フランスのエジプト学協会員と賓客の前で古代エジプトの巫女のミイラ開きを見守る初期エジプト学者ガストン・マスペロ(中央)。1891年ポール・ドミニク・フィリッポトー作。(BRIDGEMAN/ACI) 現代の研究者であれば、古代エジプトのミイラに最大の敬意と注意を払って接するだろうが、かつてそうではない時代があった。 ヨーロッパにおいてミイラは、研究対象というよりも、薬や顔料といった実用の商品だった。15世紀には、ひと儲けをもくろむ商人たちによって、エジプトからヨーロッパへミイラを運び出す「ミイラ取引」が盛んになった。 薬効を信じられていた 死後の世界のために体を保存するミイラ作りは、複雑な工程で長い時間を要する。時代の変化とともにその手順も進化したが、基本的な作り方は変わらなかった。内臓を取り除いた後、ナトロンと呼ばれる天然の鉱物を使って体を乾燥させる。没薬(もつやく)などの香料を加え、体に