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野村克也の検索結果41 - 80 件 / 157件

  • 失ってわかる幸福な時間 野村克也がスワローズを率いた9年間は最高だった | 文春オンライン

    ノムさんへの最後のインタビュー 野村克也氏に最後にインタビューをしたのは2018(平成30)年9月のことだった。それまでに、ノムさんには何度かお話を伺っていたが、そのたびに多くの発見と示唆を与えてくれる刺激的な時間を過ごすこととなった。最後のインタビューのテーマは「1992年、93年日本シリーズ」だった。この2年間の激闘を余すところなく描くべく、僕はヤクルトと西武の関係者に片っ端から会い、話を聞いていたのだ。 もちろん、この名勝負の立役者であるノムさんのインタビューは必須だった。満を持してオファーを出し、ついに実現したのがこの日だった。取材会場であるホテルニューオータニに登場したノムさんは車椅子姿だった。身体は弱っていたけれど、頭の速さと口は健在で、「そんな昔のこと、忘れちゃったよ(笑)」というボヤキからインタビューは始まった。 森祇晶監督率いる常勝西武ライオンズと、野村監督率いるヤクルト

      失ってわかる幸福な時間 野村克也がスワローズを率いた9年間は最高だった | 文春オンライン
    • 野村克也監督の座右の銘「人間が最低限、持っていなければならない3つの要素」の深すぎる含蓄 「節度を持て」「他人の痛みを知れ」「問題意識を持て」

      野村克也さんの言葉は強い。だから選手たちは夜のミーティングでも決して寝落ちしなかったという。どんな言葉を使っていたのか。野村監督の番記者だった加藤弘士さんの著書『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)より紹介する――。(1回目) 阪神の監督から社会人野球・シダックスのGM兼監督に 2003年1月8日、シダックスGM兼監督としての新生活がスタートした。 平日は世田谷区玉川田園調布の自宅を出て、新宿のヒルトン東京に宿泊することになった。自宅から練習場となる調布市内のグラウンドへ車で向かうには、渋滞が避けられず、到着時刻が読めないからだ。 新宿から調布なら距離は離れるが、高速道路で約30分。通勤時の混雑とは逆方向となり、楽に行ける。 マネジャーの梅沢とは、毎朝午前10時にヒルトンのロビーで待ち合わせることに決めた。上下ジャージ姿。赤いスタジャンを着て、梅沢の運転する黒塗りのセドリックの

        野村克也監督の座右の銘「人間が最低限、持っていなければならない3つの要素」の深すぎる含蓄 「節度を持て」「他人の痛みを知れ」「問題意識を持て」
      • 野村克也夫妻が愛した仙台の寿司屋 親方が語るあの頃といま | 文春オンライン

        「生涯一捕手」の額縁の持ち主は、仙台の野球ファンなら知る寿司屋 その寿司屋は『笹鮨』。広瀬川流れる岸辺の近く、伊達政宗が創建した大崎八幡宮が鎮座する八幡町。あの東北福祉大も目と鼻の先。大通りから一本はいった閑静な場所にある『笹鮨』は地元のプロ野球ファンには知られた寿司屋だ。 普通の寿司屋ならおすすめメニューが書かれるはずの店頭の黒板には、“親方の言いたい放題”なる放言が書かれている。過去シーズン中に、黒板に書かれた放言を一つ紹介しよう。 “楽天”が勝つと元気がでる♡ “横浜”が勝つと笑顔が出る。 “阪神”が勝っても元気がでる!! “巨人”が勝つとテンション下がる。 野球好きならビンビンきてしまう放言に、おそらく巨人ファン以外なら店内へ吸い込まれてしまうだろう。店内にはいると、イーグルスの選手たちを中心にプロ野球選手のサイン入りバットやボールがズラリ。 そんな『笹鮨』の親方である大橋幸一さん

          野村克也夫妻が愛した仙台の寿司屋 親方が語るあの頃といま | 文春オンライン
        • 野村克也氏「超二流なら天才や一流に勝てる」

          「超二流」という言葉は、私の尊敬する三原脩監督が作り出したものだ。 一流の選手になるためには、生まれ持った素質や才能が欠かせない。もちろん、プロ野球選手なら誰しも才能は持っているのだろう。だが、その中でも一流になれるだけの才能を持っている選手はそうはいない。 だが、確かに一流にはなれないけれど、「超二流」ならば努力次第で誰しもなることができるのだ。 そもそも、プロになれる時点でその選手には野球の才能がある、素質があると見込まれたということだ。その中でのわずかな差が超一流と一流、そして二流のままで終わるのかどうかを隔てる。 ただ、プロに入れるだけの素質があれば、野球に対する考え方、取り組み方次第で「超二流」にならば必ずなることができる。 「超二流」をあえて定義するならば、自らの強み・長所と弱点を理解して、強みを活かせるように頭を使う選手のことだろう。そういう選手がたくさんいるチームは、間違い

            野村克也氏「超二流なら天才や一流に勝てる」
          • 野村克也さんの「リーダーとして覚えておいてほしいこと」を読んで - 叡智の三猿

            首都圏はコロナ禍の緊急事態宣言の影響もあるのでしょうか!?静かにプロ野球は開幕した印象です。 昨年、佐々岡新監督が率いるカープは5位でした・・・。2年目の今年は、絶対優勝。悪くともAクラスが欲しいです!新ストッパーの栗林が好発進で期待!期待! わたしの地元球団、横浜DeNAベイスターズも、三浦大輔が新監督になったことで、注目しています。開幕カードは外国人選手の来日が遅れたことが影響しているのか、イマイチでしたが・・・。 さて、プロ野球界の大御所、野村克也さんの本「リーダーとして覚えておいてほしいこと(PHP研究所)」には、監督(指導者)は性格や手法により、5タイプに分かれると書いています。わかりやすいように名監督の名前を添えています。 「管理」して選手を動かす:広岡達朗 「納得」させて選手を動かす:野村克也 「情感」で選手を動かす:星野仙一 「報酬」で選手を動かす:鶴岡一人 「実績」で選手

