倫理に関するrunt_ncのブックマーク (44)

  • 多様性の尊重ということについて異論はないが、子供をその尖兵に使うのは..

    多様性の尊重ということについて異論はないが、子供をその尖兵に使うのは筋が違うと。 大人の理想のために子供にリスクを負わせるのは正しいことではないと。 まあ、もっともな意見だと思う。 ところでまた別の角度からの話をすると「みんなと違うことは好ましくないのでは」というような価値観の問題は、純粋に価値観の問題としてのみ取り扱う限りは微動だにしないのである。 どういうことか? 例えば「人間には生まれつき貴賤の別がある」という価値観に対して「人間は生まれながらに平等です」という価値観を対置して説教したりみんなで話し合ったりしても何も変わらない。 しかし外国から新しい文明の文物が流入して全く新しい職業がバンバン生まれると、四の五の言わずとも士農工商なんてどうでもよくなる。 ハード(形あるモノ)がソフト(価値観)を強力に規定するのだ。 子供に「多様性は大事ですよ」と百万回唱えても無意味である。具体的に違

    多様性の尊重ということについて異論はないが、子供をその尖兵に使うのは..
  • ブログ飽きた理由 - ←ズイショ→

    俺は日記とか一切書かない人間で基的に他の人に読まれることがない文章なんぞ書く必要が俺にはないと思っている。なので、ブログという他人に読まれる可能性があるから書く理由が存在する場所というのはもともと居心地のいい場所だった。俺はヘンリー・ダーガーのような人間に憧れはするものの決してそうはなれない性根であることをいい加減自分でわかりきってるから、恥ずかしげもなく言う。俺は俺が読んでほしい人、俺みたいなやつの文章を読んでくれる人がいないと何も書かん。書く以外のこと全般に関してもそうだ、俺は他人が介在しないと無限になんもしない自信がある。 話をブログに戻そう、どうせ書くなら目的や理想や希望は持っておきたい。読んでくれる人がいるから初めて書く俺みたいなやつの場合その目的設定は案外簡単だった。それは読んだ人が「あ、このままでいいんだ」と思ってくれたらそれでいいや、ということだ。なんとなく言ってはいけな

    ブログ飽きた理由 - ←ズイショ→
  • 『児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書) : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期』へのコメント

    自傷、自殺に関する情報が掲載されています。お悩みや困りごとがある場合には、公的な支援窓口への相談をおすすめします。情報を見る

    『児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書) : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期』へのコメント
  • 児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書) : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    12月21 児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書) カテゴリ:社会8点 相模原障害者施設殺傷事件、京都ALS嘱託殺人事件、そして映画『PLAN 75』など、日でもたびたび安楽死が話題になることがあります。 安楽死については当然ながら賛成派と反対派がいますが、賛成派の1つの論拠としてあるのは「海外ではすでに行われている」ということでしょう。 著者は以前からこの安楽死問題について情報を発信してきた人物ですが、著者が情報発信を始めた2007年頃において、安楽死が合法化されていたのは、米オレゴン州、ベルギー、オランダの3か所、それとスイスが自殺幇助を認めていました。 それが、ルクセンブルク、コロンビア、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア(一部を除く)、スペイン、ポルトガルに広がり、米国でもさまざまな州に広がっています。 では、そういった国で実際に何が起こっているのか?

  • はてなブックマークガイドライン

    ここでは、はてなブックマークがサービスを運営するにあたっての考え方と、はてながサービスを健全に運営するための方針、また、サービスをより有益に使っていただくためユーザーのみなさまにお願いしたいことをガイドラインとして公開します。 はてな全体のルールとガイドライン はてなでは、サービス利用について下記のようなルールとガイドラインを公開しています。 はてな利用規約 はてなプライバシーポリシー はてな情報削除ガイドライン はてなコミュニティガイドライン 特に、はてなコミュニティガイドライン では、はてな全体のユーザーコミュニティに対する価値観と、サービス上で生じる問題に対する指針を記載しています。ぜひご一読ください。 はてなブックマークは、ご利用いただくみなさまが、サービスを通じて以下のような体験が得られる場であることを目指しています。 新たな発見が多く得られる 情報への深い理解や洞察が得られる

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  • 哲学カフェをする人たちへ〜とあるセクシュアルマイノリティ当事者より|騒音

