サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
GPT-4o
barairo.net
以下のQ&Aは、「あなた、オカマ、嫌い?」の資料集に掲載したものに加筆訂正した、98年5月段階での最新版です。 ご批判、ご意見などをお寄せ頂ければ、とても嬉しく思います。 オススメ→特集「バイセクシュアル」にも「バイセクシュアル」に関連した情報が多数掲載されています。 Q0:性的指向というのは、好きになる相手の性別が同性か異性か、ということなんですよね? Q1:バイセクシュアルってなんですか? Q2:バイセクシュアル男性とゲイ(バイセクシュアル女性とレズビアン)は違うんですか? Q3:バイセクシュアルって本当はレズビアンやゲイなのに、プライドがなくてカムアウトできない人の事じゃないんですか? Q4:バイセクシュアルの人は男の人とも女の人とも同時に付き合う人なんですか?淫乱ですね。 Q5:バイセクシュアルの人って結局は結婚しちゃうんでしょ?(うらやましいなあ。) Q6:ぼくは以前にバイセクシ
プロジェクトPのワークショップのための書き下ろし。 「今の社会の問題は、例えば「多くの人々が同性愛についての知識がない」ことではない。知識の問題でいえば、人は一生、知識が不十分な状態で生き続けることを引き受けるべきだ。それは、ヘテロだけでなく、ホモもバイもレズもだ。……」 (「Project Press No.11」 97年3月19日) Project PressNO.11 97.3.19発行 プロジェクトP発行 書店販売価格 200円 結論からいうと自分が持っている「セパレティズム(分離主義)」「排外主義」と日常的に闘い続けることだと思うんだけど、どうかしら?自分のことだけ、自分に都合のいいこと・人とだけつきあっていきたいっていうのは、まさに、権力者になりたいってことなんじゃないの? 今の社会の問題は、例えば「多くの人々が同性愛についての知識がない」ことではない。知識の問題でいえば、人は
「LGBTと企業」というタイトルで何か書けといわれたら、もしくは企業に対して「LGBTの立場から」何か書けといわれたら、あなたは何を書く? おそらく私なら、「トランスジェンダーなど典型的ではない性別の有り様の人が、そもそも就職できなかったり、働きにくいのを何とかしてくれ」「女性を正社員として雇わなかったり、雇ってもいろんな口実を付けて賃金を男性より低くしたり、職場の雰囲気が男性中心的だったりするのを改めてくれ」とかいうことを、まず書くと思います。 だって、そうですよね。例えば「典型的GID・手術も戸籍変更も完了・完全にパスしている人」ならともかく、そうでない人はまず履歴書を書くときにどの性別で行くのか、まず悩む訳です。そして残念ながら、トランスジェンダーであることがばれたときには、職場で色々な嫌がらせにあったり、クビになったりしてしまうことも少なくありません。(例【自彊館裁判】) また、賃
「同性愛者だって、単に同性を好きだというだけで、あとは他の人と同じ、普通の人なんだ!」といったたぐいの「同性愛者の正常化」「同性愛者の成り上がり」を求める主張に対する強烈な批判となっている。 (1998年10月10日に吉田寮食堂焼け跡において行われた野外ライブで、実行委員会が作成・配布したフリーペーパーに寄稿した文章。) 日比野 真(変態左翼活動屋) なよなよした仕草、闇夜にまぎれた公園や公衆便所でのセックス、どぎついオネエ言葉、淫乱旅館での乱交プレイ、スカートをはいたり化粧をした姿、開き直った男娼やショーパブでのお仕事、オカマの健さん(東郷健)—–ホモやオカマに貼られたイメージはこんなものだ。(レズ、といえば、レンタルビデオ屋の中にあるレズプレイや百合族ビデオのことか?) 「ぼくはそんな変なホモなんかじゃない!別になよなよもしていないし、乱交もしたことないし、ちゃんとまともな会社で働いて
