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チバユウスケの検索結果1 - 40 件 / 40件

  • チバユウスケさんが死去 55歳、4月に食道がん公表 元「ミッシェル・ガン・エレファント」ボーカル - スポーツ報知

    元「ミッシェル・ガン・エレファント」のボーカルで、バンド「The Birthday」のボーカルでギターのチバユウスケさんが、11月26日に死去したことが分かった。5日に公式サイト及びインスタグラムで報告された。55歳だった。チバさんは今年4月に食道がんを公表し、休養していた。 「チバユウスケに関しての大切なご報告」と題し「かねてより回復に向けて懸命の治療を続けてまいりましたが、思い叶わず2023年11月26日に家族に見守られ穏やかに息を引き取りました。静かに見送りたいとのご意向により、親族とメンバーで葬儀を執り行いました」と報告した。 今年4月24日に食道がんを公表し、治療のため休養中だった。「春先の療養のご報告から約半年、たくさんの心強く温かい励ましのお言葉をいただき、静かに見守っていただいたことに感謝いたします」とつづられた。 そして「お別れの会を設けさせていただきたく、準備を進めてま

      チバユウスケさんが死去 55歳、4月に食道がん公表 元「ミッシェル・ガン・エレファント」ボーカル - スポーツ報知
    • チバユウスケの訃報を聞いた翌々日にモッズスーツを仕立てに行った話|kaijinchan

      12月7日、チバユウスケの訃報を聞いてから2日後。気持ちの行き場がどこにもなかったから、思い切って幼い頃からの小さな夢を叶えることにした。 新宿まで出て小田急に乗り、初めて梅ヶ丘駅に降り立つ。 駅を出て数分ほど歩いた所に、ある種の人間にとっての"聖地"は独特の佇まいを持ちながら街に溶け込むように存在していた。 「洋服の並木」 ミッシェルガンエレファント(以下ミッシェル)のスーツ姿に憧れた者で知らない者はいない、ミッシェルのスーツを長年作り続けてきたオーダースーツの老舗だ。お笑い好きの方にとっては芸人さんのスーツを仕立てているイメージが強いかもしれない。 元々モッズ界では有名なお店だったようだが、ミッシェルのスーツ姿が与えたインパクトから裾野は広がり、ある者は成人式用に、そしてステージの衣装、はたまたとびきりの仕事着にと「ハレの日」のスーツを長年仕立て続けている。 子供の頃の自分も多分に漏れ

        チバユウスケの訃報を聞いた翌々日にモッズスーツを仕立てに行った話|kaijinchan
      • チバユウスケに関しての大切なご報告 - The Birthday

        かねてより回復に向けて懸命の治療を続けてまいりましたが、 思い叶わず2023年11月26日に家族に見守られ穏やかに息を引き取りました。 静かに見送りたいとのご意向により、親族とメンバーで葬儀を執り行いました。 春先の療養のご報告から約半年、たくさんの心強く温かい励ましのお言葉をいただき、 静かに見守っていただいたことに感謝いたします。 お別れの会を設けさせていただきたく、準備を進めてまいります。 こちらに関しましてはあらためてご案内させていただきます。 チバユウスケへの数々の大いなる御支援に深く感謝申し上げます。 株式会社ベイス ユニバーサルミュージック合同会社 The Birthday クハラカズユキ , フジイケンジ , ヒライハルキ

          チバユウスケに関しての大切なご報告 - The Birthday
        • チバユウスケについて知っているいくつかの事柄――幾度となく本人に取材したライター長谷川誠がありのままを綴る | Mikiki by TOWER RECORDS

          2023年11月26日、チバユウスケがこの世を去った。今年4月、食道がんと診断されたことを受け治療に専念するため休養を発表していたチバだが、最期は家族に見守られながら穏やかに息を引き取ったという。 Mikikiでは、長きにわたりチバユウスケに取材を行い、その姿を目にしてきたライターの長谷川誠にチバについてのテキストを寄稿してもらった。読む前に理解しておいてほしいが、これは追悼文ではない。その功績をたたえる記事でもない。あくまで1人の男から見たチバユウスケの姿、ただそれだけが記されている。ぜひ熟読してもらいたい。 *Mikiki編集部 チバユウスケとの出会い チバユウスケは愛をシャウトで表現できる、類まれなミュージシャンだった。なぜ愛を叫び声で表現するかというと、愛とは甘ったるいものでも、たやすく成立するものでもないからだ。自らのすべてを賭け、渾身の力を振り絞り、真摯に対峙することで、初めて

            チバユウスケについて知っているいくつかの事柄――幾度となく本人に取材したライター長谷川誠がありのままを綴る | Mikiki by TOWER RECORDS
          • チバユウスケ著:『EVE OF DESTRUCTION』<ROOTS編>を特別公開|Sow Sweet Publishing,Inc.