              野村克也さんの「リーダーとして覚えておいてほしいこと」を読んで - 叡智の三猿
            • なぜ野村克也さんは生まれ育ち支えた南海を去ったのか 秘められた確執 | 毎日新聞

              ノムさんが亡くなった。昭和がさらに遠くなった。 ノムさんは野村克也さんの愛称だったが、もう一つの「ムース」がぴったりだと思う。ムースは世界で最も大きいシカ、北米に生息するヘラジカのことをいう。悠然とした動作、ぼやきはムースを思い起こさせた。 南海の監督時代、中モズ球場(堺市)での合同自主トレーニングのベンチでドラム缶にまきを継ぎ足し、背を丸めて火の番をする姿が印象に残っている。取材陣とよもやま話をしながらも、眼光は鋭くグラウンドの選手を追っていた。 故鶴岡一人監督にスカウトされテスト生として入団。めきめき頭角を現し、大黒柱として活躍、鶴岡監督に恩返しをした。ところが、何が原因か定かではないが、2人の間にすきま風が吹き、溝が深まっていった。

                なぜ野村克也さんは生まれ育ち支えた南海を去ったのか 秘められた確執 | 毎日新聞
              • 野村克也氏が気づいた「成長が止まる人・成長し続ける人」の違い(野村 克也) @moneygendai

                今年2月、惜しまれつつ亡くなった、プロ野球史に輝く名将・野村克也氏。『上達の技法』は、弱小球団を何度も勝利に導いてきた氏の「最後のメッセージ」が詰まった一冊だ。現役時代、人一倍「不器用」だったという野村氏。そんな氏が、なぜ球界を代表する選手になれたのか? 己の不器用さに悩む人に勇気を与える、金言をご紹介しよう。 人一倍「不器用」だった私 不器用な選手は、人と同じような練習をしていても上達しない。だから私は、他の選手が100回素振りをすれば、200~300回の素振りをした。キャッチングにしろ、配球の研究にしろ、とにかく私は「人の2~3倍の練習をする」ことを自分に課していた。 現役時代、私はカーブを打つのが苦手だった。ストレートを待っていて、カーブが来ようものなら体勢を崩して空振り。いつもそんな調子だったから、試合中はよく「カーブの打てない、ノ・ム・ラ!」と野次られたものだ。 器用な選手はスト

                  野村克也氏が気づいた「成長が止まる人・成長し続ける人」の違い(野村 克也) @moneygendai
                • 野村克也氏がプロ野球に革命を起こそうと言ったことが描かれている著書「野村の革命」 - 本が友達の大人の読書感想文

                  どうも、takaです。今回の記事は、野村克也氏の著書、「野村の革命」について書いていきます。 野村の革命 本の内容 この著書が発売された時期は、楽天の監督を退任した直後です。 楽天の監督時代、ヤクルトの監督時代、南海のプレイングマネージャー、選手時代、プロテストを受けた頃の様子、心境が描かれています。ちなみに、ノムさんは巨人ファンだったのですが、層の厚さで入団を諦め、選手層の薄い南海のテストを受けるなど、当時から戦略的思考で物事を考えています。 捕手の重要性 ノムさんは現役時代から「生涯一捕手」としてプロ野球の第一線を引っ張って来ました。なので、テレビ番組を観れば分かる通り、捕手には厳しく、捕手の重要性をいつも説いています。ノムさんの他の著書でも必ずと言っていいほどヤクルトの名捕手であった古田敦也氏のことが書いてあります。 今の時代では、捕手を併用して起用しているチームも少なくなく、試合途

                    野村克也氏がプロ野球に革命を起こそうと言ったことが描かれている著書「野村の革命」 - 本が友達の大人の読書感想文
                  • サンスポ『追悼野村克也』から学ぶ、野球を体系化させた名将、野村克也の勉強法

                    この記事では、2020年に急逝した野村克也さんのメモから、 野村さんがどのようなことをメモして、自分の成長に役立てていったかを考察したいと思います。 野村さんは、現役時代に日本シリーズの観戦記を執筆したことがキッカケになり、サンケイスポーツに記事をよく書かれていました。 サンケイスポーツには、そうやって書き溜められた遺産が、写真と共に大量ストックされています。 この追悼特集には、その中でも選りすぐりの記事が収録されており、隅から隅まで舐めるように読みました。 ノムさんの言葉が好きだった 私は大学生の頃、ノムさんの著作や評伝を貪るように読みました。 野球はホームランくらいしか知らない私でも彼の本には、未知の何か奥深いものが感じ取れたからです。 ノムさんの文章は丁寧に言葉を選び、几帳面に書く。そして何気ないところに物事の本質があるのだということを教えてくれました。 彼の文章は随所にためになる知

                      サンスポ『追悼野村克也』から学ぶ、野球を体系化させた名将、野村克也の勉強法
                    • 野村克也氏の気づき「成長する人は『問いかける力』を備えている」(野村 克也) @moneygendai

