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猫
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「え、壁がなくなってる・・・」 馬が急な坂を駆け上がる、三重の多度大社に伝わる伝統の「上げ馬神事」。 この神事がSNSで“炎上”していることを取材して記事にしたところ、「NHKは動物虐待を擁護するのか」といった批判が多く寄せられた。 「ここまできたら、やりきります」と上司に言ってさらに取材を進めた。が、馬が乗り越えるあの壁が、こんな展開になるとは。 ※記事の前半はこちら 記事はなぜ“炎上”したのかあらためて自分の書いた記事を読み直した。 思ったのは、今回は上げ馬神事についてSNSで広がっている情報のファクトチェックをすることが主な目的だったので、私は一つ一つの情報の真偽に焦点を絞って記事を書いた。 例えば「近年になって馬に壁(崖)をのぼらせるようになったという、SNSで拡散している情報は誤りだ」というように。 一方でSNSであがっている批判には「神事そのものが動物虐待で問題だ」という意見が
「入ったら15秒で死ぬビルがある」などといわれるのに「日本よりここがいい」と家族が話すヨハネスブルクで支局長が見た南ア社会の深い断絶 おととし(2022年)の末から南アフリカのヨハネスブルクに駐在している。去年からは妻とふたりの子どもたちも日本から合流した。 ネットで「ヨハネスブルク 治安」などと検索すると、「世界一治安が悪い」「最恐都市」「入ったら15秒で死ぬビルがある」などと物騒なタイトルの記事が表示される。確かに治安がよいとはとても言えないから正直、家族を呼ぶことはためらった。 それが今では妻も子どもも「日本に帰りたくない。ずっとヨハネスブルクがいい」などと話すほどになじんでいる。 そこに、ヨハネスブルクが抱える巨大な矛盾があるのだけど。 いつかはアフリカに先月(2月)11日、私は西アフリカのブルキナファソの首都・ワガドゥグに向かっていた。ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアがアフリ
ウォーターゲート事件の内幕を描いた映画「大統領の陰謀」(1976)の一場面に、ワシントン・ポストの記者と、「ディープ・スロート」と呼ばれる情報提供者との印象的なやりとりがあります。 互いの表情もはっきりしない薄暗い駐車場で、事件の核心に早くたどり着きたいと焦る記者に、ディープ・スロートは短くこう告げます。 “Follow the money.”(カネの流れを追え) 「大統領の陰謀」「カネ」が政治権力の重要な資源であり、その流れを追うことが政治的現象の理解に資することは、昔も今も変わりません。 現在、政治資金パーティを巡る不透明な「カネ」のやりとりが問題になっていますが、私が政治にまつわる「カネ」を調べるきっかけになったのは、島根県議会の「政務活動費」の取材でした。 県議会のベテラン議員が不正な工作によって140万円を受け取っていたことを明らかにし、報道の翌日に議員が辞職という事態になりまし
大学時代に書いた自分の卒業論文が、記者として初めての調査報道につながった。 森林の保全や活用に欠かせない、法律が定める自治体の「森林整備計画書」について大量の公開文書を調べたら、多くの自治体がどこかの文書を丸写ししていたことがわかったというもの。 日本の森林を守るための大事な行政の文書が「コピペ」…あらためて思った、 「日本の森林ってこのままでいいの?」 コロナ禍で見つけた卒論テーマNHK前橋放送局記者の田村華子です。 私がこの「森のネタ」を見つけたのは3年前、大学4年生のころでした。 学生生活で最後の新学期が始まったばかりの4月、新型コロナの「緊急事態宣言」が出て大学の授業も中止になり、困ったのが「卒業論文」です。 私の専攻は「森林環境資源科学科専修」といって、実際に森林に出て植物や動物の分布などを調べる「フィールドワーク」が主体でした。 北海道の実習先ででもフィールドワークはおろか外出
