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  • mold on Twitter: "「Colabo問題を追って行くと芋蔓式に…GHQに繋がる!」 WGIP陰謀論みたいになってるな。 https://t.co/1grEcQdtMK"

    • 新聞社で二番目にGHQ焚書点数の多い毎日新聞社の本~~『日本へ寄せる書』、『国際戦を呼ぶ爆弾 支那』

      戦前・戦中の毎日新聞社 GHQが最初に焚書処分にした10冊のことを以前このブログで書いたが、そのうちの九点が毎日新聞社が発行した書籍であった。 前回の記事で書いた通り、戦前戦中に新聞社が発行した本のうちもっともGHQ焚書点数が多いのは朝日新聞社であるが、次に多いのは、意外に思われる方が多いと思うのだが、毎日新聞社なのである。(東京では「東京日日新聞」、大阪では「大阪毎日新聞」という新聞名を用いて社名もその名前を用いていたが、昭和十八年に東西両社を統合し「毎日新聞」と新聞名を改めている。) Wikipediaによると、毎日新聞の発行部数は、2020年には日本経済新聞に追い抜かれ、中日新聞にも抜かれたとあり、長期にわたり業績低迷中で今は存在感の乏しい新聞社なのだが、戦前・戦中に於いては朝日新聞社に次ぐ大手であり、当時の世界情勢などを解説する本を数多く出版していた。 なぜ日英同盟が破棄されたのか

        新聞社で二番目にGHQ焚書点数の多い毎日新聞社の本~~『日本へ寄せる書』、『国際戦を呼ぶ爆弾 支那』
      • GHQが焚書処分した歴史記録~~永松浅造 『皇国海戦史 海ゆかば 』

        歴史書と言っても、時代や地域によって、あるいは政治、経済、戦争、外交、文化、思想、宗教など様々な切り口で叙述されているものがある。今は出版不況のために、このようなテーマの本は、将来にわたり滅多に出版されないような内容の本が少なくなく、実際に覗いてみると結構面白い本がある。 今回は永松浅造 著『皇国海戦史 海ゆかば 』の一節を紹介したい。種子島に鉄砲が伝来した以降のことが記されているのだが、戦後の一般的な叙述とはかなり異なった内容になっている。 …喜望峰を廻って東洋に出てきたポルトガル船のうち、メンデス・ピントを船長とする黒船は、偶然のことから西暦1543年の8月、憧れのジパングすなわち日本にたどり着いた。それは、彼がインドのゴアからマラッカを経て支那の寧波(ニンポー)に赴く途中、海上で暴風雨にあって種子島に到着した時のことである。それが縁になって、彼はその後鹿児島や平戸や豊後などに来航し、

          GHQが焚書処分した歴史記録~~永松浅造 『皇国海戦史 海ゆかば 』
        • GHQが最も嫌った野依秀市の著した政権・大手マスコミ批判の書

          昭和14年刊『支那事変の前途は悲観か楽観か』 前回このカテゴリーで、GHQ焚書点数の最も多い野依秀市の軍部批判の論文を紹介したが、今回は野依の著作の中から、政権批判や大手マスコミ批判の論文を紹介したい。 最初に紹介するのは『支那事変の前途は悲観か楽観か』(GHQ焚書:昭和十四年刊)という本で、野依が新聞で発表した支那事変(日中戦争)に関する論説集である。野依は昭和十四年三月七日に発表した「英米の機嫌をとるべきか、それとも叩くべきか」という文の中で、支那事変の前途をかなり悲観的に見ている。 我々から見るならば、何としても、何としても、国内改革を思い切ってやらなければ、この所謂支那事変は乗り切れるものではないと堅く信じているのである。しかも近衛内閣に於いても、平沼内閣に於いても、それをやらぬところを拝見すると、結局、支那事変を軽く観ているからにほかならぬと察するのほかない。我々は毎度申す通りに

            GHQが最も嫌った野依秀市の著した政権・大手マスコミ批判の書
          • 体育座りGHQ起源説について - 電脳塵芥

            ”「体育座り」は悪影響が多い? 生徒から廃止求める意見、改めた学校も”という記事を受けて体育座りは戦後にGHQが日本人弱体化計画で導入したという話、言うなれば「体育座りGHQ起源説」の様なものがツイッターで流れてきたので、これを信じる輩はそこまではいないものの、しかしどうやら下記の様にグーグルのトレントを見てみると2020年近辺から「GHQ 体育座り」での検索数が増えているのでこの話が生まれた流れなどをメモ代わりに置いておきます。 それと本題に入る前に一応書いておきますが、そもそも体育座りの起源は上記記事にある様に1965年の学習指導要領によって浸透したというのがおそらく定説であり、GHQは関係ないです。 島根大大学院教育学研究科の久保研二准教授(39)=体育科教育学=によると、1965年に文部省(当時)が、学習指導要領の解説書として発行した「集団行動指導の手引き」で、「腰をおろして休む姿

              体育座りGHQ起源説について - 電脳塵芥
            • Jun-ichi_Kawa on Twitter: "GHQは先進国並みに第三者委員会が管轄する制度を作ったのに、講話が成立した後に吉田内閣で早速ひっくり返して今に至る、です。これ、なにがみっともないかって、これではだめなのは実はみんなわかってて、JICAが外国に行くときには、放送行… https://t.co/5zptyq2Xh0"

              GHQは先進国並みに第三者委員会が管轄する制度を作ったのに、講話が成立した後に吉田内閣で早速ひっくり返して今に至る、です。これ、なにがみっともないかって、これではだめなのは実はみんなわかってて、JICAが外国に行くときには、放送行… https://t.co/5zptyq2Xh0

