ミャンマー軍は11日、北西部ザガインにある反体制派の村を空爆した。生存者によると、少なくとも53人が死亡した。
軍政下で禁錮2年の実刑判決を受けて収監され、釈放後すぐに取材現場に戻った男性記者=ヤンゴンで9月12日 2021年2月のクーデターで国軍が実権を握ったミャンマーでは、報道の自由が厳しく制限されているが、危険を顧みずひそかに情報発信を続ける記者がいる。「反骨のジャーナリスト」の実態を追った。 密告恐れ職偽り ヤンゴンの喫茶店に現れた男性記者のナインさん(仮名、34歳)は、黒いキャップ帽にサンダルという軽装だった。今年5月に1年あまり収監されていた刑務所から釈放されたばかり。「誰かが記録しなければ」と取材現場に戻ったが、再び拘束されるのを避けるため記者と分かる身分証やカメラは持ち歩かない。密告を警戒して近所の人たちにも宅配業をしていると偽っているのだという。 撮影にも使うスマートフォンには、国軍や警察に見とがめられた場合に備えて当たり障りのない内容の偽のフェイスブックのアカウントも登録している
(CNN) クーデターによって軍が実権を握ったミャンマーで27日、軍幹部らが「国軍記念日」を祝って豪華なパーティーを開いた一方、現地の報道によれば、抗議デモで100人以上の死者が出たほか、数千人が隣国のタイへの避難を余儀なくされた。 SNSに投稿された画像では、ミンアウンフライン最高司令官が白い制服と蝶(ちょう)ネクタイを身に着けて赤いカーペットを歩き、招待客を歓迎して、記念日を祝う食事のために着席している様子が見て取れた。 国軍記念日は、第2次世界大戦時の日本軍による占領への抵抗を開始したことを祝うもので、ミャンマー軍は軍事パレードを行い力を誇示した。27日はまた、ミャンマーの太陰暦の最後の満月の日で仏教にとっても重要であり、祭りや仏塔への訪問で祝われるはずだった。 しかし、独立系の地元メディア「ミャンマー・ナウ」の集計によれば、兵士や警察は27日、44の都市で子どもを含む少なくとも11
ミャンマー軍は、「選挙不正」を受けてアウン・サン・スー・チー国家顧問(写真)や与党幹部らを拘束したと発表した。インドで1月27日撮影(2021年 ロイター/Thar Byaw) ミャンマー国軍は1日、与党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スー・チー国家顧問、ウィン・ミン大統領ら幹部を拘束し政権を奪取した。 軍は傘下のテレビ局を通じて声明を発表し、「選挙の不正」を受けてスー・チー氏らNLD幹部を拘束したと主張。期間を1年とする「非常事態宣言」を発令し、ミン・アウン・フライン国軍司令官が国家権限を掌握したとした。 1日には、NLDが地滑り的勝利を収めた昨年11月8日の総選挙後初めて、議会が招集される予定だった。 2011年の民政移管後2度目となる11月の総選挙でNLDは得票率83%で圧勝。これを受け、政府と国軍の対立が激化しクーデターの懸念が強まっていた。 国軍は非常事態宣言を発出
【バンコク=岩崎健太朗】2月のクーデター以降、政治、社会の混乱が続くミャンマーから、東京五輪に3人の選手が出場する見通しだ。晴れ舞台に祝福が寄せられる一方、国軍が統治を奪った国の代表となることに「もう応援できない」などと反感も投げ掛けられている。 「長年の夢が実現する。ミャンマーの人々を代表してベストを尽くす。成功は人々のためのもの」。バドミントン女子シングルスのテッ・ター・トゥーザー選手(22)のフェイスブック(FB)には今月、世界連盟から出場枠が発表されると、そう決意が記された。7歳で父と練習を始め、バドミントンでミャンマー初の五輪切符を獲得。フォロワー120万人超の国民的スター選手だ。しかし、出場決定後は「とても悲しい気分だ」「なぜ、一緒に抵抗を続けないのか」と外部からの投稿が相次いだ。 ミャンマーでは2月以降、市民とともに俳優や歌手など多くの著名人が抗議運動に加わり、SNSで国軍批