                      今年2月に逝去した、球史に残る名将・野村克也氏。『「問いかけ」からすべてはじまる』は、亡くなる6日前に収録されたインタビューを書籍化したものだ。この本で野村氏は、「伸びる人は『問いかける力』を持っている」と語る。なぜ、「問いかける力」が大切なのか? 弱小球団を次々と勝利に導いてきた名将の「最後のメッセージ」から、成長のヒントを受け取ってほしい。 プライドが成長を邪魔している 常に「なぜだろう」と、疑問をもっている人間は伸びていく。そのような人間の特徴は、日ごろからまわりの人間にそれとなく質問をしたり、読書などの調べ物をするといった行動に表れるものだ。 そして、何か知りたい情報があったときも、それを聞き出すことがうまい。高度な技術的なことはいくら聞いても、相手が言語化して答えられないということもあるが、それ以外の何かの情報やノウハウなどは、相手がポロッと話すことも考えられ、「質問する」という

                        野村克也氏の気づき「成長する人は『問いかける力』を備えている」(野村 克也) @moneygendai
                      • うちの社長に聞かせたい野村克也さんの名言 - 戯言、石をも穿つブログ

                        私の幸せ3本柱は「麻雀・野球・競馬」です。 (家族やブログは入ってないのかよ!) その野球界から訃報が飛び込んできましたね。 ノムさんが亡くなってしまいました。 headlines.yahoo.co.jp 奥さんをなくしてしまうと夫の方も後を追うようにという話はよく聞くので 妻の沙知代さんが亡くなってからは心配だったのですが…。 ノムさんと言えばボヤきや名言が有名でワイドショーなどでも取り上げていましたが 改めて聞くと、ホントどれもいい言葉ですね。 そして、聞いて真っ先に思ったのは「うちの社長に聞かせたい」ってことでした(笑) でもまぁ当然、直接言えるわけないので、ちょっとブログで憂さ晴らしでもしよーかなと思います。 部下を「信じる」というのは、リーダーの重要な資質。 うちの会社は、社員のことを全く信用していません(笑) うちの会社には明確な評価基準がないくせに管理だけは過剰なんです。 で

                          うちの社長に聞かせたい野村克也さんの名言 - 戯言、石をも穿つブログ
                        • 野村克也「お前、監督やれ。オレは楽天に行く」シダックスでノムさんの後任になった男が告白する“苦しみ”「眠れない夜が続きました」(加藤弘士)

                          2001年に阪神の指揮官を退いた後、野村克也にはほとんど触れられていない「空白の3年間」がある。社会人野球・シダックスでの日々だ。 当時の番記者が関係者の証言を集め、プロ野球復帰までに迫ったノンフィクション『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)が5刷とベストセラーになっている。 そしてシダックス時代の“教え子たち”はいまアマチュア球界の各所で、若き野球人にノムさんの教えを伝えている。『砂まみれの名将』の著者・加藤弘士氏が、昭和第一学園高・田中善則監督を取材した(全2回の2回目/前編へ)。

                            野村克也「お前、監督やれ。オレは楽天に行く」シダックスでノムさんの後任になった男が告白する“苦しみ”「眠れない夜が続きました」(加藤弘士)
                          • 【NHK】野村克也「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」|野球|アスリート×ことば

                            2020年2月11日に84歳で亡くなった野村克也。プロ野球の4球団で監督を務め、数多くの選手を育てる中で、たどり着いたことばがある。 「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」 明治から昭和初期にかけて活躍した政治家、後藤新平の名言を野村は大切にしていた。財産を築いたり、仕事で業績をあげたりすること以上に、人を育てることは難しく、それゆえ価値があるという。指導者として大切にしていたのは “選手の個性を見極めることの大切さ”だった。 「見つける、育てる、活かす、じゃないの。9つのポジションでいろいろな条件があるから、その条件に合うか合わないか見つけるのも監督の仕事」 “野村マジック”とも呼ばれた育成手腕。中でも周囲を驚かせたのが、阪神の監督時代、新庄剛志への指導だ。 打撃が低迷していた新庄にピッチャー挑戦を指示。肩の強さが売りだった新庄に、自分の素質と可能性に気付いてほしいと考えた

                              【NHK】野村克也「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」|野球|アスリート×ことば
                            • ヤクルト・高津監督「私の役目は野村野球を継承していくこと」弔辞全文/「野村克也をしのぶ会」

                              昨年2月11日に死去した元ヤクルト監督の故野村克也さん(享年84)をしのぶ「野村克也をしのぶ会」が11日、神宮球場で行われ、ヤクルト・高津臣吾監督(53)が弔辞を読んだ。今季の20年ぶりの日本一を報告するとともに、野球人生を変えたシンカー習得へのひと言や、笑えるエピソードも交えて振り返り、恩師を明るく見送った。 以下は高津監督の弔辞全文 ◇ 東京ヤクルトスワローズを代表して野村監督に謹んでお別れのあいさつを申し上げます。野村監督、まずは日本一の報告をさせていただきます。日本シリーズの指揮は苦しく、難しく、それでも楽しく、勝つ喜びは何事にも代えがたいものがありました。そして日本一になった今、野村監督は勝った後にどんなことを思っていたのだろうと考えたりもします。 今日、監督への思いを述べるにあたり、いろいろなことを振り返りました。1992年11月、その年の日本シリーズで西武ライオンズに敗れたわ

                                ヤクルト・高津監督「私の役目は野村野球を継承していくこと」弔辞全文/「野村克也をしのぶ会」
                              • 野村克也から甲斐拓也への手紙「君はいい名前をしているな」 ホークスの歴史つなぐ超一流の名脇役(小西斗真)

