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阪神・淡路大震災の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 能登の被災地への派遣職員から報告 「神戸の経験は役立たない」の真意|神戸市公式note

    能登半島地震の発生から半月が経過。全国の自治体から職員が駆け付けて、現地で支援活動をしています。 神戸市役所からは、きょうも128人の職員が活動中。 このような応援は数カ月にわたるので、約1週間ごとに職員を交代させながら続けるやり方がとられます。 そんななか、第1陣として派遣していた職員たちが神戸に戻ってきたので、きょう神戸市役所の14階の大会議室で報告会が行われました。 職員ら約150人が参加。久元喜造市長も参加して行われた報告会を緊急レポートします。 地上部隊が未踏の地でヘリで救助活動被災地から戻ってきた7名の職員たちが、自分たちが経験した生々しい現地の状況を説明しました。 最初に話をはじめたのは、1月3日にヘリコプターで現地に飛び、救助活動にあたった消防局航空機動隊の小國正英さん。 家屋が倒壊し、長時間下敷きになった患者の搬送や、孤立集落の急病人の救助を行ったとのこと。 特に、道路が

      能登の被災地への派遣職員から報告 「神戸の経験は役立たない」の真意|神戸市公式note
    • 1.17 再現/阪神・淡路大震災:朝日新聞デジタル

      1995年1月17日午前5時46分。 あのとき、もし私たちの手元にスマートフォンがあったなら、阪神・淡路大震災はどう伝えられただろう。 地震発生後に起きた事象を時間ごとに、当時の写真や動画で追いながら、あの日を再現する。 ※ページ内には当時の被害に関する映像・音声を使用しています。

        1.17 再現/阪神・淡路大震災:朝日新聞デジタル
      • 神戸の映像はまだか!阪神・淡路大震災 空白の時間帯に現場で起きていたこと|NHK取材ノート

        「ご覧いただいている映像は、地震が起きたときの神戸放送局の放送部の様子です」 画面全体が激しく揺れている。机も椅子も棚も波打つようにスライドしていく。 「大きな揺れが繰り返し襲っているようです。いろいろなものが棚から落ちたり机から落ちたりしています」 放送局の泊まり当番で仮眠中の記者に向かって本棚が倒れてくる。 記者が間一髪に飛び起きると、次の瞬間、周りが真っ暗になる。停電だ。 直後、記者は電話へと飛びついた。 1995年1月17日午前7時に放送された、朝の全国ニュース「おはよう日本」。 震度7を観測した阪神・淡路大震災の揺れのすさまじさが初めてテレビで全国に伝えられた瞬間だった。 地震発生からすでに1時間あまりが経っていた。あの日、いったい現場で何が起きていたのだろうか。 錯綜する情報 混乱する現場午前5時46分。阪神・淡路大震災が発生。 NHK大阪放送局がテレビとラジオで放送を開始した

          神戸の映像はまだか!阪神・淡路大震災 空白の時間帯に現場で起きていたこと|NHK取材ノート
        • 阪神・淡路大震災特集サイト

          6434人の命が失われ、全半壊した住宅は およそ25万棟にのぼりました。 それぞれに「あの日」の意味があり、 それぞれの思いがあります。 NHK神戸放送局では、あなたにとっての 「あの日」を伝え続けていきます。 平成7年(1995年)1月17日(火)午前5時46分、 淡路島北部を震源地とする地震が発生し、 国内で史上初めてとなる「震度7」の揺れを記録。 死者・行方不明者は6400人を超え、 全半壊など被害を受けた住宅は約63万棟にのぼりました。 この年の2月、 政府は「阪神・淡路大震災」という呼称を決めました。

            阪神・淡路大震災特集サイト
          • 神戸の地震を経験した当時小学生の記憶(阪神淡路大震災) - スキゾイドな「ウサキさん」の思考

            覚えてるけど忘れてしまう。子供の頃を思い出して書く(25年前) 生まれてから、今もずっと「神戸」に住んでいます。 阪神淡路大震災があった時は、まだ子供(小学生)でした。 家は「半壊」で中はぐちゃぐちゃ。 外は地面が割れていた。 余震が長く続いて、怖かった。 水を汲みに行ったのを覚えてます。 覚えてるけど忘れてしまう。子供の頃を思い出して書く(25年前) とにかく揺れた!!余震も続く… 家の中はぐちゃぐちゃ(半壊) 外は地面が割れていた 小学校は避難所になっていた 自分の家に戻ってからと学校再開 しあわせ運べるように(復活のシンボル曲) 自分が経験していても忘れてしまう とにかく揺れた!!余震も続く… 寝てる時に、いきなりドーンという衝撃!! 何が起こったのか、わからない… 縦揺れ、横揺れ、とにかく長い時間、揺れていた。 収まるまで、ジっとしてるしかなかった。 その後も、ずっと続く「余震」が

              神戸の地震を経験した当時小学生の記憶(阪神淡路大震災) - スキゾイドな「ウサキさん」の思考
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