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円安とは
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お掃除ロボット「ルンバ」は、段差のないフローリングを自在に動き回り、人の代わりにキレイにしてくれる。小さな紙切れから、大事にしていた指輪まで、吸い込めるものは全て吸い込もうとする。 では、ゴミとは何なのか? ルンバの発明者であり、MITの人工知能研究所の所長でもあるロドニー・ブルックスは、これ以上ない明確な回答をする。 「ルンバが吸い込んだものがゴミだ」 これは、人工知能の本質を見事にいい当てているという。ルンバにとって、自分では吸い込めない、大き目の紙コップや空缶は、ゴミとして認識されない。故にゴミではない。 もちろんルンバが改良され、カメラによって紙コップや空缶を認識し、正しく分別できる時代が来るかもしれない。だが、そのルンバが認識できない、粗大ゴミやネズミの死骸は、やはりゴミではない。さらに改良を重ねても同様で、自分が扱えないものはゴミとして認識できない……そういう思考様式だ。 一方
完全な社会秩序が実現された理想的な国家のことを、ユートピアと呼ぶ。 「ユートピア」は多義性がある。 まず、eutopia、つまり eu-(良い)場所という意味でなら、プラトンの『国家』やガリヴァーの 『フウイヌム国」、今なら『ハーモニー』の「生府」になる。富や格差は存在せず、「みんな」が平等で公平な社会であり、何よりも教育と健康が優先される。 一方、utopia、つまり u- (否定辞)になると、「どこにも無い場所」になる。本来はこちらが正しく、eutopia は誤用らしいが、二つを掛け合わせて、「どこにもない理想社会」と解釈する向きもある。 この解釈にはヒヤリとさせられる。なぜなら、造語したトマス・モアによると、utopia は格差がない代わりに人間の個性を否定した管理社会の色彩が強く、全体主義の文脈で語られるものだからだ。 「ユートピア」の極限=ディストピア では、この「どこにもない理
ファンタジーの最高峰『氷と炎の歌』からテイラー・スウィフトの泣けるラブソング「Death By A Thousand Cuts」まで、4年ぶりにオフ会したら、みんなのお薦めが積み上がった 推しの作品を持ち寄って、まったり熱く語り合うオフ会、それがスゴ本オフ。 本に限らず、映画や音楽、ゲームや動画、なんでもあり。なぜ好きか、どう好きか、その作品が自分をどんな風に変えたのか、気のすむまで語り尽くす。 SF、愛、ホラー、お金、食など、その時その時のテーマがあって、そのテーマに沿ったお薦めならなんでもOKになる(テーマ一覧)。今回は4年ぶりの開催ということで、「久しぶりにお薦めしたい作品」、要するにノンテーマで集まった。 推しへの熱量にアテられて、思わずこっちも身を乗り出す。知らない作品を身近に感じ、思わず手に取って見たくなる。自分のアンテナがいかに狭いかを思い知る。読みたい本、観たい映画、聴きた
【自分にとって】一番怖い、最恐のホラー作品に出会える方法を紹介する。 まず、どんな話が怖い? 恨む怨霊? マスクを被った殺人鬼? 走れるゾンビ? 見ると呪われるビデオ? 暴走したAI? 全員狂っている村? 次に、どんなメディアで怖がりたい? ホラー映画? ネット怪談? 怖いマンガやアニメも沢山あるよね。心臓に悪いホラーゲームも浮かぶし、怖い話専門のYoutubeもある。 これだけホラーが満ち溢れている中で、自分に合ったメディアで、自分にとって怖いストーリーを探すのは一苦労だ。 そんなときにお薦めなのが、まず①既知の作品を取っ掛かりに人を探す。次に②その人のお薦めする未知の作品に手を出す。そうすることで、未見の最恐に出会うことができる。 BRUTUSのホラー特集を例に実践する。 2023/9/1号では、「めくるたびに怖くなるホラーガイド444」と銘打って、怖いものマニア14名が集めてきた究極
