大学入学前に美容整形したいと切望する18歳高校生に鴻上尚史がまず分析した「日本のルッキズムの現実」とは?
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恋愛や歴史、そして老いなどをテーマに数々の小説を発表し、法話を通じて多くの人たちに生き方を説いた作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが9日、心不全のため京都市内の病院で亡くなりました。99歳でした。 瀬戸内寂聴さんは徳島市出身で、大学を卒業後、本格的に小説の執筆をはじめ1957年に「女子大生・曲愛玲」で文芸雑誌の賞を受賞して文壇デビューしました。 1963年にはみずからの波乱万丈な恋愛経験をつづった私小説「夏の終り」で女流文学賞を受賞するなど、恋愛小説や伝記小説を次々と発表し、経済的にも精神的にも自立する新たな女性の生き方を生き生きと描いて多くの女性の読者から圧倒的な支持を受けました。 1973年、51歳のときに作家として新しい生き方を模索したいと岩手県の中尊寺で得度しました。 その後も、愛や芸術に生きる女性や信仰の道を求める人などの姿を通じて「性」や「老い」など人間の本質を鋭く描き出す作品を数多く
瀬戸内寂聴が10代の子たちに好きと愛するの違いについて語っていたのを思い出す。 好きというのはリンゴが好きとかミカンが好きみたいに、対象に一方的な好意を抱くこと。 愛するはその人のためだったらなんだってしたいと思うような利他的な感情みたいな話だったと思う。 好きを愛するに昇華することもあるかもしれないし、ないかもしれない。 でも、結婚は愛する人としないと不幸だと思う。そして、付き合うのも愛する人としたほうがずっといい。 結婚するということは、人生の優先順位をその人に譲るってことだし、子供を作るということは自分の人生をかけて優先する人が増えるってことだからね。 結婚はいい時ばかりでなく、悪い時も結構ある。いや、同じことでもいいことにも悪いことにもなる。 今の彼女さんに何でもしてあげたいと思うなら、結婚したらいいよ。 そして、女友達に何でもしてあげたいなーとおもうなら、その人と結婚したらいいよ
先生は「イイ男」が好きだった。でもその男の人も、私が思う「イイ男」じゃない。私が思う「イイ男」の条件は、嘘をつかない、優しい、誠実、仕事をちゃんとしている、浮気しない、家族を大切にする、育児家事をする、ユーモアがある、紳士。 先生にこれらの条件を話したら、「つまらない」と言われていたかも! 先生は自分でも認める、「ダメ男」好き。不良だったり、お金にルーズだったり、仕事をちゃんとしない、女遊びをする、嘘をつく……など、これだけでも最低野郎に思えるけれど、先生はこれにプラス刑務所に入っていたような人が面白いとも言う。 自分がいなくても大丈夫、と思える人はそもそも好きではないし、そんな自立している男性は先生のそばに、そもそもいない。 確かに、私も経験上、一緒にいて楽しかった人や刺激的な人は、どこか難ありだった気もする。自由奔放で、自信があって、輝いていたようにも思う。その人といて安らぐとか、安心
近現代の新しい女性の生き方を描いた小説で人気を集め、反戦・平和を訴える社会活動にも精力的だった作家で僧侶、文化勲章受章者の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日、心不全で死去した。99歳だった。 徳島市生まれ。名は「晴美(はるみ)」と名付けられた。東京女子大在学中に結婚し、卒業後は夫の勤務先だった北京にわたるが、敗戦で1946年に帰国。夫のかつての教え子と恋に落ち、幼い一人娘を残して京都へ。その後離婚し、少女小説や童話を書きながら、丹羽文雄主宰の同人誌「文学者」に加わった。 文芸誌「新潮」に掲載された「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」で57年に新潮社同人雑誌賞を受賞。これを皮切りに、61年には評伝「田村俊子」で第1回田村俊子賞、63年には離婚の原因になった自身の恋愛を描いた「夏の終(おわ)り」で女流文学賞を受賞した。以後は岡本かの子、伊藤野枝(のえ)の伝記小説「かの子撩乱(りょ
