考え方とコミュニケーションに関するrunt_ncのブックマーク (53)

  • 中学の時、個人的に性格が合わないやつがいた

    Aは、すごく性格が悪いという訳でもなかったけど、一緒にいるとイラッとすることを言ったり、不快な気分にさせることが多かったので、自然と一緒にいることを避けるようになった。 別の友達に「最近Aのこと避けてない?」と聞かれたので、正直に「俺、あいつのことあんまり好きじゃないんだよね」と答えた。 そしたら、その友達も「実は俺も何だよね」と言ってきた。 ん?と思ったけど特に気にせず、そのままAのことを避けていた。 そのうちに、なぜかまた別の友達も「Aのことむかついているんだって?俺もだよ」と言ってきて、Aを無視するやつが増えてきた。 気付いたらクラスの半分以上がAのことを無視するようになり、なぜかみんな俺にAの悪口を言ってくるようになっていた。 やばい。 これはいじめじゃん。 個人的に嫌いなやつを無視していただけなのに、集団でひとりを無視することになってんじゃん。 しかも俺がいじめの中心人物になって

    中学の時、個人的に性格が合わないやつがいた
  • デザインの話|shi3z

    デザインという言葉がある。これには色々な意味があって、「design」の「de」とは、ラテン語で「下に」「内から外へ」「遠ざかって」などの意味があるそうだ。signの語源であるsignumは「印」「伝えるもの」といった意味がある。 転じて、「内から外へ伝えるもの」「天から降りてきた印」といった意味になるのだと考えられる。 僕は仕事柄、デザイナーと呼ばれる人たちとの付き合いが色々ある。デザイナーとは呼ばれなくても実際にはデザインの仕事をしている人との付き合いもある。 ただ一つだけ確かなのは、どんな超一流のデザイナーに依頼したとしても、「出てきたデザインは発注者の能力を超えない」ということだ。 今でこそAppleといえばオシャレなものを作ると思われているが、最初の最初、スティーブ・ジョブズにデザインの感覚は皆無だった。 ジョブズは最初、コンピュータを箱に入れて売ることさえ思いつかず、剥き出しの

    デザインの話|shi3z
  • ブログ飽きた理由 - ←ズイショ→

    俺は日記とか一切書かない人間で基的に他の人に読まれることがない文章なんぞ書く必要が俺にはないと思っている。なので、ブログという他人に読まれる可能性があるから書く理由が存在する場所というのはもともと居心地のいい場所だった。俺はヘンリー・ダーガーのような人間に憧れはするものの決してそうはなれない性根であることをいい加減自分でわかりきってるから、恥ずかしげもなく言う。俺は俺が読んでほしい人、俺みたいなやつの文章を読んでくれる人がいないと何も書かん。書く以外のこと全般に関してもそうだ、俺は他人が介在しないと無限になんもしない自信がある。 話をブログに戻そう、どうせ書くなら目的や理想や希望は持っておきたい。読んでくれる人がいるから初めて書く俺みたいなやつの場合その目的設定は案外簡単だった。それは読んだ人が「あ、このままでいいんだ」と思ってくれたらそれでいいや、ということだ。なんとなく言ってはいけな

    ブログ飽きた理由 - ←ズイショ→
  • 人間関係の大掃除のススメ

    今年も終わりが近づいてきた 増えた友だちや知り合いをブロック フォロワーも整理しよう 思い返してみて、いい思い出が直ぐに出てこないなら ずっと放置しても気分が重くなるだけ 脳のメモリを解放する必要がある ときどきフラッシュバックして作業の妨げになるから 努力は人を裏切るが・掃除は人を裏切らない 部屋のゴミは捨てるのに 心の領域を占めるキャラクターを、どうして掃除しようとしないのか なぜか、古びた人間関係に決着をつけない人がいる 勇気がないのかな それとも「さよなら」を悪の行為だとでも思ってるのかな 人間関係のリフレッシュ おすすめだよ

    人間関係の大掃除のススメ
  • 「人を助けたことがある」と言う人よりも、「あの人に救われた」という人..