次の問題をやってみよう。発音しながらやれば、全問正解だろう。 【問題】 デンマーク語の「テット tæt」と「ラント langt」、「近い」のはどちら? パプアニューギニアのグラス・コイアリ語の「ゴムゴ gomugo」と「イハ iha」、「汚い」のはどちら? オセアニア・ソロモン諸島のサヴォサヴォ語における「ボボラガ boboraya」と「セレ sere」、どっちが黒でどっちが白? 答えはこの記事の末尾に記すが、いま感覚的に選んだのが正解だ。未知の言語であっても、音と意味のつながりを感じ取ることができる。 日本語でも同様だ。「あ」は「い」より大きい。 試しに、「あーあー」「いーいー」と声に出してほしい。「あ」の方が口を大きく開け、大きな音になる。「パン」は平手で叩く打撃音だし、「ピン」は指で弾く音だ。「パチャパチャ」の方が「ピチャピチャ」より飛び散る水は多いだろう。 イメージの大小は、口の開
ネットがあるでしょ? わたしもそう思っていた。 ITスキルに限らず、新しい技術や分野を学ぶとき、最初にすることは検索だ。ネットで紹介されている記事やノウハウを読むことで、どんなものか把握できる。無料で最新の情報が手軽に手に入る。お金をかけずに学習できるメリットは大きい。 一方で、ネットで検索するためには適切なキーワードを入れる必要がある。 知りたいことがピンポイントで言語化できるなら、かなり便利だろう。だが、そもそもどんな用語を入れたらよいのか、その言葉すら分からない段階では、ネットを使いこなすのは難しい。自分に何が足りないのかは、自分には見えにくい。知らない知識は検索すらできない。 いわゆる探求のパラドクスだ。知らないことが何であるのか分からないのなら、「それ」を学ぶことすらできない。行き当たりばったりに学んで、「それ」に行き当たったとしても、「それ」が何であるか分からないのだから、行き
次の問題をAIは正答できるだろうか? "The city council refused the demonstrators a permit because they feared violence." (市議会はデモ隊に許可を与えなかった。なぜなら、彼らは暴動を恐れたからだ) Who feared violence? (暴動を恐れたのは誰ですか?) 1. The city council (市議会) 2. The demonstrators (デモ隊) 留意してほしいのは、「AIが正答できるか」という点だ。なぜなら、人にとっては簡単だから。もちろん、あなたが 1 を選ぶことは分かっている。デモ隊が暴動を怖れるなんて普通ないからね。 他にもこんな問題がある。人なら閃くが、AIには無理とされる問題だ。 ロウソク、マッチ、画鋲があります。これらを用いて、壁にロウソクを取り付けて明るくしなさい
自信満々のITエンジニアって、あんまり見かけない。 凄い技術を持っているだけでなく、日々切磋琢磨して高水準を保ち続けているにも関わらず、「ちょっとできます」という。優秀なエンジニアであればあるほど、謙虚に振舞う人が多く、自分に足りないものを常に意識し、努力している。 ただ、自分の不足分を意識するあまり、自信を失っている人がいることも事実だ。 どんどん新しい技術が生み出されるだけでなく、それまでの体系を一変させるようなアーキテクチャが導入され、自分が積み上げてきたものの隣に別の山脈があることに気づかされることもある。吸収するスピードが追いつかず、自信喪失している人もいる。 この自信喪失の罠は、エンジニアとして優秀で、技術習得に貪欲な人ほど陥りがちだと思う。そうでない人は、営業や、マネジメントに重心を移して、「ITエンジニア」ではない存在になる傾向がある。 そんな人の力になる言葉を紹介し、自分