            ソウ・スウィート・パブリッシングは、2022年9月にチバユウスケ(The Birthday)の著書である『EVE OF DESTRUCTION』(イヴ・オブ・デストラクション)を刊行しました。 この本は、日本屈指のロック・ボーカリストであるチバユウスケさんが自身の音楽人生において欠かすことのできない重要なレコードの数々をさまざまなエピソードとともに紹介した書籍です。所有する貴重なアナログ・レコード・コレクションの写真と共に、チバさんが自身の言葉で“音楽愛”を掘り下げており、10代の頃に出会いロックにのめり込むきっかけになった作品から、「今聴いてもブッ飛ぶ」と語る名盤、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTで活動を共にした盟友・アベフトシさんに教えてもらったというアーティストのレコードまで、12のジャンルに分けて掲載しています。 弊社では、チバさんの音楽愛に溢れた言葉の数々を少

              チバユウスケ著:『EVE OF DESTRUCTION』<ROOTS編>を特別公開|Sow Sweet Publishing,Inc.
            • 追悼 チバユウスケ TMGE、The Birthday……鮮烈なロックを追求し続けた極上のフロントマン

              カッコいいヤツだったな。 モデルのようないわゆるイケメンでもないし、俳優のようにスマートでもない。ちょっと猫背の痩せっぽちで、何だか迂闊なところもある。けれど、あの嗄れた声で歌い出すと途轍もない存在感を発して聴く者を圧倒する。ロードムービーのようにイメージを飛ばしていく歌詞と切れ味抜群のロックンロールは、空気をビリビリと震わせた。それを極上のバンドのフロントで歌うのだ。カッコいいと言うしかない。チバユウスケは、アーティストというより常にバンドマンだった。 揃いのブラックスーツで、パンクでホットなガレージロックを鳴らしたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下、TMGE)、元BLANKEY JET CITYの照井利幸(Ba)とASSFORTのMASATO(Dr)と組んだROSSO、そして骨太かつメロディアスなロックを貫くThe Birthday。どれも最高のライブバンドだ。

                追悼 チバユウスケ TMGE、The Birthday……鮮烈なロックを追求し続けた極上のフロントマン
              • チバユウスケへ 献花の会 『Thanks!』のこと - 日々の泡

                チバユウスケへ献花の会に行ってきた。 最初の先行でチケットが取れなくて、ああ献花もできないのか、と落ち込みながら再度応募して、21時の追加枠のチケットが取れて安心した。ありがとうを伝えられるのだと。本当に献花に行きたくて、今後の人生わが身に降りかかる不幸をすべて受け入れるから献花だけは行かせてくれと、どこにいるのかも誰かもわからない神にずっと祈っていた。チバが見ていたらそんなことを祈るんじゃねえと笑うだろうな。 仕事は半休を取って、手持ちの服の中からライダースジャケットを選んで、ヴィヴィアンウエストウッドのネックレスをして、19時にはZepp DiverCityの最寄り駅、東京テレポート駅に着いていた。電車を降りて、駅のエレベーターにはすでにTMGEのパーカーやルードギャラリーのスカジャンを着ている人がいて、ああみんな献花に来たんだ、と思った。 DiverCityのタワーレコードが、献花の

                  チバユウスケへ 献花の会 『Thanks!』のこと - 日々の泡
                • 「チバユウスケ」の死去…「自信持ったり、なくしたり。その繰り返しだよ」語っていた「迷い」と「脆さ」(小野島 大) @gendai_biz

                  あまりにも若すぎる「退場」 2023年11月26日、ミュージシャンのチバユウスケが亡くなった。食道ガンに罹患しての活動休止が発表されてからわずか7ヵ月。その間の様子が全く知らされなかっただけに、衝撃は大きかった。いまもなお、SNS上には彼を悼む声が溢れ続けている。さまざまな人たちが、それぞれの言葉で彼への思いを語っている。もちろん筆者もそのひとりだ。 チバは1968年生まれ。THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)を率いて1996年にメジャー・デビュー、オーソドックスでオーセンティックだが、詩情あふれるロックンロールと熱量高いライヴでアルバムをことごとくヒットチャートのトップ10に送り込んだ。 2000年には日本を代表するロック・フェスティヴァル「フジ・ロック・フェスティヴァル」で、(ライバルとも目されたブランキー・ジェット・シティと共に)日本

                    「チバユウスケ」の死去…「自信持ったり、なくしたり。その繰り返しだよ」語っていた「迷い」と「脆さ」(小野島 大) @gendai_biz
                  • チバユウスケ、人称表現から歌詞を紐解く 空想を飛び出し“他者”と向き合った約30年の変遷

                    昨年11月に亡くなったチバユウスケ。The Birthdayの楽器隊がチバの遺志を受け継いで完成させたEP『April』(4月3日リリース)では、彼の病の気配など微塵も感じさせないパワフルなロックが鳴っている。 唯一無二のしゃがれた歌声。純粋で尖っていて、けれどどこか憎めない人懐っこさ。ビールと煙草、音楽をこよなく愛し、まさしくRock 'n' Rollが人間の形を成したような男。その立ち居振る舞いや生き様は、最後まで大勢の人々を魅了したままだった。思えばメンバーや形態は変動しつつも、30年近くにわたって多彩な曲を作り続けてきたチバ。替えの利かない強烈な声や音楽性と同様、彼が紡ぐ歌詞の独特な世界観も、リスナーをいまだ惹きつけてやまない魅力のひとつでもある。 逝去に際し、彼がこれまで記した歌詞を収録した詩集2冊(『チバユウスケ詩集 ビート』『チバユウスケ詩集 モア・ビート』)も再び話題に。こ

                      チバユウスケ、人称表現から歌詞を紐解く 空想を飛び出し“他者”と向き合った約30年の変遷
                    • チバユウスケ氏のエピソードまとめ

                      リンク Wikipedia チバユウスケ チバユウスケ(1968年7月10日 - 2023年11月26日)は、日本のミュージシャン、ボーカリスト、作詞家、作曲家。The Birthdayのボーカル、ギター。1991年から2003年まで、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのボーカルとして活動。血液型A型。既婚。 ※太字は現在活動中のバンド。かつて所属していたバンド等も含む。 神奈川県藤沢市出身。幼少の頃はヴァイオリン教室に通う。教室は2回に1回は逃げていたが、発表会で日本武道館のステージに立つまで上達したという。幼稚園から高校まで 14 users リンク ニコニコ大百科 チバユウスケとは [単語記事] - ニコニコ大百科 チバユウスケ(生没年月日:1968.7.10〜2023.11.26)とは、日本のミュージシャンである。 概要 1968年7月10日生まれ。神奈川県藤沢市