    「人を助けたことがある」と言う人よりも、「あの人に救われた」という人が多い。きっと助けた人は、そんなことは些細なこと当たり前のことだと思っているからだと思う。 私は挨拶に救われたことがある。クラスでいじめられていた、あるいはそう思っていた時に言われた「おはよう」で救われた。鉛筆を貸してくれた。教科書を見せてくれた。社会人では、残業に付き合ってくれて、そばにいてくれた。感謝されたなど様々ある。 よく「潮目が変わる」というが、実際のところ、大きな変化の前に小さな些細な何かがおこっていて、小さな親切や当たり前をきっかけに人生の流れが変わっていく。 きっと私も人を救っているのだろうと思う。全く覚えてないけど、きっとそうなんだろう。事実があってもなくても、ただそう思えるだけで十分だし、これからもそう能天気に思える人生を歩みたい。

    「人を助けたことがある」と言う人よりも、「あの人に救われた」という人..
  • なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか?

    「謝ったら死ぬ病」をご存知だろうか? どんなに証拠を突き付けても、絶対に非を認めない人だ。 プライドの高さや負けず嫌いといった性格的なものよりもむしろ、過ちを認めることが、自分の命にかかわるものだと頑なに信じている。すなわち、「謝ったら死ぬ」という病(やまい)に取り憑かれている―――そんな人がいる。 もちろん、想像力が衰えて視野が狭く、無知な自分を認めたがらないような頑固者なら、可哀そうに思えども理解はできる。 だが、第一線で活躍する知識人や学者で、ものごとを客観視できるはずなのに、この病気に罹っている人がいる。それどころか、その優れた知性を用いてコジツケを考えだし、論理を捻じ曲げ、のらりくらりと言い逃れる。 なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか? ずばりこのタイトルの書を読んだら、疑問が氷解した。 それと同時に、「謝ったら死ぬ病」は私も罹患していることが分かった。「あの人」ほどは酷く

    なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか?
  • 相手が傷付くから言うなという話

    もうずっと不思議なんだけど、傷付くと思ってなくて言ってる人より、傷付ける意思を明確にもって言ってるこ人の方が多くない? 「そんなこと言われたら傷付くでしょ?」 って言説を見るたびに 「傷付けようとしてるんだから傷付いたら目標達成では?」 みたいな気になる。 増田とかみんなそうでしょ。 マフィンの人や歳の差婚の人が傷付いて「私が悪かったです……」ってなったら喜ぶし、ジャニ叩きや宝塚叩きも「みんなで叩いたら凹むかも」って思って叩いてるでしょ。 そういう人たちに「傷付く人たちがいるからやめようね」ってどれだけ届くんだろう。 まぁあさイチのクレーマー回見て特にそう思いました。おわり。

    相手が傷付くから言うなという話
  • バーベンハイマーの原爆ミームへの抗議は、アメリカ人側となぜ全く噛み合っていなかったのか|THE MAINSTREAM(沢田太陽)

    どうも。 なんか日で話題になってましたね。 このブログでも7月20日の週あたりから報じていました「バーベンハイマー」。「バービー」と「オッペンハイマー」、この2つの批評的評価の高い映画で、アヴェンジャーズの「エンドゲーム」以来の興行的大成功を得たという話。続編映画しか当たらないハリウッドの状況に一石を投じるすごくポジティヴなものとして世界の映画ファンの間ではかなり好意的な感じで受け止められてました。 ところが こうした原爆を茶化しているのかと思えるミームが出回りまして、これに対してワーナーの「バービー」の公式が「忘れられない夏になる」、あるいはキノコ雲を髪型にして「いかしたスタイリスト」なるレスをやっちゃったんですね。 これが日人の逆鱗に触れて猛抗議が起きまして、「バービー」の公式が日人の投稿で荒れまして、日の公式、さらにアメリカのワーナー社が謝罪するという事態に出て、 こういう

    バーベンハイマーの原爆ミームへの抗議は、アメリカ人側となぜ全く噛み合っていなかったのか|THE MAINSTREAM(沢田太陽)
  • 非モテユーモアが減った方がいいのは同意するけど、全員には求めないで欲しい

    理系に女子を増やしたいなら非モテユーモアは減ってほしい anond:20230712191914 を読んで、大筋は同意という事は前提として、意見というよりはお願いとして、これを全員には求めないで欲しいなと思う まず前提として私自身は既に長年の間非モテユーモアは言わない様にしてるし、これからもそうするつもり ただ、非モテの中には(男性だけではなく女性も)非モテであることをネタやユーモアにする事でなんとか乗り切ってる人や、精神的にそうせざるを得ない人も居る事は理解して欲しい 自分は既にそうではなくなったから非モテユーモアを止めることができる、でもそういう人だけじゃないんだよという事を分かって欲しい これは飽くまで個人的な感覚だけど、恋愛や性にまつわる重圧や「持たざる者」への侮蔑は過去よりは軽くなったとはいえ、まだまだ現在の社会には色濃く残っていて、 個人差はあるけどそうした状況から日々深く傷つ