ジョブズよ、なぜ、語ってくれていなかったのか・・・ ジョブズは、2011年に亡くなっている。私が取材してきた「新版画」とのつながりについて、本人が直接話したり、書き残したりしたものは見つかっていなかった。 「ジョブズが直接、新版画に言及しているカギカッコがないことが最大の弱点でしたね」 これは、英語番組を一緒に制作した同僚の言葉だった。マッキントッシュの開発チームのメンバーやアップル社の幹部でさえ、誰も知らない。そう思わざるをえないほど、新版画とジョブズとのつながりは極めてプライベートで、ベールに包まれていた。 けれど、“状況証拠”はある。ならば、それを積み上げていくしかない。アメリカ取材に必ず行く。ビル・フェルナンデスさんがいるニューメキシコ州のアルバカーキがロケの最終目的地だ。50分の日本語番組は、きっとできる。 前年のリポートから番組まで一緒に仕事をしてきた荒木真登あらきまさとディレ
やりたいことがあっても、 壁にぶつかり、突き返されてしまう。 そんな悩みを抱えたことは、誰しも、一度や二度ではないと思う。 記者歴30年超の私もしかり。2015年から4年かけて調べていた、スティーブ・ジョブズと「新版画しんはんが」との結びつきについて、アメリカ取材を目指して番組提案をするも、採用されなかった。 しかも、次なる機会をうかがっているうちに、世界はコロナ禍に突入。齢よわい五十六。定年まであと3年半、もう残された時間は多くない。でも、あきらめてたまるもんですか。 前編はこちら アップル初期のメンバーも知らない2020年3月11日、WHO・世界保健機関は世界のコロナ感染症の流行を「パンデミック」と認定。ニュースもコロナ関連一色になりつつあった。アメリカ取材に行ける状況ではなかったが、何もしないわけにはいかなかった。 関係者の連絡先を見つけては、「ジョブズ」と「新版画」との結びつきを問
しかし、これは、 どう考えたって、変な組み合わせだ- 1984年1月24日。 スティーブ・ジョブズはステージの上にいた。 「これがあれば、なんでも思い通りに表現できる」 と、自信たっぷりに聴衆に訴えている。それは、アップル社が「マッキントッシュ」を世界にデビューさせた瞬間をうつした、過去の映像だった。 ただ、私の視線は、ジョブズではなく、マッキントッシュの画面に集中していた。そこに映っていたのは、1枚の絵。描かれていたのは、流れるような黒髪をくしでとかす妖艶な日本人女性だ。 「マッキントッシュ」に映し出された日本人女性の絵その絵は「新版画しんはんが」と呼ばれる日本の木版画だった。 ジョブズは、会社の命運を賭けた場に、なぜ、この絵を使ったのだろうか? このネタに私が出会ったのは、2015年のこと。以来8年間、ジョブズの知られざる素顔に迫ろうと、WEBの特集記事を書き続けた。日本語だけで7本。
ことし2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から1年がたったころ、私のスマホにメッセージが届いた。 「あなたのためにウクライナのアクセサリーとハーブティーを買ったの。届けるにはどうしたらいい?」 彼女はウクライナ人。去年3月、私が隣国のモルドバでの取材中に知り合って、同世代ということもあって今もときどき近況を報告してくれる。 彼女と初めて会ったとき、私たちはロシア語で話していた。でも今は互いに英語しか使わない。 ウクライナでの取材中に目にした貼り紙が忘れられない。 ロシア語は使いません。ロシア語は「血の匂い」がする言葉だから。 学生時代に多くの時間をかけて学び、あれほど好きだったロシア語を使うのが、私は今でも少し怖い。 不思議の国に近づきたくてロシア語が好きだったといっても別にロシア文学のファンじゃない。何しろドストエフスキーすら読んだことがない。「それでもロシア語の学習者?」と言われそ
