焦げ付いて底から破れた冷凍餃子 殻を粉々にしても剥けず白身から剥がれるゆで卵 あと一つは?
実家の犬が昨日亡くなったそうだ。東京からは帰省も出来ず、会えなかった。 我が家には過ぎるくらいのいい犬だった。 犬との思い出を書こうと思ったが、そんなことをしていたら辞書くらいの分量がいる。 どうしてもなにか書きとめておきたいkら、誰に聞かせるわけでもないけれど弔辞だけ書いた。 犬よ おれが10歳のときに拾ってきた犬よ バイパスの高架の下に捨てられていて みかんの箱で連れて帰って 獣医さんにもに連れていって うちの軒下に住むことになった 6月6日の小さな犬よ おれが散歩に連れて行った犬よ 昔はなんでもちょっかい出して よせばいいのにマムシをいじめて 鼻面がビビるくらいに腫れていて 獣医とておまえが悪いと言っていた 夏の散歩が大好きな犬よ おれの家出についてきた犬よ おまえはおそらく散歩のつもりで おれは二度とは帰らぬつもりで あくる日は隣の町で見つかって おれたちは泣きながら帰った 冬のあ
己の成長を実感できるような趣味が欲しい。 他人と張り合う感じではなくいわゆるドラクエみたいなおひとり様向けの趣味。 対戦者がいないとできないような趣味(格ゲーとか将棋とか)は懲り懲りなのでそれ以外のことがしたい。 イラストも良いけど人物画は興味ないし、風景画は写真には適わないからいいかと思ってしまう。 生産性があって、自分のペースで進められて、なおかつ世間ウケが良い、そんな都合の良い趣味がこの世の中にあるんだろうか。 収集系とか鉄道系みたいなのは息抜きとしてはいいんだろうけど時間を無駄にした感を味わいたくないのが本音。 できれば癒し効果があって厭世的な気分を和らげられるそんな趣味が欲しい。 いやないんだろうけど。
・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間 ・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき ・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ ・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している ・22時22分 ・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い ・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間 ・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!) ・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない) ・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際
【続きのようなもの anond:20230328202632】 三年前に祖母が亡くなったとき、私は孫代表スピーチを頼まれた。それで葬儀に出るまでの短い間におばあちゃんとの思いでをふりかえることになった。 そのころ大好きだったアイドルが載っていたMyojoやPOTATOを見せて、おばあちゃんに誰が好みか聞くと、「みんなすてきでかっこいいけど、この子が明るい感じでお話がしやすそう」といって、当時の私の推しを選んでくれた。 画家だった曾祖父の描いた、ふたつのあけびが木になるままにはじける刹那をとらえた、グロテスクで美しい日本画をいつもいとおしそうにながめていた。 横山大観の展覧会に行きたいというから、じゃあ一緒に行こうと博多駅で待ち合わせをした。前日に何度も何度も電話で確認したホームにおばあちゃんはいなくて、慌てて必死に探したら、私の母が以前に贈ったあみめの大きなベージュのレースのよそ着をきて、
誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。 けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にしたときついページをめくってしまうような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。 入学したときはぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。 クラス替えの自己紹介で将来の夢
たぶん自分以外は全く気にしていないだろうふとした言葉が、どうしても頭から離れず残っていることはないだろうか。心に残る名言とかそういったものではなく、もう少し生産性のないもので、忘れてもまったく困らないようなことなのに、なぜか忘れられずに頭にこびりついていること。 暇になったので、私の人生の各地点におけるそういった言葉をいくつかピックアップして振り返ってみる。 高校時代:「利休かよ」私の出身高校はお寺に附属している私立高校で、地域のお寺の跡取り息子という生徒が各学年に何名かいるような、ちょっと変わった学校だった。そのため、選択科目の時間は「書道」「茶道」「修行」を入学時に選択することになる。 (この「修行」については実際のところ別の名称があるが、それを検索すると容易に学校名が特定できてしまうため伏せている) そのシステムを全く知らずに入学した私はこの3択の中で最も普通そう…と思い「書道」を選
