私が小学生くらいの頃は、「りぼん」派と「なかよし」派に分かれるクラスメイトたちと、それぞれお気に入りの漫画について話したものだ。少ないお小遣いでは買える漫画に限りがあるので、互いに貸し借りもしたし、その後、「りぼん」や「なかよし」を卒業しても、学生時代、私のそばには少女漫画があった。
今「ココハナ」誌で連載している『赤白つるばみ・裏』は美大在学中に念願の漫画家デビューを果たしたサブカル新人漫画家ノエル子さんが、異端のカリスマ谷崎先生のアシスタントに通いつつ、自己のまんが道を模索していく、漫画家漫画になっています。毎回、ここまで描いたら何か言われるかな〜と心おののかせながら(嘘です)提出していますが、懐の深いココハナ編集部からは特に何も言われません。 発売中の2月号では、総てのジェンダーバイアスのかかった漫画よ滅びろ、と、いう趣旨のことを描いたのですが、私がそう描いたくらいのことでは残念ながらどうもなかなか滅びてくれそうにないので、全国の(あ、いや、私も含め国外にいる作家も近頃は多いことですし、全世界の)漫画家の皆さん、ひとつご協力よろしくお願いします。作家が皆今後一斉に、もう、使い古されたジェンダーステレオタイプを描くのはやめよう、と、意識するだけで、ほぼ解決したも同然
いつも論理的にガバガバな感情論しか書いてない私が言えたことではないのですが、それにしても、ちょっと納得いかないかな。 この記事の話です。 前半は良いなと思って読み進めていたのだけど、後半のガバぶりがちょっといただけない。 私はマルクスさんの時にも書いたけど「一見正しそうに見える」けど中身がガバって話が一番苦手なんですよ。こういうの見ると やはり人にはジェンダーフリーは早すぎるような気がしてしまいます。もうちょい具体的に語ってほしかった 自分の「これ好き」を描いてそれが広まっていくのを見るのは好き ただ先に言っておくと、私は楠本さんの意見を否定したいわけではないです。むしろ総論では賛成寄りです。 特に序盤はとてもいいと思うんですよ。たとえばこういう話とか。 「KISSxxxx」に出てくる“かめのちゃん”というキャラクターは、自分の容姿にうじうじ悩むこともないし、ややトロくても全く卑下しない。
この一文を読んだとき、心の中では正座して傾聴している自分がいました。 (前略)少女漫画でデビューして、描いてきた身としては、主に女性の作家が描き、主に女性の編集者が作っている雑誌が、主に少女である読者にジェンダーステレオタイプを刷り込む、というのは、とても悲惨で、許しがたい構造だと思う。少女漫画は、もっと少女の考え方や生き方を自由にするものでなければ、それは少女に対する裏切りではないか。たかが漫画に、そんなこといちいち考えなきゃならないのか、不自由なことだ、というのは筋違いで、もうすでに我々は十分不自由なところにいるので、それを遅ればせながら解放していきましょうという話です。 だってここには「私は私の読者を裏切らないようにする」という作家としての信念があるわけじゃないですか。 私自身は女性の心身で生まれながらも、少女漫画に育てられたタイプではなく、家の中に転がっていた週刊少年ジャンプを読ん
天冥の標? メニー・メニー・シープ(上) 作者: 小川一水出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2013/01/25メディア: Kindle版購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (7件) を見る 議論の主な流れはまとめを読んでもらうとして、 今日も新人賞応募作を読んでたんですが、現代では当然のフェミニズム的価値観を、未熟な新人の作品にどのていど求めるかどうかというのは、前回から引き続き悩ましいね。— 小川一水 (@ogawaissui) August 1, 2019 自分はこのツイートの、「未熟な新人」という表現が気になった。 また、小川一水氏の意見に同調したこんなブログも現れた。 軽くいくらか読んだ限りでは、わりと【SFとフェミニズム】というのは欧米ではよくテーマになる話である。 SFとフェミニズムというのは割と長い歴史がある。と思う。例えば『ゲド戦記』で知られるアーシュ
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