「…で、その人は誰を亡くされたの?」 デスクは私を見ずに、企画の提案内容が書かれた紙にことばを落とした。 ひどいことばだと思うかもしれない。誤解が生まれないよう説明を加えると(説明したところで誤解しか生まないのだけど)そのデスクも、決して亡くなった人がいるかどうかで提案を見ているわけではない。ただ、、 報道カメラマンとして災害現場を見てきた私たち3人はあるときそろって、デスクが却下しそうな「地味な話」の提案を出した。自分より他人のことを優先して、被災地を支えてきた人たちの話。 災害現場にはいつも多くの「名も無きヒーロー」たちがいる。 そしてヒーローものにはいつも「続き」がある。 1人目のヒーローはひたすら自転車を修理し続けた 「お金はいいから、いいから」 そう言ってお客さんからの代金は受け取らずに膨大な数の自転車を無償で修理し続ける男性。 2011年3月19日、宮城県石巻市でNHKが撮影し
「美談にしないでね」 ことし1月、母校で開かれた同窓会で、同級生たちから言われた言葉だ。 12年前のあの日、ぼくの母校は津波に襲われ、地域で多くの人が亡くなった。 そして、ぼくと家族はすぐに県外へ移った。 「ぼくは被災者なのか」 「あの日のことを伝えていいのだろうか」 記者として、ひとりの人間として、ずっと考えながら生きてきた。 あの日ぼくらはこの学校にいた石巻市立門脇小学校。「門小」の名前で親しまれていた、ぼくの母校だ。市内でも歴史ある小学校として知られ、かつてはおよそ300人の児童が通っていた。 しかし、東日本大震災で津波に襲われ、その後、児童数の減少によって閉校に。津波の痕跡を大きく残す校舎は、保存と整備を経て、去年4月から震災遺構として一般公開されている。 焼けた教室の壁。骨組みだけになった机やいす。 真っ白だった校舎は黒く変色している。 でも、確かにあの日、ぼくらはこの学校にいた
「念のための避難です」 「直ちに影響はないということです」 政府や東京電力の説明をなぞる報道は「大本営発表」と呼ばれた。 あれから12年。あのときのことを人に聞かれると、自分の無力さをさらけ出す恥ずかしさや悔しさ、申し訳なさにさいなまれ、つい実際以上に美化して話してしまう。 私はあのとき、原発報道を担当する記者だった。 (科学文化部 ニュースデスク 大崎要一郎) 「被害の情報はない。原子炉は停止している」2011年3月11日午後2時46分。 私は東京・渋谷のNHK放送センターにいた。 激しい揺れを感じ、ニュースセンターへ向かって走り出す。 ニュースセンターの建物につながる渡り廊下が左右に蛇行して揺れている。今にも落下しそうだ。それでも誰かが渡ったのを見て、意を決して続く。 ニュースセンターは大騒ぎだった。 壁際や机の上にあるモニター類がガタガタ揺れるのを、皆で懸命に抑えていた。 私は携帯電
「すごいです。釜石が、釜石市の市内が、すごい土煙におおわれています」 カメラが捉えた、釜石を襲った東日本大震災の巨大津波。 撮影したのはトクさんこと徳田憲亮さん、NHK釜石支局の通信員だ。 私がトクさんのいる釜石に転勤してきたのは、震災から10年余り経った2021年11月。初任地の沖縄から縁もゆかりもない東北の岩手に来た、文字どおり右も左もわからない不安だらけの私を迎えてくれた。 取材先からも信頼され、私に多くの人を紹介してくれたトクさん。 でも、そのトクさんはもういない。 38分間トクさんは大分県出身。岩手大学工学部に進学したが、まじめな学生ではなかったようだ。在学中は演劇に熱中し、単位が足りず6年かけても卒業できなかった。 そしてその頃から、NHK盛岡局でカメラマン補助(ライトマン)として働くようになり、のちにスタッフカメラマンとなった。 転機は2010年秋。岩手県沿岸の釜石支局(当時
