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コーヒー沼
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多数意見というものは、どのようにして生まれてくるのだろうか。誰にとってもこれは大きな関心事である。実際身の回りを振り返っても、われわれの仕事時間の大きな割合が、職場や家庭の各人の考えをどう集約していくか、という問題に費やされている。 社会の多数意見の形成の過程に、なにか数学的な法則のようなものはないのだろうか。人間は個々には自由意志を持ち、予測不可能な決断を行うこともあるが、多数が集まる時、ちょうど多くの原子が集まって水や塩や金属になる時と同様に、何か簡単な法則が立ち現れるのではないか。そう考えて「世論力学」というものを考案したのが、フランスはパリの理工科大学、エコール・ポリテクニークの理論物理学者、セルジュ・ガラム博士である。 世論力学の出発点は、われわれの周囲で日常的に行われる民主主義的な多数決選挙の、突き放した観察であった。 Jean-Baptiste Siméon Chardin,
『自殺』で自身の半生を丸裸でひょうひょうと綴った末井昭さんが、自殺に関係するさまざまな人と出会い、いろんな場所を訪れながら、人間と自殺についてぐるぐる考えてゆく、そんな書籍を制作中です。今回は、23年ぶりの新作ドキュメンタリー映画『ニッポン国VS泉南石綿村』を公開中の映画監督・原一男さんとのお話を公開します。息子さんが自殺された原一男さんとの自殺の話。ぜひどうぞ。(編集部) 原一男さんは元々は写真家志望でした。一九六九年に障害児をテーマにした「ばかにすンな」という写真展を銀座ニコンサロンで開催したとき、それを観に来た小林佐智子さんと出会います。その後、小林さんの提案で映画をつくり始め、原さんの彼女だった武田美由紀さんもそれに参加します。一九七二年、最初の映画『さようならCP』が完成すると同時に、小林佐智子さんと「疾走プロダクション」を設立し、小林さんは映画と私生活両方のパートナーとなります
高知工科大学で理論物理学の研究をしている全卓樹さんに、自然界の様々な階層を旅する科学エッセイを連載していただきます。月に二度、十五分だけ日常を離れ、自然の世界をのぞいてみませんか?(編集部) 人間は生物界の長をもって任じている。人間は地上すべてのバイオマス(生物量)の30%あまりを占め、脊椎動物界の食物連鎖の頂点に立っているので、その自任は根拠なしとはしない。人間をのぞいては、農業を行い牧畜〔ぼくちく〕を行い、王国を共和国をそして大帝国を築〔きず〕く生物などいないではないか。 しかしはたしてそれは本当だろうか。 世を広く見渡すと、じつは意外なところに、人間以外で農業を行い牧畜を行う生物が、王国を共和国をそして大帝国を築く生物がいる。 それはアリである。 アリはまずもって数が多い。個体あたりで人間の何十万分の一しかない軽さながら、バイオマスとしては人間に匹敵するほどとも言われている。つまり重
文学にも「感触」を感じる? 皮膚感覚がパーソナリティと結びつく? 文学の触覚から、触覚の文学へ。『触楽入門』の刊行を記念して開催したトークイベント(2016年3月15日、青山ブックセンター本店)をもとに、『早稲田文学』2016年夏号に掲載された鼎談を、同誌のご厚意で公開いたします。(編集部) 仲谷 『触楽入門』の著者の仲谷と申します。僕は触覚の神経科学の研究をしていまして、触ることに新しい価値を与えられないか、触る文化みたいなものが作れないかと考えて、二〇〇七年に「テクタイル」という活動を立ち上げました。新しい触覚の技術をみなさんにお見せする展示会や、触ることに親しむワークショップを行っています。 僕が資生堂に勤めていたとき、だいたい二年強、傳田〔でんだ〕光洋さんとお仕事をする機会を得ました。傳田さんは二五年以上、皮膚の研究をされていて、この数年は皮膚感覚についても新しい仮説を提唱され
全卓樹 第1回 高知工科大学で理論物理学の研究をしている全卓樹さんに、自然界の様々な階層を旅する科学エッセイを連載していただきます。月に二度、十五分だけ日常を離れ、自然の世界をのぞいてみませんか? ★本連載は終了しました。改題・加筆のうえ、2020年1月に小社より本として刊行する予定です。どうぞよろしくお願いいたします。――編集部 海辺に佇〔たたず〕んで、寄せては返す波の響きをきいていると、「永遠」という言葉が心に浮かぶ。 "Cabin of the Customs Watch" by Claude Monet, 1882. (Metropolitan Museum of Art) 死と静止はおそらくは永遠の安らぎではない。死してのちも万物が色褪〔あ〕せ崩れゆき、世界が無慈悲に年老いていくことを、熱力学の第二法則は命ずるのだ。永遠の喩えとされるダイヤモンドの輝きも、決して永遠ではない。