                        チバユウスケ氏のエピソードまとめ
                      • 「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」チバユウスケさん死去 55歳 | NHK

                        ロックバンド「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」のボーカルとして活躍したミュージシャンのチバユウスケさんが先月26日、亡くなりました。55歳でした。 チバユウスケさんは神奈川県出身で、4人組のロックバンド、「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」として1991年から都内のライブハウスを中心に活動を始め、1996年、「世界の終わり」でデビューしました。 チバさんの独特のしゃがれ声とバンドの重厚なサウンドが人気を集め、シングルやアルバムがたびたびチャートインしたほか、海外でも公演を行うなど活躍を続けました。 バンドは2003年に解散しましたが、チバさんは2005年に新しいバンド「The Birthday」を結成して音楽活動を続け、去年公開された映画「THE FIRST SLAM DUNK」ではオープニングの主題歌として「LOVE ROCKETS」が使われ話題

                          「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」チバユウスケさん死去 55歳 | NHK
                        • 【追悼】チバユウスケさん 「ずっと希望を歌ってるつもり」 いつもビールと煙草を手に。生涯最高のロックスターだった | AERA dot. (アエラドット)

                          TOP 著者一覧 コラムニスト 森朋之 【追悼】チバユウスケさん 「ずっと希望を歌ってるつもり」 いつもビールと煙草を手に。生涯最高のロックスターだった 【追悼】チバユウスケさん 「ずっと希望を歌ってるつもり」 いつもビールと煙草を手に。生涯最高のロックスターだった CULTURE&PEOPLE 11月26日に亡くなったチバユウスケさん 忌野清志郎、YMO、佐野元春など、「この人(たち)がいなければ、日本の音楽シーンはまったく違うものになっていただろう」というミュージシャンが存在する。チバユウスケはまちがいなく、その一人だ。 【貴重写真】25年前のチバユウスケさんはこちら!最高のロックスターだ 明治学院大学在学中にロックバンド・THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ザミッシェル・ガン・エレファント)を結成。1996年にシングル「世界の終わり」でメジャーデビューを果たした。7

                            【追悼】チバユウスケさん 「ずっと希望を歌ってるつもり」 いつもビールと煙草を手に。生涯最高のロックスターだった | AERA dot. (アエラドット)
                          • 「チバユウスケ」の早すぎる死…50代の彼に起こっていた「気持ち」の変化(小野島 大) @gendai_biz

                            2023年11月26日、ミュージシャンのチバユウスケが亡くなり、その訃報は12月5日に知らされた。55歳という、あまりにも若い死はファンに大きな衝撃を与えた。 『チバユウスケの死去…「自信持ったり、なくしたり。その繰り返しだよ」語っていた「迷い」と「脆さ」』に引き続き、チバユウスケのライフワークとも言うべき「バースデイ」時代に筆者がインタビューをした時の話を伝える。 自分の弱さを認められる人間へと成長していた 筆者が初めてバースデイの取材をしたのが、ギターがイマイからフジイケンジに代わった2011年のアルバム『I’M JUST A DOG』の時だった。チバに会ったのも久しぶりだったが、かなり印象が変わったのを覚えている。一言で言えば、柔らかくなった。優しくなった。「丸くなった」と言えば、きっと「丸くなんてなってない」と彼は言い張ったかもしれない。 久しぶりということもあり筆者は少し緊張しな

                              「チバユウスケ」の早すぎる死…50代の彼に起こっていた「気持ち」の変化(小野島 大) @gendai_biz
                            • NHK、チバユウスケさん追悼で『トップランナー』アンコール放送 2003年のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT解散発表直後の貴重映像再び(オリコン) - Yahoo!ニュース

                              NHKでは、11月26日に亡くなったチバユウスケさんを偲んで、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが出演した2003年放送の『トップランナー』を、13日にアンコール放送する(後11:50)。 【写真】カッコ良すぎる1枚の写真を添え…Kjがチバユウスケさんを追悼 バンド解散発表直後の2003年にオンエアされた同番組では、メンバー4人そろってのロングインタビューやスタジオライブなど、貴重な映像を届ける。 日本のロックシーンをけん引してきた彼らの、音楽との出会い、バンド結成の経緯、そして楽曲に込めた想いとは。スタジオライブでは「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ」「ブラック・ラブ・ホール」「リボルバー・ジャンキーズ」など、名曲の数々を披露する。

                                NHK、チバユウスケさん追悼で『トップランナー』アンコール放送 2003年のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT解散発表直後の貴重映像再び(オリコン) - Yahoo!ニュース
                              • チバユウスケへの献花の会『 Thanks ! 』に寄せて。色褪せずに残る声 | CINRA

                                去年11月26日に亡くなったチバユウスケへの献花の会『 Thanks ! 』が1月19日、東京・Zepp DiverCityで執り行なわれた。正午から始まった一般参列者向けの献花式には多くのファンが駆けつけ、日本の音楽シーンに大きな影響を与えたロックミュージシャンとの別れを惜しんだ。 チケットの応募者が多数となり追加枠が設けられ、The BirthdayのInstagramでは現地にいない人に向けてライブ配信も実施された。21時の最終枠に参列したときの様子とそこで感じたことを少しだけ綴りたい。 ◇ 1月19日、冬晴れとなった東京でチバユウスケの献花の会が開催された。 1991年から2003年までロックバンドTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのフロントマンとして活動し、その後はROSSO、Midnight Bankrobbers、THE GOLDEN WET FINGERS