先日 向井千秋子供科学館に行きました。 それで思い出したのですが、昔 瀬戸内寂聴さんが 向井千秋さんのご主人の向井万起男さんに逢った時の話を新聞で読みました。 「内助の功」というか、「内助の夫」という見出しがついていて大変興味深い内容でした。 瀬戸内寂聴さんが 向井千秋さんのご主人向井万起男さんを語る 女房が宇宙を飛んだ 最後に 瀬戸内寂聴さんが 向井千秋さんのご主人向井万起男さんを語る 向井千秋さん 「向井千秋の夫という肩書きの男」と堂々と書いたり言ったりする人だそうです。 昔の日本男子なら 沽券に関わると非難されたでしょう。 でも向井万起男さんは 内助の夫の模範生でした。 瀬戸内寂聴さんは 向井さんの二冊の本が面白くて本人に会いたくなったそうです。 「君について行こう」はベストセラーになりました。 新装版 君について行こう(上) 女房は宇宙をめざす (講談社+α文庫) 日本初の女性宇宙
瀬戸内寂聴さんを偲んで 作家で禅宗の僧侶だった瀬戸内寂聴さんが、99歳で大往生されました。 100年を気丈に生きられ、執筆という脳トレの賜物でしょうか。 私は瀬戸内晴美さんのときから、作品を読んできたので、励まされた言葉を紹介します。 スポンサーリンク 瀬戸内寂聴 生きることば 女の業を描く まとめ 瀬戸内寂聴 瀬戸内寂聴の本 四国・徳島市の大きな仏壇店の次女として、1922年(大正11)に生まれた瀬戸内寂聴さんです。 作家デビューした当初は、子宮作家と呼ばれて文壇から無視されました。 「花芯」が、夫ある身でありながら不倫する内容だったからでしょうか。 現在のレディコミックスに比べれば、さほど刺激的ではないのですが、昭和30年代のころは女性の貞操について厳しかったにちがいありません。 www3.nhk.or.jp 青鞜の編集者だった伊藤野枝が、アナーキスト大杉栄の妻となって甘粕事件に巻き込
こんにちは、QUATRE(キャトル)です。 瀬戸内寂聴さんの訃報のニュースを今日のお昼過ぎに聞いた時は本当にびっくりしました。 ダニエル・キーンさんが亡くなられたときに、「私を呼びに来る日が待ち遠しい」とおっしゃられていた寂聴さん。きっと、あの笑顔で旅立たれているのでしょうね。 キーンさんも気の置けないおしゃべりの相手が必要になって、そのうち私を呼びに来ずにはいられなくなるだろう。 その日が待ち遠しい。(引用元:産経新聞より) 瀬戸内寂聴さんの対談やお話は、その時々に心に響く言葉が多かったです。 そこで、今回は、瀬戸内寂聴さんの心に残る名言を集めてみました。 瀬戸内寂聴 名言 子育て お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげてください。 子どもと目線を同じにして対等に話をしてください。大人は皆、上から物を言い過ぎます。そして、世の中
瀬戸内寂聴さん(撮影/写真部・東川哲也) 11月9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが99歳で死去した。ゆかりのある作家の佐藤愛子さんが思いを寄せた。 【写真】これは貴重!剃髪前の若かりしころの瀬戸内さんの一枚 * * * 佐藤愛子さん(撮影・工藤隆太郎) 私と瀬戸内さんとはそう親しい友達というわけではない。年に一度くらい、対談などの仕事がらみに会うことがあることもあれば、二、三年も顔を合せないほどの間柄です。瀬戸内さんは早くから女流文学賞などを受賞したりして、女流作家としての華やかなスタートを切っている人に私には見えていました。 私の方といえば、文芸首都という貧乏同人誌の同人として細々と小説を書いて掲載してもらうような、その合間に自信作を文藝春秋や新潮社、中央公論社などへ厚かましく持っていってはあっさり断られるという日をくり返していたのです。 それでもやっとこさ私は直木賞を貰って文壇のパ