    哲学カフェを主催する人たち、哲学カフェに参加する人たち、哲学カフェに興味を持つ人たち、みなさん、どうか私の話を聴いてほしい。6月16日、哲学カフェという実践は、暴力の姿をとって私の前に現れた。 まずは、私自身について軽い自己紹介をしておこうと思う。私はLGBTQのQ(クエスチョニング、クィア)にあたる人間だ。同性のパートナーがおり、パートナーシップ宣言を結んで共に生活している。そして、学生時代に哲学対話やNSDについて(ごくごく軽い入り口の部分ではあるものの)勉強したことがあり、哲学カフェについても身近なものと感じてきた。 ※これ以下の文章については、差別に関するトラウマを喚起する可能性があるため、LGBTQ当事者の方は十分注意して読み進めていただきたい。無理、ダメ、絶対。 そんな私はある日、久々に哲学カフェに参加しようと思いつき、呑気にネットサーフィンで場所を探していたのだが、「へえ〜こ

    哲学カフェをする人たちへ〜とあるセクシュアルマイノリティ当事者より|騒音
  • 論破王系エキストリーム極論野郎への対処法(再追記しました)

    anond:20230611130551 論破王系は議論の誘導がうまい某論破王もよく使ってるんだけど、自分が有利な命題に誘導しつつ、相手側に説明責任を発生させるのがうまいんだよね。今回で言えば『水着撮影会に害があるかどうか説明してみろよ』と言っておくことで相手側に説明責任を発生させている。またこれによってそれ以外の観点への反論に対しては「害があるかどうかの説明になってない」で返せる。 ここで冷静に考えてほしいんですけど、『水着撮影会に害があるかどうかを説明する』のってめちゃくちゃ難しいですよね。学術的に証明するためには莫大なコストが掛かるのはおいておくにしても、『害がある』という状態が定義されていないのでいくらでもゴールポストを動かせるし、仮にそれが説明できたとしても『でもこういったメリットもあるからそれを上回る害であることを説明してください』で相手の説明責任をおかわりできる。建設的な議論

    論破王系エキストリーム極論野郎への対処法(再追記しました)
  • エキストリーム表現の自由戦士としては

    そもそも過激だったりエロかったりすると何がダメなの? っていうところがエキストリーム表現の自由戦士である俺にはマジでわからん。 だって害がないじゃん。 俺自身はああいう撮影会はキショいから全然参加したくならないし SNSで見れるあの手のイベントで撮れた写真もつまんねーとしか思えない。 ついでにいえばモデルの殆ども撮る価値ないブスだと思う。 しかしあれが何の害になるのかについて答えが出せないので 俺はあれをアリとするしかないんだよな。 声高な反対派の声をまとめると要するに 「キモい欲望を持った奴等が調子づくのがまずい」と言ってるんだと思うが それぐらいはさすがにしゃあないんじゃないのか? たとえば俺は撮り鉄もキモいと思うし奴等の写真はゴミだと思うし 「代表者一人が撮影してデータ配ればいいじゃねえか規格化されたゴミ写真撮るだけなんだから」と思う。 キショさ丸出しの言い草で世間様に言い返してる姿

    エキストリーム表現の自由戦士としては
  • 「NOと言ってくれない人」問題

    ハラスメントも性暴力もあってはならないのはそりゃそうだし傷つける側に回らないように生きてはいるんだが。 ハラスメントする側に回らないようにいくら頑張ってもそもそも「NOと言ってくれない人」っているじゃん。 たいていの場合、過去にその人に嫌な思いをさせた人がいるんだろうなとは思うんだけど、その人以外はその人じゃないし。 それでも「NOと言えない」を内面化してる人って周りの人がいくら配慮しても人の問題だからどうしようもないじゃんか。 前職が大変だったのか過剰にビクビクしてて教えにくいし質問も遠慮して全然しないわかってないのに「わかりました」と言っちゃう新人とか。 頑張って根気強く優しく教えるけど他の人よりすごい時間かかる。 そしてこれ恋愛や性愛の場面でも普通にありえることだと思うし。 別にフェラチオしてくれなくていいけどなーと思ってるのに向こうが勝手に「当は嫌だけどしないと嫌われる」と思っ

    「NOと言ってくれない人」問題
  • はてブもついにここまで来たか

    痴呆の父人が嫌がっても強制的に入院させた、という増田にこんなブコメがついてる。 痴呆がすすんでも生きながらえさせなきゃダメなのか。残された家族のQOLが爆下がりするなら安楽死だって選択肢ではないのか。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4734234384946062020/comment/emt0 これに10人以上がスターをつけて上位ブコメになってる。 ここでの「安楽死」とは、命にかかわる病気ですぐ先に死が見えている状況で、生きるのに肉体的・精神的な苦痛が続き、人が望んで死を選ぶ「尊厳死」ではなく、 「痴呆で人の判断能力が損なわれ、自制力や生活力がなくなり、周囲(家族)に迷惑をかけるので、この世からいなくなってもらおう」という意味で、つまりのところ「お荷物人間の殺処分」てことだ。人の意に反しても社会的に有益なら殺人を認める、そんな制度を国が法的に認めて整備

    はてブもついにここまで来たか
  • そもそもコロナ対策の議論がトロッコ問題なのにね。 トロッコ問題は、 誰..