                                  チバユウスケへの献花の会『 Thanks ! 』に寄せて。色褪せずに残る声 | CINRA
                                • 「ずっと音楽が鳴り続けている人でした」チバユウスケ『EVE OF DESTRUCTION』担当編集・尾藤雅哉が語る秘話

                                  THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)やThe Birthdayとして活躍し、昨年他界した日本屈指のロック・ボーカリストであるチバユウスケさんの書籍『EVE OF DESTRUCTION』(ソウ・スウィート・パブリッシング)は彼の遺作となった作品だ。 書籍には、チバユウスケさんの音楽人生において欠くことのできなかった重要なレコードの数々が紹介されている。掲載されるレコードは12ジャンルで250枚以上が掲載。ジャケットをみているだけでも楽しめる内容で、チバさんが愛したレコードを彼の言葉と共に追体験できる。さらに巻末には、レコード同様にチバさんが集めてきたバンドTシャツのコレクションの一部も特別に掲載。レコードからTシャツまで、チバさんの一貫した音楽愛を感じ取ることができるだろう。 この『EVE OF DESTRUCTION』を企画した担当編集者

                                    「ずっと音楽が鳴り続けている人でした」チバユウスケ『EVE OF DESTRUCTION』担当編集・尾藤雅哉が語る秘話
                                  • チバユウスケさんを偲んで…ミッシェル・ガン・エレファントのラストライブ映画上映決定【劇場リストあり】

                                    11月26日に亡くなったロックバンド・THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、The Birthdayのボーカル・ギタリストとして活躍したチバユウスケさんを偲んで、2009年に公開されたドキュメンタリー映画『ミッシェル・ガン・エレファント “THEE MOVIE” -LAST HEAVEN 031011-』の追悼上映が決定した。 【写真】その他の写真を見る THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは、90年代の日本のロックシーンをけん引し、横浜アリーナでのオールスタンディングライブ、フジロックのヘッドライナー、土砂降りの中での代々木公園フリーライブほか、多くのファンを熱狂の渦に巻き込み、2003年10月11日の幕張メッセでのライブを最後に解散した伝説的ロックバンド。 本作は、4万人を動員した幕張でのラストライブを中心に、バンドの軌跡を描いたドキュメンタリー。最新映

                                      チバユウスケさんを偲んで…ミッシェル・ガン・エレファントのラストライブ映画上映決定【劇場リストあり】
                                    • 映画『THE FIRST SLAM DUNK』チバユウスケさん追悼 OP曲をThe Birthdayが担当

                                      【写真】その他の写真を見る チバユウスケさんは今年4月に食道がんと診断され、治療に専念するため当面の間休養することが発表された。回復に向けて治療を続けてきたが、11月26日に家族に見守られ穏やかに息を引き取ったことが5日、所属レコード会社から発表された。 突然の訃報に『THE FIRST SLAM DUNK』の公式Xも「チバユウスケさんのことを伺いただ驚き、言葉を失っております。チバユウスケさんのご冥福をお祈りします」と、歌声で映画を彩ったチバユウスケさんを偲んだ。 チバユウスケさんは1968年7月10日生まれ、神奈川県出身。1996年 thee michelle gun elephantのボーカルとしてデビュー。2003年の解散後はROSSO、MIDNIGHT BANKROBBERS、The Birthday、THE GOLDEN WET FINGERSで活動してきた。今年4月には食道が

                                        映画『THE FIRST SLAM DUNK』チバユウスケさん追悼 OP曲をThe Birthdayが担当
                                      • チバユウスケが亡くなった (山崎洋一郎の「総編集長日記」)-rockinon.com|https://rockinon.com/blog/yamazaki/208246

                                        チバが亡くなるなんて思ってもみなかった。いまだに受け止められない。がんと闘っていたと聞いてはいても、絶対大丈夫だと勝手に思い込んでいた。 J-POPや渋谷系ポップが全盛で、真にロックなバンドの新たな系譜が久しく途絶えていた時期に突如現れたのがミッシェル・ガン・エレファントだった。そこから僕は取り憑かれたように何度も彼らにインタビューし、特にチバには長い時間に渡って食い下がるようなインタビューを何度も試みて、そのすべてをJAPANのページに刻んできた。 ミッシェルが登場したことで、日本の音楽シーンは一気にロックの色に染まっていった。だがべつに、ミッシェル以外に多くのロックバンドが登場して盛り上がったわけではない。ミッシェル・ガン・エレファントという一つのバンドの力で、それが起きたのだ。当時を知っている人には、それはわかるだろう。とてつもないバンドであり、事件ですらあった。 チバはその時、自分

                                          チバユウスケが亡くなった (山崎洋一郎の「総編集長日記」)-rockinon.com|https://rockinon.com/blog/yamazaki/208246
                                        • ロックバンド・The Birthdayのチバユウスケさんが死去 55歳 春に食道がん公表

