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矢沢永吉の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 【もうすぐなくなる日本の名建築】桂設計〈日比谷公園大音楽堂〉

    May 20, 2024 | Architecture | casabrutus.com | photo_Satoshi Nagare   text_Tatsuo Iso 閉館や解体を迎える、または検討されている国内の名建築を紹介する連載『もうすぐなくなる日本の名建築』。第3回目は桂建築設計事務所(現・桂設計)の手がけた〈日比谷公園大音楽堂〉を訪ねます。「野音」の愛称で親しまれ、音楽の聖地として長きにわたり愛される音楽堂の歴史をひもときながら、その建築の魅力に迫ります。 「野音(やおん)」の名前で親しまれている、日比谷公園内にある大音楽堂は、東京のど真ん中にあって、光と風を感じながら生の音楽を楽しめるユニークな施設だ。ここでは幾多の著名なミュージシャンが、歴史に残る名演を繰り広げてきた。日比谷公園が段階的な再整備を進めているなかで、この施設も建て替え工事に入ることが予定されている。音楽ファ

      【もうすぐなくなる日本の名建築】桂設計〈日比谷公園大音楽堂〉
    • 🙋‍♂️懐かしの英語の歌を読む(15)「哀愁のカサブランカ」原曲 - 武蔵野つれづれ草

      妻からのリクエスト第二弾。 「郷ひろみの『哀愁のカサブランカ』をぜひ原曲と絡めてやってほしい〜」 なかなか面白いかも、ということで調べてみたら、原曲は、 バーティ・ヒギンズ(Bertie Higgins)の「カサブランカ(Casablanca)」だった。もちろんメロディは一緒。さて、郷ひろみの歌とどう違うのだろう? 郷ひろみと言えば、1972年(昭和47年)のデビュー曲「男の子女の子」がまず頭に浮かぶ。 ♫ 君たち女の子、僕たち男の子 へイへイヘイ、へへイヘイ・・♫ と歌う郷ひろみ(当時17歳)は、女の子に大人気だった。私はその時15歳だったが、女の子みたいなのに、何でこんなに大騒ぎするんだよ〜、とひがんでいた(笑) しかし、その後独特の声を味方にして活躍を拡げていく彼を、私も妻も好きになった。 「マイレディ(1979)」「お嫁サンバ(1981)」「哀愁のカサブランカ(1982)」「2億4

        🙋‍♂️懐かしの英語の歌を読む(15)「哀愁のカサブランカ」原曲 - 武蔵野つれづれ草
      • 80年代はシティポップだけじゃない! 音楽評論家・田家秀樹&スージー鈴木が迷わず選ぶ「殿堂入りすべきアーティスト」 - エンタメ - ニュース

        週プレNEWS TOPニュースエンタメ80年代はシティポップだけじゃない! 音楽評論家・田家秀樹&スージー鈴木が迷わず選ぶ「殿堂入りすべきアーティスト」 お互いの著書を手に取る、田家秀樹氏(右)とスージー鈴木氏(左) 1980年代の日本の音楽といえばシティポップでしょ! そんなイメージが定着しつつある中、半世紀以上にわたり数多のアーティストを現場で取材してきた音楽評論家、田家秀樹(たけ・ひでき)氏が『80年代音楽ノート』(ホーム社)を出版。そして、80年代の音楽にまつわる著書を多数持つスージー鈴木氏との対談が実現! 時代を超えて、今こそ語り継がれるべきアーティストは誰なのか?(全2回の前編) ■「80年代=シティポップ全盛期」は歴史改ざん? ーーおふたりがお会いするのは初めてですか? スージー 今日が初対面です。 田家 実は僕がお会いしたいとお願いしたんです。これはもう本当に掛け値なしで、

          80年代はシティポップだけじゃない! 音楽評論家・田家秀樹&スージー鈴木が迷わず選ぶ「殿堂入りすべきアーティスト」 - エンタメ - ニュース
        • スカジャンに鯉口…木更津発、ヤンキーショップ「どこにもない物を」 | 毎日新聞

          創業時に使っていたという輸入ミシンの前に立つ笹川容子さん=千葉県木更津市で2024年5月13日午後4時20分、浅見茂晴撮影 千葉県の木更津と言えば、東京湾アクアラインにアウトレット、そしてヤンキー。ロックバンド「氣志團(きしだん)」やテレビドラマ「木更津キャッツアイ」の影響だろうか。そんなヤンキーのイメージをファッション面から発信してきたのが老舗メンズ衣料品店「あさひや木更津」だ。4代目店主の笹川容子さん(60)に、ヤンキー・ファッションの今を聞いた。【浅見茂晴】 ――このお店はどんな歴史を歩んできたのですか。 ◆創業は1906(明治39)年です。港を中心に栄えた木更津のまちの東はずれに店を構えたことが店名の由来。内房線が木更津まで開通する前のことで、足袋や作業服の製造・販売でスタートしました。当時使っていた輸入ミシンも残っています。戦後は輸入デニムなどを扱うようになりました。高校生が来る

            スカジャンに鯉口…木更津発、ヤンキーショップ「どこにもない物を」 | 毎日新聞
          • 日本にミッシェル・ポルナレフを紹介してくれた音楽プロデューサー高久光雄氏が死去 78歳 - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

            日本でもラジオからはミッシェル・ポルナレフがいつも流れていた コチラの記事です www.musicman.co.jp 高久光雄氏は、日本コロムビアやCBS・ソニーで洋楽・邦楽を股にかけた花形ディレクターとして活躍。ミシェル・ポルナレフや矢沢永吉、南佳孝など数々のアーティストをヒットに導いた。 こういう方たちがいらっしゃらなければ 昭和の日本で数々の素晴らしい洋楽を聴くことは出来なかった 感謝です 就職面接でミッシェル・ポルナレフ担当を希望とか 学生時代からフランス土産のポルナレフを聴いていたとか 本当にこの方なしには日本でのポルナレフ人気はなかっただろうなあと感じます コチラに載せたユーミンへの影響の記事でした www.aiaoko.com ご冥福をお祈りします ミッシェル・ポルナレフ ビートルズとロックが好きでラジオにかじりつく小学生でしたが 毎日聞こえてきたのがカーペンターズとミッシェ

              日本にミッシェル・ポルナレフを紹介してくれた音楽プロデューサー高久光雄氏が死去 78歳 - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」
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