普通、名言集といったら人を励ますものだ。 明けない夜は無いとか、出口のないトンネルは無いとか、あきらめずに頑張ればいつか夢はかなうとか。ポジティブにさせ、前を向かせてくれる言葉が並んでいる。エナドリのように気分をブーストさせるのに向いているが、ちょっと眩しすぎる。 本当に辛く苦しく落ち込んでいるときに、「ポジティブでいれば幸せしかない」なんて言われても、「せやな」としか返せない。後ろ向きのときに前向きの言葉は似合わない。失恋ソングなんてまさにそれで、悲しいときには悲しい曲を聴きたくなるものだ。 それと同様に、辛いとき、苦しいとき、自信を失って途方に暮れているときは、絶望的な言葉の方が心に沁みる。自分だけではなかったと慰められ、この気分に寄り添ってくれているように感じられる。 カフカ、ドストエフスキー、太宰治、芥川龍之介など、文豪たちが吐き出す絶望名言を紹介したのがこれである。 紹介する人は
代替現実による記憶操作や、電脳皮質による認知の拡張、メタバースとリアルの逆転現象、死のデジタル化や、「見立て」による界面の重ね合わせなど、「現実とは何か」について、興味深いディスカッションが展開されている。 話し手は、拡張現実やメタバースといったテクノロジーの最前線にいる科学者から、新技術をアートに昇華する芸術家、3DCGゲームをプロデュースする能楽師など、バラエティーに富んでいる。 聴き手であり書き手なのが、藤井直敬さん。理化学研究所で社会的脳機能を研究し、VR体験を提供する株式会社ハコスコを創立した経歴の方だ。「現実は小説よりも奇なり」として、哲学・科学・技術を融合した現実科学を提唱している。 基本的に、藤井さんが話し手とサシで話し合うのだが、「現実とは?」の問いかけからスタートして、とんでもないところへ連れて行かれるのが楽しい。 超音波を聞く人工内耳、手にインプラントされたSuica
Netflixオリジナル映画で最高に胸糞悪いと評判の『悪魔はいつもそこに』、その予告編が[これ]。 感想を聞くにつれ、めっちゃ観たい! ・後味は吐き気しかない ・面白いけど、思い出したくないストーリー ・救いようのないクズばかりで、いっそ清々しい カミソリで神経を逆撫でするような、エグくてエロい奴を無性に摂取したくなるときがある。自分の感性の肝試しをしたくなる。死なない程度に毒を摂取して、安全に悶え苦しみたくなる。 ネトフリ入っていないので、原作小説に手を出してみる……すると大当たりだった。 登場人物のどいつもこいつも、邪悪か鬼畜か情欲まみれか、クズか不快か悪党ばかりである。唯一、主人公の男の子だけがまっとうで、自分の大切なものを純粋に守ろうとする……こういうの大好き 表面上は穏やかなアメリカの田舎町で、信仰を大切にする人々が暮らしているように見える。だが一皮剥けばこんなもの。タイトル T
初めてChatGPTを触ったとき、Googleを触ったときと同じく、世界が変わる確信めいたものを抱いた。成果が著しいのはアートやプログラミング分野だが、思考様式やライフスタイルまで及ぶだろう。 だが、どのように変わるのか? 一つの答えがSFの形で示されている。その最新を集めたのが『AIとSF』だ。 いま、「一つの答え」と書いたが、ひとつどころではない。『AIとSF』には、22もの短編が集められている。つまり、22もの最前線が一度に手に入る。 現在進行を延長し、いかにも「ありそう」な射程を捉えた未来から、「いま」を少しズラした世界線、あるいは予想のナナメ上空をかっ飛ばす「ぶっちゃけありえない」未来まで、色とりどりに並べられている。 バラエティ豊かなラインナップだが、まとまっている作品が多いような気がした。 「まとまっている」とは、その作品の中で未来が閉じている物語だ。様々なガジェットやギミッ