【シンガポール=森浩】クーデターで実権を握ったミャンマー国軍が国内メディアへの圧力を強めている。通達で「クーデター」という表現を禁じ、従わない場合は、出版などの許可取り消しをちらつかせている。規制に抗議して記者が辞職する例も出ており、国内メディアも混乱が続きそうだ。 ミャンマー情報省は13日、国内外の記者や報道機関が加盟するミャンマー報道評議会に文書を送り、「不正確な言葉は市民の不安をあおる」と指摘。評議会幹部によると、クーデターを「権力移譲」という言葉に置き換えるよう指示があったという。 国軍は1日の政権奪取は憲法にのっとった措置と主張している。憲法には「国民の団結が維持できない、または国家の主権を失うような非常事態が起きた場合」には国軍が権力を掌握できるとの規定がある。国軍は昨年11月の総選挙で大規模な不正があったと繰り返し主張しており、「非常事態」に当たると判断している形だ。 ミン・
ミャンマー南部ダウェー郊外で、バイクに乗ってクーデターに抗議する市民ら=3月31日(ダウェーウオッチ提供・ロイター=共同) 【ヤンゴン共同】ミャンマーで国軍に軟禁されているアウン・サン・スー・チー氏が、政府の機密情報を漏らした疑いで新たに訴追された。スー・チー氏の弁護士が1日、明らかにした。スー・チー氏は既に無線機を違法に輸入したなどとして、四つの容疑で訴追されている。 国軍は機密情報を持ち出した疑いで、スー・チー氏の経済顧問を務めたオーストラリア人のショーン・ターネル氏を拘束。スー・チー氏の新たな訴追はこれに関連するとみられる。弁護士によると、最大都市ヤンゴンの裁判所で審理される。 スー・チー氏は1日、裁判所でのビデオ審理に出席。弁護士はどの容疑もでっち上げだと主張した。
3月15日に撮影されたモンユワ県チャウンウー郡の衛星写真。今もなお激しい戦闘が続いていることを示している。 REUTERS <今もなお軍政と民主化勢力が戦闘を繰り広げるなか、自体打開の動きも> マレーシア政府がミャンマーの反政府民主政権と接触していたことが明らかになった。ミャンマーでは2021年2月1日のクーデター以降、実権を掌握した軍政が、民主派組織や少数民族武装勢力との激しい戦闘を繰り広げ、実質的な内戦状態にある。 域内の安全保障問題としてミャンマーもメンバーである東南アジア諸国連合(ASEAN)が人道的見地から仲介に乗り出しており、今年のASEAN議長国であるカンボジアが何度かミャンマーを訪問して事態打開の道を探った。 しかしミン・アウン・フライン国軍司令官など軍政関係者との面会、会談に終始して、身柄を拘束されているアウン・サン・スー・チー氏をはじめとする民主政権幹部らとの面会は実現
「マイチン」と名乗る理由 平日は日本のIT系企業でマーケティング&セールス担当として働いています。30代後半。好きなものは「日本の春」。 「ミャンマーのチン民族出身の、『マイチン』と申します。でも、本名ではありません」。そう、ほほえみます。 マイチンを名乗り始めたのは、昨秋ごろ。「ミャンマーの現状を話してほしい」と講演を依頼されたのがきっかけでした。 SNSで、ミャンマーに暮らす家族や親族まで、簡単にたどれてしまう時代。実名と顔を出すのはリスクでした。デモなどの「反政府活動」を行った人の、家族が拘束されたという話も聞いてました。 故郷を守ること、家族を守ること。 その二つを天秤にかけ、ぎりぎりの選択として名乗った「マイチン」。「マイ」は、チン民族の言葉で、女性の敬称。「チン民族の女性」という意味を込めました。 マイチンさんの”ふるさとの歌” 日本に暮らして12年。 ミャンマーのチン族である