「ご覧いただいている映像は、地震が起きたときの神戸放送局の放送部の様子です」 画面全体が激しく揺れている。机も椅子も棚も波打つようにスライドしていく。 「大きな揺れが繰り返し襲っているようです。いろいろなものが棚から落ちたり机から落ちたりしています」 放送局の泊まり当番で仮眠中の記者に向かって本棚が倒れてくる。 記者が間一髪に飛び起きると、次の瞬間、周りが真っ暗になる。停電だ。 直後、記者は電話へと飛びついた。 1995年1月17日午前7時に放送された、朝の全国ニュース「おはよう日本」。 震度7を観測した阪神・淡路大震災の揺れのすさまじさが初めてテレビで全国に伝えられた瞬間だった。 地震発生からすでに1時間あまりが経っていた。あの日、いったい現場で何が起きていたのだろうか。 錯綜する情報 混乱する現場午前5時46分。阪神・淡路大震災が発生。 NHK大阪放送局がテレビとラジオで放送を開始した
NHKで災害担当デスクをつとめています、金森大輔です。生まれも育ちも伊豆大島です。 10歳のころに体験した、伊豆大島の噴火災害と全島避難の鮮烈な記憶について以前こんなnoteを書きまして、たくさんのお便りをいただきました。 私たち災害報道の担当者の目的は、 報道によって命を救うこと、被害を減らすこと です。 だから台風!豪雨!暴風!地震!噴火!大雪!などの大規模な災害が起きたとき、私たちは「いま何が起きているか」だけでなく、必ず「命を守るためにみなさんにどう行動してほしいか」を伝えます。 一方で私たち報道機関がテレビやラジオ、ネットなどを通じて「避難してください」と呼びかけても、どうしても届かないところがある、限界があるということも常に感じています。 ご家族や知人からも「すぐ逃げなきゃだめだよ!」と呼びかけてもらえたら、より確実に命を守ることにつなげられます。 そう考えると、実は気象災害に
番記者、それは特定の取材対象者に密着して取材を行う記者のこと。 スポーツ取材の分野では、プロ野球の球団ごと、サッカーのチームごと、それぞれ“番記者”がいる。政治の世界にも総理番、大臣番・・・、経済や社会の分野にも。 でも、独自の路線を歩む記者もいる。それがこの私。「プロレスラー番」だ。 もちろん、NHKは専属の「プロレスラー番」を置いていないし、あくまで自称。これまでの取材の中で、何かとプロレスラー議員に縁があったことが、そう名乗るようになったゆえんだ。 こんな運命をたどっているNHK記者は、たぶん私だけなんじゃないか。 なんで私がプロレスを・・・そもそも私は女子校出身で、毎日「ごきげんよう」と挨拶して育った。趣味は“推し”の韓国アイドルの動画鑑賞で、プロレスとは無縁の環境で生きてきた。「新日」と「全日」の違いもわからなかった。 最初の接点は、東京の政治部に配属された時、たまたまプロレスラ
「沖縄が日本に戻ったら雪が降る!」 これ実際に今から50年前、沖縄がまだアメリカ統治下だったころに広まったうわさ話です。 SNSのない時代に、 どうしてこんな突拍子もないうわさ話が広まったのか? いったい誰が広めたのか? ふだんの取材では”ライバルどうし”の「NHK」と「沖縄タイムス」が今回はタッグを組んで、うわさの真相を追いかけました。 どうしてタッグを?うわさの真相を追いかけることになった経緯を、はじめにちょっと説明させてください。 沖縄は戦後27年の間、アメリカの統治下に置かれていました。 ことし5月15日で、アメリカの統治下から日本に復帰して50年の節目を迎えます。 「日本復帰」は沖縄の歴史上、まさに大転換期といえるものでした。 当時を知らない人はなかなか想像しにくいかもしれませんが、復帰前の沖縄では、通貨はドルで、車は右側通行だったんです。 復帰後、銀行ではドルから円の切り替え作