「夏の終(おわ)り」「美は乱調にあり」など、情熱的な愛と生をつづった小説や、法話などの活動で知られる作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去したことが11日分かった。99歳。 【写真】寂聴さん、66歳下の秘書とツーショット 葬儀は近親者で行う。お別れの会は後日、東京で開く予定。 徳島市の神仏具商の次女に生まれ、東京女子大在学中に結婚。卒業後、夫の赴任先の北京に渡るが、夫の教え子と恋に落ち、3歳の娘を残して家を出た。離婚後、少女小説や童話で生計を立てる。 1957年「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」で新潮社同人雑誌賞を受賞。「花芯」が酷評されて失意の歳月を送るが、61年の伝記小説「田村俊子」で再起。「かの子撩乱」や「美は乱調にあり」など優れた評伝小説を相次いで発表し、63年、2人の男の間で揺れる女の性と心理を綴った「夏の終り
瀬戸内寂聴さんの声を聞いたのは、「源氏物語を語る」と題したカセットテープが最初でした。 図書館から借りて聴きましたが、当時私は高校生で、瀬戸内さんは晴美と名乗っていました。 対談形式の解説でしたが、歯に衣着せない語り口がとても印象的でした。 『自分を愛し胸を張って生きる 瀬戸内寂聴の言葉』 【紫微斗数】瀬戸内寂聴さん 【紫微斗数】生まれ時刻がわからないと手も足も出ない 【紫微斗数】命無星曜格「天機・天梁」の人 天機星 天梁星 【遷移宮】生年化禄 【紫微斗数】未の刻生まれ「もう一つの根拠」 【紫微斗数】瀬戸内寂聴さん「その他の人生傾向」 【四柱推命】瀬戸内寂聴さん 日干【癸】の印綬格「良い命式」 【癸 未】月支印綬・日支偏財 【癸 未】生まれの女性の特徴 月支「印綬」・日支「偏財」 大運と歳運 「2021年」丑年 2021年は、歳運【辛 丑】偏印運・冠帯・羊刃 『自分を愛し胸を張って生きる
「夏の終(おわ)り」「美は乱調にあり」など、情熱的な愛と生をつづった小説や、法話などの活動で知られる作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去したことが11日分かった。99歳。 葬儀は近親者で行う。お別れの会は後日、東京で開く予定。 徳島市の神仏具商の次女に生まれ、東京女子大在学中に結婚。卒業後、夫の赴任先の北京に渡るが、夫の教え子と恋に落ち、3歳の娘を残して家を出た。離婚後、少女小説や童話で生計を立てる。 1957年「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」で新潮社同人雑誌賞を受賞。「花芯」が酷評されて失意の歳月を送るが、61年の伝記小説「田村俊子」で再起。「かの子撩乱」や「美は乱調にあり」など優れた評伝小説を相次いで発表し、63年、2人の男の間で揺れる女の性と心理を綴った「夏の終り」で女流文学賞を受賞して、作家としての地位を築い
女の性愛や孤独を正面からとらえた小説を発表する傍ら、51歳で出家して分かりやすい語り口で仏法を広めてきた、文化勲章受章の人気作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが、9日、心不全のため死去した。99歳。葬儀は近親者で営む。 徳島市生まれ。文学好きの母らの影響で、小学校時代から北原白秋や島崎藤村の詩を好んだ。東京女子大在学中に大学教師と結婚、中国・北京で長女を出産したが、敗戦で帰国。戦後、夫の教え子と恋愛沙汰になり出奔、京都で出版社などに勤務した。1950年、離婚。少女小説を書いて生計を立てながら、小説家になるために上京。丹羽文雄主宰の「文学者」同人となる。 55年、瀬戸内晴美の名義で初の小説「痛い靴」を発表。57年には「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」で第3回新潮社同人雑誌賞を受賞。同年、文芸誌「新潮」に発表した「花芯(かしん)」で新時代の女性の奔放な性を書く。だが、「子