気持ちが沈んでいる時期に訪ねて来た、現実から数センチ浮いているような少女Y。彼女と一緒にいたいがために作った少女雑誌が全く売れず、さらに落ち込む末井さん。そして千石剛賢さんの聖書の話が頭から離れなくなる――。他者に尽くせるときというのは、自分の心に余裕があり、相手も自分に好感を持ってくれているときです。「自分がどういう状態であっても、相手がどんな状態でも、相手のことを思うことはできるのでしょうか」(編集部)。 1987年~1988年は僕にとって最悪の2年間でした。千石剛賢さんの本『父とは誰か、母とは誰か』を読んで、千石さんに会いに行こうと思ったのは、その最悪期に入りかけたころでした。 1981年に創刊した『写真時代』は、創刊号から完売で順調に部数を伸ばしていき、問題は何もなかったのですが、私生活に問題がありました。妻に内緒でコソコソと付き合っていた人が統合失調症(当時は分裂病と言っていまし
「毎日新聞」東京版月曜日夕刊 岸政彦さん連載(終了) 社会学の目的 岸政彦|太田出版『atプラス』インタビュー 東京新聞2016年2月20日夕刊|生活史から社会見る エッセー集に熱い支持 岸政彦さん(社会学者) mammo.tv #360 私たちはわかりあえない。だが他者を理解しようとすることをやめてはならない 【SYNODOS】交差する人生、行き交う物語 岸政彦×ヤンヨンヒ 書斎の窓 有斐閣「社会学はどこからきて、どこへ行くのか」北田暁大さん+岸政彦さん対談 第一回 第二回 第三回 【SYNODOS】他人を理解する入口に立つ――ライフヒストリーに耳を傾けて/社会学者・岸政彦先生インタビュー ご紹介・ご高評をいただきました。(多謝!) “ このような「誰にも隠されてはいないが誰の目にも触れない」、徹底的に世俗的で、孤独で、膨大な語りの存在を、著者は美しいと言う。 この感性に私は共感する。そ
『自殺』の末井昭さん新連載。「みんな、何を指針にして生きているんだろう?」。聖書に出会って、ものの見方がひっくり返ったという末井昭さん。信仰を持っているわけではない末井さんは、聖書を「実用書」として読んでいると言います。聖書に書かれているように生活したいと思うが、できない自分。日常と聖書との往復で見えてくるものとは。初回はイエスの方舟事件と、「こんな世の中、ぶっ壊れてしまえ」と思っていたことが、頭の中で本当に起こってしまったこと。聖書を生涯読まないかもしれない、信仰をもたない方々へ贈ります。 僕は世間話というものが苦手です。たとえば、イスラム国の話から東京もテロの対象になるのかという話になり、国際情勢の話が続くのかなと思っていたら、僕の一番苦手な自分たちの子供の話になり、しまいには飼っている猫の話になったり、話題はコロコロと変わっていきます。 僕は宴会などのとき、世間話にうまく入っていけな
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を2015年1月15日に刊行いたします。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る、2012年1、2月に福島県立福島高等学校でおこなった5日間の講義録。「講義の前に」の後編をお届けします。「紛争屋」がプレハブ校舎にて、高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。(編集部) 僕は今、学者の端くれで、通称PCS(Peace & Conflict Studies)、「平和と紛争」学と訳されるようなものを、世界の紛争地域からやってきた外国人学生たちに教え、研究しています。対象はどちらかというと、イラクやアフガニスタンで今でも続いている現代の戦争に重点を置いている(PCSは「平和構築学」と訳される場合もあります。でも、平和って紛争を克服するものだろうから、僕は「紛争」のない名称って、ちょっとどうかなと思っ
