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「あれ? どうして列車が動けなくなったのだろう」 JR東日本長野支社のCTC(列車集中制御装置)センターで列車の運転を監督する運転指令員はこうつぶやいたに違いない。このとき、列車の運転状況を示すCTC表示盤では、単線区間の篠ノ井線に設けられた行き違い場所である桑ノ原信号場(姨捨-稲荷山間に設けられた信号場。なお、篠ノ井線の正式な起点は篠ノ井駅、終点は塩尻駅だが、本項では起点を塩尻駅、終点を篠ノ井駅として扱う)付近で3本の列車が立ち往生していると表示し、列車の進路を自動的に設定するPRC(自動進路制御装置)が3本の列車に対して進路を構成できないと警報を発してきたはずだからだ。 摩訶不思議なトラブルは2012年7月2日の午前9時ごろに発生した。翌7月3日付けの読売新聞の「列車ダイヤ作成ミス…立ち往生、単線に3本進入」(※リンク切れの際はご容赦いただきたい)という記事がわかりやすいので、記事をも
偉大な名車がついに引退する 本日、2008(平成20)年11月30日、JR西日本の0系新幹線電車は定期列車としての運転に終止符を打つ。0系が営業を開始したのは1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線の開業日であるから、実に44年2カ月にわたって活躍してきたことになる。 ここまでのところ、0系によって引き起こされた列車衝突事故、列車脱線事故、列車火災事故は起きていない。営業運転最終日やさよなら運転では相当な混乱が予想されるものの、最後までこの記録を維持したまま0系が役割を終えることを祈る。 0系が名車であることは言うまでもない。一つ付け加えるとするならば、0系は強運にも恵まれていた。 先ほど、0系には重大な事故による死者が一人もいないと述べたが、長い活躍期間のなかにはその記録が途切れる可能性もあったのだ。それは1973(昭和48)年2月21日(水)17時27分のこと。国鉄の大阪運転所(
過去にもJR東海はJR西日本の車両を追い出す 前回の「鉄道よもやま話」でJR東海がJR西日本の500系を煙たがっているという話をした。結局のところ、この7月1日(日)からも500系が東海道新幹線で健在なところを見ると、使いにくい車両であるのは確かだが、さりとていますぐ追い出してしまうほど決定的な理由はないようだ。 ところで、JR東海は過去にもJR西日本の車両を邪魔者扱いしていたことがあり、実際に追放した。0系、それも1978(昭和53)年前半までにつくられた車両だ。単に古いからという理由で追い出したのではない。保安度を向上させるためだったのである。少々、専門的でかつファン的な要素の強い話だが、安全に関する取り組みの一例として紹介したい。 1963(昭和38)年から1985(昭和60)年までの22年間に3216両が製造された0系は年々改良が施されて登場した。1両目と3216両目とを比べると、
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