くり返し読み返す作家は少ないが、コーマック・マッカーシーの作品はその中に入っている。特に『すべての美しい馬』は今度も何度も読み返すだろう。小説でしか伝えられない美と残虐を、確かに受け取ったと信じさせてくれるからだ。 アメリカ文学を代表する作家の訃報に接し、わりと衝撃を受けている。あたりまえなのだが、人生は期限つきであり、生きて、読んでいられる時間は思ったより短いことを、あらためて思い知らされたから。 ここでは、お薦めの作品を5つ、紹介する。世界には美と残虐が仲良く同居しており、剥き出しになった暴力と向き合うときにこそ、人間とは何かが見えてくる作品だ。 ザ・ロード 氏の作品を知らない人向けの入口となる一冊。他と比べると短めで、作風と世界観を味わうのにうってつけだ。 カタストロフ後の世界を旅する、父と子の物語。 ゾンビのいない終末世界だとこんな風になるのだろう。劫掠と喰人が日常化した生き残りを
うんこを限界までガマンしたことがある人たちと、限界を突破した悲しみを知る全ての人たちに贈るアンソロジー『うんこ文学』 大人になってから、うんこを漏らしたことがあるだろうか? 私はある。 妻が「彼女」だった頃、同棲先の彼女のマンションで漏らした。西友で買い忘れたものがあるという彼女を残して、鍋の具材を運んでいたときだ。 お腹の調子が悪かったのは覚えている。体の中心に熱泥が吊り下がるような感覚があった。西友のトイレを使わせてもらえばよかったことも覚えている。 だが、間に合うだろうと考えていた。目算を誤らせたのは、食材の重さによる移動速度の低下と、彼女のマンションまでの道のりである。一緒に暮らし始めて間もないため、道を間違えたのだ。 真冬にも関わらず脂汗を流し、全身の筋肉を一点に集中させ、そのことだけは許されまいという思考だけが頭を支配し、奇妙にねじくれた足取りで、走るな、走れば破局だと言い聞か
例えばソフトウェア開発において、 人が増えても納期が短くなるとは限らない 見積もりを求めるほどに絶望感が増す 納期をゴリ押すと、後から品質はリカバリできない これを見て、「だよねー」「あるあるw」という人は、本書を読む必要はない。 プログラミングは人海戦術で何とかならないし、「厳密に見積もれ」というプレッシャーは見積額を底上げするし、納期が優先されて切り捨てられた品質は、技術的負債として残り続ける。経験豊富なエンジニアなら、大なり小なり、酷い目に遭ってきただろうから。 だが、これらを理解できない人がいる。 要員を追加して、手分けしてやれば一気に片付くはず 厳密にやれば、見積りバッファーはゼロにできる 品質のことはリリース後にじっくりやればいい ……などと本気で考えている。これは、ソフトウェア開発とはどういうものか、特性を知らないからだ。こんな無知な人間が経営層にいたり、顧客の代表となった場
わかった風なオトナは、現代を「答えのない時代」と呼びたがる。 いわゆる、「正解が無い」という意味だろう。そして若者に向かって、「今までのやり方は通用しない」と脅す。正解を探すよりも、選んだ答えを正解にする努力が必要だとドヤる。 これは、知的怠惰だ。 正解の領域がハッキリしたものと、予測不能なものがあるだけだ。いつの時代でも同じことで、答えを求めて問い続けることが重要だ。「正解が無い」からといって問うのを切り捨てるのは、問うのを止めた言い訳に過ぎぬ。「今までのやり方は通用しない」のは当のオトナなのである。 では、予測不能なものを、どう正解に近づけるか? それは、問いの精度による。 漠然とした問いだと、漠然とした答えしか返ってこない(Garbage In, Garbage Out)。「未来はどうなる?」という問いからは、無数の答えに不安になる。だが、「未来をどうする?」という問いなら、答えは「