こんにちは。今日から5日間、みなさんと戦争、そして平和というものを考えていきたいと思います。休日に、こういうテーマの授業に志願して集まってくれた18人のみなさんは、高校生のなかでも、きっとユニークな人たちなんだろうと思う(笑)。今は高校2年生で、春から3年と聞いているけど、というと、何歳かな? そうか、若いね。僕の2人の息子よりも。僕が君たちぐらいのときだったら、休日を返上して授業に出るなんて、しなかっただろうな、絶対(笑)。 ふだん、僕は東京外国語大学という、世界で話されている26ヵ国の言語と、その地域の文化や政治を研究する大学で教えています。僕が受けもつ大学院のゼミに集まる学生は、全員外国からの留学生たちです。アフガニスタン、イラク、イラン、ミャンマー、ボスニア・ヘルツェゴビナなど、現在戦争や内戦の問題を抱えている国、もしくは大きな内戦がやっと終わり、再発の不安を抱えながら新しい一歩を
12.02.2014 断片的なものの社会学 第10回 夜行バスの電話 岸 政彦 第10回 夜行バスの電話 ある女性への、2007年ごろの聞き取り。大阪、梅田の小さなカラオケボックスで。長い長い聞き取りの、ほんの小さな断片。 * * * ──「いまおいくつなんですか」 30です。今年30になりました。77年12月生まれです。はい。 ──「お生まれは大阪、」 いや、小倉です。(「小倉って、北九州?」)はい北九州です。いえ、小倉ではないんですけど。ま、周辺。 そう、周辺っていってもやっぱりちょっと離れますね。ちょっと田舎になりますね。 大阪に出てきて、えっと今年で丸9年になりますね。(「ていうことはいくつぐらいで」)21です。 ──「21まで小倉にいたの」 高校卒業して、OLを地元でしてました。えっと、デパートの事務員と、銀行員してました。(「銀行ってお金ええんちゃう?
10.24.2014 断片的なものの社会学 第9回 海の向こうから 岸 政彦 第9回 海の向こうから ときどきゼミで、依存症や嗜癖、あるいは、マルチ商法やカルト宗教のことが問題になる。そういうときにいつも学生に聞く。仲のよいともだちが、病的なほどパチンコにはまってしまったらどうしたらいいだろう。親友や恋人が、いかにも怪しげなカルト宗教に入ってしまったら? 社会問題に興味を持ってゼミに入ってくるような学生でも、仲のよい相手に対しては、何も言わない、というものがほとんどだ。本人がよければそれでいいんじゃないですか。私たちの、「相手の心に踏み込まない」というマナーは、とても強力に作動している。 ただ、実際には、同じゼミ生の女子でDV男と別れられないやつをみんなで寄ってたかって別れるよう説得したり、わりとけっこう、おたがいおせっかいを焼いているようだが。 それにしても、この、相手の心や意
本ブログで2011年から2013年にわたって連載していた『理不尽な進化』が、このたび書籍になります。2014年10月25日から書店店頭にならびはじめます。これまで連載を読んでくださってありがとうございます。大幅な加筆修正がなされ、最後にはおもわず息をのむ眺望がまっていますので、ぜひ本を手に取ってみていただけるとうれしいです。本の「まえがき」を公開いたします。(編集部) ま え が き この本のテーマ この本は「理不尽な進化」と題されている。ちょっと変なタイトルかもしれない(私もそう思う)。そもそも、進化が理不尽であるとは、どういう意味だろうか。 私たちはふつう、生物の進化を生き残りの観点から見ている。進化論は、生存闘争を勝ち抜いて生存に成功する者、すなわち適者の条件を問う。そうすることで、生き物たちがどのようにしてその姿形や行動を変化させながら環境に適応してきたかを説明する。そこで描かれる
岸 政彦 第8回「笑いと自由」 本ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4本に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部) 先日、ある地方議会で、男性議員からの、女性議員に対するとても深刻なセクハラヤジがあり、メディアでも大きく取り上げられて問題になっていたが、そのとき印象的だったのは、ヤジを飛ばされているちょうどそのとき、その女性議員がかすかに笑ったことだった。 あの笑いはいったい何だろうと考えている。 * * * 仕事でも、あるいは個人的にも、いろんな人たちとお付き合いがあり、なかでも自分の研究や教育、社会活動の関係で、いわゆるマイノリティと