                Jun-ichi_Kawa on Twitter: "GHQは先進国並みに第三者委員会が管轄する制度を作ったのに、講話が成立した後に吉田内閣で早速ひっくり返して今に至る、です。これ、なにがみっともないかって、これではだめなのは実はみんなわかってて、JICAが外国に行くときには、放送行… https://t.co/5zptyq2Xh0"
              • GHQ焚書点数第1位の野依秀市が著した軍部批判の書

                野依の本は復刊もされておらず、Amazonではなぜか一冊も販売されていないのだが、日本の古本屋というサイトで二百冊近い彼の著作が販売されている。GHQ焚書は割高な本が多いのだが、野依の著作に関してはたまに手ごろな価格で買えることがある。 今回は最近入手した『軍部を衝く』という本から「五・一五事件の断罪に就いて」という標題の論文の一節を紹介したい。ちなみに、五・一五事件は昭和七年(1932年)に海軍の青年将校が『昭和維新』と称して、犬養首相らを襲撃した事件である。犬養の後任首相は鈴木喜三郎となる予定であったが、陸軍の少壮将校が反発して不穏な情勢となり、海軍穏健派の斎藤実が後継の首相に就任した。また、事件を起こした青年将校に対しては助命嘆願運動が巻き起こり、軽い判決で終わったのだが、野依はそうならないように結審の前にこう述べていた。(論文日付 昭和八年五月十日) ◇国法の尊厳のために憂う 五・

                  GHQ焚書点数第1位の野依秀市が著した軍部批判の書
                • GHQが徹底的に焚書にした歴史家・仲小路彰の「世界興廃大戦史シリーズ」など

                  戦前・戦中に「世界興廃大戦史」全百二十一巻という壮大な著述計画を立てた仲小路彰という歴史家がいる。全巻の内訳は日本戦史が全三十巻、西洋戦史が四十二巻、東洋戦史が三十二巻、世界戦史が四巻、総観篇が十巻、別冊が三巻となっている。 仲小路彰 このシリーズは昭和十三年から書き起こされ昭和十八年までに四十三巻を出版(日本戦史七巻、西洋戦史十七巻、東洋戦史十四巻、世界戦史四巻、総観篇一巻)したあとは、残念ながら仲小路はこのシリーズの著作活動を止めてしまった。本土空襲がはじまった昭和十九年以降、彼は山中湖畔に移り住み、そこで四十年間を過ごしている。 仲小路が残した膨大な書き物は一部は出版されたが、戦後になって大半はGHQによって没収され、焚書の憂き目に合っている。彼の著作の二十二点(日本戦史一点、西洋戦史三点、東洋戦史九点、世界戦史二点、その他単行本七点)が焚書処分を受けたのだが、焚書点数の著者別ランキ

                    GHQが徹底的に焚書にした歴史家・仲小路彰の「世界興廃大戦史シリーズ」など
                  • 「日本人の識字率は極めて高かった」という「神話」はなぜ生まれたのか…1948年、GHQが命じた「大規模調査」の結果を再検証(佐藤 喬) @gendai_biz

                    「日本人の識字率は極めて高かった」という「神話」はなぜ生まれたのか…1948年、GHQが命じた「大規模調査」の結果を再検証 連載第1回『「江戸時代の日本人の識字率は世界イチ」という説は「嘘」だった…!882人調査から読み解く、日本の「知性格差」』 日本語が読めない大学生たち 前回、日本人の大半は明治時代初期、つまりほんの数世代前までは読み書きができなかったことを資料によって確認した。読み書きの力や知的なものに触れる機会・能力はまったく平等ではなく、著しい格差があったのである。 しかし、それは明治時代の、しかも初頭の話ではある。戦後や現代ではどうだろうか? たしかに、近年は社会的な格差がよく話題になる。だが、そこで語られる「格差」の内容はほとんどが経済・金銭的なもので、文化的・知的な格差は見て見ぬふりをされている。 しかし、文化格差について研究を続けてきた社会学者が「日本社会は文化的には平等

                      「日本人の識字率は極めて高かった」という「神話」はなぜ生まれたのか…1948年、GHQが命じた「大規模調査」の結果を再検証(佐藤 喬) @gendai_biz
                    • GHQの秘密資金? 被害額31億円、M資金詐欺の手口:朝日新聞デジタル

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                        GHQの秘密資金? 被害額31億円、M資金詐欺の手口:朝日新聞デジタル
                      • ミャンマー(旧ビルマ)の歴史をGHQが封印した理由~~『ビルマ読本』

                        ミャンマーは、今年に入って国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問らを拘束したニュースが流れたが、この国はかつてビルマ国と呼ばれイギリスの植民地であった。 日中戦争で重慶の蒋介石政権を追い込むことができずにいた日本軍は、援蒋ルートであるビルマルートの攪乱のため、ビルマ独立闘争を支援し、太平洋戦争が開始されると昭和17年(1942年)にビルマに侵攻し、イギリス軍およびイギリス領インド軍と戦い5月に全土を制圧し、イギリスに捕えられていたバーモウを解放して首班に迎えて親日政府を樹立している。そもそもイギリスはこの国をどのように統治していたのであろうか。GHQ焚書の山田秀蔵 著『ビルマ読本』にはこう記されている。 インドに神輿を卸した英国は、まずその猿臂を伸ばして下ビルマを掴み、さらに機を見て爪牙を上ビルマに及ぼし、最後のビルマ王朝を薙ぎ倒して、インドの一州に掻き込み、完全に英帝国の版

                          ミャンマー(旧ビルマ)の歴史をGHQが封印した理由~~『ビルマ読本』
                        • 「まるでGHQだ」3・11のトモダチ作戦に隠れた攻防……その時米軍は「日本再占領」に動いた|文藝春秋digital