                                昭和のプロ野球といえば、経営母体は新聞社か鉄道会社が主流だった。ファンが読者や乗客と直結したからだ。関西では「私鉄5社」などと呼ばれるが、京阪を除く4社(阪神、阪急、南海、近鉄)は球団を経営していた。時代は流通へと移り、今はIT。すなわち南海からダイエー、ソフトバンクという「ホークス」の歴史そのものなのである。 もっとも、若いファンは「南海ホークス」も、大阪・ミナミの繁華街のど真ん中に、その本拠地である「大阪球場」があったことも知らないかもしれない。球団を売却したのが1988年。そして最後に日本シリーズに出場したのが1973年。今年はコロナ禍による特別な日程だったため、東京ドームが使用できずセ・リーグ主催の第1、2戦は京セラドーム大阪で開催された。つまり「ホークス」が大阪で日本シリーズを戦ったのは、47年ぶり。奇跡的な「里帰り」だった。 「ホークス」とともに大阪に帰る野村克也の19番を 野

                                  野村克也から甲斐拓也への手紙「君はいい名前をしているな」 ホークスの歴史つなぐ超一流の名脇役(小西斗真)
                                • 【ヤクルト】OB戦の「代打・野村克也」に神宮騒然…ヤクルト初打席は「申告敬遠」

                                  球団創設50周年を記念する、ヤクルト球団初のOB戦「スワローズドリームゲーム」が11日、神宮球場で行われ、野村克也監督(84)が指揮官を務める「GOLDEN 90’s」と若松勉監督(72)率いる「Swallows LEGENDS」の2チームに分かれ、雨天の中でプレイボールが宣告された。 満員の神宮が騒然としたのは4回裏の先頭だ。「バッター・野村」とのコールに、どよめきが起きた。足腰に衰えが見られるノムさんは、愛弟子である古田氏や川崎氏、真中氏に支えられ、バッターボックスへ。投手・松岡健一との勝負。初球は見逃しストライク。2球目は空振りストライクの後に「申告敬遠」がコールされると、ねぎらいの拍手が球場を包み込んだ。 なお、野村氏はヤクルトで選手経験がないため、「ヤクルト・野村克也」としては“初打席”となった。

                                    【ヤクルト】OB戦の「代打・野村克也」に神宮騒然…ヤクルト初打席は「申告敬遠」
                                  • 野村克也氏の野球人生を支えた名言から得られる偉人からの学び - 本が友達の大人の読書感想文

                                    どうも。takaです。今回の記事では、野村克也氏の著書、「知となる、世界の最強名言105」について書いていきます。 知となる、世界の最強名言105: 野村克也を支えた賢者の教え 本の内容 テスト生としてプロ野球界に入り、生涯一捕手として、45歳まで現役を続け、引退後はヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、評論家として現在もプロ野球界に携わっている野村克也氏が、本を読むことで触れた偉人の名言、恩師である草柳大蔵氏のアドバイスや若い頃監督に言われて嬉しかった言葉、他の選手が言って自分が感心した言葉等を、自分の経験と織り交ぜて書かれています。 言葉は選ばなければいけない どんなに良いことを言ったと自分が思ったとしても、相手が何も感じなければそれは良い言葉ではありません。仕事でも、失敗して上司に怒られたとしても、罵声を浴びたり、始末書を書け等を言われると、逆に反感を抱くことがあるんじゃないかと思います

                                      野村克也氏の野球人生を支えた名言から得られる偉人からの学び - 本が友達の大人の読書感想文
                                    • 野村克也さん極上エピソード集!!

                                      野球史に残る名選手、名監督だっただけにエピソードには事欠きませんが、 立派なエピソードだけでなく、こんな面白い人だったんだというエピソードを少年時代から、監督時代までをいくつか集めてみました。 最初なりたかったのは「歌手」 野村克也さんは、生まれて間もなく徴兵された父を戦病死で亡くされ、母親もガンになって死ぬか生きるかというほどでした。 従って家庭はビンボーのどん底! お母さんのフミさんは中卒で工場で働く道を勧めますが、お兄さんが夜学に通いながら島津製作所で働き、高校の学費を出してくれたそうです。 身に染みて「ビンボーは嫌だ!」 と野村少年は感じ、なんとか大金を掴みたいと最初考えたのがなんと「歌手」。 毎日浜辺で歌の練習をしたのですが、ご自身曰く「あまり上達しなかった」とのことで、この道は断念します。 後に『俺の花だよ月見草』というレコードを出したノムさん。やはり野球の方が上手かったんでし

                                        野村克也さん極上エピソード集!!
                                      • 「克則には申し訳ないことをした」死の直前、野村克也は先妻との息子と野村克則を引き合わせていた… | 文春オンライン

                                        野村克也氏の息子といえば、野村沙知代との間に産まれ、現在東北楽天ゴールデンイーグルスで二軍育成捕手コーチを務める野村克則氏を思い浮かべる方が多いだろう。しかし、野村克也氏には、先妻との間に儲けたもう一人の息子がいる。 死を予期した野村克也氏は、これまで顔を合わせていなかった二人の息子の縁を手繰り寄せた。その際の野村克則氏の心中はいったいどんなものだっただろう。ここでは、番記者としてヤクルト時代の野村克也監督を担当していた飯田絵美氏の著書『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』の一部を抜粋。父・野村克也の情の深さが垣間見えるエピソードを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆ 先妻との息子を克則に会わせて良かったのか…… 野村が亡くなった当日、遺族は弔問客への対応に追われていたが、夜になり、ひと段落したところで、克則がはにかむように、打ち明けた。 「僕ね、もう一人のお兄さんに会った

                                          「克則には申し訳ないことをした」死の直前、野村克也は先妻との息子と野村克則を引き合わせていた… | 文春オンライン
                                        • 「野村克也の言葉」は生きるヒントの宝庫。八重樫幸雄は懸命にメモした