「知りたがりモンスター」の脳をパカッと開けて見てみたい…!元ゼミ生のディレクターたちが語る立花隆の教え 「ゾウの糞ってどれくらいでかいの?」 立花さんのことばで一番覚えているのは、これ。 当時、大学の農学部生だった私は研究室の関係で、上野動物園でゾウの糞を洗うというバイトをしていた。 確か野生のゾウが植物の種をどれだけ遠くまで運ぶかを検証するべく、ゾウが木の実を食べた後、何時間後に糞に種が出てくるかを調べるという研究だったような・・・それでゾウの糞に入っている種を見つけ出すため、糞をひたすらシャワーで洗い出すというバイトだった。 それを立花ゼミのブログに書いたら次に会ったとき、立花さんから質問攻めに遭った。 「ゾウの糞ってどれくらいでかいの?」 「糞には何が入ってるの?」 「においはするの?」 他にもゾウの糞についてあれこれ聞かれた気がするけど、実は詳しく覚えてない。でも食いつき具合がすご
「匿名記者に取材してみようか」 私たち「NHK取材ノート」編集部の定例ミーティングで、ある日「匿名記者」のことが話題になった。 ツイッターのプロフィール欄に「記者」と書いてある匿名のアカウントがこのところ増えていて、仕事の「あるある」ネタやメディア業界の話題などを発信している。 でもどうして「匿名」なんだろう? この「取材ノート」はもともと、取材の内幕やノウハウ、仕事の悩みなどを伝えていこう、取材者の「顔と名前」を発信していこうと始まったものだけど、「匿名」で発信したいという事情もありそうだ。 だから今回は対象をちょっと広げて、編集部が「匿名記者」のみなさんに直接話を聞いてみようということになった。 「匿名記者」とは?「匿名記者」に明確な定義はないし、辞書にも載っていない。 今回はこう定義した。 「プロフィール欄などに『記者』と書いていて、本名や所属する会社名などは伏せているアカウント。主
「鼻血とまらんくなって。殴られすぎて鼻がおかしくなっとったけん」 「たんこぶも絶えんけん。洗えんのですよ、頭が痛すぎて」 虐待を受けたある少女の告白は、あまりに凄惨(せいさん)でした。 この少女がいったいどんな人生を送り、どうやって生き抜いてきたのか。 伝えるためにアナウンサーの私が選んだのは、テレビではなくラジオでした。 テレビでは10数秒に編集されてしまいそうなインタビューも、「声」を主役にできるラジオであれば、もっと少女の体験を伝えることができる。 そして8か月にわたる取材が始まりました。 きっかけは元暴走族の総長きっかけは、3年前の冬に聞いた「困難を抱えた子どもたち~立ち直りと自立に向けて~」という講演でした。 登壇した福岡県田川市の工藤良さんは、罪を犯した少年少女たちが自立に向けて集団生活を行う「更生保護施設」を運営していました。 目尻を下げた優しい笑顔が印象的な工藤さん、実は元
分析を身につけるには実際に「手を動かす」ことが一番の近道です。 分析ソフトと自治体のオープンデータを使った分析の進め方をとことん詳しく、マニュアル風にご説明します。やってみたいけど難しそう、わからない!という方の参考になればうれしいです。 (※あくまでもイメージをつかむためのものですので、詳しくはネットや参考書など他の情報もご覧ください) 今回のゴール地震による津波で浸水が想定されている区域に、子どもが通う施設がどのくらいあるのか。公開データから分析、可視化する。 以前、私が分析に携わったこの記事では、津波によって浸水が想定されている区域に、高齢者施設がどのくらいあるかを調べました。 このときのデータは、県や自治体などから取材で提供を受けたものがベースになっていました。そのままオープンにすることはできないので、今回は高齢者と同じく避難に手助けが必要な、「子どもの施設」に津波のリスクがあるか
東京の多摩川沿いの浸水リスクがある地域で、「なぜか人口が増えている」ことをデータ分析ソフトを使って明らかにして、その背景を探りました。 次にこんな記事も書きました。 南海トラフ巨大地震によって津波の浸水が想定されている区域で、高齢者の施設がすごく増えていることを示した記事です。 どちらの記事も、誰もが入手できる「オープンデータ」と、後述する「GIS」という分析システムを使って隠れた事実を浮き彫りにした、データジャーナリズムのお手本などと紹介されたこともあります。 そしてつい最近手がけたのがNHKスペシャル「〝津波浸水域〟の高齢者施設」。蓄積してきた分析のノウハウを注ぎ込んだ番組です。 「データ分析」というと専門的で、すごく難しく思う方もいるかもしれません。しかし最初に述べたように私は数年前までは、パソコンを満足に使えない、データ分析とは無縁の「ガラケー記者」だったのです。本当に。 そんな私