いま我々は宣言する。もうたくさんだ! (「ラカンドン密林宣言」より) サパティスタ民族解放軍は、1994年1月1日に、メヒコ(MEXICO/英語読みでメキシコ)のチアパス州で武装蜂起した。サパティスタの「顔」となったマルコス副司令官は先住民ではないが、サパティスタ民族解放軍自体はメヒコの先住民が主体となったグループだ。 ラテンアメリカの先住民は、自らの航海日記に「原住民は賢そうだ。きっと良い奴隷になるだろう」と記したコロンブスの「アメリカ大陸発見」以来、500年以上にわたっての侵略・抹殺の中を、抵抗し闘い続けながら生き抜いてきた。「先住民である」ということが差別の当然の理由となり、土地を取り上げられ、投獄され、暴行され、殺され続けてきた。(今でも「サパティスタのインディオ全員をせん滅せよ」と叫んでデモをする人たちもいるという)。そしてまた、先住民の生活も未だに貧しいままだ。土地を取り上げら
動くゲイとレズビアンの会(occur/アカー)が 東京高裁でも勝訴! 東京都の施設である「府中青年の家」の宿泊利用を巡り、同性愛者であることを理由にアカーの宿泊を東京都が拒否していた事件で、1997年9月16日、東京高裁の矢崎秀一裁判長は、東京都の決定を違法とする判決を行ないました。この「府中青年の家」裁判は、おそらく日本で初めて同性愛者が公然と自らの人権を主張した裁判です。提訴当時のテレビ報道では、アカーの名称を「動くホモとレズの会」(「ホモ」や「レズ」は一般的には蔑称で、アカーはこの蔑称を重要な問題と考える団体であるのに!)などと無意識のうちに言ってしまうそんな社会状況の中で、周りからの支援もほとんどない中、地道に裁判を闘ってこられたアカーの方々に対して、心から敬意を表します。お疲れさまでした。そして、おめでとう。 今回の判決では単に東京都の違法を指摘するだけではなく、「同性愛について
あるクイア系の人たちの中で、長居公園の野宿者の強制排除問題について話し始めた時の私の状況をみて、私の大切な友人が後からこう評しました。 「アレが起きている」 そう、アレです。 私たちがいつも、セクシュアリティーの話をしようとして、人々とのあいだに起きるアレです。 セクシュアリティーの話をしようとする「わたし」の方は、その問題についてかなりの知識を持っていて、言葉遣い一つ、使う言葉一つについてさえ、気をつけていたり、留保を付けたりしている。だけど話を聞いている/聞かされている側は、そもそもが問題自体に関心がない。ちょっと聞きかじった知識で何か反論や共感すると、それはたいがいが的はずれで、「そうじゃないの!あのね、そもそもね…」「この言葉はこういう意味で…」と長い話が始まらざるを得ない。その長い話が面倒くさくて、「なんで今ここでそんな話をするの!」「忙しいの、その話はあとにして!(で、結局話さ
先日の「第1回京都トランスジェンダー映画祭」で「男子であること」という映画の上映の後、遠藤まめたさんとのトークをやりました。その時のやりとりの映像をakaboshiさんが自分のブログ(YouTubeも)に載せてくれています。 トランスって?01●京都トランスジェンダー映画祭01● 「わからないこと」「揺らぐこと」を面白がりながら繋がろう。 (akaboshiさん) せっかくなので、その時のお話しの補足です。 映画「男子であること」の冒頭のシーンで、「トランスジェンダーは私たちの仲間です」ということを、ラテン系のレズビアンの人が強く宣言するシーンがあります。以下の予告編にも収められています。 トークでも言いましたが、米国では、雇用差別禁止法案(Employment Non-Discrimination Act: ENDA)が問題となっていて、その法律で保護される対象をレズビアン・ゲイ・バイセ
以下の文章は、1998年12月5日に行われた企画「女?男?いちいちうんざりよ!–性別の二元論を問い直そう」において日比野が発言した要旨を、その後の様々な意見を参考に改訂したものです。性自認と性別の二元論の話を分かりやすく分析して書いた、おそらく日本でも数少ない文章です。是非読んでみて下さい。 日比野 真 先日、埼玉医科大学で性再指定手術(性転換手術。**注1)が行われた。 「ああよかったね、これで日本でも手術できるようになったんだね」と無邪気に思っているあなた。あなたはいったいどの立場からそんな無責任な発言ができるのか。 あなたの性別を決める権利は誰が持っているのか。問題の核心はそこにある。外性器(**注2)の形状や、他人から本人がどの性別にみえるのかとか、性染色体の構造など様々なことをを理由に、本人以外が人の性別を決めつけることは、本人の性別の自己決定権を侵害する暴力である。自分の性別を