                                          ロックバンド・The Birthdayのボーカル&ギター、チバユウスケさんが11月26日に亡くなった。ユニバーサルミュージックなどが5日、「大切なご報告」として伝えた。55歳だった。 【写真】その他の写真を見る 発表資料では「かねてより回復に向けて懸命の治療を続けてまいりましたが、思い叶わず2023年11月26日に家族に見守られ穏やかに息を引き取りました」と報告。葬儀については「静かに見送りたいとのご意向により、親族とメンバーで葬儀を執り行いました」と明かした。 また、「春先の療養のご報告から約半年、たくさんの心強く温かい励ましのお言葉をいただき、静かに見守っていただいたことに感謝いたします。お別れの会を設けさせていただきたく、準備を進めてまいります。こちらに関しましてはあらためてご案内させていただきます」と報告。「チバユウスケへの数々の大いなる御支援に深く感謝申し上げます」と伝えた。コメ

                                            ロックバンド・The Birthdayのチバユウスケさんが死去 55歳 春に食道がん公表
                                          • The Birthdayチバユウスケが死去

                                            今年4月に食道がんを公表し、治療に専念すべく活動を休止していたチバ。回復に向けて懸命の治療を続けていたが、家族に見守られ穏やかに息を引き取ったという。葬儀は「静かに見送りたい」という意向により、親族とメンバーですでに執り行われたとのこと。後日お別れの会が実施される予定で、こちらの詳細は後日アナウンスされる。 チバはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのメンバーとして1996年にシングル「世界の終わり」でメジャーデビューし、2001年にはROSSOを始動。2003年にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが解散したあとはROSSOでの活動を経て、2006年にThe Birthdayを結成した。バンド活動と並行して、ソロ名義でもリリースやライブを精力的に行っていた。 The BirthdayのX公式アカウントより、チバユウスケに関する報告。

                                              The Birthdayチバユウスケが死去
                                            • チバユウスケさんが死去 55歳、4月に食道がん公表 元「ミッシェル・ガン・エレファント」ボーカル(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

                                              元「ミッシェル・ガン・エレファント」のボーカルで、バンド「The Birthday」のボーカルでギターのチバユウスケさんが、11月26日に死去したことが分かった。5日に公式サイト及びインスタグラムで報告された。55歳だった。チバさんは今年4月に食道がんを公表し、休養していた。 【写真】訃報を伝えたインスタ 「チバユウスケに関しての大切なご報告」と題し「かねてより回復に向けて懸命の治療を続けてまいりましたが、思い叶わず2023年11月26日に家族に見守られ穏やかに息を引き取りました。静かに見送りたいとのご意向により、親族とメンバーで葬儀を執り行いました」と報告した。 今年4月24日に食道がんを公表し、治療のため休養中だった。「春先の療養のご報告から約半年、たくさんの心強く温かい励ましのお言葉をいただき、静かに見守っていただいたことに感謝いたします」とつづられた。 そして「お別れの会を設けさせ

                                                チバユウスケさんが死去 55歳、4月に食道がん公表 元「ミッシェル・ガン・エレファント」ボーカル(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
                                              • 【追悼】チバユウスケさん 「ずっと希望を歌ってるつもり」 いつもビールと煙草を手に。生涯最高のロックスターだった | AERA dot. (アエラドット) | AERA dot. (アエラドット)

                                                TOP 著者一覧 コラムニスト 森朋之 【追悼】チバユウスケさん 「ずっと希望を歌ってるつもり」 いつもビールと煙草を手に。生涯最高のロックスターだった 【追悼】チバユウスケさん 「ずっと希望を歌ってるつもり」 いつもビールと煙草を手に。生涯最高のロックスターだった CULTURE&PEOPLE 「ザミッシェル・ガン・エレファント」のウエノコウジ(左)とチバユウスケさん=1998年8月 「絶望だけの歌はないんじゃないかな」 ミッシェルのブレイク以降、日本のロックシーンは明らかに変化した。ASIAN KUNG-FU GENERATION、ACIDMAN、ストレイテナーなど、オルタナティブなセンスを持ったバンドが次々と登場し、人気を得た。彼らの多くはミッシェルから影響を受けたことを公言。チバが紡ぎ出す楽曲、そして、ロックスター然としたたたずまいは、まさに憧れの的であり、大きな目標だったのだと思

                                                  【追悼】チバユウスケさん 「ずっと希望を歌ってるつもり」 いつもビールと煙草を手に。生涯最高のロックスターだった | AERA dot. (アエラドット) | AERA dot. (アエラドット)
                                                • リアルサウンド連載「From Editors」第37回:スター チバユウスケに感謝

                                                  「From Editors」はリアルサウンド音楽の編集部員が、“最近心を動かされたもの”を取り上げる企画。音楽に限らず、幅広いカルチャーをピックアップしていく。 スター チバユウスケに感謝 私が彼の活動を目撃できた期間は決して長くはなかったし、辛くてまだあまり読めていないけれど、すでにたくさんの追悼文が出ているし、正直に言うと一人のファンでしかない立場から、このテーマで書くべきか本当に悩んだ。 チバユウスケは私にとってのスターだった。 ステージで歌うためのような声、ざらついた愛に溢れた歌詞、言葉少ななMCと汗だくの前髪や髭の隙間から時折見せる笑顔、そしてこれぞバンドのフロントマン、というステージで放つ圧倒的な佇まい。THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下、TMGE)の曲も、ROSSOの曲も、The Birthdayの曲も、チバの歌詞は荒削りなように見えて、愛と優しさ、平

                                                    リアルサウンド連載「From Editors」第37回:スター チバユウスケに感謝
                                                  • チバユウスケさん亡くなる - ラジオと音楽

