サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
GPT-4o
blog.goo.ne.jp/flower-wing
去年のクリスマスに再び陸前高田に行くことが出来て、避難所にいた方々やずっと会いたかった瑠奈チャンにも会うことが出来ました。 今は関西方面で暮らしている瑠奈チャンはあの頃より背も高くなって随分お姉さんになったように見えました。 久しぶりの地元、お友達、知り合いに会えてずっと恥ずかしそうにしていた瑠奈チャンは 私を見つけると飛んできて、あの時みたいにずっと手を握ってきました。 おしゃべりだった瑠奈チャンは引越した当初、東北訛りがあるので新しい場所でなかなか会話に入れず、控えめな性格になってしまったけれど持ち前の明るさでだんだん馴染んできたとのこと。 でも母親のことは自分から話すことがなく、夜になると布団の中で泣いていたり、街で親子連れを見かけると立ち止まって振り返って眺めていることがあると叔母さんが教えてくれました。 子供ながらに大人に気を使い、心を閉ざしているのでは・・・と小さな手をつなぎな
先日やっと厚生省へ年間の被災地医療支援のレポートと今後の課題と政府に取り組んでほしい事例をまとめたものを提出しました。 とにかく被災地にひとつでも多く 病院や診療所を建ててほしいし 理想は各仮設住宅の中に診療所を設けてほしいのですが国は国外のことにばかり目を向けがちな今、どこまで動かすことが出来るか。 ひとつになったとは言っても小さな医療支援チームの意見。 必ず実を結びますように。 瑠奈チャンは今、遠く離れた関西の親族のもとにいると 陸前高田にいる瑠奈チャンの叔母さんより連絡をいただきました。 あまりに大事にしすぎてお母さんが命をかけて守ったお人形のひとつを最近無くしてしまったそうで 瑠奈チャンも元気がないと聞きました。 100人サンタの話を教えていただいたので 瑠奈チャンへクリスマスには陸前高田の叔母さんのところに泊まりに来るようにすすめてもらいました。 叔母さんからサンタさんがたくさん
今日陸前高田の避難所の方からお手紙が届きました。 そこにはゆっくりだけど復興に向かっていること 何も変わらない街並みと国からの支援 陸前高田を離れていく人たちのこと いまだに親族が見つかっていない人がたくさんいること 減っていくボランティアや報道陣の数にこんなにも早い風化への足音 そして瑠奈チャンのこと 瑠奈チャンは最近になり 関西か九州の親戚のもとに引き取られて行ったそうです。 叔母さんと一緒に暮らしたかったそうですが 叔母さん宅も何も残っていない状態で家族が増えても瑠奈チャンを養っていけない現状だそうで一番瑠奈チャンが不自由なく生活出来る環境ということで 遠く離れたところに引き取られて行ったそうです。 叔母さんの気持ちも痛いくらい分かるので きっとこれが一番いいかたちなんだと思います。 瑠奈チャンはぼろぼろになったキティちゃんのマスクやミッフィーちゃんの小さなちゃぶ台と必死にお母さんが
3月11日 午後2時46分。 東北関東大震災。 被災地の皆様、被災地以外でも様々な影響を受けている皆様、 1日も早く元の生活に向けて復旧しますようお祈り申し上げます。 多くの犠牲者の方々、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 今回放置状態だったこちらのブログを一時的にアップしたのは理由があります。 3月15日 私の勤務する病院でも災害対策支援医療チームが発足されました。 救命センターの中から私も被災地に行くことになり、16日から23日までの第一陣のチームで そこで見たものや 感じたこと、どうにもならないこと、 私なりの文章でお伝え出来ればと思います。 決してきれいごとではなくて どんどん増えていく被害状況や泣いている人を見て自分には「今」何が出来るか 何をすべきかあの地震の日からずっと考えていました。 この仕事をしている以上、きっと何か出来るんじゃないかとずっと思っていて オファーが来たとき
春よ、こい! (2013-01-12 20:11:50 | 皆様へ) 明けましておめでとうございます。 コメント本当に本当にありがとうございます。 ... 二度目の冬。 (2012-11-23 21:02:59 | 皆様へ) 日に日に寒くなり本格的に冬到来ですね。 すっかりご無沙汰してしまいましたが仕事... 再会 (2012-06-07 05:12:48 | 皆様へ) 先ほど陸前高田でお世話になったかたか... 時間の経過 (2012-03-10 15:19:58 | 皆様へ) 去年のクリスマスに再び陸前高田に行くことが出来て、避難所にいた方々やずっと会いた... いつもと違う冬に。 (2011-12-02 15:07:50 | 皆様へ) 先日やっと厚生省へ年間の被災地医療支... 南三陸町で出会った友よ。 (2011-10-15 18:24:24 | 皆様へ) 9月の終わりに健診と病院
