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  • 残し逝く幼子のために【近江の昔話】を描き残した夭折の画家【三橋節子】 - ものづくりとことだまの国

    最晩年 #近江の昔話 をモチーフに、残し逝く幼い二人の子どもたちのために幾枚かの名作を残した画家 #三橋節子 さん。彼女の行跡を展示する #三橋節子美術館(滋賀県大津市)来年の没後50年を記念したプレ回顧展が始まりました 目次 三橋節子美術館(滋賀県大津市) 画家・三橋節子さん 近江八景・三井の晩鐘 長等(ながら)の菩提樹 本文 三橋節子美術館(滋賀県大津市) (35.0074482, 135.8572347)/滋賀県大津市小関町1−1/京阪電車京津線・上栄町駅から徒歩15分(京都地下鉄東西線・三条駅から浜大津駅行で上栄町駅まで直通) 京都方面から上栄町駅を出て、坂道を上がったところに三橋節子美術館への案内板。 上栄町を下車、長等(ながら)の丘に坂を上がってゆくと美術館への案内板 長等(ながら)の丘沿いの一本道道を進むと美術館に着きます。 長等(ながら)の丘から大津市内。琵琶湖が見えます

      残し逝く幼子のために【近江の昔話】を描き残した夭折の画家【三橋節子】 - ものづくりとことだまの国
    • 永遠の花魁【TSF、タイムスリップ、R-18】 - 女装写真をイラストに

      彼の名前は田中一郎、高校生だった。 普通の学校生活を送っていた彼が、ある日、突然の事故に巻き込まれ、気がつくと見知らぬ場所に立っていた。 周囲を見渡すと、そこはどうやら江戸時代の遊郭らしき場所だった。 「ここはどこだ…?」 混乱する一郎の前に、美しい着物を着た女性たちが現れた。 しかし、彼女たちは一郎に驚いた表情を見せると、すぐに彼を部屋に連れ込んだ。 そこで一郎は鏡を見て、自分の姿が変わっていることに気づいた。 なんと、美しい花魁の姿になっていたのだ。 「これは一体…」 困惑する一郎に、周囲の女性たちは彼を「椿」と呼び、丁寧に扱った。 どうやら、この時代の花魁である「椿」として生活しなければならないらしい。 一郎は戸惑いながらも、新しい環境に適応するため、椿としての日々を送ることを決意した。 最初は難しかったものの、一郎は徐々に椿としての生活に慣れていった。 華やかな衣装や化粧、そして優

        永遠の花魁【TSF、タイムスリップ、R-18】 - 女装写真をイラストに
      • ときめき60代のファッション・セットアップコーデ - 貯め代のシンプルライフと暮らしのヒント

        ワンピースとパフスリープのブラウス 夜散歩でリサイクル店に寄り、カーキ色のワンピースとパフスリーブのブラウスが目に留まりました。 60歳の私が着るには若々しいデザインかなと思ったのですが、ファッションを楽しみたい。 コーデをお伝えします。 スポンサーリンク カーキ色のワンピース 着画 まとめ カーキ色のワンピース カーキ色のワンピとブラウス 私は骨格スタイルがストレート。 華奢なタイプではなく、体に厚みがあります。 身長が低めの153センチ弱 体重はBMIが23と少し太め www.tameyo.jp 物持ちが良くて、過去記事の紺襟のブラウスは27年前に買い、いまも時々、着ています。 買わない生活を続けているうちに、クローゼットの中身が色褪せてきました。 それで少し買い足して、ボロボロになった服はウエスにしています。 www.tameyo.jp 服も着物も、すっかりリユース品が多い。 リサイ

          ときめき60代のファッション・セットアップコーデ - 貯め代のシンプルライフと暮らしのヒント
        • 6月は桜桃忌・弘前市駅前ヒロロで笑う太宰フェス - つがる時空間

          太宰治の桜桃忌 6月に入りました。 太宰治の誕生日であり、ご遺体が引き上げられた記念日の桜桃忌が今年もやってきます。 太宰が学生時代を過ごした弘前市では、ヒロロでイベント「笑う太宰フェス」が開催されることをお伝えします。 スポンサーリンク 桜桃忌 笑う太宰フェス 太宰治ミュージアム まとめ 桜桃忌 太宰治と兄 文豪 太宰治は津軽地方の大地主の津島家に生まれました。 五所川原市金木に、今も斜陽館があります。 そして戦時中に疎開した『太宰治疎開の家』も見学可能。 blog.tugarujikukan.info 桜桃忌は6月19日。 太宰治疎開の家では、朗読会が毎年、開かれています。 そして、こぎん衣を着て踊る虫送り・金木さなぶり祭りは6月16日の予定でしょう。 blog.tugarujikukan.info 昨年出かけて、時代がかった野良着のこぎん着物に感動しました。 笑う太宰フェス 笑う太宰