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スーチー氏に禁錮4年 「恩赦」で2年に減刑―初の判決、刑長期化必至・ミャンマー 2021年12月06日23時21分 ミャンマーのアウンサンスーチー氏=2019年12月、オランダ・ハーグ(AFP時事) 【バンコク時事】ミャンマーでクーデターを強行した国軍が設置した首都ネピドーの特別法廷は6日、アウンサンスーチー氏(76)に対し、社会不安をあおったなどとして禁錮4年の有罪判決を言い渡した。クーデターで拘束されたスーチー氏への判決は初めて。判決言い渡し後に国軍のミンアウンフライン総司令官が恩赦を与え、禁錮2年に減刑された。 スーチー氏有罪「不当」 米欧が非難 国軍報道官によると、スーチー氏は現在の拘束場所で刑期を務める。刑務所には送らず、軟禁状態が続くとみられる。恩赦が与えられたとはいえ、スーチー氏は10件以上の罪で訴追されており、刑期が長期に及ぶ可能性が高い。 特別法廷は、スーチー氏がクーデタ
歴史[編集] 19世紀末頃からイギリスにより植民地支配されていたビルマでは、第二次世界大戦後半に相当する1942年から1945年にかけてビルマに独立を約束した日本軍が占領して軍政を敷いていた。日本軍がビルマから駆逐された後にはイギリスが支配者として返り咲き、1948年に独立を勝ち取るまで宗主国イギリスの支配下にあった。植民地の中でも「米どころ」として広く知られていたビルマは、独立したばかりの頃には東南アジア諸国の中でも最も将来を嘱望されていた新興国のうちの一国であった[7]。しかし、1962年にクーデターで政権を奪取したネ・ウィン将軍が率いる軍事政権が社会主義体制を取ったことによりビルマ経済は停滞し、1987年には国連から最貧国に認定を受けるに至った[8]。こうした慢性的な経済危機にあったビルマにとって、資本主義体制を取る日本との経済協力はイデオロギーの対立を超えて重要なものであり、日緬関
元ミス・ミャンマーがカナダへ タイ出発、亡命申請か 2022年09月28日17時42分 「ミス・グランド・インターナショナル」の決勝で、ミャンマーへの支援を訴えるハンレイさん=2021年3月、タイ・バンコク(ミス・グランド・インターナショナル事務局提供・時事) 【バンコク時事】タイ出入国管理当局は28日、入国を拒否されバンコク近郊の空港で足止めされていたミスコンテスト元ミャンマー代表のハンレイさんが、カナダに向けて出発したことを明らかにした。カナダに亡命を申請するとみられる。 元ミス・ミャンマーの入国拒否 強制送還なら拘束の恐れ―タイ ハンレイさんはミャンマー国軍がクーデターで権力を握った直後の昨年3月、バンコクで開かれた「ミス・グランド・インターナショナル」に出場し、壇上から「ミャンマーを助けて」と訴えた。滞在していたタイのビザを更新するため、今月18日にベトナムへ出国。21日にタイへ戻
ジェトロが3月7日までの政府発表や現地報道から、ロシアによるウクライナ侵攻に対するASEAN各国の反応をまとめたところ、ほとんどの国でロシアに対する直接的な言及を避けつつ、対話による解決を要望していた(添付資料表参照)。3月2日の国連総会の緊急特別会合における、ロシアを非難する決議案(2022年3月4日記事参照)には、ベトナムとラオスを除く全てのASEANの国が賛成をしたが、ロシアに対する経済制裁を実施したのはシンガポールのみとなっている。 ASEAN加盟国の外相はウクライナ情勢について、これまでに2度の共同声明を発表したが、いずれも声明の中でもロシアの国名には言及していない。ロシアによる軍事侵攻の開始に対する1度目の共同声明(2月26日)では、深い懸念と全ての関係者に対して最大限の自制と対話を求めた。その後、現地情勢の悪化を踏まえて出された、3月3日に発表した2回目の共同声明では、人道的
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1月26日、国連薬物犯罪事務所(UNODC)が公表した報告書によると、軍政下のミャンマーで昨年、麻薬の原料となるケシの栽培が33%増加し、6年連続の減少から反転した。写真は2016年11月、カヤ州ロイカウ郊外のケシ畑で撮影(2023年 ロイター/Soe Zeya Tun) [26日 ロイター] - 国連薬物犯罪事務所(UNODC)が26日公表した報告書によると、軍政下のミャンマーで昨年、麻薬の原料となるケシの栽培が33%増加し、6年連続の減少から反転した。 UNODC当局者は、この増加は2021年2月にクーデターで軍政となって以降の政治・経済混乱と「直結している」と指摘。地域担当者は「軍政移行以来、経済、治安、統治の途絶が重なり、紛争地帯を中心とするへき地の農民はケシ栽培に戻る以外ほとんど選択肢がなくなっている」と述べた。
