」は、タモリ(77)が1981年(昭56)から司会を務め、日曜夕方に放送された「夕刊タモリ! こちらデス」の終了を受けて、土曜の深夜枠でスタート。“元祖脱力系番組”がコンセプトで、オープニングの「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」のあいさつ通り、オールロケーションによる流浪の番組で、番組全編を通じた、ゆるりとした雰囲気がコアな層に根強く支持された。 鉄道企画が多く、番組内で「タモリ電車クラブ」が結成された。また92年4月に「あなたにも音楽を」のタイトルでスタート
40年以上続き、3月末で最終回を迎える深夜番組「タモリ倶楽部」。その名物コーナー「空耳アワー」に30歳という若さながら91回も採用され、常連投稿者として知られるのが玉野市の相賀浩紀さん(@torvatu)だ。投稿歴10年以上の相賀さんに思い出や番組への思いを語ってもらった。 「毎度おなじみ、流浪の番組」の前口上で始まる「タモリ倶楽部」は1982年10月にスタート。タモリさんが司会を務め、社会現象やサブカルチャーを斬新な切り口で取り上げてきた。中でも、視聴者から「日本語以外で歌われているが、あたかも日本語のように聞こえる歌詞」を募集するコーナー「空耳アワー」は根強い人気を誇っていた。 相賀さんの自宅を訪れると、...
40年にわたり放送されたバラエティ番組『タモリ倶楽部』。お尻を振るオープニング映像やマニアックすぎる企画、言われてみれば確かに聞こえる「空耳アワー」など、多くの視聴者を楽しませてきた伝説の深夜番組だ。 「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」という挨拶で始まる番組はどのように作られていたのか? 当時、放送作家として22年間にわたって番組に携わった高橋洋二さんが、制作現場の裏側を明かしながら、印象に残っている思い出を語った。 ※本編は高橋洋二さんによる私的な回想録です。番組制作の一端を担った放送作家が見てきたタモリ倶楽部の一面としてお楽しみください。 高橋洋二/極私的「タモリ倶楽部」回顧録 前篇 1982年10月8日に始まり、2023年3月31日に終了したテレビ朝日系「タモリ倶楽部」で、私は1990年から2011年の間、構成を担当した。私より長きにわたり番組に携わっていたスタッフ
3月末に惜しまれつつ終了した『タモリ倶楽部』。「空耳アワー」のコーナーで長年タモリさんの横で笑い続けてきた安齋肇さんと、番組の進行役としておなじみだった渡辺祐さんが、40年続いた番組の思い出を語り合った。 『タモリ倶楽部』でお馴染みの安齋氏と渡辺氏 Ⓒ文藝春秋 渡辺 『タモリ倶楽部』の台本を何冊か持ってきたんですよ。 安齋 わー、たくさんあるね。 渡辺 手元にあった古い台本だと、昭和61年12月27日(土)収録と書いてあります。 タモリ倶楽部の台本 Ⓒ文藝春秋 安齋 37年前。何のきっかけで番組に出ることになったの? 渡辺 当時、『タモリ倶楽部』の構成作家を景山民夫さんと加藤芳一さんが担当されていて、私はこのお二人とご縁があったんですよ。で、「食えなさそうなフリーの編集者がいるから、面白いから出しちゃえ」みたいな、わりと軽い感じで呼んでもらった気がします。
『タモリ倶楽部』の人気コーナー「空耳アワー」では、「空耳ネタ」を見つけた本人が自ら映像を制作した、動画の空耳作品の応募が応募可能に。番組の公式サイトに応募フォームが用意されています。『タモリ倶楽部』では今年2月から「空耳ネタ」の応募が公式サイトから可能となっています。 ■テレビ朝日『タモリ倶楽部』 ●動画の空耳作品を応募! 「○○と聞こえます」とネタを投稿するだけの時代は終わった!? ネタを見つけたら、自分で映像を制作! テロップも、音楽のタイミングも自由自在。 自分だけの完パケ空耳動画を作っちゃおう! 公式サイト: https://www.tv-asahi.co.jp/tamoriclub/#/?category=variety