                          トモダチ作戦に隠れた熾烈な攻防戦──10年後に明かされた驚愕の真実!/文・麻生幾(作家) ▶︎アメリカ軍は震災発生の直後から救助や生活支援の作戦を展開していた。だが、それとはまったく別のところで、密やかな“日米の熾烈な攻防”があった ▶︎「BCAT横田調整所」のチームは、日本がアメリカに統治される可能性について真剣に危惧していた ▶︎第7艦隊の作戦拠点である神奈川県・横須賀まで、部隊行動に影響があるほどの汚染が広がった場合を「重大決断」のタイミングだとアメリカ軍は認定した原発事故の情報を隠している 2011年3月上旬。福島第1原子力発電所の事故が発生して数日後、在日アメリカ大使館の駐在武官から、一通の極秘公電がアメリカ・ワシントンにある国防総省宛てに「緊急扱い」で届けられた。 そこには政府機関の公文書にも関わらず感情的な言葉が幾つも並べられ、最後をこう結んでいた。 〈日本政府は、原発事故に

                            「まるでGHQだ」3・11のトモダチ作戦に隠れた攻防……その時米軍は「日本再占領」に動いた|文藝春秋digital
                          • GHQ焚書の全リストを掲載した本が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている

                            「国立国会図書館デジタルコレクション」を利用するようになって十一年になるのだが、先日偶然にGHQ焚書の全リストを掲載した本がネット公開されていることを発見した。 この本が編集発行された理由など 昭和24年(1949年)に文部省社会教育局が編纂した『連合国軍総司令部から没収を命ぜられた宣伝用刊行物総目録 : 五十音順』がその書籍だが、当時は「焚書」などと呼称されることはなく、GHQが名付けた「宣伝用刊行物」という言葉が使われていた。この本の前書きには、この本が編集発行された理由および、没収実務をどこが所管していたかが記されている。 「宣伝用刊行物の没収」とは、昭和二十一年三月十七日付け連合軍司令官の覚書によって指令されたもので、爾後、追加覚書は四十六回に及び七千七百余の戦前および戦時中の刊行物が没収を指令されている。 いま、この七千七百余種の刊行物を速やかに没収するための便を計って本書を編集

                              GHQ焚書の全リストを掲載した本が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている
                            • 日米を戦わせるように仕向けた国はどこなのか~~武藤貞一『日米十年戦争』(GHQ焚書)

                              これまで武藤貞一のGHQ焚書を3冊紹介してきたが、今回紹介する本は、第二次世界大戦でわが国がアメリカに宣戦布告した約半年前に出版された『日米十年戦争』(GHQ焚書)である。 奥付を確認すると、この本が出版された日は昭和十六年六月五日で、手元にある本は同年七月一日で十版とあり、わずか二十五日で十回も版を重ねている。当時のベストセラーであったと思われる本なのだが、今では武藤というジャーナリストの名前を知る人はほとんどいないのではないか。 彼の名前が知られていない理由は、このブログで何度か書いたとおり、戦前戦中の彼の著作の四割はGHQによって焚書処分され、戦後の出版物も含めて彼の作品すべてが国立国会図書館デジタルコレクションでネット公開されていない現状にあり、戦後の長きにわたり彼の著作は封印されてきたことが大きいのだと思う。 日米との国家総力戦はすでに始まっていた 本著の中で武藤は、日米戦争は単

                                日米を戦わせるように仕向けた国はどこなのか~~武藤貞一『日米十年戦争』(GHQ焚書)
                              • 陸自部隊がXで「大東亜戦争」と書いたと朝日新聞が反応:太平洋戦争という呼称とGHQ - 事実を整える

                                朝日新聞がなにやら言いたげです。 追記:投稿が削除され再投稿されています。 ランキング参加中社会 陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現 GHQの指令で禁止された「大東亜戦争」と流布された「太平洋戦争」 サンフランシスコ講和条約により「大東亜戦争」呼称廃止の覚書の失効 「大東亜戦争」の用語を使用してきた内閣・国会議員・自衛隊・民間人 日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式で使用された「大東亜戦争」 まとめ:言葉の選択は国家主権の問題・地理的範囲や他の世界史上の戦争との兼ね合いと文脈 陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現 #32連隊 の隊員が、大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に旗衛隊として参加しました。 慎んで祖国のために尊い命を捧げた 日米双方の英霊のご冥福をお祈りします。#32普通科連隊#大宮駐屯地#A

                                  陸自部隊がXで「大東亜戦争」と書いたと朝日新聞が反応:太平洋戦争という呼称とGHQ - 事実を整える
                                • 日露戦争後に日米関係がどう動いたか~~福永恭助著『挑むアメリカ』(GHQ焚書)を読む

                                  福永恭助は海軍少佐で退役した後、小説や軍事に関する評論などの著作を残しているが、戦前・戦中の作品34点のうち12点がGHQによって焚書処分されている。 また、国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化されていながらネット公開されていないのが21点、国立国会図書館に蔵書がないかデジタル化未済のものが7点もあり、ネット公開されているのは5点のみと少ない。 福永恭助の没年が昭和46年(1971年)で、著作権保護期間のためネット公開書籍が少ないことに文句は言えないのだが、「著作権法の一部を改正する法律」が今年の5月26日に国会で成立したことから、福永だけでなく多くの絶版書が令和4年1月1日より「一定の要件の下で」読むことができるようになることを期待したい。 福永の著書は、以前このブログのテーマ別で『軍艦物語』と『国の護り』の一節を紹介させて頂いたことがある。

                                    日露戦争後に日米関係がどう動いたか~~福永恭助著『挑むアメリカ』(GHQ焚書)を読む
                                  • わが国が宣伝戦・情報戦に弱いことを指摘した徳富蘇峰~~GHQ焚書『必勝国民読本』