作家の瀬戸内寂聴さんは90代後半ですが、今でもお元気に活躍されています。 50代で出家してからさらに仕事が充実したとか。 そんな活動的な瀬戸内さんの生き方に、50代の私も大変刺激を受けました。 今日は、『ゆうゆう2月号増刊』に掲載中の瀬戸内寂聴さんの記事から、50代の私が見習いたい3つのことをご紹介したいと思います。 瀬戸内寂聴さんに憧れる 作家の瀬戸内寂聴さんは1992年生まれ。現在、90歳代後半です。 瀬戸内さんは51歳で出家されて以来、新しいことに挑戦し続けてきました。 2006年には文化勲章も受賞。 それから数年は目の回るような忙しさだったとか。 90代になってもパワフルに活動される瀬戸内さんは、私にとって憧れのお一人。 私が瀬戸内寂聴さんに惹かれるのは、自分の気持ちを大事にしてそれを貫く強さがあるから。 出家前は恋に生きて家庭も捨てた瀬戸内さんですが、その正直さは尊敬に値すると思
「稀有な美貌の持ち主の目まぐるしい恋愛事件」 *当ブログではアフィリエイト広告を利用しています* こんばんは!erizaです。ご訪問いただき、ありがとうございます(^^♪ 今日はお休みだったので、お気に入りのスタバで読了を目指しました。 勉強するときは、自分の部屋でないと集中できない私ですが、読書に限っては少しざわ ざわしてるくらいのカフェなどが、なぜか集中できるんですよね~(^-^; ということで、見事読了しましたので、忘れないうちにちょっとだけ記しておこうと思 います! まず、巻末にある瀬戸内寂聴さんが書いた「源氏のしおり」が随分と分かりやすかったです。 人物相関図も掲載されていたのが良かった。紫式部の文体の特徴として、同一人 物を違う呼び方で何度も登場させるという癖?!があります。これが曲者。えーっと、 誰のことだっけ?と頭の中で変換しながら読まないといけない。それが巻末の人物相関
「切に生きる」という言葉が好きだった、瀬戸内寂聴師(1922年~2021年)。膨大な著作と幅広い活動はもちろん、一方では、こどもを亡くした女性の肩を抱いて、共に泣き続ける優しさを持ち、終生、反戦や人権活動に力を尽くしました。本展では、新たな著作や代表作、活動の記録、交友録を一堂に展覧。会場には「心に残る寂聴師のことば」を散りばめ、法話映像や秘蔵の資料とともに、師を偲ぶ貴重な機会といたします。 会期:2022年10月12日(水)→31日(月) 会場:京都高島屋7階グランドホール 入場時間:午前10時~午後6時30分(午後7時閉場) ※最終日は午後4時30分まで(午後5時閉場) 入場料〈税込〉 前売券:一般800円/大学・高校生600円 当日券:一般1,000円/大学・高校生800円 中学生以下無料 ※中学生以下、障がい者手帳・デジタル障がい者手帳をご提示いただいたご本人様ならびに同伴者1名様
都落ちした【光源氏】のドラマチック人生を描いた巻 *当ブログではアフィリエイト広告を利用しています* こんばんは!erizaです。ご訪問いただき、ありがとうございます(^^♪ ようやく巻3を読み終えました。 だんだんと読むスピードが落ちているのが、自分でも気になります。 大学の時もそうでした。 須磨、明石、澪標まではわりとスムーズに読み進むんですが、蓬生あたりからちょっと 私的には読む気持ちが下降線をたどってしまうのですよ~(^-^; 光源氏は華やかな都を離れ、須磨での謹慎生活を送ります。これは有名なエピソードで すからご存知の方も多いかと思います。 そこで出会う「明石の入道」が、個人的には好きなキャラクターなんです、実は! 無骨で洗練された人物ではないけれど、一人娘を大切に大切に慈しんでいる信心深い人 物。夢のお告げを信じて、その大切な一人娘(明石の君)を光源氏に差し上げたいと言 い出す
