並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 4 件 / 4件

新着順 人気順

富野由悠季の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて、本論の一部を連載します。  (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーション監督として語るための2つの切り口 アニメーション監督・富野由悠季について考えたい。ここで重要なのは、この言葉で比重がかかっているのは「アニメーション監督」のほうで、決して「富野由悠季」個人のほうではない、ということだ。富野由悠季という「アニメーション監督」は、その存在感の大きさに比して、十分に語られないうちに長い時間が経ってしまった。 富野は、TVや新聞雑誌などマスメディアに登場することが多いアニメーション監督だ。人気者といってもいいだろう。書籍に関しても、批評

      序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
    • 〈1〉富野少年はいかにしてアニメーション監督になったか|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

      富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「富野由悠季概論」。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 宇宙との出会い 現在、アニメーション監督という存在が広く当たり前の存在として世間に認知されている。しかし、このような認知を得るまでには、それなりの長い時間が必要であった。そしてその中で大きな働きを果たしたひとりが、富野由悠季監督である。 富野の経歴を簡単に振り返ってみよう。 アニメーション監督・富野由悠季は1941年11月5日、三人兄弟の長男として神奈川県小田原市に生まれた。本名は富野喜幸。富野家は代々「喜」の漢字を継いでおり、喜幸の「喜」の字もそこに由

        〈1〉富野少年はいかにしてアニメーション監督になったか|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
      • 実験動画『AURA BATTLER DUNBINE SIDE L』

        #ダンバイン #サンライズロボット研究所 #SIDEL 新設された「サンライズロボット研究所」( https://roboken.sunrise-world.net/ ) で展開中の、実験動画『AURA BATTLER DUNBINE SIDE L』は、1983年にテレビ放送された「聖戦士ダンバイン」の当時のオープニングとエンディングを最新の演出と技術で表現、作品そのものの“普遍性”を発信していくチャレンジ的な動画です。 ©創通・サンライズ

          実験動画『AURA BATTLER DUNBINE SIDE L』
        • サンライズロボット研究所|SUNRISE ROBOT-公式動画やロボット図鑑が無料で楽しめる!

          サンライズ ロボット研究所とは? 『サンライズロボット研究所』は、1977年の第1作目『無敵超人ザンボット3』から数多くのロボットアニメを創出してきたサンライズ作品に登場する、空想上のロボットやメカについて、過去のデータベースや新たな考察文など、多角的な視点での探求点を見出し、研究・推察をしていくため設立された研究機関です。 実験動画『AURA BATTLER DUNBINE SIDE L』 1983年にテレビ放送された『聖戦士ダンバイン』の当時のオープニングとエンディング映像を最新の演出と技術で作品そのものの“普遍性”を発信していく為のチャレンジ的な実験動画です。制作パートナーとして、数々のアニメで実績がある映像制作会社 「神風動画」と組んで制作しています。

            サンライズロボット研究所|SUNRISE ROBOT-公式動画やロボット図鑑が無料で楽しめる!
          1