    そもそもコロナ対策の議論がトロッコ問題なのにね。 トロッコ問題は、 誰のせいでもない大きな犠牲か、自分が選んだ小さな犠牲かという問題なので、まんま、 誰のせいでもない大量死か、政治家や医者による自由や人権への制約かという、ロックダウンをめぐる倫理的な議論にスライドしちゃうんだよね。 病気で大勢死ぬ分には、誰の責任でもない。トロッコが壊れて暴走した結果5人の作業員が死んでも、それはあなたのせいではないのと同じだ。だが、行き先を切り替えて1人を轢き殺したら、あなたにはその結果への責任が発生する。ということは、ロックダウンで多くの人を家に閉じ込めた人は、当然、他者の自由を奪い人権を侵害したことへの責任を負うべきだ、ということになる。 これがロックダウン反対派の倫理的根拠なんだよね。トロッコ問題で行き先を切り替えないことを選ぶ(=自分の意志で1人を轢き殺すよりも事故で5人死ぬことの方がマシと考える

    そもそもコロナ対策の議論がトロッコ問題なのにね。 トロッコ問題は、 誰..
  • 度が過ぎた公共性の反転現象 - メロンダウト

    巷では「異次元の少子化対策」について喧々諤々議論がなされていて、いろいろな記事を斜め読みしてはいるのだがどうも何か書く気になれないでいる。今に限ったことではないのだが、定期的に時代にたいする情動が停滞する時がある。平たく言えばどうでもよくなってしまう。時勢や話題が滔滔と流れていくだけで、現実的には何も変わらないのだろうなと、諦観や厭世観のほうが先にきてしまうような感覚がある。しかし不思議なもので得てして「そういう時」のほうが文章が書けてしまう。書こうと思うと書けず、別に書きたくないと思っているほうが書ける。ブロガーあるある、ですかね。 今のテンションを利用して散文的に世評めいたことを書くと、議論になっている少子化ってもう社会構造がそうなっているのだから根的に解決するのは難しいだろうなと思っている。 子供に限らず、一般社会で他者にたいし望むべく姿を考えてみても、もう随分前から社会の承認構造

    度が過ぎた公共性の反転現象 - メロンダウト
  • 「講座 あにまるえしっくす」/「紡音ゆび子」のシリーズ [pixiv]

    漫画で学べる動物倫理。人と動物はどう関わっていくべきか? 動物保護、ビーガン、環境、倫理学そのものに興味のある方に楽しんでもらえたら幸いです。 原作:苗野 作画:紡音ゆび子

    「講座 あにまるえしっくす」/「紡音ゆび子」のシリーズ [pixiv]
  • 倫理や正義を押しつけるのは悪いことなのか ~ ワートリの倫理とヴィーガンの正義 - 已己巳己ブレイクダウン

    [概要]ある人が倫理的な主張をしたとき、それに対して「押しつけるな」という反応が返されることも多い。このとき、両者のメタ倫理観に違いがあるのではないかと考えてみることで理解が進む可能性がある。 序 何について考えるか 用語整理: 道徳? 倫理? 正義? ワールドトリガーと倫理 倫理とは議論の余地のないものであるか 倫理は「お気持ち」とは違うのか 倫理とは主観的なものであるか 倫理を押しつけるな派と別にいいだろ派はそれぞれ一枚岩なのか 倫理とは相対的なものであるか 倫理に権威はあるのか ヴィーガンと正義 正義を他人に要求するのは悪いことか 正義を要求することは当たり前なのか 正義を要求することは暴力なのか 正義を押しつけと感じるのはなぜか 正義を要求することの是非と正義そのものの是非は別問題か 正義とはヤバいものなのか 正義とは発明するものなのか 正義とは理論化するものなのか 参考書籍 道徳

    倫理や正義を押しつけるのは悪いことなのか ~ ワートリの倫理とヴィーガンの正義 - 已己巳己ブレイクダウン
  • 共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで これは、いろいろと考えさせられ..