3月20日(金)全国公開の映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」 (C)2020映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会 (C)SHINCHOSHA 東大駒場キャンパス900番教室で行われた、作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会の様子を切り取ったドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」(3月20日[金]全国公開)の予告編映像が解禁された。 豊島圭介が監督を務める本作は、1969年5月13日に行われ、伝説となった「三島由紀夫VS東大全共闘」の記録を高精細映像にリストアし、当時の関係者、現代の文学者、ジャーナリストなどの識者ほか、三島についての「生きた」証言を集めた作品となっている。 今回解禁された映像で、唯一無二の天才・三島が、反逆のエリート・東大全共闘1000人を目の前にし、強い論調で語りかける。東大全共闘は、「言葉と言葉の殴り
11月9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが心不全のため亡くなりました。享年99。月刊「文藝春秋」には、瀬戸内さんによる数多くの寄稿や談話が掲載されています。その中から、92歳での圧迫骨折や胆のうがん闘病について明かした「92歳の大病で死生観が変わった」(「文藝春秋」2015年3月号)を再公開します。(全2回の1回目/後編に続く) ぎっくり腰と思ったら、圧迫骨折 昨年はこれまでの長い人生で最悪といってよいくらい、病気に悩まされ、精神的な苦しみがつづいた年でした。5月に92歳の誕生日を迎えたあと、脊椎を圧迫骨折して療養生活に入り、秋には胆のう癌が見つかって手術を受けました。 現在はおかげさまでリハビリも進み、体力はかなり回復してきました。ただ、この間に小説やエッセイの執筆、法話や講演などの活動は一切できませんでしたから、多くの方にご心配をおかけしました。私がどのような闘病生活を送ってきたか、そし
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。単行本「往復書簡 老親友のナイショ文」(朝日新聞出版、税込み1760円)が発売中。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供) 半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 【横尾忠則さんの写真はこちら】 * * * ■横尾忠則「駅伝に輪廻転生を想像してしまうのです」 セトウチさん セトウチさんが陸上部の選手だったことは知っていましたが、槍投げ選手だったとは
人生の転換期に最高の選択を キャリアリメイクブログいまより自信が溢れる生き方、未来があってもいいですよね? 3年後の自分の姿がイメージできなくなったら、簡単な方法で楽しく軌道修正。 就職氷河期世代の底力を信じています! 転職、田舎暮らし、健康生活。 キャリアリメイクで笑顔あふれる豊かな人生を手に入れよう。 子どもまつりのお手伝いをしてきました。 今年は完全予約制で、 1時間に10名程度のローテーションだったので、 混雑することなく安全に無事終了しました。 ぼくはヨーヨー釣りのお手伝いを。 子どもが喜ぶ姿は、本当にかわいいですねえ。 朝の設営中に、腰がちょっとピキッとなったけど、 軽い腰痛で済んだのでよかったです。😅 瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりました。 99歳だったそうで。 寂聴さんは、やっぱり特別な人でしたよね。 言葉に、説得力というよりも、 聞いた人が納得する力があったというか。
私のことを傷つけられるのは… 先生がテレビに出演するとき、「若い秘書」ということで、私もテレビに出演することがある。周りからは66歳年の離れた私が秘書をしていること、そしてそんな私がとても図々しく先生に物を申したりからかったり、またそれを先生が楽しんでいることがおもしろいようだ。 25歳のときからバラエティなどに先生のおまけとして出るようになり、世間からどう思われているのかが気になった私は、自分のことをインターネットで調べるエゴサーチをした。褒めてくれるコメントもありホクホクしていたら、「ああいう顔嫌い」「うざい」などのコメント見て私は固まってしまった。 こ、こわい……。すぐさまその画面を閉じ、恐怖で落ち込んでしまった。「もうテレビなんて出ない」と静かに決めた。妹に愚痴ると、「勝手なこと言う人のことは、ほっとけばいい」と、もっともな意見を言われたけど、私のもやもやが消えることはなかった。