突然ですが、探検と冒険の違いって知っていますか? 似ているように見えて、実は違います。 漢字をよく見てください。「けん」の漢字が違いますよね。 冒険の「険」は「危険」の「険」。「危険を冒す」と書きます。 一方の探検の「検」は、検査や検証の「検」。「しらべる」という意味です。探検は、自然に挑んだり、記録に挑戦したり、達成感を味わったりすることが目的ではありません。 誰も行ったことがない場所や限られたスキルを持った人しかいけない場所に行って、そこを調査すること。それが探検です。 これは洞窟探検で人生が変わった1人のカメラマンの話です。 山に登らない“山岳班”カメラマン洞窟って聞いても、正直、あまりイメージが湧きませんよね。ああ、ゲームで魔物が出てくるところだよね。修学旅行で鍾乳洞に行ったことがあったなぁ。そのくらいの印象じゃないでしょうか。 私、門田真司は、NHKの報道カメラマンの中で唯一の洞
NHKと「コード・フォー・ジャパン」と共催で去年10月に「教育」×「シビックテック」×「ニュース」をテーマに「ハッカソン」を開催したので、そこで得たこと感じたことを共有します。 約50人に参加していただき、2日間にわたってネットで議論を交わし、手を動かして、8つのアイデアが形になりました。 ちなみにトップの画像は、作業の合間にみんなで体操をしているところです。いやーおもしろかった! なぜハッカソン開いた? NHKでテクニカルディレクター(TD)をしている斉藤一成です。 前回noteに、新型コロナの取材データをオープンデータでご提供した経緯を書かせていただきましたが、 コロナ以外にもNHKが取材を通じて集めたデータはたくさんあります。日々のニュース以外に過去の番組で集めたデータも含めると、それはもう膨大な量です。 ハッカソンを開いたのは、こうしたNHKが集めたデータが、 ・社会でカタチを変え
「これで言い渡しを終わります」 裁判長の事務的な判決が言い終わるやいなや、傍聴席から 「頑張れ!」「いつまでも応援するよ!」の大合唱。 ガラスのパネルで仕切られた向こう側の席にいた被告たちが 「民主を我らに!」「みんながんばろう!」などと言って拳を挙げ、刑務官に引っ張られ法廷をあとにしていく。 何度、こんな光景を見たことだろう。私はもう1年半以上、香港で裁判所通いを続けている。今やここだけが、市民の心の叫びを直接見聞きできる唯一と言っていい場所になっているから。 忘れないために書いておく私は2018年7月に香港に赴任した。2019年夏から本格化した大規模デモは年を越しても続いた。それを最初から現場で見続けてきた。 時に香港の未来を熱く語る若者たちに胸が熱くなったり、過激化するデモで混乱していく街の様子に心を痛めたりしてきた。 香港の抗議デモ(2019年)そして2020年、香港国家安全維持法
「一票の格差」「夫婦別姓」などの大事な問題に判断を下す最高裁判所。 その裁判官にふさわしいかどうかを「私たち」が審査するのが、国民審査。 大事な一票なのに、衆院選に比べていまいちどころか相当影が薄かった国民審査について、今回初めて特集するサイトを作ったNHK記者たちの思いとは。 (サイトはこちらです) 記者にも「秘密のベール」に包まれた最高裁判所社会部で最高裁判所の取材を担当している私、田中常隆。記者として11年目で、最初の水戸放送局では主に原発と行政の取材を担当して社会部に異動してからは、政治家の汚職事件などを捜査する東京地検特捜部を担当(業界では“P担”と呼ばれる)。2018年からは裁判を担当(こちらは“J担”)し、去年の夏から最高裁を担当している。 最高裁の裁判官ってどんな人たちなんだろう。担当になって初めて挨拶した裁判官たちの印象は、「物腰が柔らかく」「偉そうな印象はまるでない」、