                                                    【目次】 チバユウスケに関しての大切なご報告 2021年7月31日「Love On Music」 The Birthday「さよなら最終兵器」 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT「世界の終わり」 2023年10月27日「Kenrocks Nite」 勝手にしやがれ「ロミオ(feat. チバユウスケ)」 チバユウスケに関しての大切なご報告 The Birthdayのチバユウスケさんが11月26日に55歳で亡くなるという、とても悲しい発表がありました。 www.universal-music.co.jp 2021年7月31日「Love On Music」 2021年7月31日の「Love On Music」にイマイアキノブさんと出演された時にThe Birthdayを知り、「何てカッコいいんだ!」と全てのアルバムを購入しました。 www.radiomusic.jp The B

                                                      チバユウスケさん亡くなる - ラジオと音楽
                                                    • チバユウスケが亡くなった (山崎洋一郎の「総編集長日記」)-rockinon.com|https://rockinon.com/blog/yamazaki/208246

                                                      チバが亡くなるなんて思ってもみなかった。いまだに受け止められない。がんと闘っていたと聞いてはいても、絶対大丈夫だと勝手に思い込んでいた。 J-POPや渋谷系ポップが全盛で、真にロックなバンドの新たな系譜が久しく途絶えていた時期に突如現れたのがミッシェル・ガン・エレファントだった。そこから僕は取り憑かれたように何度も彼らにインタビューし、特にチバには長い時間に渡って食い下がるようなインタビューを何度も試みて、そのすべてをJAPANのページに刻んできた。 ミッシェルが登場したことで、日本の音楽シーンは一気にロックの色に染まっていった。だがべつに、ミッシェル以外に多くのロックバンドが登場して盛り上がったわけではない。ミッシェル・ガン・エレファントという一つのバンドの力で、それが起きたのだ。当時を知っている人には、それはわかるだろう。とてつもないバンドであり、事件ですらあった。 チバはその時、自分

                                                        チバユウスケが亡くなった (山崎洋一郎の「総編集長日記」)-rockinon.com|https://rockinon.com/blog/yamazaki/208246
                                                      • チバユウスケさんへの感謝を込めて - 猫の爪切りdiary

                                                        こんにちは。よろしくお願いいたします。 昨日、チバユウスケさんが亡くなったことをニュースで知りました。 ロックバンド「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」解散後は「The Birthday」として活躍されていました。 まだ記憶に新しい曲、映画スラムダンクのオープニング曲「LOVE ROCKETS」 声が素敵です。 www.youtube.com スラムダンクが映画として復活。カッコよいオープニング曲で何度も聴いておりました。 www.youtube.com また好きなロックスターが旅立ってしまいました。 今年は好きだったバンドの方の訃報が多くて本当に悲しいです。 チバユウスケさんのご冥福をお祈り申し上げます。

                                                          チバユウスケさんへの感謝を込めて - 猫の爪切りdiary
                                                        • 「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」チバユウスケさん死去 - アニメ大好き館

                                                          www3.nhk.or.jp www.yomiuri.co.jp www.tokyo-np.co.jp ロックバンド「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」のボーカルとして活躍したミュージシャンのチバユウスケさんが先月26日、亡くなりました。 レコード会社によりますと、チバさんはことし4月に食道がんと診断されたことを公表していて、治療を続けていましたが、先月26日に亡くなったとのこと。 チバユウスケさんは神奈川県出身。 4人組のロックバンド、「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」として1991年から都内のライブハウスを中心に活動を始め、1996年に「世界の終わり」でデビュー。 独特のしゃがれ声とバンドの重厚なサウンドが人気を集め、シングルやアルバムがたびたびチャートインしたほか、海外でも公演を行うなど活躍。 バンド自体は2003年は解散しましたが、チバさん

                                                            「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」チバユウスケさん死去 - アニメ大好き館
                                                          • チバユウスケさん、部室で青春をともに… 大学時代から放っていた異彩 丸くならず、突き詰めた音楽の道(スポニチ) | 毎日新聞

                                                            【悼む】チバさんは明治学院大学時代の後輩で2年下。別々の音楽系サークルに所属していたが、部室は一緒だった。髪をパンク風に逆立てて、白いライダースジャケットが似合う長身。新入生の頃から入室してくると迫力があり目立った。間もなくミッシェル…を結成。1年生の頃は英パンクバンド「ダムド」の曲をカバーしまくる一方で、日本語のオリジナル曲も作っていた。 交流のきっかけは目黒鹿鳴館での3サークル合同ライブ。打ち上げではビールを飲みまくっていた。冗談のような話も連発。バンド名の由来を聞くと、ダムドの名作「Machine Gun Etiquette」を「誰かが読み間違えたんで」と明かした。当時ライブ経験はほとんどなかったのに「日本武道館のステージには立ったことがある」とも。バンドではなく、幼少時のお稽古で通った「バイオリンの発表会で」と続けて笑わせた。ビールを飲み出したら止まらず、酒に酔ってのジョークなのか

                                                              チバユウスケさん、部室で青春をともに… 大学時代から放っていた異彩 丸くならず、突き詰めた音楽の道(スポニチ) | 毎日新聞
                                                            • THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、チバユウスケ訃報でバイラル独占 ファン心理を反映したチャートに

                                                              THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、チバユウスケ訃報でバイラル独占 ファン心理を反映したチャートに Viral Chart Focus Spotifyの「Daily Viral Songs(Japan)」は、最もストリーミング再生された曲をランク付けした「Spotify Top Songs」とは異なり、純粋にファンが聴いて共感共有した音楽のデータを示す指標を元に作られたランキング。同チャートの12月6日付のTOP10は以下の通り(※1)。 1位:THEE MICHELLE GUN ELEPHANT「世界の終わり-Primitive version-」 2位:The Pogues,Kirsty MacColl「Fairytale of New York (feat. Kirsty MacColl)」 3位:The Birthday「なぜか今日は」 4位:THEE MICHE