FB 以前にアフィリエイトをしていたのにも関わらず 満を持して数年後・・・ 投資信託と共に副業と言うか 「あ、そう言えば昔アフィリエイトしてた・・・」 と言う事を思い出し、それを続けていれば 多少のお小遣い以上にはなってたはず!? なぜ止めた理由はアフィリエイト先の運営が終了したのを うろ覚えで尚且つ今以上に TwitterやYouTubeなどのコンテンツ不足だった頃 月々精一杯頑張っても3千円くらいは儲け?てたはず。 商品の紹介+固定文句(商品名+画像?あったかな?) 文章の文字数も300文字~500文字はあった様な・・・ プロフィールにも関わらずもう既に ブログの様な長文の紹介文であり 自由極まりない管理者だと思います。
「100年近く生きてきた最晩年に、このような悲惨なことが身の回りに起こるとは、夢にも思わなかった」 コロナ禍をこう語るのは、小説家で尼僧として知られる瀬戸内寂聴さん(98)だ。太平洋戦争がはじまった今からおよそ80年前、寂聴さんは小説家を志す大学生だった。 その後、北京の師範学校に務める男性と結婚、出産。ところが戦況の悪化をうけて夫は軍隊へ。寂聴さん自身は終戦は当地で迎え、子どもと一緒に日本に引き揚げてきたという経験を持つ。 翻って戦後75年の今年、奇しくも蔓延する新型コロナウイルス感染症。「目に見えない敵」への不安は恐怖を増殖し、感染者や医療従事者、感染拡大地域の人への心無い差別が投げつけられた。ウイルス禍は、人間の闇の部分を顕在化させた面もある。 激動の時代を生きた寂聴さんは、今を生きる世代に「思いやりを持っているということが、人間として一番大切なこと」と説く。 寂聴さんの秘書・瀬尾ま
亡くなった瀬戸内寂聴さんは、芸能人や著名人が騒動に巻き込まれて社会のバッシングを浴びた際に手を差し伸べてきた。「大麻事件」で逮捕されたショーケンこと俳優の萩原健一さん、「STAP細胞」の小保方晴子さん、角界を引退した元貴乃花親方…。渦中にいる人物を京都市右京区嵯峨野の「寂庵」に迎え、優しい言葉で包み込んだ。 萩原さんは1983年4月に大麻所持容疑で逮捕され、有罪判決を受けた。約1年間の活動停止を余儀なくされ、マスコミに追い回される中、寂庵を訪れた。「新幹線の中でもトイレに3時間も隠れて、やっとの思いで来た」。2008年に寂聴さんが責任編集を務めたムック本「the寂聴」第1号での対談で寂聴さんはそう振り返っている。 さすがの寂聴さんも色気漂うショーケンには難儀した。「うちにはお手伝いさんがいて、老いも若きも全部あなたにイカれてしまった。私に内緒でビールを出したり、いろいろしてたね。パンツまで
クビ宣言する瀬戸内寂聴が66歳年下秘書に送った手紙の秘密 瀬戸内寂聴VS.瀬尾まなほ 師弟対談(前編) [左]瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/作家、僧侶。1922年生まれ。東京女子大学卒業。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞受賞。73年、平泉・中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章 [右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼) 「寂庵」での対談は、度々にぎやかな笑いに包まれた(撮影・楠本 涼) 作家の瀬戸内寂聴さんを支える66歳年下の秘書、瀬尾まなほさんが『寂聴先生、ありがとう。』を6月に出版。8年間寄り添ってきた寂聴さんへの思い
