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仮名垣魯文に関するschriftのブックマーク (3)

  • 仮名垣魯文

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    schrift 2009/08/17
     「蔵書印の世界」から。魯文の手稿と板本の比較用画像あり。
  • 館報「開港のひろば」  横浜開港資料館

    新聞万華鏡(9) 『仮名読新聞』と守屋正造 守屋正造(『かなよみ』576号 明治11年1月27日) 『仮名読新聞』は、明治8(1875)年に仮名垣魯文の編集で横浜毎日新聞会社が創刊した、明治時代の代表的な小新聞の一つです。編者である魯文については、多くの研究書が取上げていますが、魯文を取り巻く人々の1人であった守屋正造についてはほとんど知られていません。この人物は『仮名読新聞』の横浜での販売店(売捌所)をしていましたが、新聞を見ていくと正造についていくつか記事がありますので、紹介したいと思います。 守屋正造は、初めは高島町二丁目の住所で新聞に載っています。明治9年2月21日の記事には、高名写真入辻占新聞御菓子(なだかきしゃしんいりつじうらしんぶんおんかし)「浜手箱」の販売広告を載せています。21日から3日間だけ売り出した、新聞にちなんだ菓子だったようです。 上の挿絵は、明治11年1月27日

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    schrift 2009/08/17
     守屋正造。
  • 淡島寒月 明治十年前後

    明治十年前後の小説界について、思い出すままをお話してみるが、震災のため蔵書も何も焼き払ってしまったので、詳しいことや特に年代の如きは、あまり自信をもって言うことが出来ない。このことは特にお断りして置きたい。 一体に小説という言葉は、すでに新しい言葉なので、はじめは読(よみほん)とか草双紙(くさぞうし)とか呼ばれていたものである。が、それが改ったのは戊辰(ぼしん)の革命以後のことである。 その頃はすべてが改った。言い換えれば、悉(ことごと)く旧物を捨てて新らしきを求め出した時代である。『膝栗毛』や『金の草鞋(わらじ)』よりも、仮名垣魯文(かながきろぶん)の『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などが持(も)て囃(はや)されたのである。草双紙の挿絵(さしえ)を例にとって言えば、『金花七変化』の鍋島騒動(なべしまねこそうどう)の小森半之丞に、トンビ合羽(がっぱ)を着せたり、をはかせたりしている。

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    schrift 2008/12/13
     「劇評では六二連(ろくにれん)の富田砂燕(とみたさえん)という人がいた。この人の前には梅素玄魚という人がいた。後にこの人は楽屋白粉(がくやおしろい)というものをつくって売り出すような事をしたものであ
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