                                                                THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、チバユウスケ訃報でバイラル独占 ファン心理を反映したチャートに
                                                              • <title>チバユウスケの話 - No problem</title>

                                                                チバユウスケの話この記事は PySpa Advent Calendar 2023 の 22 日目の記事です。昨日は Hiroki Niinuma のお話でした。 先日、チバユウスケが亡くなった。 とても悲しいことであったが、一度だけチバユウスケと挨拶をしたことがあることを思い出した。 1999年頃、私は大学生だったが、半分ライブハウスで働いているような状態だった。 大学では軽音部でPAをやっていたのだが、そうそう素人ではうまく行かないのでライブハウスにPAの勉強がてらバイトさせてもらっていた。 とはいえ普通そんなに簡単にライブハウスで働かせてもらうとはいかないのだが、先輩方のコネもあり割とすんなりと働かせてもらうことになった。 基本的に私は照明の仕事をしていた。ライブがあれば呼ばれ、搬入からリハ、ステージの転換、最後の片付けまで一通りさせてもらい、いろんな経験をさせてもらった。 合間、合間

                                                                  <title>チバユウスケの話 - No problem</title>
                                                                • The Birthdayチバユウスケが語る、現実をひっくり返す想像力 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

                                                                  2021年7月28日に11枚目となるフルアルバム『サンバースト』をリリースしたThe Birthday。このアルバム、詞、歌、演奏、サウンド、全てが素晴らしい傑作だ。The Birthdayのフロントマン・チバユウスケへのインタビュー。2年半前の前作『VIVIAN KILLERS』のインタビューの時と同様、アルバムのこと、音楽のことを聞いた。 ーインタビュー本編とは関係ないですけど、フィッシュマンズの映画は観ましたか? 観てない。(明治学院)大学の先輩だったけど(笑)。 ーフィッシュマンズとは絡みはなかったんですか? もちろん仲は良かったよ。(茂木)欣ちゃんも、ベースの(柏原)譲も。でもタイプが違うじゃん。チケット買わされて、ラママに観に行って。カッコいいバンドだなぁと思ったよ。スカとかロックステディみたいなことをやってて、その辺の良さはフィッシュマンズに教わったところもあると思うよ。 ー

                                                                    The Birthdayチバユウスケが語る、現実をひっくり返す想像力 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
                                                                  • チバユウスケさん、櫻井敦司さん、坂本龍一さん…大物音楽関係者の訃報続々…ネット悲鳴「早すぎる」「また日本の宝が…」

                                                                    ロックバンド・The Birthdayのボーカル・チバユウスケさんが、11月26日に食道がんのため死去していたことが5日に所属レーベルから発表された。今年は大物音楽関係者の訃報が続々と伝えられ、ネット上では惜しむ声であふれている。 ロックバンド・The Birthdayのボーカル・チバユウスケさんが、11月26日に食道がんのため死去していたことが5日に所属レーベルから発表された。今年は大物音楽関係者の訃報が続々と伝えられ、ネット上では惜しむ声であふれている。 ドラマ、アニメ、アイドル、K-POP、スポーツ…大人気番組が目白押しのお得キャンペーンを実施中(Leminoサイトへ) 所属レーベルはこの日、「かねてより回復に向けて懸命の治療を続けてまいりましたが、思い叶わず2023年11月26日に家族に見守られ穏やかに息を引き取りました」と発表。4月に食道がんのため、療養に専念することが発表されて

                                                                      チバユウスケさん、櫻井敦司さん、坂本龍一さん…大物音楽関係者の訃報続々…ネット悲鳴「早すぎる」「また日本の宝が…」
                                                                    • 初期チバユウスケの歌詞の魅力(1/3)|サム

                                                                      チバユウスケが逝去した。 何ヵ月も前のことだが、もういないという事実がそのままずっとそこに在り続けている。もういない。でも、月並みだけど、その音楽は残り続けている。そして今更言うまでもなく、その音楽と声は滅茶苦茶カッコいい。語るべきものが残されている。だから……BUCK-TICKの時とおなじで、音楽について書きたい。すでに沢山語られているし、更にもっとたくさん語られていってほしい。 自分も書きとめておきたい。「初期チバの歌詞の魅力」、「ミッシェル末期」、「ROSSOやThe BirthdayにSNAKE ON THE BEACH」のこと……3つほどの記事に分けて書こうと思っている。 誰かが語ったり、思い出したり、馳せたりするキッカケになれば幸いです。 今回は初期チバの歌詞の魅力についての雑記です。 チバユウスケの書く歌詞が好きだった。 一番好きなのは"初期ミッシェル"の頃だ。作詞スタイルと

                                                                        初期チバユウスケの歌詞の魅力(1/3)|サム
                                                                      • 「曲を聴いてみんな嗚咽」チバユウスケさん死去「どこよりも曲をかけてきた」バー店長が語る「熱狂の理由」 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

                                                                        「曲を聴いてみんな嗚咽」チバユウスケさん死去「どこよりも曲をかけてきた」バー店長が語る「熱狂の理由」 エンタメ・アイドル 投稿日:2023.12.07 17:30FLASH編集部 11月26日、食道がんにより55歳の若さで死去した、元THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下「ミッシェル」)で、The Birthdayのボーカル・チバユウスケさん。 その早すぎる死に、アーティスト仲間やファンからの悲しみの声が途切れなく聞こえてくる。チバユウスケという男の、何がそこまでファンを熱狂させてきたのだろうか。「世界中、どこの音楽バーよりもチバユウスケの曲をかけてきたという自負があります」と語る、東京・鶯谷のロックバー「叫び」の店長・田中俊行さんに思いの丈を聞いた。 【関連記事:「宗男議員の秘書」ムルアカ氏が急逝 本誌カメラマンと「異種格闘技戦」の過去、死去1カ月前にはあいさつも】