                                    徳富蘇峰(猪一郎)は明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家で、全百巻の大著『近世日本国民史』を著したほか、多くの著書を残しており、そのうち15点がGHQに焚書処分され、戦後の日本人が読めないようにされてしまった。今回はその中から『必勝国民読本』という本の一部を紹介したい。本のタイトルからして、戦意を高揚させるための本ではないかと思う人が多いかもしれないが、決してそんな薄っぺらな内容の本ではない。 それ(神経戦)よりもさらに深く、広く、長く、かつ効果的であるのは思想戦である。彼らは…一世紀に近き間、日本がほとんど思想的にアングロ・サクソンの植民地となっていたことを熟知している。今日彼らと交戦しつつあるも、日本の思想界にはなおアングロ・サクソン崇拝の思想が残存する英米思想に火を点ずれば、たちまちこれが一般に燃え上がるものと彼らが妄信するも、彼らとしては無理ではない。

                                      わが国が宣伝戦・情報戦に弱いことを指摘した徳富蘇峰~~GHQ焚書『必勝国民読本』
                                    • イタリアはなぜ英米と戦ったのか~~GHQが焚書にしたイタリア関連書籍

                                      近衛内閣が日独伊三国同盟を締結したのは昭和十五年(1940年)九月のことなのだが、この時すでに第二次世界大戦は始まっていて、ドイツは1939年9月、イタリアは1940年6月に参戦していたのである。当時イタリアはヨーロッパで孤立化しており、それに対抗すべく1940年5月には独伊軍事同盟条約に調印していた。ムッソリーニはこの時点ではすぐに第二次大戦が勃発するとは考えていなかったが、開戦後優勢であったドイツを見て枢軸側での参戦に傾いていったという。 イタリアが参戦に踏み切った事情を、地政学の観点から論じた本がGHQによって焚書処分されている。景山哲夫 著『地政学上より見たる伊太利問題と地中海』によると、イタリアの人口はフランスと同水準であるにもかかわらず農業地はフランスの半分しかなく、主要な原料が自給できず輸入に頼らざるを得ないところもわが国によく似ていた。イタリアの主要原料の平時自給率の数字を

                                        イタリアはなぜ英米と戦ったのか~~GHQが焚書にしたイタリア関連書籍
                                      • GHQが焚書処分した「昭和」をタイトルに含む本~~赤松祐之『昭和十三年の国際情勢』

                                        一昔前の書店には、毎年年末から年始にかけて、最新データで時事問題を解説したり、最新統計を反映した年鑑などの「昭和〇△年版」が平積みされていた記憶があるのだが、戦前戦中にも同様な書物が多数発行されていたようである。 GHQが没収を求めたのは一般に流通していた書物だけであり、個人が保有していた書物や図書館の書物は対象外とされていた。GHQによる没収が開始されたのは昭和二十一年からだが、毎年書き換えられるような解説本の類は一年もすれば市場価値を失うので、数年以上も昔に出版された「昭和〇△年版」が本屋や出版社に残っていることは考えにくいところである。にもかかわらず、GHQが相当古い本まで没収指定をかけたのは、戦勝国にとって都合の悪いことが多数記述されているということではないだろうか。 そう考えて、赤松祐之著『昭和十三年の国際情勢』の目次を見ると、以前調べたことのある『黄河決壊事件』について詳しく書

                                          GHQが焚書処分した「昭和」をタイトルに含む本~~赤松祐之『昭和十三年の国際情勢』
                                        • A級戦犯の大川周明はペリーの来航をどう書いているのか~GHQ焚書『英米東亞侵略史』

                                          昭和二十年(1945年)八月十四日にわが国は「ポツダム宣言」の受諾を連合各国に通告し、翌日の玉音放送により日本の降伏が国民に公表されたのだが、「ポツダム宣言」の第六条および第十条にはこう記されていた。 六 われらは、無責任な軍国主義が世界よ... これらの著作には、戦勝国にとってはよほど都合の悪いことが数多く書かれているのであろうが、実際に読んでみると、戦後わが国でほとんど論じられてこなかった情報が満載で、多くの人に読んで欲しい本が少なからずある。 今回紹介するのは大川周明の『英米東亞侵略史』だが、最初にペリー来航について記されている。 そもそも欧米列強の圧力が、頓(とみ)にわが国に加わって来たのは、およそ百五十年以前からの事であります。ちょうどこの頃から、世界は白人の世界であるという自負心が昂(たか)まり、欧米以外の世界の事物は、要するに白人の利益のために造られているという思想を抱き、い

                                            A級戦犯の大川周明はペリーの来航をどう書いているのか~GHQ焚書『英米東亞侵略史』
                                          • 北方領土に関する書籍の多くがGHQによって焚書にされている~~『北進日本人』『守れ!権益 北方の生命線』

                                            千島や樺太に関する書物を「国立国会図書館デジタルコレクション」で探していると、思った以上に多くの点数がヒットする。いくつかの本を拾って実際に読んでみると、戦後になってからはあまり語られてこなかったロシアの脅威が記されている本が少なからずあり、その多くがGHQによって焚書にされていることが判る。 貴司山治 著『北進日本人』(GHQ焚書)という本は、昭和十七年に児童向けに書かれたものだが、ここにはこう記されている。 徳川氏が政治を司っている三百年の間、日本は固く国を閉ざしてほとんど外国と交通をしなかった。日本歴史の上ではこの時代を鎖国時代と呼んでいる。徳川氏は日本の国民が国内に閉じこもって暮らしていくことが自分の司る封建制度(大名が国を分けて治めるやり方)をいつまでも保つ上に一番都合がいいと考えたのである。たしかに鎖国によって徳川氏は三百年間続いたし、その間、日本もたしかに平和であった。 しか