            6月は桜桃忌・弘前市駅前ヒロロで笑う太宰フェス - つがる時空間
          • 遣新羅使人の歌(18)・・・巻第15-3665~3667 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

            訓読 >>> 3665 妹を(いも)思ひ寐(い)の寝(ね)らえぬに暁(あかとき)の朝霧(あさぎり)隠(ごも)り雁(かり)がねぞ鳴く 3666 夕(ゆふ)されば秋風寒し我妹子(わぎもこ)が解洗衣(ときあらひごろも)行きて早(はや)着む 3667 我(わ)が旅は久しくあらしこの我(あ)が着る妹(いも)が衣(ころも)の垢(あか)つく見れば 要旨 >>> 〈3665〉妻を思ってよく寝られないでいると、明け方の朝霧に包まれて雁が鳴いている。 〈3666〉夕方になると秋風が寒い。いとしい妻が私の着物を脱がせて洗ってくれたものだが、その着物を早く帰って着たいものだ。 〈3667〉我らの旅はもうずいぶん長くなったようだ。私が着ている妻の下着に垢が付いているのを見ると。 鑑賞 >>> 題詞に「海辺にして月を望みて作る歌九首」とあるうちの3首。ただし、これら9首に月の歌はなく、月見の宴は催したものの月は見られ

              遣新羅使人の歌(18)・・・巻第15-3665~3667 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
            • 【源氏物語692 第21帖 乙女47】「春鶯囀《しゅんおうてん》」が舞われている時、昔の桜花の宴の日のことを院の帝はお思い出しになって「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」と源氏へ仰せられた - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

              「春鶯囀《しゅんおうてん》」が舞われている時、 昔の桜花の宴の日のことを院の帝はお思い出しになって、 「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」 と源氏へ仰せられたが、 源氏はそのお言葉から青春時代の恋愛三昧《ざんまい》を 忍んで物哀れな気分になった。 源氏は院へ杯を参らせて歌った。 鶯《うぐひす》のさへづる春は昔にてむつれし花のかげぞ変はれる 院は、 九重を霞《かすみ》へだつる住処《すみか》にも春と告げくる鶯の声 とお答えになった。 太宰帥《だざいのそつ》の宮といわれた方は 兵部卿《ひょうぶきょう》になっておいでになるのであるが、 陛下へ杯を献じた。 いにしへを吹き伝へたる笛竹にさへづる鳥の音《ね》さへ変はらぬ この歌を奏上した宮の御様子がことにりっぱであった。 帝は杯をお取りになって、 鶯の昔を恋ひて囀《さへづ》るは木《こ》づたふ花の色やあせたる と仰せになるのが重々しく気高《けだ

                【源氏物語692 第21帖 乙女47】「春鶯囀《しゅんおうてん》」が舞われている時、昔の桜花の宴の日のことを院の帝はお思い出しになって「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」と源氏へ仰せられた - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
              • nix in desertis:2024年3-5月に行った美術館・博物館(有楽斎,北欧,吉原)

                サントリー美術館の織田有楽斎展。織田の血筋や波乱の人生のために派手なイメージがあるが,その実,古田織部や小堀遠州と比べるに堅実な茶人だったのだろうと思われた。あまり奇抜な茶器がなく,保守的で王道を行く茶人だったのだろう。その中では数少ない珍しい茶器にあたる狸形壺が目玉展示で,ちょうど狸がネットで話題になる幸運は有楽斎らしいのかもしれない。 そうした茶器の玄人好みを反映してか,茶器の展示はさほど多くなく,書状が主体であった。血筋と茶の湯の腕前のため,外交や人間関係の調整を任されがちで御茶湯御政道の真ん中にいた人という印象が強まる。『へうげもの』ファンなら顔が浮かんでくる面々とのやりとりである。茶器は青磁の銘「鎹」,大ぶりで青みがかった有楽井戸,欠けた茶碗に割れた染付をあてがった呼継茶碗が良かった。狸形壺と呼継茶碗は公式のTwitterアカウントが公開してくれているので以下に貼っておく。 \《

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