    非モテユーモアが減った方がいいのは同意するけど、全員には求めないで欲しい
  • (追記あり)「沈黙=NO」で通じる社会が嫌すぎる

    コメントありがとうございました! とても参考になっています。 だいたい出揃ったと思うけど、まとめると以下のような意見が多いと思う。 ・わかるし、似たような経験もある ・お前が聞かないのが悪い(すみません、でもウザがられたら二度と連絡取ってくれないでしょ?) ・返事しにくいやつが先延ばしになって結果的に返答しないことになっただけ ・周りがやっているからやっている ・海外もそんなもんだよ? ・沈黙というより永久に保留したいだけ ・SNSの既読スルーの作法がビジネスに適用されたのでは 納得できるものもできないものもあるけど、ちょっとだけ。 まず保留にしているんだよわかるでしょ?というのはまあそうなんだろうけど、それは両者とも同じ作法を共有していることが前提だから、できればいつまで保留したい旨伝えてほしいと思う。 面倒でもです。言いにくいというのも甘えだ。 あと海外では当たり前というのはちょっと違

    (追記あり)「沈黙=NO」で通じる社会が嫌すぎる
  • 「NOと言ってくれない人」問題

    ハラスメントも性暴力もあってはならないのはそりゃそうだし傷つける側に回らないように生きてはいるんだが。 ハラスメントする側に回らないようにいくら頑張ってもそもそも「NOと言ってくれない人」っているじゃん。 たいていの場合、過去にその人に嫌な思いをさせた人がいるんだろうなとは思うんだけど、その人以外はその人じゃないし。 それでも「NOと言えない」を内面化してる人って周りの人がいくら配慮しても人の問題だからどうしようもないじゃんか。 前職が大変だったのか過剰にビクビクしてて教えにくいし質問も遠慮して全然しないわかってないのに「わかりました」と言っちゃう新人とか。 頑張って根気強く優しく教えるけど他の人よりすごい時間かかる。 そしてこれ恋愛や性愛の場面でも普通にありえることだと思うし。 別にフェラチオしてくれなくていいけどなーと思ってるのに向こうが勝手に「当は嫌だけどしないと嫌われる」と思っ

    「NOと言ってくれない人」問題
  • インターネットの向こうにいる人の正常性を信頼しすぎだと思う

    インターネットにすごい知能低い人とか認知が普通の人とずれる障害の人とかメンタル不調の人とかサイコパスとか無敵の人とかケーキが切れないヤンキーが普通にいるという事実を、ほんとみんな受け入れられてないよね。 リアル社会では、足りない頭や歪んだ認知に基づいておかしいこと言ってる人がいても、デマや陰謀論を信じてる人がいても、まだらボケの老人がいても 「そういう人もいるね、仕方ないね」って、わりとみんな遠巻きにしてると思う。まじめに反論したりたしなめたりする人いないじゃん。諦めてるから。 なんかね、インターネットにだけ諦めが足りなすぎると思うんだ。 冷静に考えよう。おかしい人に真面目に反論して認識を改めてくれることもないし、批判が集まって反省することもないし、議論して自分の間違いを認めてくれることもない。誤読する人は、頭が悪いから誤読するのであり、人格破綻してるから作者がどんなに言葉を尽くして情報を

    インターネットの向こうにいる人の正常性を信頼しすぎだと思う
  • こうして言葉の領域が広くなることって本当にいいことなのかな その言葉が..