コミュ障の私にコンビニでバイトなんか出来るのか心配だったが、思いの外普通にやれている。 ・根の性格がどうかと接客が出来るのかどうかは別問題なのかもしれない。大抵コンビニとかスーパーとかそういう接客の仕事は元気で明るい人を求人してるけど、そういう性格の人でも続かない人は続かないみたいだ。 ・私が働いてるお店はそもそも店長や役職付の人達が人間関係とか苦手としているらしい。 ・お客さんの方もそんなにサービスされたがってる感じしないしな。 ・誰でも良いから話し相手して欲しいお年寄りとイケメン正社員氏目当ての老若男女は時々来るけれど。皆一方的に喋れれば気がすむのだし、被害をこうむるのは主にイケメン正社員氏だけだし。 ・女は歳を取るとちょっとは楽になるのかもなと思う。若い頃よりも有意に客に絡まれる回数が減った(昔はウエイトレスをやってたが酷い目にあった)。 ・でも歳を取れば取ったでまたあまりうまくない
anond:20210513152256 圧倒的な強さを誇っていた超人が、全盛期を過ぎて勝てなくなってきてもなお競技に打ち込み続ける姿が好きだ。 世の中には、強者がその実力に翳りが見えてきた段階でいち早く引退することを美徳と捉える風潮もあるが、私はむしろ完全に勝てなくなるまで戦い続けるかつての超人にこそ美学を感じる。 「引き際」とか「有終の美」とかいう言葉はひとつの価値観だとは思うが、それが美しいのはあくまでレベル80~100の並のプロの話であって、レベル150の超人にはあまり似つかわしくないと思う。 その世界を完全に制覇した超人たちにとって、勝てなくなった自分の姿を晒し続けるメリットは本来多くはない。 かつての栄光を思えば屈辱は多く、ファンを失望させるのではないかという恐怖も大きなものだろう。 それでも超人が競技を続けるのは、おそらくひとつの時代を作ってしまった超人なりの責任の取り方なの
はじめて痴漢をしたのは大学生2年生、満員電車での通学中の時だった。 満員電車でいつも俺は「女が近くにいると冤罪かけられそうで怖い」って思ってた。 でもその日は違っていて、近くに女子高生がいたんだけど「冤罪怖い」とは思わなかった。 「あれ、普通に触れるんじゃね?」って思ってしまった。 おそるおそるお尻に手を出してタッチするも女子高生は何も言わない。 やばいことしてるという思いがありつつも結局女子高生が降りるまでは手が止まらなかった。 こんなに簡単に触れるんだ。 俺は彼女いない歴年齢、女友達もなし、風俗にも行ったことない。女性に触れる日なんか一生来ない と思ってたのに。満員電車でちょっと手を伸ばすだけで! そして、自分でも不思議な感情があった。 痴漢した帰り道に記憶に残っていたのは女子高生のお尻の感触ではなかった。JKが電車降りる時の怯えた表情だった。あのなんとも言えない硬い表情。 怖がってい
先生と出会ったのは、わたしが中学生の時です。彼は大学院を卒業後、国語の非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長は10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。 当時のわたしは、授業中は寝ているか、教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生。わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。 気持ちが変わったのは、制服のシャツが半袖に変わり始めた頃で
終電間際まで残業。俺は疲れた顔をして家までの道のりをとぼとぼと歩いていた。 足取りは重い。帰ったところで、頬杖をついて指でカツカツとテーブルを打ち鳴らしている妻か、トドのように大口を開けながらいびきをかいて眠る妻しかいないからだ。どちらを想像しても、気が滅入っていた。結婚したてのころは帰宅時にいつも玄関で出迎えて笑顔を見せてくれたのに。5年目となるとしょうがないのか、と諦めている気持ちもある。 しかしながらそんな家にまっすぐ帰る気にもならず、かといって居酒屋に入って一杯引っ掛けるような気力もなく。 せめてもの抵抗、と、コンビニの角を曲がり、遠回りをすることにした。 夜の住宅地は面白い。 もう3年近く住んでいる街なのに、まったくの他人のようなよそよそしさがある。 ふと油断するとすぐに迷ってしまうようなおそろしさがある。 子供のころはよく「冒険」と称して近所を歩き回っていたっけ。 歩いている間
その頃東池袋に住んでいた。2008年ころのことだ。 週末の、もう土曜だったか金曜だったか忘れたが、とにかく次の日が休みの日だった。 赤羽からでた最終列車。池袋に到着。下車すれば大いなる酔客の群れ。上り階段に座り込む男。イチャイチャする初老の男女。「お持ち帰り」を狙う若い学生。 タクシー乗り場には長蛇の列。ストリートミュージシャン。人いきれ。8月末の暑苦しい夜のことだ。 喧噪を尻目に帰路につく。向原付近のビルの谷間に、くのいちがいた。正確に言うとエアコンの排気ダストの蔭にもたれ込んでいた。 あの例のお約束の、裾の短い装束。あわてて小刀を携えるが、私が一般人だとすぐに認識して警戒を解き、去るように眼で促す。 私はこの時点で此奴はコスプレでやってるんじゃあない、ガチだ、と認識した。それだけの説得力が、彼女のその少ない仕草から充分に伺い得たのだ。 読者諸君は「まさか」と思うだろう。しかし諸君のなか