                                          連載第9回(第8回はこちら>>) 【野村流「成功の条件」は全部で10個】 ――さぁ、八重樫さんお代わりのビールも来ました。ぜひ、現役時代の八重樫さんがメモをした「野村ノート」についての続きを聞かせてください! 八重樫 前回も話したけど、野村さんのミーティングでは最初の頃は全然野球の話をしないで、ひたすら人生論、人間論が続いたんだよね。たとえば、「人生における考え方」や、「成功の条件」についてとか。 ヤクルトの監督時代、チームを3度の日本一に導いた野村克也 photo by Kyodo News――前回は「考え方の大敵はしゃべりすぎ、食べすぎ」と伺いました。「成功の条件」とはどのようなものなのですか? 八重樫 (手元のルーズリーフをめくりながら)えーとね......、「成功の条件」は全部で10個。「(1)願望の持続、(2)信念(反復の中で信念が生まれる)、(3)良き理解者に恵まれる、(4)計

                                            「野村克也の言葉」は生きるヒントの宝庫。八重樫幸雄は懸命にメモした
                                          • 野球界で活躍した野村克也さん逝去。サッカーにも通ずるものを野村克也さんから学ぶ - 北の大地の南側から

                                            こんにちは! Nishi です。 2月11日に元プロ野球選手であり監督の野村克也さんが逝去されました。 ご冥福をお祈り申し上げます。 僕の中では、現役選手としての活躍よりかは監督時代の活躍と、監督を辞めた後の解説者やご意見番の時の活躍が印象深いです。 僕はサッカーに情熱を傾けていましたが、野村克也さんの選手を見る眼や指導理念などは多種競技ではありますが、勉強させてもらいました。 そして好感を抱いていました。 言い方は悪いかもしれませんが、野村さんの年代方々は、特に野球関連に携わっていた人達はそのプレイや技術に対して非科学的な事や、論拠や根拠に乏しい根性論を前面に押し出す人達が多い印象でした。 しかし野村さんは、その人達と一線を引くスタイルで、徹底したデータ取りや情報収集、そしてどうして負けるのか?など常に研究と鍛錬を欠かさないスタイルでした。 本人曰く、「弱者の兵法」です。 弱者は生き残る

                                              野球界で活躍した野村克也さん逝去。サッカーにも通ずるものを野村克也さんから学ぶ - 北の大地の南側から
                                            • 亡くなった野村克也さんが、最後まで嫌った「8人の男たち」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

                                              「こんな老兵に、聞くことなんてあるのか?」 野村克也氏(享年84)へのインタビューは、いつもこの言葉から始まった。 【写真】24歳のとき、女手ひとつで育ててくれた母親に新居をプレゼント 本誌が初めて野村氏に取材する機会に恵まれたのは、2013年9月のこと。以来、2019年10月までに、その回数は20回以上に及んだ。球界の将来を憂うがゆえに、批判は辛辣。取材中、話が脱線すると、“プロ野球をダメにした男たち” への悪態をつく。 ●原辰徳、高橋由伸 もっとも名前が挙がったのが、巨人・原辰徳監督だ。 「名将? まさか。彼はエリート然とした “お坊ちゃん”。あの成績は、(巨人の)財力と組織力のおかげ。原に、『監督論』を聞いてみたいね。 彼がNHKの評論家時代に、カル・リプケンをスタジオに迎えたことがあった。そこで、いきなり『シー・ユー・アゲイン(また会いましょう)』と言っちゃった。有働由美子アナに『

                                                亡くなった野村克也さんが、最後まで嫌った「8人の男たち」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
                                              • 野村克也さん死去 84歳 「ID野球」でヤクルトを3度の日本一に導いた名将 戦後初の三冠王 - スポニチ Sponichi Annex 野球

                                                野村克也さん死去 84歳 「ID野球」でヤクルトを3度の日本一に導いた名将 戦後初の三冠王

                                                  野村克也さん死去 84歳 「ID野球」でヤクルトを3度の日本一に導いた名将 戦後初の三冠王 - スポニチ Sponichi Annex 野球
                                                • 大御所、野村克也氏が斬る!!現在のプロ野球界の様子が書かれた本 - 本が友達の大人の読書感想文

                                                  どうも。takaです。今回の記事では、野村克也氏の「プロ野球 堕落論」(宝島社新書)について話していきたいと思います。 プロ野球 堕落論 (宝島社新書) 本の内容 高校卒業後から今まで野球界に携わってきた野村克也氏が、2019年のペナントレースの状況等も踏まえてそれぞれの球団、特に巨人のこういう所が良くない。その他にも、現在のプロ野球のシステムについて指摘していきます。 結果を出すには時間がかかる 球団が早急に結果を求める傾向が強くなったのか、現在の監督は、結果が出なければ1,2年で交代することも珍しくありません。なので、自分の立場が危うくなるので急いで結果を出そうとするのですが、まだまだ未熟な人達がいきなり大成するなんていうことはないので、時間をかけて育成するということが必要になってきます。過去にも強いチームは長期に渡って同じ人が監督を務めています。これは会社でまだまだ知識や経験が不足し

                                                    大御所、野村克也氏が斬る!!現在のプロ野球界の様子が書かれた本 - 本が友達の大人の読書感想文
                                                  • 野村克也さん 沙知代さんへ貫いた40年愛 解任されても騒動のたびに守った/デイリースポーツ online