寝泊まりをした体育館で たった三日間でかわいいお友達が出来ました。 血圧測定や点滴に走り回る私のあとを小走りについてくる 人懐っこい6歳のかわいい女の子、瑠奈チャン。 マスクが大嫌いな子だったので マスクに全然似てないキティちゃんを書いてあげたら気に入ってくれたのがきっかけだったのかな。 夜の体育館は本当に寒いので頼るのは薄い毛布と人肌。 私の医療チームは男ばっかりだから人肌に頼ることも出来ず毎日入り口付近ですきま風と戦っていました。 電気が復旧していなかった広い体育館は例えるなら洞窟みたいでした。 ストーブも消され冷えきった真っ暗な空間。 頻繁な余震。 1人だったらどんなに怖くて心細いか。 たくさんの避難されているかたが集まっているからこんな暗闇でも朝を待つ気力に変えられるのだろうと心底思いました。 真っ暗な夜中の体育館の 寝息の中に もちろんすすり泣きの声も聞こえています。 不安なのか
明けましておめでとうございます。 コメント本当に本当にありがとうございます。 昨年11月末に盛岡に旅行に行ってきました。 盛岡城跡の高台から市内を一望して 遠くの山の向こうの被災地を思ったり わんこそばにチャレンジしたり 伝統工芸品を見たり 陸前高田出身のかたの経営する居酒屋に行ったりとっても有意義な2日間でした。 お仕事以外で岩手に行ったのは 震災以降初めてでしたが道路が隆起していたり 屋根が壊れている家屋を見つけると ついじっくり見てしまうクセがついてしまいました。 募金箱にお金を入れたり、お土産ものをたくさん買ったり 今の自分に出来る支援をしてきましたが、東北のお食事はおいしかったし、景色はきれいだし空気も澄んでいて 会う人会う人が優しかったりで やっぱり大好きな場所だなぁと思いました。 陸前高田には1月に入ってから 先日ですが日帰りで仮設住宅とボランティア団体の方対象の健康診断のお
23日 今日で一旦私の医療チームは東京に戻ります。 かっこいいことを言いながら強気で踏み入れたのに 来たばかりのときは想像をはるかにこえた現状に打ちのめされました。 自分に何が出来るかなんて考える時間もなく目の前で起きていることを把握して無我夢中でやるしかなかった。 毎日モノを数えるように 増えていく死亡者数をニュースを読み上げてるアナウンサーにさえ嫌気がさしました。 1日2000人以上の受診希望者 床に寝せられ点滴を受ける患者さん 泥だらけの入院ベッドに横たわる患者さん 1人任され不安だらけの救護所 避難所での夜間の急病人 水も電気もない分娩室でのお産 受け入れ先病院が見つからない救急医療体制 備蓄のない医薬品 足りない医療機器 浸水して使えなくなったAED 全部が全部思い出せないくらい、毎日が壮絶でした。 朝からずっと走り回っていて気が付くと夜中の3時、4時ってのを毎日繰り返し。 でも
21日 今日は三陸の病院へヘルプに。 震災から10日が過ぎて そろそろ気をはっていた人たちも気力の限界だったのでしょう。 かなりの数のかたが体調不良を訴えて受診しにきました。 突然の災害、寒い毎日、 固い床、プライバシーのない生活、見えない明日、 体調崩すのは当たり前の状況です。 被災から逃れたのに避難所で体調を崩して入院していた高齢者が今日も亡くなりました。 毎日たくさんの遺体を嫌というほど見ても 人が亡くなるということは決して慣れることはありません。 巡視で回ったときにただ眠っている人を見ただけでも生きてる?って思うくらい、トラウマになってしまいました。 今日は適切な医療の限界から患者さんたちを盛岡や県外の病院へ転院のお手伝いもしました。 医療器具が届いたのに こういう転院はやっぱり悔しいけど、すべて患者さんがより良い治療を受けてもらうためだと言い聞かせて家族と一緒に見送りました。 今
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『被災地からのお手紙 :: JKTS - 被災地へ医療スタッフとして行ってきました。短い間...』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く