「行かないとダメって言われて行く投票にどんな意味があるんだろう?」高校生たちと話しながら考える、#私たちの選挙 初めて選挙の投票に行ったのは2年前、大学4年生のとき。 「選挙には行かないとダメですよ」 いつも優しい先生にものすごい剣幕で言われたので行ってきた。 でも義務感だけで意味もわからず投票に行ったので、結局その後も政治は私から遠いまま。 そんな私が、今NHKのディレクターとして、次の衆議院選挙で若者の投票率を上げるキャンペーンの取材をしている。 先生にもう一度聞きたい。 「投票の意味ってなんですか?」 選挙報道が苦手です私はコロナ禍の去年、2020年4月にNHKに入った2年目のディレクターです。今は衆院選に向けて若い世代の投票率を上げる取り組みを取材しているんですが、選挙報道は正直、あまり好きじゃありません。 入局してから1年半、NHKや他のメディアの報道を見ていてもなんか感覚が合わ
記者に「プログラミングのスキル」って必要なの?ちなみにNHKニュースの画像生成も記者がコードを書いてます 新型コロナウイルスの新規感染者の数を示す日本地図に、毎日厳しい視線を送る男がいる。 コロナの感染拡大の今後が懸念されるが、地図がきちんと描画されているかも気になってしまう。 それはこの「新型コロナ感染者数マップ作画システム」をプログラミングしたのが彼だから。 ちなみに彼は技術部局のエンジニアではなく、いつもはテレビで解説している記者だったりする。 このシステム、記者が作りましたこんにちは、NHK解説委員の三輪誠司といいます。専門はITやサイバーセキュリティで、主に「シブ5時」や「くらし解説」などでニュースの解説を担当しています。 新型コロナウイルスの「感染者数マップ作画システム」は、1週間で作成しました。 言語はJava、地図はSVGで、ブラウザの画面をそのまま放送で使っています。SV
「東日本大震災を思い出してください!」津波警報のときに使われるこの呼びかけを初めて実践したのが、高瀬耕造アナウンサーだった。 それは震災から1年9か月後の2012年12月7日。三陸沖を震源とするマグニチュード7.3の地震で「津波警報」が発表された。 スタジオに駆け込んだ高瀬はキャスター席に座り、その横にベテランの武田がついた。手元のモニターには「東日本大震災を思い出してください」という呼びかけ文が表示されていた。 訓練では何度も読み上げてきたが、本番となるとためらいがあった。 (本当にこのとおり呼びかけていいのか。つらい記憶を呼び起こして傷つけたりしないか) 迷う高瀬の背中を押すように、隣の武田がその呼びかけを「読むんだ」というように指差した。武田の指も震えていたという。 (ためらいに飲み込まれちゃいけない) 高瀬は何度も強く呼びかけた。 「東日本大震災を思い出して下さい。命を守るために一
「東日本大震災を思い出してください!」 「命を守るため、一刻も早く逃げてください!」 「周りの人にも避難を呼びかけながら逃げてください!」 平日の午後、東京・渋谷のNHKのニューススタジオに、この日もアナウンサーの緊迫した声が響きました。 地震と津波が発生したことを想定した緊急報道訓練。大津波警報や津波警報などさまざまな想定で、頻繁に行われています。 この日もアナウンサーは、目の前のモニターに次々に表示される地震や津波のデータを読み上げながら、とるべき行動や注意点などを呼びかけていきます。 災害の危険が迫っているときに、NHKのアナウンサーがスタジオからみなさんに呼びかける、 「一刻も早く逃げてください!」 「川の近くには近づかないでください!」 といったことばのもとになるハンドブックがこちら。 「命を守る呼びかけ」という冊子です。 地震や津波、豪雨などさまざまな災害に対応した100以上の
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