    こうして言葉の領域が広くなることって当にいいことなのかな その言葉が指し示す領域が広くなるってことはその言葉が薄くなるってことなんじゃないかな 昔は神といえば、宗教上の神様のことで崇め奉る存在だったけど 今では「すげーやつ」みたいにカジュアルに使われるようになって、神って言葉の威厳は失われたよね 別に肉体的な破壊を伴わないことを「暴力」と表現することは別にいいと思うけど 精神的な痛みの共有は肉体的な痛みの共有よりはるかに難しい 今後、精神的虐待などを暴力と表現していったとして 「子供のころ暴力を振るわれていたんです」と話す相手に対して 肉体的な破壊を伴うものしか「暴力」でなかった時代に比べて その相手に対する感慨は薄れるんじゃないだろうか

    こうして言葉の領域が広くなることって本当にいいことなのかな その言葉が..
    runt_nc
    runt_nc 2022/12/08
    良いも悪いも、ヒトの歴史を鑑みれば「そういうもん」としか。薄い言葉だけでは難しいコミュニケーションもあるから、失われた「重み」はまた別の(ことによっては新しい)言葉に移し替えられていくんでしょう。
  • 共感にあらがえ - 内田樹の研究室

    はじめて永井陽右君に会ったのは朝日新聞のデジタル版での対談だった。もう3、4年前だと思う。ひさしぶりに「青年」というものに出会った気がした。デジタル版だったので1時間半くらいの対談内容がそのまま掲載された。それを再録しておく。 永井:私は仕事としてテロ組織から降参した人のケアや社会復帰の支援などをやってきました。しかし、国際支援の分野での対象者や対象地に関する偏りがどうも気になっていて。難民だとか子どもだとかそういう問題になると情動的な共感が生まれるのに対して、「大人で元テロリストで人殺しちゃいました」とかだと、それがまるで真逆になる。抱えている問題が同じだとしても、「なんでそいつまだ生きてるんですか?」て話になってしまう。そこが問題意識としてもともとありました。 今の日社会をみると、共感がすごくもてはやされていて、その状況に違和感を持っています。ただ同時に、「共感」の欠点を自分のなかで

  • ファッションに興味ない人がダサい服装してるのが意味わからない

    ファッションに興味ないなら、服装の選択で情報処理能力が低いと判断されてしまうリスクを避けて、プラスマイナスゼロの評価になるような、いわゆる量産型ファッションをするもんじゃないの? オシャレしたいわけでもないのに、人と違う、世間の最大公約数的な価値観の中で評価されないファッションをしたところで得しないと思うんだけど。 俺は学生時代からベースボールシャツをよく着てて、友達からはパワプロくんっていうあだ名で呼ばれてたんだけど、周りの意見よりも自分のこだわり優先だから別に何とも思わないよ。 でも、ファッションに対してこだわりない人の方が世の中じゃ多数派でしょ? せっかく量産型ファッションっていう、ファッションが原因で人格を判断されないための手段があるのに、それをしない理由がわからないんだよな。

    ファッションに興味ない人がダサい服装してるのが意味わからない
    runt_nc
    runt_nc 2022/07/07
    “量産型ファッション” ってそんなに簡単なものだろうか。移り変わりもある(から情報収集を怠るとあっという間にダサくなる)し、同じ服でも組み合わせによってor着る人によって印象が変わると思うのだけど。
  • 「ガチ勢」は例外なく「キモい」

    スラングとしては有名な部類であろう「ガチ勢」であるが、ガチ勢はオタク趣味だろうと一般趣味だろうと例外なく「キモい」。 まず思いつくキモさ。パーティゲームガチ勢のキモさは言わずもがなだろう。人狼で最適行動を取らなかった、取れなかった人に利敵行為と言い始める奴、スマブラで「終点アイテム無し以外はスマブラじゃない」みたいなこと言い始める奴。キモい。人狼プレイヤーがキモがられる理由は非常に簡単で、「全員が各々の勝ちを目指してやる」という「前提」で推理するゲームなので、最適行動以外は利敵に近くなるゲームなのだ。「全員が多弁で事故が起きずにゲームが最後まで遂行される」という、ある意味機械的なリプレイが良い試合とされる、ガチ勢が幅を効かせるのは仕方がないのだ。スマブラはパーティゲームとしても格闘ゲームとしても楽しめるゲームだからこそ、パーティゲーム勢と格闘ゲーム勢は相容れない。そして格闘ゲーム勢が経験者