掲載場所が、以下に変わりました。 https://barairo.net/works/?p=17 10秒後に、自動的に、移動します。 (もしくは、クリック)
メキシコの南東の山の中から。 副司令官 マルコス 1994 年5月 マルコスは、サンフランシスコのゲイである。 そして、南アフリカの黒人であり、 ヨーロッパのアジア人であり、 スペインの無政府主義者、 イスラエルのパレスチナ人、 観光地の先住民である。 貧民街の暴力団員、 由緒正しい大学のロックミュージシャン、 ドイツのユダヤ人、 国防省の中の人権擁護者、 政治的な政党の中のフェミニスト、 冷戦後の共産主義者、 ボスニアの平和主義者、 ギャラリーも地位もない芸術家、 メキシコのあらゆる都市や場所に暮らす、土曜日の夜を過ごす家庭の主婦、 20世紀の終わりにおけるメキシコのゲリラ、 御用組合の中でストライキをする者、 フェミニズム運動の中のセクシスト、 午後10時に地下鉄の駅に1人でいる女性、 土地のない農民、 地下出版社の編集者、 失業した労働者、 オフィスのない医者、 流行にはずれた学生、
「相手が女か男か」で異なる態度をとり、取り扱いが違うのは性差別?性別差より個体差の方が大きい?–では、「相手が男か女か」で好きになるか・セックスをしたいかどうかが違うのは性差別? (インパクション117号 特集「フェミニズムへのバックラッシュ」 2000年1月25日) 性別欄を廃止しよう! 「相手が女か男か」で異なる態度をとり、取り扱いが違うのは性差別?性別差より個体差の方が大きい?–では、「相手が男か女か」で好きになるか・セックスをしたいかどうかが違うのは性差別? 私たちは、私たちの社会は、女という性別と男という性別には根本的な違いがあると信じている。性別を根拠とした異なる取り扱い自体が性差別である、という認識は、実はない。私たちは実は極めて性別にこだわっており、「あの人は男か女か」ということをとても気にしている。これは、マジョリティーの文化、女性蔑視で強制異性愛の文化や社会だけではなく
ずいぶんと昔になりますが、インパクション誌132号(特集「暴力と非暴力の間─複数の場からの9・11以降」2002年発行)に寄稿した文章です。サイトに未掲載でした。 ■はためくイスラエル国旗 六月二八日、イスラエルのテルアビブで、中東で最大規模のレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーのパレードがありました。昨年は約一万五千人が参加したと聞きました。イスラエル地区も、そしてパレスチナ地区も、性については保守的な考え方の人も多い中で行われるパレードの開放感は、私にとっても大きいものでした。集会会場やパレードの街道沿いには、巨大なレインボーフラッグが連なって掲げられており、壮観な眺めでした。 しかし実は、よく見ると、そのレインボーフラッグとレインボーフラッグとの間に、なにやら他の旗が掲げられています。白地に青の旗、イスラエルの国旗です。 あまりにショックでした。パレード会場に来るほ
東京プライドが、実行委員の応募にあたってボランティアなりの経験があることを求めることに関連した永易至文さんの意見が、東京プライドの現職の理事としていかに無責任で厚顔無恥かは、既に書きました。今回は、永易さんシリーズの第2弾です。 永易至文さんは、パレードなどのコミュニティー活動が「ごたごたする」理由として、「メンタル的に不安を抱えたり、あるいはメンタル的に傷つきやすい人が集まる傾向がある」「ある種、自分のなかの不全感や欠損感を抱えた人が、それを埋め合わせるものを調達しようとして集まってくる傾向」を挙げています。 そして当然ながら、あまりに安易にこういう言い方をする永易さんは「精神障害者を差別するものだ」と批判を受けています。 コミュニティー活動に、メンタル的に不安を抱えた人(など)が集まってくる傾向があることは、私は事実だと思います。しかし永易さんの最大の問題点は、永易さんご自身も「メンタ