「原発事故以降、福島を巡って巻き起こる声は、そこに住む人間にすれば、すべて、住民を置き去りにしたもののように感じられました。 誰もが、当事者をないがしろにして、何かを語りたがっている状況に、私は、強い違和感を感じました。おそらく、怒りと言っていいのだと思います。 私がこんな事をはじめた理由は、自分達のことは、自分達自身で語るしかないのだ、という思いが根底にあります。 ただ、そんな中、ICRP111だけが、私たちに寄り添ってくれたものであるように感じられました」 こう書いたのが、「福島のエートス」☆☆代表を務める安東量子さんでした。2012年3月のことです。 この文章にある「ICRP111」とは何でしょうか。民間の非営利団体である国際放射線防護委員会(ICRP)が、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故後、放射性物質に汚染された土地で、そこに住む人々の回復 (rehabilitation)
8.29.2014 現代中国|第4章:日本と中国のあいだ 梶谷懐第12回 第4章:日本と中国のあいだ ――「近代性」をめぐる考察――(2) 1. 中華圏に拡がる市民的不服従の動き 前回の連載(http://asahi2nd.blogspot.jp/2014/04/gendai11.html)でとりあげた台湾のヒマワリ学生運動の後、香港でもオキュパイ・セントラル(「中環を占拠せよ」)とよばれる、民主的な政治を求める市民による大規模な社会運動が起きた。香港では例年1989年の天安門事件の記念日である6月4日や、1997年に香港が中国に返還された日である7月1日に、中国政府に批判的な市民によるデモが行われてきた。その中で2014年の7月1日は、香港政治のトップである行政官を選ぶための民主的な選挙の実施を求める動きと合わせ、主催者側発表で約51万人という多数の市民がデモに参加する特筆すべき
全国の書店でフェア開催中・加藤陽子さんがセレクトした、今年の夏に読んでほしい本10冊と、メッセージをお届けします。加藤陽子さんの似顔絵は、牧野伊三夫さんによるもの。選書フェアでは、各書籍の紹介付き小冊子も配布しています。末尾に掲載しているフェア開催書店さんで、ぜひお手に取ってみてください。(編集部) 『〈戦後〉が若かった頃』とは、私の愛してやまない仏文学者・海老坂武氏の自伝のタイトルです。 今ふりかえれば、戦後日本の若さを支えていたのは、大戦争の惨禍をくぐった後の省察に立った非戦力であったことに気づかされます。 日本を支えてきた大前提が一つの内閣の短慮で崩された 「今」、わたくしたちは新たな決意のもとに「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」(井上ひさしの言葉)をモットーに、非戦力を再び獲得するための長い闘いを始めなければならないと思います。 桜のように散り際が美事な国民性には別れを告げ、
『修道院のレシピ』(2002年、朝日出版社より刊行)は、フランス・ブルターニュ地方の修道院で開かれていた花嫁学校のお料理のクラスで使われていた教本 COURS DE CUISINE の全訳。500に及ぶレシピのほとんどは、フランスのふつうの家庭で食べられているお料理です。邦訳の刊行から10年以上が経ちますが、いまだに版を重ねているロング・セラーです。 『修道院のレシピ』 書籍版: 朝日出版社ウェブサイト|Amazon|honto|ジュンク堂書店|紀伊国屋書店 電子書籍版: honto|楽天ブックス|BookLive|E-hon|ebookjapan 今回、この本が電子書籍になりました。これを記念して、本の中から特にご紹介したいレシピを、著者の猪本典子さんにご紹介いただきます。料理の写真も、猪本さんの撮りおろしです。(編集部) 猪本典子さんより 「フランス料理を好きになってくれる人が増えれば
7.09.2014 断片的なものの社会学 第7回 他人の手 岸 政彦 第7回 他人の手 他人が嫌いで、ひとりでいることが好きだが、たまに、人の手が恋しいときがある。 * * * 見ず知らずの他人との身体的接触は、たいていの場合は苦痛をともなうものだ。都市で暮らしていると実感するのだが、人がいない空間というものがいちばん金がかかる。個室、グリーン車、ビジネスクラス、あるいはただ単に、テーブルとテーブルとのあいだにじゅうぶんなゆとりが確保されたカフェやレストラン。人がたくさんいるところで、人のいない空間を確保することが、いちばん金がかかるのだ。やっぱりみんな、他人の身体と一緒にされることが辛いのだ。 ときどき東京に出張したときの、あの電車の混み具合には、ほんとうに驚かされる。みんなよく我慢してるな、と思う。我慢しないと暮らせないので、我慢しないとしょうがないのだが。 * *