【12月26日 AFP】バングラデシュにある世界最大の難民キャンプで、有刺鉄線が張り巡らされた検問所を三輪タクシーがやすやすと通り抜けて行く。その運転手らは、海上の恐喝団や腐敗した警察、麻薬密売組織の親玉などが関与する密航ネットワークの末端を担っている。 三輪タクシーには、何人かの若い男女と子どもらの小グループが乗っていた。国籍を持たないイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)の難民だ。彼らはバングラデシュの掘っ立て小屋のキャンプに同胞と一緒に押し込められている惨めな暮らしから、脱出したいと望んでいる。 エナムル・ハサン(Enamul Hasan)さん(19)もその中の一人だった。今年初め、三輪タクシーに乗って海岸に連れて行かれ、そこから小さな船でベンガル湾(Bay of Bengal)に停泊していた大型漁船まで運ばれた。船にはマレーシア行きを望むロヒンギャ数百人が乗っていた。 「
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佛日寺(ぶつにちじ、佛日禅寺)は、大阪府池田市畑に所在する黄檗宗の仏教寺院。山号は摩耶山。摂北三十三ヶ所観音霊場27番札所。境内には『信長公記』の著者太田牛一の墓所がある。 歴史[編集] 麻田藩主の菩提寺で、第2代藩主の青木重兼(端山)が開基した。『端山紀年録』によれば、寛永7年(1630年)に麻田村東方の天王山山麓に前身となる松隣寺が建立された。承応3年(1654年)現在の我孫子に移転して仏殿、禅堂、方丈、山門、鐘楼等が建立された。万治2年(1659年)黄檗宗開祖の隠元隆琦を招来して開山、摩耶山佛日寺に寺号を改名した[1]。当初は本堂の他に29宇を存する大伽藍の巨刹で、左右対称を特徴とする明朝様式の黄檗寺院としては、本山萬福寺より先に創建されたことになる。萬福寺造営奉行の拝命を受けた青木重兼が領内に黄檗寺院の建立を試みたためである。寛文元年(1661年)隠元の弟子である慧林性機(萬福寺3
軍政に逮捕され獄中生活を余儀なくされているミャンマー民主化運動の旗手でノーベル平和賞受賞者、民主政府の実質的指導者だったアウン・サン・スー・チーさんの近況は、軍政が厳しい情報統制を敷いているため外部に漏れ伝わってくることはほとんどない。 77歳という高齢のスー・チーさんの健康面への懸念が高まる中、8月19日、独立系メディア「イラワジ」がスー・チーさんの刑務所内での処遇などに関する弁護士や目撃者などからの情報を伝える記事を掲載した。それによるとスー・チーさんは8月初めに刑務所独房内の洗面所であやうく転倒しそうになったとのことで、やはり健康状態が懸念される事態になっている。 粗末な食事、女中3人も孤独な環境 スー・チーさんは2021年2月1日の軍事クーデター当日に身柄を拘束され、首都ネピドーの自宅に軟禁状態となった。その後、約20もの容疑で訴追され、特別法廷での裁判に被告人として出廷する日々が
【8月4日 AFP】ミャンマー西部ラカイン(Rakhine)州でこのほど、珍しい白い象が生まれた。国営メディアが3日、報じた。 国営英字紙ミャンマーの新しい灯(Global New Light of Myanmar)によると、白象は7月に生まれた。体重約80キロ、体高約70センチで、名前はまだ決まっていない。 子象は、真珠色の目や特徴的な尾など貴重な白象の八つの特徴のうち、七つが見られるという。 東南アジアでは、白い象は非常に縁起がいいとされてきた。古代の支配者らは財力を高めるため、できるだけ多くの白象を所有しようとしたといわれている。 だが、白象の飼育には膨大な費用が掛かるため、現代では「白象」が美しいが役に立たないものの表現として使われることもある。 国営メディアによると、ミャンマーでは現在、首都ネピドーで6頭の白象が飼育されている。 ミャンマーでは昨年の軍事クーデター後、軍による反軍