ドメスティック・バイオレンス(DV)のサバイバーのために創られたシェルター内部で、サバイバーに対する虐待が存在する。こう書くと、意外に思う人もいるかもしれない。しかし、本テキストの著者、米国在住のエミ・コヤマさんは、米国のDVシェルターに自身がサバイバーとして滞在した経験から、また他のサバイバーの証言から、さらに自身がDVシェルターで従業員として働いた経験から、シェルター内部での虐待の存在を説得力を持って指摘している。 (書評:『フェミニズムへの不忠~DVシェルターにおけるサバイバーへの虐待~』) (インパクション139号に掲載 2003年12月) 書評『フェミニズムへの不忠~DVシェルターにおけるサバイバーへの虐待~』 虐待をうむしくみは「私たち」の内部にもある ドメスティック・バイオレンス(DV)のサバイバーのために創られたシェルター内部で、サバイバーに対する虐待が存在する。こう書くと
先日長居公園に行ったのは、実はもう一つ目的がありました。行けば、自彊館闘争のKさんに会えるのではないかということ。実際、「プチ大輪まつり」でKさんにお会いし、少しお話しすることができました。 自彊館闘争というのは詳しくは「ユニオンぼちぼち」のサイトからチラシをダウンロードしてもらうといいんですが、「性同一性障害に対するセクハラへの謝罪と雇い止め撤回を求める裁判闘争」のことです。(PDFではなくテキストで見たい人はこちら) 自彊館闘争とは チラシによれば、Kさんは、自分が性同一性障害であることを報告して採用されたにもかかわらず、「男か女かはっきりしろ」「野宿者から蔑視される」など差別的な言葉を浴びせかけられたあげく、仕事を取り上げられ、雇い止めにされてしまいました。性別という領域で、典型的ではないあり方を持っていた為に解雇されたということで、性的マイノリティーへの差別だとこの事件を位置づけら
以下は、私自身の経験に基づくパレードの経過です。実行委員会の立ち上げ自体が閉鎖的に行われており、実行委員会による積極的な情報公開も行われず、尾辻事務所など関係者に直に問い合わせても詳しい情報が開示されなかったという経過があるため、もしかすると一部事実関係に不十分な点があるかもしれません。事実関係の誤りについては、より正確なものに改めていきたいと思っていますので、情報をお持ちの方はぜひお寄せ下さい。 【8月】 ・8/26の政策研の例会で、尾辻事務所のAさんよりパレードについて報告があった。翌日政策研のMLに流れた「例会報告」にその旨記録されていた。「例会報告」が流れた5時間後に、Aさんよりパレードのことは外部には公開しないよう要請が政策研のMLであった。情報の恣意的なコントロールをしようとしている印象を受け、不信感をもった。 ・各方面に情報収集を開始する。パレードのことを知っている人はほとん
「セックスワークの非犯罪化を要求するグループ UNIDOS」の構成員であったブブさんを、京都★ヘンナニジイロ祭のゲストとして迎えることについて 2006年9月に行われる京都★ヘンナニジイロ祭では、【前夜祭企画】として「セックスワーカーとカムアウトーー『売女日記』の上映中止をめぐって」というプログラムがあります。このプログラムには「売女日記~お客と一緒に撮るポルノ」の監督であるブブ・ド・ラ・マドレーヌさんをゲストとしてお迎えします。 ブブさんは京都のメトロなどでも長年パフォーマンスを続けてきた人で、セックスワーカーであることを明らかにして表現を続けてきました。 そして、実はブブさんは「セックスワークの非犯罪化を要求するグループ UNIDOS」のメンバーでもありました。 私はこれまで、厳しく「UNIDOS」の運動のあり方を批判してきました。京都★ヘンナニジイロ祭の実行委員の1人でもあるひびのが
2004年7月、ひびの まことが米国西海岸講演ツアーをしました。 また、8月6日には「国際バイセクシャリティー会議」で基調講演をしました。 その時のレポートです! 【米国便り19】Queer クイア ってなぁに? 先日、ある読者の方に【米国便り】の感想をお聞きしたところ、「Queer クイア の意味が分からない」と言われました。また、最近わたしのまわりからも、「Queer クイア の意味が分からない」という声を時々聞きます。ちょっとショックを受けました。私はこれまでの【米国便り】で当たり前のように「クイア」と書いてきたけれど、意味が伝わっていなかったかも、と少し反省です。ということで、簡単に言葉の(恣意的な!)解説をします。 ここ日本語環境下において、「Queer クイア」をどういう意味で使うかについては、コミュニティーや活動家の間でも、確固とした合意のようなものが確定しているわけではあり