    「ガチ勢」は例外なく「キモい」
  • 自分を軽く扱うこと、他人を軽く扱うこと

    自分自身を軽く扱うと周りの人間にも軽く扱っていいと思われるというのはよく聞くが、私自身が誰かを軽く扱う側に立つとは思わなかった。 会社の後輩に何を言っても謝る子がいて、1年くらいは謝る必要がないことで謝らないでと注意していたのだが一向に理解してもらえずにいた。 私は1年で諦めたが、私以外の社員もそれぞれがきちんと数年かけて悪くもないのに謝らないでと伝えている。しかしこれが当に1ミリも伝わらない。同じ言語話してますよね?っていうくらい、ここに関しては伝わらない。 褒めても注意しても、こちらの言動が丁寧でも雑でも、返事には申し訳ございませんがついてくる。 なので、数年経った頃から「どうせ申し訳ございませんしか言わないんだし丁寧なコミュニケーションは時間の無駄だ」と思うようになった。 雑に扱うようになった。返事は一言。雑談はしない。だって、責めてもないのに謝罪されるから。 責めてもいないのに、

    自分を軽く扱うこと、他人を軽く扱うこと
    runt_nc
    runt_nc 2022/03/25
    自分も周囲も、良くも悪くも「学習」してしまうよね。 / その上で自らの行動を・態度を変化させるのは、相手に合わせる優しさゆえでもあるんじゃないかと思う。
  • ゲームの勝敗でかんしゃくを起こす子どもにできることは大人げない大人になること|フィンランドワークショップomena

    「ずるい!! なんで勝てないの!?」 コントローラーを床に投げつけ ソファの上で大暴れしながら 小学1年生の男の子は 目に涙を溜めながらそう言った 私は月に数日 友達の子どものお世話をしている 親の代わりに学童に迎えに行って 親が用意しておいた 夕を温めてべさせる その後は一緒に遊びながら 友人が帰ってくるのを待っている 最初はおもちゃや トランプで遊んでいたが 最近はニンテンドースイッチの マリオパーティーという ゲームにハマっている その家にはゲームはあるものの その子はほとんど遊んだことがないと言う 私の友人は元々 ゲームはあまりやらないし 友人のパートナーつまり 子どもの父親がゲーム好きだが 「すぐに怒るから一緒にゲームはしない」 と子どもに言っていたそうだ そこへやってきた ゲームOKの大人に 彼は毎回 「ご飯べたらゲームしよう!」と 目を輝かせているのだ。 最初の頃は 彼

    ゲームの勝敗でかんしゃくを起こす子どもにできることは大人げない大人になること|フィンランドワークショップomena
  • 我が家のどん詰まり読書感想文問題|末次由紀

    勉強ができる子というのはいます。勉強が苦手な子もいます。 我が家では、家庭教師経験の長い夫の「できない子への寄り添い方」に感心することが多く、今回読書感想文という敵と対峙し、そこで見たやり方の一例を描かせてもらいました。 宿題をやるやらないより前の感触として、「一つの創作物を通して、他人とコミュニケーションを取る」ことの効用がこれほど大きいとは、と驚きました。 私も読むべきだと思って月末にカービィを読みました。そして息子と話しました。 https://tsubasabunko.jp/product/kirby/322103001605.html キラキラした目で好きな物語のことを話し、同じものを読んでいる大人が真正面から受け止める、そのやりとりを楽しいと思うことが、「またを読みたい」「また話したい」という読書体験の栄養になっていくのだなと感じました。 「今回話してみて、文字しかないをし

    我が家のどん詰まり読書感想文問題|末次由紀
  • 無添加失礼について - 山下泰平の趣味の方法

    この世には無添加な失礼が存在している だいたい恵まれた環境ですごしてきた、いわゆる育ちがよい人による無添加失礼を目にすることが増えてきた。最近よく見るのがわりと良い家庭環境の人による俺はこんなにがんばったんだ的な発言に対し、お前それは環境が良かっただけだろボケ無能が的な反応が帰ってくるみたいな現象で、これは相互無添加失礼みたいな雰囲気があってわりと最悪だと思う。 そもそも無添加失礼ってなんだよって話なんだけど、これは私が勝手に使っている言葉で、無知や経験の欠落から意図せず失礼になってしてしまうことである。呼び方はナチュラル失敬でも自然派無礼でもなんでもいいんだけど、とにかくそういった現象が増えてきている。 こういったものと出会った時に、怒りを表明するのは良いけれど、傷つくことはないよなと私は思っている。なぜなら他人の無知が起因して発生する現象なので、自分が傷つく意味がないからだ。無添加な失

    無添加失礼について - 山下泰平の趣味の方法