                                              北方領土に関する書籍の多くがGHQによって焚書にされている~~『北進日本人』『守れ!権益 北方の生命線』
                                            • オランダの三百年にわたる植民地統治手法~~GHQに焚書処分された『蘭印現状読本』『蘭印の設営』

                                              オランダは、 江戸時代初期から幕末に至るまで、西洋諸国では唯一わが国が外交貿易関係を維持し続けた国だが、第二次大戦では オランダ領東インド政庁が独断で宣戦布告し、わが国と戦った国でもある。 戦前は現在のインドネシアやボルネオ、西ニューギニアがオランダの植民地であり、当時は「蘭印」と称していたのだが、このオランダの植民地統治方法は他国から注目されていた。簡単に、オランダがこの地を植民地とした歴史を振り返っておこう。GHQ焚書の『蘭印現状読本』に分かりやすくその歴史が記されている。原文は旧字旧かなで国名も漢字だが、新字新かな、カタカナの国名で読み替えて引用する。 オランダ人の蘭印進出はまずジャワより始まっている。四隻の小帆船を仕立て、オランダ本国から喜望峰を経てはるばるインド洋を越え、嵐を潜り、大波を乗り切って苦心惨憺の末、コルネリス・ハウトマンの一行が、ジャワ島の西端バンタムに入港したのは、

                                                オランダの三百年にわたる植民地統治手法~~GHQに焚書処分された『蘭印現状読本』『蘭印の設営』
                                              • GHQに焚書処分された「国体」関連書籍~~文部省 編纂 『國體の本義』

                                                「国体」という言葉を聞いて、現在では「国民体育大会」を連想してしまうところだが、近世以降この言葉は、くにがら、国のあり方、国家の根本体制という意味で用いられてきた。 Wikipediaによると、このような意味で「国体」が用いられるようになったのは近世以降で、嘉永六年のペリー来航以降、「国体という語は内治外交上重要なものとして用いられ、詔勅・宣命・その他公文書にも多く見られるように」なり、幕末期の使用例として、いくつか紹介されている。 たとえば黒船来航の年の7月、前水戸藩主徳川斉昭が幕府に建言した意見十箇条には、夷賊を退治しないばかりか万が一にもその要求を聞き入れるようでは「御国体に相済み申しまじく」(国体にあいすみません)と記し、同月伊達慶邦が幕府に提出した書に「本朝は万国に卓絶、神代の昔より皇統連綿」、「和漢古今、稀なる御治盛の御国体に御座候」とある。同年8月、孝明天皇が石清水放生会で攘

                                                  GHQに焚書処分された「国体」関連書籍~~文部省 編纂 『國體の本義』
                                                • GHQが焚書にしたタイ国や山田長政について書いた書籍~~『タイ国通史』『泰国風物詩』

                                                  GHQが焚書にした本の中には、タイ国関連の書籍がいくつかある。タイ国はかつて「シャム(暹羅)」という国名が定着していたが、1939年にピブーン首相が国名をタイに変更し、1945年にセー二―内閣が再びシャムに戻したが、1949年に政権に返り咲いたピブーンが再びタイに戻したという経緯にある。 「シャム」の首都アユタヤに、天正の末頃から文禄、慶長にかけて多くの日本人が住み着いて日本人町が形成されたことが知られているが、この当時のことがGHQ焚書の『タイ国通史』という本に、次のように解説されている。 ウッド氏の「暹羅史」によれば、エカトート・サロット王(1605~1610年)の治世に多数の日本人が大国に定住し国王に厚遇されて、その近衛兵となったと述べているが、それ以前の日タイ交通に関しては何等言及していない。 さらに同史によれば、エカトート・サロット王の治世はわずか五年に過ぎなかったが、その晩年、

                                                    GHQが焚書にしたタイ国や山田長政について書いた書籍~~『タイ国通史』『泰国風物詩』
                                                  • fzfとghqを組み合わせてプログラミングの心理的・作業的負荷を軽減する

                                                    fzfとghqを組み合わせてプログラミングの心理的・作業的負荷を軽減する 対象読者 fzf+ghqは便利だよという話はよく耳にするけど、具体的なイメージが湧かない人。 モチベーション ターミナルでの作業を効率化するtipsとしてfzf(もしくはpeco)+ghqの組み合わせは非常に有名です。もちろん筆者も毎日活用していて、fzfとghqが無いとプログラミングできないなと感じる程に気に入っています。 しかし、実際に使ってみるまでは具体的にどう便利なのかイメージしづらく、筆者自身も想像していたのとは全く別の便利さを感じていることに気がついたので、ここで言語化してみようと思います。 fzfとは go製のファジーファインダです。要するにfzfコマンドに何でも良いので一覧を渡してやると、その一覧からインクリメンタルサーチで絞り込みができるcliです。fzf単体で何かをするものではなくて、シェルコマン

                                                      fzfとghqを組み合わせてプログラミングの心理的・作業的負荷を軽減する
                                                    • GHQに封印された支那事変の真実~~武藤貞一著『日支事変と次に来るもの』

                                                      盧溝橋事件直後に出版されたベストセラー 前回に引き続いて武藤貞一のGHQ焚書を紹介したい。以前にも書いたが、武藤貞一は 戦前の昭和十一年から「大阪朝日新聞」の論説委員となり、「天声人語」欄を執筆。昭和十四年に「報知新聞」の主筆となり、戦中の昭和十七年に読売新聞社編集局顧問となっているジャーナリストで、今回紹介させて頂く書籍は『日支事変と次に来るもの』(GHQ焚書)である。タイトルの「日支事変」は、戦後の教科書などでは「日中戦争」と書かれているが、当時は「支那事変」あるいは「北支事変」とも呼ばれていた。 この本が刊行されたのは昭和十二年(1937年)九月七日で、支那事変のきっかけとなった盧溝橋事件からちょうど二か月後にあたる。私の手元にある本は同年九月十五日の日付で第四刷となっているが、当時の新潮社の書籍は印刷部数が明記されていて、初刷五万部、二刷二万部、三刷三万部、四刷三万部とあり、わずか