本当に戦争に反対するということは、 単に銃弾を打たない、爆弾を落とさない、 ということではない 「テロにも戦争にも反対!」ってセリフは一見正しそうだけど、でも、集会やデモなんかに行ってみると、どうも私にはしっくりこない部分がある。あなたは、本当に戦争に反対なの?どういう意味でそう言っているの?その理由は?あなたは、本当にテロをなくしたいの?どうやってそれを実現するの?ちゃんと、自分の言葉で、お互い話し合ってみない? ★絶望の表現としての「自爆テロ」 9月11日の航空機突撃事件には、犯行声明がでていない。 航空機を乗っ取った人たちは、自分の命が失われることを承知で、飛行機を世界貿易センタービルに突撃させた。人が、自分の命を賭けて行動するとき、それは単なる遊びではなく、何かの「思い」が、その本人にあったはずだ。しかしそれすら明らかにされないという事実が、私には、そこにある絶望を、想起させる。乗
トイレや銭湯が男女別に分けられている事は余りにも当たり前にされてしまっており、本当にほとんどの人はそれに何の文句も不満も抱かずに一生を終わっていきます。それほどまでに「私たち」はジェンダー化されてしまっています。私の友人でもあるハヤブサ人生が「銭湯のしきりの壁を壊したい!それが革命だ!」と言っていたのですが、それは決してなにかの例えや極端な例ではなく、性別二元論に基づく性差別をなくすという観点からは当たり前の、最低限の政治的主張でしかない。私たち1人1人が、トイレが「白人(white)」「黒人(black)」に分かれているのを見て当惑するように、銭湯や公衆便所が男女別に「区別」されているのをみて、毎日毎日腹をたて、その設置者に抗議をできるようになって初めて、私たちの意識が性差別から少しは自由になれたと言うことが出来るのだと思う。 (ぽこあぽこ Vol.15 2000年11月23日) ぽこあ
こんなところにも「性別欄」が。しかも「性的少数派」が選択肢に! 常設展示に「性的少数者」のコーナーを新設したリバティ大阪(大阪人権博物館)。その展示で見つけた性別欄の問題点を、検証してみます。 「私の価値観と差別」 リバティー大阪の新しい展示では、「私の価値観と差別」と題して、一人一人の価値観自体を問い返し、生活の中から差別と人権を考えようというコーナーがありました。例えば、結婚をふりだしにして、子どもをたくさん産んで、子育てをすることが女性の理想像として描かれている「子だから双六(すごろく)」などを展示し、どういう価値観が私たちの生活の中にあるのかを考えようとしていました。その感じは、リバティ大阪のサイトからも少しは伺えます。 このように「生活の中にどんな問題があるのかを考える」というやり方は、はじめは「面白いかも」と思いました。 さて、そのコーナーの真ん中に、コンピューターがあったので
掲載場所が、以下に変わりました。 https://barairo.net/works/?p=18 10秒後に、自動的に、移動します。 (もしくは、クリック)
ようこそ barairo.net に! barairo.net は、ひっぴぃ こと ひびの まこと の総合ウェッブサイトです。以前のサイト「HIP's Home Page」から大幅にバージョンアップしています。 「男女という制度」を根本から問い直す視点から、そしてラディカルな社会運動の立場から、今とは違う「もう一つの生き方や文化・社会」をつくるための情報と意見が満載です。 周りの雰囲気に合わせる生き方、「フツウであること/フツウになること」を目指す生き方はもうやめよう。あなたも、少数派の1人として、自信を持って、自分自身の真実に基づいて、表現していこう。 このサイト「barairo.net」には何があるの? とりあえずひっぴぃ のお勧めの文章をざっと読んでみたい方は、「ひびの まことテキスト作品集(WEB版)」がお勧めです。ひっぴぃ ♪♪ 選りすぐりのテキスト全20本に直リンクしてあります
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ようこそ!barairo.net へ』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く