                                                    野村克也さん 沙知代さんへ貫いた40年愛 解任されても騒動のたびに守った 拡大 プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也さんが11日、虚血性心不全のため、84歳で死去した。 日本プロ野球史に残る活躍を残した野村さん。その影にあり、2017年12月に死去した妻・沙知代さん(享年85)との愛は、野村さんの野球人生までも大きく左右した。 1人目の妻と婚姻関係を続けていた1972年ごろ、野村さんは沙知代さん(当時は伊東姓)と出会い、交際がスタートした。野村さんは南海に在籍中の69年、34歳の若さで現役選手と監督を兼任。沙知代さんは実質的な“監督夫人”として振る舞うようになった。 77年9月25日、シーズン2試合を残して野村さんは「女性問題、公私混同」を理由に監督を解任された。沙知代さんの“専横”が問題視された結果だった。オーナーらに囲まれ、「野球を取るのか、女を取るのか」と詰め寄

                                                      野村克也さん 沙知代さんへ貫いた40年愛 解任されても騒動のたびに守った/デイリースポーツ online
                                                    • 「自分は評価されてない」と悩む選手に、野村克也氏がかけた言葉(野村 克也) @moneygendai

                                                      今年2月に逝去した、球史に残る名将・野村克也氏。『「問いかけ」からすべてはじまる』は、亡くなる6日前に収録されたインタビューを書籍化したものだ。この本で野村氏は、処遇に不満を持つ選手に「君は自己評価のなかで生きているのか、それとも他者からの評価のなかで生きているのか?」と問いかけていたと振り返る。マネジメントに悩むビジネスパーソン必読の本書から、不満をつのらせる部下・後輩への対応法をご紹介しよう。 選手の心を動かしたこの一言 どのような組織であっても、何人か人が集まれば、自分の処遇に対して不満をもつものが必ず出てくる。これは、けっして避けられないことでもある。なぜなら、人は自己愛を前提に生きるものだからだ。 必然的に自分への評価は甘くなる。そのため、上司からの評価との間には、必ずギャップが生まれる。「俺はこんなにやっているのに、認めてくれない」、「俺は正当に評価されていない」と不満に思って

                                                        「自分は評価されてない」と悩む選手に、野村克也氏がかけた言葉(野村 克也) @moneygendai
                                                      • 野村克也氏の「短期決戦の勝ち方」を読んだ感想 - 本が友達の大人の読書感想文

                                                        短期決戦の勝ち方 (祥伝社新書) 本の内容 プロ野球界で南海の選手兼任監督として、ヤクルト、阪神、楽天の監督としてチームを率いて日本シリーズ等を戦ってきた野村克也氏が、その経験から、短期決戦の時にどういう準備、心構えをしている方が良いのかを、過去の日本シリーズの名シーンや、名将と呼ばれた監督の戦略等も踏まえて説明しています。 短期決戦の特徴 短期決戦では、一つのミスがその後の展開を多く左右することが普段よりも多くなったり、レギュラーシーズンでは調子が良かった選手が日本シリーズに入って不調になるなどといったこともあります。調子の良い選手と悪い選手の見極めがより重要になってきます。 しかし、基本的な考えはレギュラーシーズンと同じで、絶対的エースがいて、守りもしっかりしていれば大負けすることは少なく、ペナントレース全試合勝つ采配をする必要が無いように、日本シリーズでも4勝0敗で日本一を目指す必要

                                                          野村克也氏の「短期決戦の勝ち方」を読んだ感想 - 本が友達の大人の読書感想文
                                                        • 簡単に見極められる「人を伸ばすリーダー」「人を殺すリーダー」野村克也が語る決定的違い チームは将の器以上には伸びない

                                                          組織はリーダーの力量以上には伸びない 「組織はリーダーの力量以上には伸びない」──これは組織論の鉄則であり、私自身、何度も痛感してきたことである。リーダーの力量、器の大きさが、組織の盛衰、浮沈を決するといっても過言ではない。 逆にいえば、組織を成長させようと思えば、リーダー自身が成長しなければならないということになる。リーダーみずからが向上心を忘れず、力量や器を伸ばし、大きくする努力を続けなければ、組織の成長もそこで止まってしまうのだ。 とすれば、リーダーたるもの、部下に求める以上に自分自身を厳しく律し、常に進化・進歩しようとする姿勢を忘れてはならない。選手が監督をよく見ているように、フォロワーはリーダーをよく観察している。リーダーが自分を甘やかし、責任をフォロワーに押しつけたり、言い訳したりしても平気でいれば、誰もついていこうとは思わない。 わずか1年で準優勝した子どもたち そうしたこと

                                                            簡単に見極められる「人を伸ばすリーダー」「人を殺すリーダー」野村克也が語る決定的違い チームは将の器以上には伸びない
                                                          • 炎上の白井一行球審はキレやすいことで有名だった……野村克也監督は「お前らの誤審で、俺がクビになる!」と激高 | デイリー新潮

                                                            「週刊新潮」の発売前日に速報が届く! メールマガジン登録 デイリー新潮とは? 広告掲載について お問い合わせ 著作権・リンクについて ご購入について 免責事項 プライバシーポリシー データポリシー 運営:株式会社新潮社 Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。

                                                              炎上の白井一行球審はキレやすいことで有名だった……野村克也監督は「お前らの誤審で、俺がクビになる!」と激高 | デイリー新潮
                                                            • 「生涯一捕手」 ぼやきで愛された野村克也さん - 日本経済新聞

                                                              現役時代から引退後まで長く野球界に影響を与え、11日に84歳で死去した野村克也さんは、印象的な言葉の数々で多くのファンに愛された。著書も150冊以上に及び、全国各地の書店や図書館に急きょ設けられた追悼コーナーでは、早くも在庫切れが出ている。紀伊国屋書店新宿本店(東京・新宿)は11日昼ごろに追悼コーナーを設置した。8日に発売され、最後の著書となった「リーダーとして覚えておいてほしいこと」など、書