◆◆◆ 風邪を引いてしまい、『タモリ倶楽部』の見学を断ることに ――『タモリ倶楽部』の番組見学を断って「タモリさんよりもコミケを取った」とスタッフ間で囁かれたわけですが、三峯さんとしてはコミケを取るに決まっていると。 三峯徹(以下、三峯) いまはわかりませんが、当時の『タモリ倶楽部』は撮影日が放送日の2ヶ月前なんですよ。たしか、放送が10月だったので8月に俺の家に撮影しにきてくれたんです。で、よかったら収録する際のスタジオで番組を見学してくださいと言ってもらって。 スケジュールを調べたら、見学日が土曜で、コミケが金曜日、土曜日、日曜日、その前の火曜日、水曜日、木曜日が実家の家族と旅行だったんですね。これなら見学できるなと思って、旅行中に『タモリ倶楽部』のスタッフさんたちへのお土産もちゃんと買っておいて。だけど、旅行から帰って金曜日に思いっきり風邪を引いてしまったんですよ。 日曜のコミケはサ
リンク WEBザテレビジョン タモリ倶楽部 タモリ倶楽部「上手く出来たら一人前!輝け!最難関テロップ“ゴールド”!?」(バラエティー) | WEBザテレビジョン(5460-1018) 鈴木浩介、上出遼平、久保田直子アナウンサーが登場。バラエティー番組に欠かせない特殊技術「金のテロップ」に注目する企画を行う。テレビ番組のテロップ作りの中で最も難しいのが「ゴールド」の文字だという。そこでテレビ業界のテロップ事情をひもときながら、誰もが認める「ゴールド」の文字の作成に挑戦する。WEBザテレビジョンのテレビ番組情報は、全国のテレビ局の放送日時、出演者、あらすじ、最新ニュース、監督・脚本ほかスタッフ情報など、番組に関するあらゆる情報を紹介。独自のドラマ相関図も掲載しています。 55
はてなは昔から観てた年寄多そうだら色々ありそう そんなにきちっと録画とかとかメモとかしてたわけじゃないけど、なんとなく自分が思い出すのを備忘録的に書いとく。タイトルも内容も記憶に頼ってるので正確じゃないけど。 多分、ネットで検索すれば放送日とか細かい内容とか出てくるだろうし、ものによっては動画もありそうだが。 「白い巨塔 肛門科編」 肛門科の医者にいろいろ話を聞く企画。タモリのキャラとバランス感覚で、下品になりすぎずに展開してた。 “肛門科は、ほぼ100%の患者さんが良くなってかえっていって感謝されるのでやりがいがある”と言ってたのが印象深い。たしか最後は鶏肉を“患部”にみたてて、手術を再現してたはず。 この頃、下ネタ系の企画では乾貴美子がよく出てて、このときも真面目な顔で仕切ってた。 「接岸グランプリ」 船の接岸を撮影するマニアをまねいて、彼らの撮影した自慢の映像を鑑賞する企画。船好きの
グラフィックデザイナー、アートディレクター、コピーライターを経て、編集者に転身。デザイン関連の出版社や教育関連の出版社にて、紙媒体・Web・モバイル・アプリ・電子書籍等のサービス/コンテンツ開発、UI/IA改善に従事。30代後半に学び直しのため、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科と、イノベーション教育プログラム「i.school」通年プログラムへ、社会人学生として入学。専門はInformation Architecture。修了後の2019年春に転職し、ダイヤモンド社入社。おもな担当は「経営・戦略デザインラボ」「コロナは音楽を殺すのか?」「激変!チョコレート市場」「世界史でわかる日本史」「伝える!震わす!書く力。」「新時代版 ビジネスフレームワーク集」「家族を困らせない 相続」など。趣味は絵画やデザイン、VJ、プロボノ活動、ワークショップ設計、キャンプ、旅、音楽フェス、
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く