                                                                          「曲を聴いてみんな嗚咽」チバユウスケさん死去「どこよりも曲をかけてきた」バー店長が語る「熱狂の理由」 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
                                                                        • 2023年に亡くなった音楽の巨星たち(邦楽編)――高橋幸宏、坂本龍一、チバユウスケ、恒岡章、櫻井敦司、HEATH…… | Mikiki by TOWER RECORDS

                                                                          2023年も残りわずかとなりました。今年は、音楽史に大きな足跡を残したミュージシャンやアーティストが数多く旅立ち、特に大きな衝撃とともに深い悲しみに暮れるような訃報が多かった年だったと言えるのではないでしょうか。そんな2023年の振り返りの一環として、彼らの功績をたたえ、後世に残されたマスターピースを振り返ってみましょう。洋楽編は別の記事で掲載し、こちらでは邦楽編として国内のアーティストを取り上げました。 ★2023年末特別企画の記事一覧はこちら チバユウスケ 68年7月10日生まれ、神奈川県藤沢市出身のミュージシャン。 大学在学中にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを結成。モッズスーツを纏い、70年代のパンクやブルース、R&Bから影響を受けたパブロック/ガレージロックの流れを汲むロックンロールの音楽性で注目を集め、96年にシングル“世界の終わり”でメジャーデビュー。 そ

                                                                            2023年に亡くなった音楽の巨星たち(邦楽編)――高橋幸宏、坂本龍一、チバユウスケ、恒岡章、櫻井敦司、HEATH…… | Mikiki by TOWER RECORDS
                                                                          • チバユウスケの訃報によせて。|coco

                                                                            2023年12月5日の正午、チバユウスケの訃報を目にしてから、私はそれまでの何かを埋め尽くすようにミッシェル・ガン・エレファント(以下ミッシェル)を聴いている。 間違いなく私はチバの声を渇望していたのだろう。チバが無事、病から快復したらThe Birthdayのライブに行く気でいた。チバと同じ病に罹患したミュージシャンは多いが、皆、ステージに戻って来たからチバも絶対に乗り越えられると信じていた。信じていたのに。 ただでさえミュージシャンの訃報が年の始めから多かった2023年。そんな年が終わろうとしている所で止めを刺されてしまった。こんなことがあっていいのか。悔しくて、無力感、脱力感、喪失感に打ちのめされた。そして、暇さえあればチバのことを考える日々が続いた。 2003年10月にミッシェルが解散して以来、私はしばらくチバからは離れていたけど、もっとライブに行けばよかったのかもしれない。でも、

                                                                              チバユウスケの訃報によせて。|coco
                                                                            • The Birthday、チバユウスケが生前にレコーディングした楽曲を今春リリース | CINRA

                                                                              The Birthdayが今春に新たなEPをリリースすると発表した。 同EPには、昨年11月に逝去したチバユウスケが治療に専念する前にレコーディングし、メンバー3人が完成させた新曲3曲を収録予定。詳細は後日発表される。 なお、本日1月19日は東京・Zepp Divercityでチバユウスケへの献花の会『Thanks !』が開催されている。 【The Birthdayのコメント】 2023年4月、チバユウスケが治療に専念する直前までThe Birthdayはレコーディングを行っていました。 その音源たちを完成させたかったチバの遺志を受け、録音済みである新曲3曲についてこれからメンバー3人で最終作業を行い、2024年春にEPとしてリリースする準備をしております。 リリースの詳細は追ってご案内させていただきます。

                                                                                The Birthday、チバユウスケが生前にレコーディングした楽曲を今春リリース | CINRA
                                                                              • チバユウスケ氏が死去「長生きしてもしょうがない」数十年来の付き合いがあるバンドマンが語る、その素顔 | 日刊SPA!

                                                                                元THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下、ミッシェル)のボーカルで、バンドThe Birthdayのギターボーカルであるチバユウスケさんが、11月26日に死去したことが発表された。 その音楽も生き様も唯一無二のロックであった故人の思い出を投稿し悼むミュージシャンも多い。そして、漫画家の井上雄彦氏をはじめ、各界から悲しみの声があがっている。 そんなチバさんと、アマチュア時代の福岡での共演をきっかけに仲良くなり、数十年来に渡ってお酒を飲む友人であったという福岡のあるバンドマンに、若き日のチバさんとミッシェルについて聞いた。 話を聞いたのはナオキさんという男性で、若い頃から福岡を中心に若い頃から現在に至るまでバンド活動を続けている人物だ。 「ミッシェルと初めて対バンしたのは、1995年の2月で雪が降った日。場所は当時は博多駅の近くにあったDrumBe-1っていうライブハウスや

                                                                                  チバユウスケ氏が死去「長生きしてもしょうがない」数十年来の付き合いがあるバンドマンが語る、その素顔 | 日刊SPA!
                                                                                • 追悼 チバユウスケ TMGE、The Birthday……鮮烈なロックを追求し続けた極上のフロントマン(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース

                                                                                    追悼 チバユウスケ TMGE、The Birthday……鮮烈なロックを追求し続けた極上のフロントマン(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース
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