    共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。 ただ、内田が、 「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。 というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。 たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。 そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。 家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。 アレックス・カーが20

    共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで これは、いろいろと考えさせられ..
  • 共感にあらがえ - 内田樹の研究室

    はじめて永井陽右君に会ったのは朝日新聞のデジタル版での対談だった。もう3、4年前だと思う。ひさしぶりに「青年」というものに出会った気がした。デジタル版だったので1時間半くらいの対談内容がそのまま掲載された。それを再録しておく。 永井:私は仕事としてテロ組織から降参した人のケアや社会復帰の支援などをやってきました。しかし、国際支援の分野での対象者や対象地に関する偏りがどうも気になっていて。難民だとか子どもだとかそういう問題になると情動的な共感が生まれるのに対して、「大人で元テロリストで人殺しちゃいました」とかだと、それがまるで真逆になる。抱えている問題が同じだとしても、「なんでそいつまだ生きてるんですか?」て話になってしまう。そこが問題意識としてもともとありました。 今の日社会をみると、共感がすごくもてはやされていて、その状況に違和感を持っています。ただ同時に、「共感」の欠点を自分のなかで

  • シリアルキラー、いわゆるサイコパスでも『親に申し訳ない』とかの概念がある現実

    なお、ワイ君には存在しない概念の模様 ワイ君とシリアルキラーを分けているポイントは、 『されたら嫌なこと・痛いことはしちゃダメ』 『血はダメ!絶対!』 くらいしかないのか?と思ったが、 冷静に考えてみたら他者に対する『かわいそう(気の毒)』 って感情は流石のワイ君も持ち合わせていた。よかったよかったワイ君セーフ しかし、申し訳ないの概念を持ってないことの延長上にあるのだろうけど、『みなさんのおかげです』って感情も持ち合わせていない もちろん、謙虚で協調の姿勢を示すほうが人の受けが良いということは流石のワイ君でも学習してるので、 『ワイ君よくやった!』とか言われたら、『みなさんのおかげです』とか『〇〇さんのおかげです』と口にはする ただ、心では微塵も思ってはおらず、このケースは〇〇さんの貢献度が高いのでは?と詳細な指摘があれば、 ケース毎に事実確認・承認するけど?くらいのノリ もっと掘り下

    シリアルキラー、いわゆるサイコパスでも『親に申し訳ない』とかの概念がある現実
  • 価値観のアプデとか言ってる奴らがこわい

    新しい価値観が絶対的に正しいわけでもないのに「最近の風潮に付いていけてない」と言うだけで批判した気になってるブコメが多くて怖いよ〜 近大美女図鑑の話ね。俺もアレは悪趣味だと思うけどさ、「最近の風潮ではそう言うのはダメになってきてるから」では何の理由にもなってないのよ。 「ルッキズムだからダメ」も一緒な。身体能力や知的能力は良くて、どうして外見的魅力だけ取り上げることは許されないのか合理的に説明できるならいいけど、単にそれっぽい言葉出してるだけじゃん。 学問に関係ないからダメ?じゃあサークル活動の紹介も何もダメになるだろ。パンフは紀要じゃねえんだぞ。 批判したいなら、世間の風潮を持ち出さずに自分の頭できちんと考えてせえよ。 (世間じゃなくて、貴方が許さないのでしょう?) 「社会の風潮が絶対正しいマン」が戦時中には非国民探しをしてたし、戦後は旧日軍を批判してたし、最近では脳死ポリコレマシーン

    価値観のアプデとか言ってる奴らがこわい
  • これは結構難しい話な気もする。 まず、ゼロ年代までの日本において、政治..

    これは結構難しい話な気もする。 まず、ゼロ年代までの日において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。 数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。 ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。 比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。 そしてその餌の一つが表現規制、とくに性表現規制だった。 主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。 要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論

    これは結構難しい話な気もする。 まず、ゼロ年代までの日本において、政治..
  • 車の内側にいる人は、子供を殺す事はない

    コロナ前、晴れた日曜日。 田舎に住む自分が、仕事の為に地方都市の市役所だか県庁だったかに行ったとき、そのすぐ後ろにでかい公園があった。 遊具の有無は覚えてないけど、とにかく広くて芝生が青くて、親がレジャーシートを敷いて遊ぶ子供を見守っているような公園だったから、優雅だなと思ったのを覚えてる。 さてもう一件いかないと、と車に乗って、これまた広い道に出ようと公園をぐるっと一回りしたとき、五台前くらいの車が何かを避けるように、ゆっくりと反対車線に大きく膨らんだ。 片側一車線だけどとても広いその道路の、反対車線には車が無かった。 ずっと続く道の奥には、こっちへ向かって来る車は見えなかった。 それでその、五台前くらいにいた車の後続車も、その後ろも、その後ろも、続いた先にいる自分の前を走っていた車も、道を大きく膨らんでさっさと走っていった。 公園の駐車場に入っていく車も何台かいたと思う。 大きな、ファ

    車の内側にいる人は、子供を殺す事はない