ミャンマーで2月1日未明、国軍がクーデターを起こし、与党の国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相やウィン・ミン大統領らを拘束するという衝撃的なニュースが飛び込んできた。総選挙で惨敗を喫した国軍は、あらゆる手を使って新たなスー・チー政権を発足させないために実力行使に出ている──。 実権を掌握した国軍は、2月3日までにトップのミン・アウン・フライン総司令官を議長とする国家の最高意思決定機関「行政評議会」を設立した。そして中央銀行総裁などの政府重要ポストを相次いで任命するなど、軍政を本格始動させた。 ミャンマーでは半世紀以上にわたって国軍主導の政治が続いたが、2011年に民政へ復帰。日本をはじめ、各国の企業が「アジア最後のフロンティア」として熱視線を向ける国へと変化していたが、再び軍政へ逆戻りすることとなった。その背景には、スー・チー氏の台頭によって影響力が弱まるこ
中国外務省は10日、反軍政勢力との戦闘が起きているミャンマーについて、国境における安全と安定を確保すると表明するとともに、同国の全当事者に対して直ちに戦闘を停止するよう求めた。写真は外務省の汪文斌報道官。4月撮影(2023年 ロイター/Florence Lo) [北京 10日 ロイター] - 中国外務省は10日、反軍政勢力との戦闘が起きているミャンマーについて、国境における安全と安定を確保すると表明するとともに、同国の全当事者に対して直ちに戦闘を停止するよう求めた。 ミャンマー軍政の大統領は、中国との国境地帯における最近の暴力を効果的に制圧できていないとして、国内は分裂の危機に瀕していると述べている。 軍政は2021年のクーデターで権力を掌握して以来最大の困難に直面しており、北部、北東部、北西部、南東部の軍事基地に対する民主派や少数民族の反軍政勢力による攻撃が急増している。 衝突で中国人が
1月31日、 米国と英国、カナダはミャンマーで昨年2月1日に軍がクーデターを起こして政権を掌握してから1年を迎えるタイミングで、ミャンマーに対して追加制裁を協調して科したと発表した。写真はブリンケン米国務長官。米国務省で1月代表撮影(2022年 ロイター) [ワシントン 31日 ロイター] - 米国と英国、カナダは31日、ミャンマーで昨年2月1日に軍がクーデターを起こして政権を掌握してから1年を迎えるタイミングで、ミャンマーに対して追加制裁を協調して科したと発表した。新たに対象にしたのは、クーデターで倒された政権の国家顧問兼外相で実質的指導者だったアウン・サン・スー・チー氏の訴追にかかわった司法当局者。 軍はクーデター以来、スー・チー氏と同氏が率いる国民民主連盟(NLD)関係者らの拘束を続けている。軍はNLDが大勝した2020年11月の選挙に不正があったとの主張を続けているが、中立的な選挙
Published 2022/01/21 22:08 (JST) Updated 2022/01/21 22:25 (JST) 【パリ共同】フランスのエネルギー大手トタルエナジーズ(旧トタル)は21日、昨年2月にクーデターが起きたミャンマーでの天然ガス採掘事業から撤退することを決めたと発表した。事業が軍政に収入をもたらすため、人権団体から批判を浴びていた。AP通信によると、事業に参画していた米石油大手シェブロンも離脱する。 トタルエナジーズによると、同社はアンダマン海のヤダナ鉱区での天然ガス事業をやめることを関係者に同日通知した。「ミャンマーの人権状況は悪化の一途で、もはや(事業で)同国へ貢献することはできないと判断した」と説明した。今後半年以内に撤退が実行される。
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