                                                                「生涯一捕手」 ぼやきで愛された野村克也さん - 日本経済新聞
                                                              • 古田敦也氏、恩師・野村克也氏を追悼「頭を使えば勝てると。弱小チームが強くなった」

                                                                「今でも野村さんの考えには影響を受けています。これを継承して次の世代に」 元ヤクルト監督の古田敦也氏(野球評論家)が11日、ヤクルト2軍キャンプ地の宮崎・西都で報道陣の取材に対応。ヤクルト時代に監督だった野村克也さんの死去を惜しんだ。 午前8時頃、伊丹空港でチェックインする際、野村氏の息子の克則氏からのLINEを見て悲報を知ったという。最後に恩師とじっくり話したのは、昨夏に神宮球場で行われたヤクルトOBによるドリームマッチの際だった。 「ID野球という言葉があるが、野球は頭を使えば勝てるんだ、ということを教えてくださった方。おかげで、弱小チームが1990年代に強くなった。もちろん今でも野村さんの考えには影響を受けていますし、正しいと思っている。これを継承して次の世代に伝えていくのが僕たちの仕事だと思う」と沈痛な表情で語った。 野村さんの「ID野球」の申し子として、リーグ優勝4回、日本一3回

                                                                  古田敦也氏、恩師・野村克也氏を追悼「頭を使えば勝てると。弱小チームが強くなった」
                                                                • 【追悼 野村克也】<ノムラの監督論>野村克也「世渡り上手の時代やな」(Number編集部)

                                                                  日本球界の偉人が、またひとり去っていきました……野村克也氏、享年84。 南海ホークス時代の1965年に戦後初の三冠王に輝くなど、球史に残る大打者、そして名捕手として活躍し、現役引退後は、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス、そして社会人野球のシダックスで、監督としてその辣腕を振るいました。この偉大なる野球人の逝去を悼み、Number Webでは2015年の独占インタビュー記事を特別に再配信いたします。 俺がよく言っている「組織はリーダーの力量以上には伸びない」という言葉があるけど、そのリーダーが今の時代は監督じゃなくてオーナーになっている。ソフトバンクが強豪になったのだって、MVPは監督の工藤じゃなくて孫正義オーナーだよ。金は出すけど口は出さないだなんて、監督としてこんなにやりやすい環境はない。 楽天を退任するときにオーナーに言ったんだけど、今はお金で勝利を買う

                                                                    【追悼 野村克也】<ノムラの監督論>野村克也「世渡り上手の時代やな」(Number編集部)
                                                                  • 「代打、野村克也」客席どよめく 古田さんが名采配:朝日新聞デジタル

                                                                    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                      「代打、野村克也」客席どよめく 古田さんが名采配:朝日新聞デジタル
                                                                    • 野村克也氏が選手に「聞く前に、まずやってみなさい」と説いたワケ(野村 克也) @moneygendai

                                                                      今年2月に逝去した、球史に残る名将・野村克也氏。『「問いかけ」からすべてはじまる』は、亡くなる6日前に収録されたインタビューを書籍化したものだ。監督時代、選手たちに「聞く前に、まずやってみなさい」とくり返し説いていた野村氏。人に質問する前に、自分でやるべき大切なことがあるのだ。ビジネスパーソンの心にもグサリと刺さる、名将の「最後のメッセージ」を特別にお届けしよう。 その質問は深いか、浅いか 疑問をもつものは成長するが、だからといって、ただ単に人に質問をすればいいというものでもない。その質問の「深さ」が問題だ。「深さ」とは何か。 それは、「問題意識の高まり」と言い換えてもいいだろう。だめな奴の質問は、問題意識が高まっていないため、浅いのだ。いくら疑問をもって、まわりに聞いても、一向に成長しない。 「あれを教えてください」、「このときどうすればいいですか」、「これを知りたいのですが」と、何もか

                                                                        野村克也氏が選手に「聞く前に、まずやってみなさい」と説いたワケ(野村 克也) @moneygendai
                                                                      • 抜井規泰 on Twitter: "楽天の監督に就任する直前、赤坂プリンス旧館で、野村克也さんを単独取材した。じっくりと、2時間ほど。 いろいろな話を聞いた。 野球のこと。弟子であり盟友である江夏豊さんとのこと。古田敦也氏のこと。当時、楽天移籍が取り沙汰されていた清原和博氏のこと。そして、サッチーのこと。"

                                                                        楽天の監督に就任する直前、赤坂プリンス旧館で、野村克也さんを単独取材した。じっくりと、2時間ほど。 いろいろな話を聞いた。 野球のこと。弟子であり盟友である江夏豊さんとのこと。古田敦也氏のこと。当時、楽天移籍が取り沙汰されていた清原和博氏のこと。そして、サッチーのこと。

                                                                          抜井規泰 on Twitter: "楽天の監督に就任する直前、赤坂プリンス旧館で、野村克也さんを単独取材した。じっくりと、2時間ほど。 いろいろな話を聞いた。 野球のこと。弟子であり盟友である江夏豊さんとのこと。古田敦也氏のこと。当時、楽天移籍が取り沙汰されていた清原和博氏のこと。そして、サッチーのこと。"
                                                                        • 野村克也さんが生前語っていた「阪神は星野監督で良かったんだ」の真意 | AERA dot. (アエラドット)