                                                        GHQに封印された支那事変の真実~~武藤貞一著『日支事変と次に来るもの』
                                                      • GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方

                                                        当時の支那軍の兵力は世界最大規模であった 小学生であった頃に実家の寺の世話方さんから少しだけ戦争の話を聞いたことがある。5分程度の短い話だったと思うが、実際に支那事変に行かれた方で「南京大虐殺なんかなかった。新聞は嘘を書いている」「支那兵は弱くて、すぐに逃げた」と言う話が今も記憶に残っている。 支那軍は陸軍兵士の数では世界最大規模であった。GHQ焚書の『北支事変』に他国と比較した数字が出ている。 陸軍常備兵力は、ソヴェット・ロシアが百六十万(歩兵八十五個師団、騎兵二十個師団)、それからずっと下って、フランスの六十万(植民地守備軍十九満を含む)であるのにくらべて、支那陸軍の二百二十五万、ほかに共産軍二十万余、合計約二百五十万とは何たる驚異的数字でありましょう。…中略…各地おしなべて六百種程度の税目にわたって、人民の財布から搾り上げていることは、いつわりのない事実であります。それでなくてはどう

                                                          GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方
                                                        • GHQが焚書処分したナチス研究書2~~末次信正著『日本とナチス独逸』

                                                          日独伊三国同盟はなぜ結ばれたのか 前回のこのコーナーで株式会社アルスが出版した『ナチス叢書』の大半が焚書処分されていることを書いたが、今回も『ナチス叢書』のなかから末次信正 著『日本とナチス独逸』(昭和十五年十一月刊)の一部を紹介したい。 末次信正(Wikipediaより) 著者の末次信正は海軍大将で、昭和8年には連合艦隊司令長官に就任しているが、その後政治家に転出し第一次近衛内閣では内閣参議から内務大臣に就任、その後は平沼内閣、阿部内閣、米内内閣で内閣参議であった人物である。 末次は昭和十五年一月に内閣参議を辞めたのだが、その年の九月に日独伊三国同盟がベルリンで調印されている。この本はその二か月後に出版されたものである。 教科書や通史では、日独伊三国同盟のねらいについて「第二次世界大戦へのアメリカの参戦を阻止することにあった(『もういちど読む山川の日本史』p.306)」などと書かれている

                                                            GHQが焚書処分したナチス研究書2~~末次信正著『日本とナチス独逸』
                                                          • ネット公開されている歴史関連の児童書にGHQ焚書が少なくない~~「少年大日本史」「少年国史物語」など

                                                            ネットでいろんな情報が収集できるようになって、本の出版が減少することになることはやむを得ないが、小学生から中高生の時期に読ませたいような本の出版が減っていることは残念なことである。 昔は少年少女向けに様々なジャンルのシリーズ本が出版されていた。歴史に関して言うと、たとえば建設社の「少年大日本史」は、今読んでみてもなかなかレベルが高く、勉強になる本が少なからずある。こんなレベルの児童書が、戦前期にシリーズで53巻も出版されていたことは驚くべきことだ。他のシリーズ本も結構面白い内容のものが多く、子供のころからこのような本を読んでいたのであれば、わが国の歴史や文化や世界の情勢について、今の同世代よりもはるかに多くの知識を持っていたのではないかと考え込んでしまう。 また、児童書ながら、結構多くの作品がGHQによって焚書処分されていることも驚きである。先ほど紹介した「少年大日本史」は4点、前田晁 著

                                                              ネット公開されている歴史関連の児童書にGHQ焚書が少なくない~~「少年大日本史」「少年国史物語」など
                                                            • 能川元一 on Twitter: "「日本が弱体化するために GHQ が導入した教育や文化」という舩後発言、この「弱体化」という用語の選択からして情報ソースに右翼論壇人がいることは確実でしょ。モラロジーとの関係を考えるとそれこそ高橋史朗でも全然不思議じゃない。"

                                                              「日本が弱体化するために GHQ が導入した教育や文化」という舩後発言、この「弱体化」という用語の選択からして情報ソースに右翼論壇人がいることは確実でしょ。モラロジーとの関係を考えるとそれこそ高橋史朗でも全然不思議じゃない。

                                                                能川元一 on Twitter: "「日本が弱体化するために GHQ が導入した教育や文化」という舩後発言、この「弱体化」という用語の選択からして情報ソースに右翼論壇人がいることは確実でしょ。モラロジーとの関係を考えるとそれこそ高橋史朗でも全然不思議じゃない。"
                                                              • マレー、シンガポールに関するGHQ焚書を読む~~『昭南島』『昭南島の日章旗:マレー戦線従軍記録』

                                                                イギリスはなぜシンガポールに大要塞を築いたのか~~室賀信夫著『昭南島』 昭和十七年二月にシンガポールの戦いで日本軍が勝利したことにより日本による統治が始まり、シンガポールは「昭南島(しょうなんとう)」とその名を改められたのだが、昭和二十年に日本軍は降伏文書に調印し、シンガポールはイギリスに公式に返還されているので、「昭南島」という地名は用いられなくなっている。 GHQ焚書にはマレー半島や、その先端にあるシンガポール島に関する著作がいくつかあるのだが、今回はその一部を紹介することと致したい。シンガポールにはイギリスが要塞を築いていたのだが、その要塞が建築された経緯が、室賀信夫の著書『昭南島』に記されている。この本は昭和十六年十二月に『英国の東亞拠点シンガポール』というタイトルで発刊されたのだが、その後日本軍の侵攻によりシンガポールが陥落し、この島が「昭南島」と改称されたことから、この本の題名