5.30.2014 岸 政彦 第6回 出ていくことと帰ること 私たちにはいつも、どこに行っても居場所がない。だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい。 居場所、というものについては、さんざん語り尽くされ、言い古されているが、それはやはり何度でも立ち戻って考えてしまうようなものである。居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、手に入れられないかのどちらかのときで、だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない。しかるべき居場所にいるときには、居場所という問題は思い浮かべられさえしない。居場所が問題となるときは、必ず、それが「ない」ときに限られる。 マイノリティと呼ばれるひとたち、「当事者」と呼ばれるひとたちはなおさらだが、私たちマジョリティやいわゆる「普通の市民」たちもまた、基本的にはみんな、居場所がないと思いながら暮らしている。仕事や家族や人間関係などで頭
5.07.2014 岸 政彦 第5回 路上のカーネギーホール 大阪、西成、新世界。路上のギター弾き。大阪に出てきて60年。路上で弾いて20年。 * * * ──「どれくらいやってんすか?」 えとなあ、趣味でなあ。10歳から、趣味でやってましてん。(いま)80。あさって誕生日で80になる。 ──「路上で演歌弾くのは、いつから?」 これは、俺、60でタクシー辞めたんや。辞めて、60、55ごろから始めてたけどな。 月に13乗務やから、タクシーは。あくる日、まだ元気やん。ここへ来てな、やってたんや。遊びでな。ほしたら、労働者が寄ってきてな、横に5、6人座ってまんねん。ほいで7、8千円売り上げあるときもあった。 そのときに俺、おお、おまえら食べえや、これで飲めやいうて、俺帰りますやろ。「また明後日も頼んます」(笑)。ほしたらこんど警察が、ちょうどそこのポリボックスが下にあったんや。ほんで
4.25.2014 梶谷懐第11回 第4章 日本と中国のあいだ ――「近代性」をめぐる考察(1)―― 「ひまわり学生運動」と安保闘争 この連載では、これまで中国の「民主」や「立憲主義」、そして「国家」の関係について考察を行ってきた。これらの問題を考える上でも決して無視できない重要な動きが、近年経済面を中心に中国との結びつきがますます強まりつつある台湾で起きた。2013年に台湾が中国と締結したサービス産業部門における市場相互開放協定「ECFA(海峡両岸サービス貿易協定)」について、その内容および批准プロセスの不透明さに抗議する学生たちの運動「ひまわり学生運動(ひまわり学運)」をめぐる動きがそれだ。 規制緩和による既存の産業への影響や、政治経済面における中国の影響力の拡大が予想されるなど、かなりセンシティヴな問題を含んでいたにも関わらず、協定の内容を十分に情報公開しないまま批准を進め
3.29.2014 岸 政彦 第4回 物語の外から 戦争体験者の方の語りを聞いたことがある。 私の大学の学生たちが主体になって開くイベントが毎年あって、昨年度のテーマが、戦争体験を語り継ぐ、ということだった。戦争を体験された語り部の方を何人かお招きし、講演会を開催した。その講演会のあとは、壇上でそれぞれの思いを語ってもらうシンポジウムも開かれた。私は学生たちから、そのシンポの司会を依頼され、よろこんで引き受けた。会場にはたくさんの学生や教員たちが集まった。 イベントの当日、すこし早い時間に集まり、学生スタッフたちが語り部の方がたに私を引き合わせた。そのとき、短い時間だったが、語り部のひとりの男性とお話しした。かなりの高齢だったが、とてもお元気な方で、初対面の私に、控え室でお茶を飲みながら、本番の時間になるまで、たくさんのお話をしていただいた。 戦争末期、南洋の小さな島に配属され、
東日本大震災後、福島第一原発事故が起き、東北から日本中、世界中に不安が広がり、放射能・放射線への関心が、命に関わる問題として大いに高まりました。そして、原発に賛成反対という立場で、実に多くの本が出版されています。福島県で暮らす方々の不安はいかばかりか。さらに原発だけでなく、今も津波で行方不明になっているご家族を、立入禁止の20キロ圏内で捜し続ける方もいらっしゃいます。 私の故郷の石川県には、チェルノブイリの原発事故発生後に、世界で最初に建設された志賀原発があり、私が生まれ育ち両親が暮らす七尾市はその20キロ圏内です。活断層の問題もあり、不安な中で、多くの放射線関連の本を読みましたが、原発賛成か反対かの立場で書かれたものは、主張を正当化するための資料が多いように思われます。 そんな中で、事故後の不安に基づく一般市民の多くの方々の率直な質問に対して、文部科学省の電話相談への協力から始まりウェブ
