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ブックマーク / bunshun.jp (5)

  • 車は通行不能、倒木や落石がゴロゴロ…国道256号の“酷すぎる分断区間”を4時間かけて踏破してみた | 文春オンライン

    そんな峠道に、暗闇のなか突入するのはやめておこう――。そこでいい抜け道はないかと、私はスマホの地図アプリを眺めた。すると、飯田市上村から進路を西に変えて国道256号に入れば、その先の飯田市街から高速道路に乗れることがわかった。 実際の地図アプリの画面。国道152号から256号へ抜けるルートがわかる 国道256号へ向かうには、上村から一旦県道に入る。その道を3キロほど北に進むと、256号に左折できるようだ。早速県道に入り、北上する。……だが、明らかに3キロを過ぎても、一向に左折できそうな道が現れない。地図アプリを確認すると、既に256号への分岐点はとうに越えている。 どれだけ走っても見つからない道 「スマホの電波状態が悪いから、きっと現在地が正確に表示されてないのだろう」。そう思い、Uターンして分岐点付近に戻ってみたが、やはり道が無い。さらにUターンして行ったり来たりを繰り返したが、結果は同

    車は通行不能、倒木や落石がゴロゴロ…国道256号の“酷すぎる分断区間”を4時間かけて踏破してみた | 文春オンライン
  • 稼いだ給料を突っ込んで……写真家が廃墟化する「海外神社」を撮る理由(写真多数) | 文春オンライン

    敗戦後に全て廃絶となった「海外神社」をたずねて 1945年以前、日国は大日帝国であり、現在の日国の領土の外に、植民地(台湾、樺太、朝鮮)、委任統治領(南洋群島)、傀儡国家(満洲国)、占領地(中華民国、東南アジア諸国)と様々な種類の領土をもっていた。神の子孫である天皇が統べる大日帝国は神国であり、その広大な帝国領には、あまねく神社が造られていた。 かつて大日帝国の勢力圏内に創建された神社は、敗戦後に全て廃絶となった。今わかっている海外神社の総数は約1800社以上とされるが、資料がないため、実際の数は不明である。 私は2008年より、北はロシアから南はインドネシアまで14の国・地域で、明治時代以降に創建されたおよそ200の神社跡地と神社の撮影を大判カメラと4×5フィルムで行い、昨年末『非文字資料研究叢書2 「神国」の残影 海外神社跡地写真記録 』(国書刊行会)を出版した。 かつて神社

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  • 岡村隆史さん“風俗発言炎上”で大バトル 擁護派、批判派、どっちも賛同できません! | 文春オンライン

    コロナ前に収録したと思われるテレビ番組を観ていると、心が勝手に「うわぁそこ近づきすぎ~」「散らばって!」とざわざわしてしまう。コロナウィルスが無事収束したとしても、この感覚だけはずっと残ってしまうのではないかとふと不安になります。 以前は何も感じなかったことが、今はとても気になってしまう。昔は何も考えずに楽しく観ていたバラエティ番組をあらためて観てみると「これはない」とドン引きしてしまったり。それは自分自身の変化なのか、社会の変化なのか。「昔のテレビは自由で良かった」という方もいますが、その「自由」というのは割と多くの人の「不自由」によって支えられていたんじゃないかなと思うとすごく怖い。ノスタルジーに酔いながら都合よく記憶の改ざんしていた方が、そりゃ楽だよなと思います。 ものすごい批判を浴びた岡村隆史さんの「回答」 『岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)4月23日の放送で、リス

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    sammyadd
    sammyadd 2020/05/03
    "一番の問題点は「公共の電波に乗せてしまったこと」"「コロナによって落ちていく庶民をニヤニヤ笑いながら見ているお金持ちの49歳」"芸能人というのは「感覚のアスリート」""感覚で見極めた人が勝つ競技"
  • 課金ゲーム化する中学受験 “偏差値71の超難関校”開成中学はなぜ「授業料免除」を始めるのか? | 文春オンライン

    東大合格者数No.1の開成中学高等学校。日屈指の難関校だ。この開成中学が来年度から新入生向けに“授業料免除”の『開成会道灌山奨学金』を開始する。 一見、不思議な話である。中堅校が学力の高い生徒を確保するために、“授業料免除”の特待生を募集することはあるが、難関私立ではまずありえない。開成は中学入試で偏差値71(※)と全国でトップの水準であり、ほっておいても地頭がよく学力も高い生徒が入ってくるのだから。

    課金ゲーム化する中学受験 “偏差値71の超難関校”開成中学はなぜ「授業料免除」を始めるのか? | 文春オンライン
  • これぞ東京の秘境! 1972年に廃村になった奥多摩山中の「峰集落」へ行ってみた | 文春オンライン

    おいおい、そんなに早足で大丈夫かい、と後ろから見ていて心配になった。横に這った杉の根っこをうまく利用して作られた結構急な山道を、編集者Tは平地を大股で歩くように登っていく。前日、池袋の山道具専門店で購入したという茶色の登山が光っている。私のリュックは歩くたびに背中で音を立てる。クマよけの鈴がついているのだ。(全2回の1回目/#2へ続く) われわれが目指すのは、かつて峰という集落があった跡だ。1972(昭和47)年に最後の住民が下山し“廃村”になったと資料にある。住所は東京都奥多摩町。

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