元彼のツイートやブログを見続けています。 小町に相談できることでもないので、ここに書いて王様の耳はロバの耳気分になろうかと思う。 長年つきあった挙句破局した彼のブログやツイートを、もう3年以上もチェックしている。 彼とは同じ業界に(今でも)生きている。優秀で、闊達で、でも闊達過ぎて、アウトプットすることにほとんど関心がなくて、私から見ても明らかに業績が少ないという人だった。 でも、彼のことを知っている人は彼が優秀であることを知っていたし、私もそれが誇らしかった。 どう考えても彼よりも劣る同輩や後輩が出世していくのを見て私は歯がゆく思っていたけれども、彼は気にしていなかった。たぶん今でも気にしていないと思う。 私は彼のことが大好きだった。心の底から愛していた。 でも、彼は私に不実を働いていた。 そのことを告白してくれた。涙ながらに謝罪してくれた。 私は彼を許すつもりだった。最終的には。 でも
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2010/04/29/entry_27039510/ 役所のIT化っていうことなんだけど。 役所の文書管理を完全に電子化されると、働く職員からするともうこれが完全に「詰ん」じゃうんだよね。 役所って、ただでさえアホみたいに文書が飛び交っている。 とうぜん法律やら通達やら定款やら規約やらいわゆる「法」で動く組織な訳だから、文書できっちり管理される。 文書で管理されるっていうのは、自分がやろうとしていること全てを言葉に表わして、 微に入り細を穿って、偏執狂なんじゃないかというくらいつまびらかに説明して、 そのやろうとしていることをこれまたアホみたいにいろんなお偉い方々からのご了解を得てから行う。 これを「決裁」と言います。 例えばUSBメモリ1個買うにも、 品名、容量、価格と言った商品情報は当然、 見積書、請書、納品書、請求書
私には好きな人がいた。それは中学と高校という多感な時期を一緒に過ごした同級生だった。 私と彼女は中高一貫の女子校で出会った。こう書くと百合だと思われるだろうが、あくまで私の性癖はヘテロであり、好きの感情は友情の域を超えないのだが、確かに私は彼女に憧れていたし、好きだった。 初めて彼女に出会ったのは中学一年で、彼女は隣のクラスだった。同じ部活動の子を経て知り合った。彼女はすらりとした身長で、絵と文章が上手な少女だった。文科系の遊びが好きだった私はすぐに友達になりたいと思った。しかし、人見知りで内気な彼女は話しかけてもろくに反応がなく、あまり接する機会もないまま学年が一つ上がった。 中学2年になって、私は彼女と同じクラスになった。驚いた。まさかこんな奇跡が起こるなんて思ってもみなかった。しかも、彼女と仲のよかった子は全員別のクラスで、彼女は一人で昼食を食べていた。 チャンスだと思った。 私も親
マジレスで解決策を書く。他の人も参考にして欲しい。 元増田の記事: http://anond.hatelabo.jp/20160220112047 ※文末に、ブックマークコメントへの返信を追記しました(2016/02/21)。 メタブコメにも書いたんだけど、文字数が足りなくてわかりにくいと思ったので。 shields-pikes のコメント / はてなブックマーク http://b.hatena.ne.jp/entry/279614518/comment/shields-pikes 自分も男子高出身で、大学の途中までは絵に描いたような勘違い系の非モテだったので、気持ちはわかるし手助けしたい。 自分のブログには、この手の恋愛系のネタは投稿したくないので、ここに書く。 元記事の増田は「彼女を作ること=告白して交際」を表向きの目標にしてるよね。 これが最大の間違い。 告白して交際という手順が有効
昨日、テレビから流れてきたクイズだった。 5歳の息子と嫁からは期待の目が向けられている。 CMの間に答えを出さなくてはいけない。 僕は必死さをさとられないようにすぐに答えることができた。 「それは漢字の”旧”だ。漢字の一をとれば10になるだろ?」 我ながら上出来だった。 得意気になった僕は更に続けた。 「とは言え漢字の問題は子供にはむずかしいよね。最近のテレビはこういうところがちょっとね。」 5歳の息子はなんことやらわからない顔をしている。 しょうがないからメモとペンを用意して図解してやることにした。 もちろん、”旧”なんて漢字を説明したところでわかるはずもないが。 説明が終わっても、息子の表情はスッキリとしないままだった。 そうしてCMが明けテレビから流れてきた答えは、一言「歳」だった。 確かに歳はとれば増えるものだ。 息子と嫁から感嘆がこぼれる。 息子のキラキラと輝く瞳がまぶしすぎてふ
少しだけ泣いて暮らして、また元の生活に戻ってしまうのが悲しい 半年ほどの短い付き合いの後、彼の口から告げられたのは、「最近気持ちが冷めてきたから、別れて欲しい」という言葉だった。 半分読めていたような、それにしても突然な。そんな感情の中、私の口から出たのは、「了解です。努力が至らず申し訳ない」 という謎に業務的でやけに思い切りの良い言葉だった。我ながら変だった。変だったから、向こうは少し笑ってた。 そうして終電まで改札の前で話して、うっかり終電を逃して、私は深夜のコンビニでお金をおろし、タクシーに乗り込んで帰った。 それがもう最後なのだった。 今まで毎日LINEをして、たまの休みには予定を合わせて出かけて、行事は当然一緒に過ごす、そんな相手と、別れようの一言でもう二度と顔を合わせることはなくなる。すごく不思議なことが世間にはあると思う。 「別れよう」と切り出されてから、タクシーに乗り込むま
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