2.27.2014 岸 政彦 第3回 ユッカに流れる時間 ずっと前に、バスのなかから一瞬だけ見えた光景。倒産して閉鎖したガソリンスタンドに雨が降っている。事務所のなかの窓際に置かれた大きなユッカの木が、だれからも水をもらえず、茶色く立ち枯れている。ガラス一枚こちらでは強い雨が降っている。そのむこうで、ユッカは、乾涸びて死んでいた。 * * * 数年前。ある団地で生活史の聞き取り調査をしていて、ひとりの年配の男性に出会ったことがある。 その男性は地方の貧困家庭に生まれ、さまざまないきさつを経て関西にたどり着き、「下っ端」ではあるが暴力団の一員となり、競馬のノミ行為などで生計を立てていた。そのあと紆余曲折があり、聞き取り当時は引退してひっそりとひとりで暮らしていた。 人生についての話がある段階に来たとき、「ホンコン」という言葉を繰り返していた。どうやら刑務所のことを指しているよ
asahipress_2hen 朝日出版社・第二編集部によるブログです。読み物や新刊・イベント情報を中心に、不定期に掲載・更新していきます。『ココロの盲点』『自殺』『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『単純な脳、複雑な「私」』『死刑』『がんのひみつ』などを刊行してきました。よろしくお願いします。 詳細プロフィールを表示
1.27.2014 岸 政彦 第2回 土偶と植木鉢 道ばたの街路樹の根元にアロエが生えていると、ああここにも「アーバンファーム」がある、と思う。 アーバンファームは私が適当に冗談半分でつくった概念で、ただ単に、街路樹の根元から盛大に生えているアロエ、街中の路地裏のちいさな公園の片隅に勝手に植えられたゴーヤ、小さな文化住宅や長屋の玄関先で、植木鉢を割るほど巨大化した金木犀など、都会の片隅でひっそりと繁茂する植木たちのことである。 だいたいは近所のおばちゃんやおばあちゃんが育てている。とくに公園や線路脇、街路樹の植え込みなどの公共の場所で勝手に植えられた芝桜や雪柳がきれいに咲いているのをみると、人というものは何かしら小さくてかわいらしいものを育てずにはいられないのだな、と思う。大阪だけではないと思うのだが、だがそれでも大阪には特に多いような気がする。ちょっとでも地面があったら、何かを植
本ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4本に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部) 先日、ある地方議会で、男性議員からの、女性議員に対するとても深刻なセクハラヤジがあり、メディアでも大きく取り上げられて問題になっていたが、そのとき印象的だったのは、ヤジを飛ばされているちょうどそのとき、その女性議員がかすかに笑ったことだった。 あの笑いはいったい何だろうと考えている。 仕事でも、あるいは個人的にも、いろんな人たちとお付き合いがあり、なかでも自分の研究や教育、社会活動の関係で、いわゆるマイノリティとか差別とか人権とかそういう活動をしている人たちと
本ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4本に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部) もう十年以上前にもなるだろうか、ある夜遅く、テレビのニュース番組に、天野祐吉が出ていた。キャスターは筑紫哲也だったように思う。イランだかイラクだかの話をしていて、筑紫が「そこでけが人が」と言ったとき、天野が小声で「毛蟹?」と言った。筑紫は「いえ、けが人です」と答え、ああそう、という感じで、そのまま話は進んでいった。 私は社会学というものを仕事にしている。特に、人びとに直接お会いして、ひとりひとりのお話を聞く、というやり方で、その仕事をしている。主なフィールドは
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