                                                                  マレー、シンガポールに関するGHQ焚書を読む~~『昭南島』『昭南島の日章旗:マレー戦線従軍記録』
                                                                • GHQに焚書処分された「雅楽」の本

                                                                  GHQは様々なジャンルの本を焚書処分して戦後の日本人に読めなくさせたのだが、焚書リストの中にはどうしてこのような本をGHQが焚書したのかと不思議に思うようなタイトルの本が少なくない。 多忠龍 今回紹介したいのは、昭和十七年に多忠龍(おおの ただたつ)氏が著した『雅楽』(六興商会出版部 昭和十七年刊)という本であるが、なぜGHQが焚書処分しようとしたかはタイトルだけでは見当もつかなかった。 雅楽の多くは外国から伝えられた Wikipediaによると著者の多忠龍氏は、古代以来の宮廷雅楽家の家に生まれた雅楽師で、この本を出版された二年後に亡くなられたとある。この本には、雅楽の歴史について詳しく記されているのだが、雅楽は推古天皇の御代以降奈良時代にかけて朝鮮や支那などの音楽がさかんに渡ってきたということはこの本を読んで初めて知った。 私どもがうかがっているところによりますと、推古天皇さまの御代のこ

                                                                    GHQに焚書処分された「雅楽」の本
                                                                  • GHQが焚書処分した軍人の著書~~真崎勝次著『非常時局読本』

                                                                    戦後の教育やらマスコミの解説などで、軍人はわが国を戦争に巻き込んだ犯罪者のようなイメージを擦り込まれていて、私の場合、恥ずかしながら軍人の書いた文章を読む機会はほとんどなく、読んではいけない本であるとか、学ぶところがないに違いないと、長い間勝手に決めつけていた。しかしながら、実際にGHQが焚書処分した本を読んでみると、軍人の著作は当時の世界情勢やわが国の状況の本質をよくとらえていて、勉強になる著作が多いのである。 真崎勝次(Wikipediaより) 海軍少将の真崎勝次が第二次大戦参戦二年前の昭和十四年に著した『非常時局読本』という本の一節を紹介したい。 近代戦の特徴が武力戦の外に思想戦であり、外交戦でありまた経済戦であるということは、今日では皆異口同音に唱えているところであって、今更呶々(どど:くどくど説明すること)を要せない所である。しかしながら、よく詮索してみるとこれは今日に始まったこ

                                                                      GHQが焚書処分した軍人の著書~~真崎勝次著『非常時局読本』
                                                                    • すくすく。 on Twitter: "戦後の日本に「菊池一雄」というレジェンドがいて全裸少女像をごり押ししたからです。 GHQの占領期、軍関係のモニュメントをぶっ壊しました。代わりに電通は「平和の象徴を飾りましょう」と提案。それを菊池に伝えたら 「平和と言えば少女の全… https://t.co/XkUE1ON4zB"

                                                                      戦後の日本に「菊池一雄」というレジェンドがいて全裸少女像をごり押ししたからです。 GHQの占領期、軍関係のモニュメントをぶっ壊しました。代わりに電通は「平和の象徴を飾りましょう」と提案。それを菊池に伝えたら 「平和と言えば少女の全… https://t.co/XkUE1ON4zB

                                                                        すくすく。 on Twitter: "戦後の日本に「菊池一雄」というレジェンドがいて全裸少女像をごり押ししたからです。 GHQの占領期、軍関係のモニュメントをぶっ壊しました。代わりに電通は「平和の象徴を飾りましょう」と提案。それを菊池に伝えたら 「平和と言えば少女の全… https://t.co/XkUE1ON4zB"
                                                                      • 【なぜG7は日本以外白人欧米社会なの?】なぜ日本人は、こんなに白人好きなのか…戦争の過去や差別は?~GHQがかき消した東京大空襲、首都圏占領のための皆殺し、原爆に匹敵する残虐さ~

                                                                        【なぜG7は日本以外白人欧米社会なの?】なぜ日本人は、こんなに白人好きなのか…戦争の過去や差別は?~GHQがかき消した東京大空襲、首都圏占領のための皆殺し、原爆に匹敵する残虐さ~ ■被爆者サーロー節子さん、広島サミットは「失敗」 TBS NEWS 2023/5/21 https://news.yahoo.co.jp/articles/4d8e928b65e5550cb8ed4d15a53842cee4ff6bfd ~~~ 21日に閉幕した広島市での先進7カ国首脳会議(G7サミット)について、カナダから同市に帰郷している被爆者サーロー節子さん(91)は「失敗だったと思う」と総括した。 サーローさんは、G7首脳と被爆者との対話などが非公表で「被爆者が体験したことを理解してくれたのか。反応が聞きたかった」と不満を表明。 また、「市民と政府が一緒に核軍縮を進める機運が生まれたのか」と疑問を投げかけ

                                                                          【なぜG7は日本以外白人欧米社会なの?】なぜ日本人は、こんなに白人好きなのか…戦争の過去や差別は?~GHQがかき消した東京大空襲、首都圏占領のための皆殺し、原爆に匹敵する残虐さ~
                                                                        • 高橋亀吉著『戦時経済講話』を読む~~GHQに焚書処分された経済関連書籍