『新装版 かの子撩乱』瀬戸内寂聴 講談社文庫 2020.8.29読了 先日井上荒野さんの『あちらにいる鬼』を読んで、瀬戸内寂聴さんの小説を読みたいと思っていた。本当は代表作『夏の終わり』を先に読もうとしていたのだが、本屋でパラパラ見ていたら講談社文庫から刊行されているいくつかの新装版が目に留まる。寂聴さんの小説といえば自らの恋愛を題材にした私小説のイメージだったが、本作品のような伝記小説もあるようだ。 honzaru.hatenablog.com 波乱万丈な岡本かの子さんの生涯。かの子さんは、日本を代表する芸術家・岡本太郎さんの母親である。大阪万博の「太陽の塔」で有名な岡本太郎さんの名前は知っていても、彼の両親のことを知る人は少ないだろう。私もほとんど知らなかった。芸術家を産み出した両親も、やはり同じく芸術に生きる人物であった。父親の岡本一平さんは漫画家、かの子さんは歌人であり小説家である
* * * 若い人があまり恋愛しなくなったと聞きます。不思議ですね。どうしてこんな楽しいことに一生無縁でいいのか、もったいないなと思います。特に今の若い女の子は、若い男の子を男と思っていないのではないかしら。だから好きになれないのかもしれません。 でもね、人間は生きていて、誰かを愛する経験をした方が、生きてきた感じが切実にわかるのです。ところが、最近の若い人は傷つくのが嫌だと言います。 青春は恋と革命です。それは失敗や死をも怖れない情熱の発露でしょう。 私が九十一歳の時、千葉県の幕張メッセで、一万五千人くらいの若者たちを前に、夜九時くらいから法話をしたことがあります。各ブースでロックコンサートやトークショーが行われる、東日本大震災のチャリティーを兼ねたオールナイトイベントでした。 会場のすごい熱気に私も興奮して、開口一番、「青春は恋と革命だ!」って叫びました。そうしたら「ウワーッ!!!
これまで瀬戸内寂聴の本は一冊も読んだことがない。訃報の折、平野啓一郎がネットに公開した寂聴との対談動画を見て、伊藤野枝の伝記小説である『美は乱調にあり』を読んでみた。1966年に文藝春秋の単行本として出た本が2017年に岩波現代文庫となって復刊されている。寂聴が94歳のときだ。その「はじめに」でこう語っている。「四百冊を超えているらしい自作の中で、ぜひ、今も読んでもらいたい本をひとつあげよと云われたら、迷いなく即座に、『美は乱調にあり』『階調は偽りなり』と答えるであろう」。寂聴文学の代表作だということだ。「この小説を書いて、『青春は恋と革命だ』という考えが私の内にしっかりと根を下ろした」という若者向けの遺言的メッセージも付されている。読後の率直な感想は、期待どおりの面白さだった。『美は乱調にあり』は、神近市子(当時28歳)が大杉栄への刃傷沙汰に及ぶ1916年(野枝21歳)の日陰茶屋事件で終
朝日新書11月新刊『寂聴 九十七歳の遺言』の出版を記念して、11月14日、著者・瀬戸内寂聴さんの自坊、京都・嵯峨野の「寂庵」で記者会見が行われた。この日は、寂聴さんが1973年、51歳のときに出家して、46回目の得度記念日。「これも仏さまのご縁でしょう。有り難いことです」と寂聴さん。紅葉が美しく色づいた寂庵に、テレビ、新聞、雑誌十数社の記者らが集まった。以下、主な内容を速報する。 * * * ――今回の新書『寂聴 九十七歳の遺言』、「遺言」という言葉がタイトルになっていて、ドキッとしました。 瀬戸内寂聴さん(以下略):「遺言」ってつけたら、売れるかなと思って(笑)。「遺言」という言葉が何か嫌で、本を500冊以上も出してきたけれど、小説にもつけたことがなかったけれど、今回、初めてつけたんです。ただ、97歳ですから、今夜死んでも、この会見が終わって母屋に歩いて戻るときに死んでもおかしくない。死
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供) 半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 【横尾忠則さんの写真はこちら】 * * * ■横尾忠則「猫的にいつもウトウト絵を描こう」 セトウチさん 去年に続いて、今年も猫特集が出ると「週刊朝日」の編集部から言って来ましたでしょう。昨年の猫に関する往復書簡のコピーが送ら
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