                                                                          1999年6月12日、サヨナラ安打を放った新庄剛志選手(右)と笑顔で握手をする阪神・野村克也監督(c)朝日新聞社 2012年2月、ブルペンで談笑する野村・楽天名誉監督(中央)と星野監督 (c)朝日新聞社 ぼやきの裏には、底知れぬプロ意識の高さがあった。 【写真】ブルペンで談笑する野村克也さんと星野仙一さんはこちら プロ野球歴代2位となる通算3017試合出場などの記録を残し、監督としてもヤクルト、阪神、楽天などを渡り歩いた野球解説者の野村克也さんが11日死去したことがわかった。84歳だった。 ノムさんの愛称で親しまれ、現役時代は南海、 ロッテ、西武などで捕手を務めた。引退後も独特の語り節で野球業界を評してきた。その裏には、監督として指導しきれなかった選手への後悔もあった。 2001年、当時監督を務めていた阪神が3年連続の最下位につき、同年12月に監督を辞任。後任の星野仙一監督が選手と結果を出

                                                                            野村克也さんが生前語っていた「阪神は星野監督で良かったんだ」の真意 | AERA dot. (アエラドット)
                                                                          • 名将・野村克也氏が説く「弱者が強者に勝つための8つのポイント」(野村 克也) @moneygendai

                                                                            今年2月、惜しまれつつ亡くなった、プロ野球史に輝く名将・野村克也氏。『上達の技法』は、弱小球団を何度も勝利に導いてきた氏の「最後のメッセージ」が詰まった一冊だ。「弱者でも、やり方しだいで強者に勝つことができる」と語り、実際にそれを証明してきた野村氏。私たちの仕事にも応用可能な、その秘策に迫った。 あなたの弱点は何ですか? 背も低く、体力もなく、技術もセンスもまったくなかった私が、どうしてプロ野球の世界で食っていけるようになったのか? それをひと言で表すとすれば、「弱点を補う」ことにまずは注力したからである。 体力不足を補うには、筋トレをしながら持久力なども同時に高めていく必要がある。 そのために私は走り込みによって足腰を鍛えつつ、当時は今のような筋力トレーニングマシンなどもなかったので砂を詰めた一升瓶で腕力を鍛えたり、ゴムボールを握って握力をつけたりした。その他の空いた時間は、とにかくバッ

                                                                              名将・野村克也氏が説く「弱者が強者に勝つための8つのポイント」(野村 克也) @moneygendai
                                                                            • 野村克也が「王貞治」に抱いたジェラシーの正体 「長嶋? あれはもう天才だ」

                                                                              プロ野球の名監督、野村克也。84年の人生を振り返ると「嫉妬にまみれていた」。幼少期の劣等感、そしてノムさんが嫉妬した男とは。 海水入り酒瓶で素振りユニフォームも買えず 「嫉妬」とはつまり「やきもち」のことだろう。最近ではやきもち妬く相手もいなくなったが、若い頃はずいぶんと妬いた。育ちからして他人を羨まざるをえない。思えば俺の人生、嫉妬にまみれていた。 俺が3歳の頃に親父が戦争で死んで、そこからずっと母子家庭。当時は学校で「父親がいない」ってのは、それだけでもう劣等感の塊だ。 母親が必死になって働いて、それでも生活はカツカツ。俺も小学3年生から新聞配達をして、夏はアイスキャンディー売り、冬は近所の子守なんぞをしたもんだ。子どもはさっさと寝かすに限る。そうしたらこちらは楽だからね。でも、その親からは怒られたねぇ。「昼間寝かすから、夜寝ないのよ!」って(笑)。学校ではいじめられてたよ。4つ年上が

                                                                                野村克也が「王貞治」に抱いたジェラシーの正体 「長嶋? あれはもう天才だ」
                                                                              • 工藤公康と伊東勤に与えた幻想。野村克也は西武ナインを不安にさせた

                                                                                黄金時代の西武ナインから見た野村克也 第3回 「敬意」 【工藤公康は、戦う前から疑心暗鬼になっていた】 野村克也の掲げる"ID(Import Data)野球"に石毛宏典や秋山幸二が反発したのに対して、現ソフトバンク監督・工藤公康、そして現中日ヘッドコーチ・伊東勤は、いずれも野村に対する称賛、敬意を示した。例えば「戦前のヤクルトの印象は?」という質問に対して、工藤はこんな言葉を残している。 「僕は"ID野球"というものがどういうものか知りませんでした。だから戦前は『僕らが気づいていない隙を突かれるのではないか』『特徴やクセを見抜かれているのではないか』といった不安がありました」 黄金時代の西武を支えたキャッチャーの伊東勤(左)と、投手の工藤公康(右) photo by Sankei Visual 戦前から、相手に「特徴やクセを見抜かれているのではないか」と警戒させる凄みが野村にはあった。さら

                                                                                  工藤公康と伊東勤に与えた幻想。野村克也は西武ナインを不安にさせた
                                                                                • 野村克也さん追悼…「組織はリーダーの力量以上に育たない」本紙に明かした「リーダー論」再録 - スポーツ報知

                                                                                  南海の強打の捕手として65年には戦後初の3冠王に輝き、南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野球評論家の野村克也氏が死去した。84歳だった。社会人野球のシダックス監督時代、スポーツ報知に明かした独自のリーダー論、組織論をあらためてお届けする。 監督が選手を一流にするには、「見つける」「育てる」「生かす」と3段階のステップが大事だと考えています。 「見つける」とは、選手個々の素質、才能を見抜いて、適材適所に置いていくこと。“見抜く”ためには選手を見る目、つまり眼力というものが大事になる。観察力ですね。 そうした逸材を「育てる」には時間がかかります。なぜなら「育てる」ことは、「自信を育てる」ことだからです。どういうふうにしたら、選手が自信を持てるのか。「それなら、僕にもやれそうだ」と思わせなくてはならない。自信とは、見通しのことでもある。だから監督は「こういうふうに進みなさい」と見通しを立て

                                                                                    野村克也さん追悼…「組織はリーダーの力量以上に育たない」本紙に明かした「リーダー論」再録 - スポーツ報知