                                                                          当たり前の事なのだが、戦争で勝ち続けたとしても、相手が敗北を認めなければ戦いは終わらず、兵士や武器・弾薬の補充などに莫大な費用が掛かり続けることとなる。そのための資金調達ができなくなれば、勝利することは不可能だ。 高橋亀吉といえばわが国の民間エコノミストの草分け的存在で、『東洋経済新報』で論陣を張った人物だが、彼が昭和十三年に刊行した『戦時経済講話』が、戦後GHQによって焚書処分されている。この本の冒頭に、著者が戦争と経済の問題について述べている部分を紹介したい。文中の「事変」は昭和十二年(1937年)七月に勃発した「支那事変(日中戦争)」を意味し、この本はその翌年に出版され、さらに三年後にわが国は太平洋戦争に参戦している。 現下の我が戦時経済を理解するにあたって、まず必要なことは、今日この事変の下において、日本の財政経済状態如何ということが、外国から如何に重大視せられているかの実情を、あ

                                                                            高橋亀吉著『戦時経済講話』を読む~~GHQに焚書処分された経済関連書籍
                                                                          • GHQが焚書処分した、朝鮮半島、台湾、樺太関係書籍~~姜昌基『内鮮一体論』、李東華『国防と朝鮮人』

                                                                            戦後GHQは市販されている多くの書籍を没収・廃棄し、日本人に読めないようにしたが、戦前から日本が統治していた朝鮮半島や台湾、樺太などに関する書籍も処分している。 朝鮮半島に関する書籍は26点、台湾に関する書籍は3点、樺太に関する書籍は4点と決して多くはないが、朝鮮半島に関する書籍の中には朝鮮人が書いた書籍も何冊かある。その中から姜昌基 著『内鮮一体論』の一部を紹介したい。 民族が歴史をつくったのではなく、歴史が民族をつくった。そうした経緯において日韓の両民族がつくられた。近代の民族学者が教えるのである。民族の観方に三様の体型が許される。それが自然発生的――血族体であるという意味で、その限りのものを自然民族ということが出来るならば、これに対して、一定の文化形態に結ぶ民族の協同体、それは一元自然民族たると多元民族のそれたるを問わない。ただ共通の文化圏において存するというだけの特殊な見方において

                                                                              GHQが焚書処分した、朝鮮半島、台湾、樺太関係書籍~~姜昌基『内鮮一体論』、李東華『国防と朝鮮人』
                                                                            • GHQが焚書処分した政治家の著作~~池崎忠孝『太平洋戦略論』、安藤正純『日本の行く道』

                                                                              GHQが没収・廃棄し、戦後の日本人が読めないようにされた著作の中には、国内外の政治家が著した本が多数存在する。ヒトラーの『我が闘争』もその一つだが、日本人の著作では池崎忠孝(いけざき ただよし)の著作が最も多く処分されている。この人物は東京帝大入学後夏目漱石門下に入り赤木桁平(あかぎ こうへい)というペンネームで文芸評論で名を馳せたが、大学卒業後、『萬朝報』に入社し、論説部員を務めている。しかし、女優とのゴシップを起こしたことをきっかけに退職し家業をついだが、その後関西財界に食い込みむようになり、時局講演会にも登壇するようになった。昭和四年(1929年)に米国との戦争は避けられないことを主張した講演会の速記録『米国怖るゝに足らず』を本名の池崎忠孝で出版したところベストセラーとなる。 評論家としての知名度から昭和十一年(1936年)の衆議院選挙に当選し、第一次近衛内閣では文部参与官を務め、通

                                                                                GHQが焚書処分した政治家の著作~~池崎忠孝『太平洋戦略論』、安藤正純『日本の行く道』
                                                                              • GHQが戦後の日本人に封印したフィリピンの歴史~~奈良静馬『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』

                                                                                今から六年ほど前に奈良静馬著『西班牙(スペイン)古文書を通じて見たる日本と比律賓(フィリピン)』という本を「国立国会図書館デジタルコレクション」で見つけて読んだときに、倭寇や豊臣秀吉に対する見方が変わってしまった。この本には、戦後の歴史叙述ではまず語られることのない史実が満載で、しかもスペインの公文書で裏付けが取られているのである。二年前に私が『連合軍総司令部(GHQ)指令没収指定図書総目録』をヤフオクで入手した際に、奈良静馬氏の本がGHQが没収廃棄を命じた書籍であることをはじめて知ったのだが、この本を読むとGHQが「大航海時代」と呼ばれる時代におけるわが国の外交史や交易史をどのように歪めようとしたかがなんとなく見えてくる。 1565年にスペインがセブ島を領有したのち、1570年にフィリップ二世がフィリピン諸島を植民地とすることを命じて、ミゲル・ロペス・デ・レガスピは最初にルソン島のマニラ

                                                                                  GHQが戦後の日本人に封印したフィリピンの歴史~~奈良静馬『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』
                                                                                • GHQが焚書処分した実業家・経済人の著書~~小林一三『戦後はどうなるか』

                                                                                  GHQが没収廃棄した書籍には実業家・経済人の著作も少なからずある。企業経営者は、時代の流れを読み誤ると事業にも大きく影響することになるので、名経営者と呼ばれる人物は当時の論調などに惑わされることなく、しっかりと世界や経済の動きを捉えており、現在の日本人にとって当時の情勢をわかりやすく伝えている著作を残している。 小林一三といえば、阪急東宝グループの創業者であり東京電燈、日本軽金属の経営にも参画した財界の重鎮で、後に政界に進出して第二次近衛内閣の商工大臣を務めた人物である。いくつかの著作があるが、その中で昭和十三年に上梓した『戦後はどうなるか』がGHQによって焚書処分されている。今回は、この一部を紹介させていただきたい。 小林一三がこの本を上梓した昭和十三年は、日中戦争(支那事変)の長期化を予想し、わが国のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できるよう国家総動員法が制定された年である。しか

                                                                                    GHQが焚書処分した実業家・経済人の著書~~小林一三『戦後はどうなるか』