面白い物語の法則として「主役はできるだけ早く登場させて印象づけろ」というものがある。 にも関わらず、最初の『スター・ウォーズ』はこのルールを破っている。小さな宇宙船を追跡する超大型戦艦から始まり、悪の親玉に捕まるお姫様を描き、辛くも脱出するロボットのコンビを描く。 メイン・キャラクターであるルーク・スカイウォーカーが出てくるのは、映画が開始して17分が経過してからになる。 一方、『スター・ウォーズ』のオリジナルの脚本では、4ページ目からルークが紹介されるシーンがある。ほぼ冒頭から登場するのだが、このシーンは映画に入っていない。脚本家のジョージ・ルーカスは慣習に従ってルークを冒頭で出しているが、監督のジョージ・ルーカスはそうしなかった。 なぜか? 様々な説が考えられるが、『脚本の科学』によると、「その必然性が無かったから」になる。 いきなり始まる怒涛のバトル&追跡劇で息つく暇もない観客は「逃
あなたは「加齢臭」があるだろうか? 脂っぽく、傷んだチーズのような臭いだ。若いころにはなくても、齢をとるとしはじめる、おじさん臭、オヤジ臭と呼ばれることもあるが、男性に限らない。 面白いのは、加齢臭という言葉が生まれる前から、中年期の男女には独特のニオイがあった。この言葉が広まってから、急に臭うようになったわけではない。 「加齢臭」という言葉を遡ると、コラムニストの泉麻人氏に至る。朝日新聞1999.6.12夕刊でこう書いている。 飲み会の席に若い女性などが混じっていると、「通勤電車のオヤジの体臭がたまらない!」なんて話題がよくもち出される。三十代の頃は「わかる、わかる」と一緒になって笑いとばしていたものだが、自分も四十過ぎの年代に入ると、穏やかではない。オレもニオッているのではないだろうか。(中略)「加齢臭」を消す中高年向けのエチケット商品が、秋に発売されるという。熱心な研究開発意欲には脱
きっかけは、骨しゃぶりさんの「人付き合いって大事かなと思ったら読みたい3冊」。 確かに人付き合いは大事やなと思い立ち、骨しゃぶりさんとサシオフ(差しでオフ会)してきたらめちゃくちゃ楽しかった。 重要なのは、「リアルで会って話する」こと。表情や相槌を見ながら言葉や事例を選ぶことができるし、こちらのレスポンスの影響も即座に分かる。「読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする」というけれど、読み書きが達者なブロガー同士が「話す」となると、面白い化学反応が起こる。 ChatGPTとスタニスワフ・レム 興味深い話になったのは、流行りの生成AI(Generative AI)ネタ。 文章で指定して画像を生成するのだが、私がやってもイマイチなやつしか出てこない(私の呪文がイケていない自覚はある)。 骨しゃぶりさんも、似たような悩みを抱えていたみたいだ。まず、別ソフトで3Dでポ
われわれが出来事をつなぎ合わせて物語を作り上げその物語がわれわれ自身の本質となる。これが人と世界のつながり方だ。人が自分について世界が見る夢から逃れたときこのことが罰ともなり褒美ともなる。 終盤でビリーが聞かされるこのセリフこそが、エッセンスになる。各人は自分の人生を物語る吟遊詩人のようなものだ。そして聞き手がいる限り、物語は生き続ける。 もう一つ。以下は著者コーマック・マッカーシーがインタビューに応じて答えたものだが、彼のあらゆる作品の通底音となっている。 流血のない世界などない。人類は進歩しうる、みんなが仲良く暮らすことは可能だ、というのは本当に危険な考え方だと思う。こういう考え方に毒されている人たちは自分の魂と自由を簡単に捨ててしまう人たちだ。そういう願望は人を奴隷にし、空虚な存在にしてしまうだろう。 野生動物に流れている血が人間の内にも流れていることを実感させ、人間の残虐性を剥き出
なぜ自分が自分の形を留めていられるかというと、自分を知る誰かがいるから。 誰も自分を知らない場所へ旅するのもいい。そもそも誰一人いない場所を旅するのもいい。だが、いつかは放浪をやめてこの世界のどこかに落ち着かなければならない。さもないと人という存在と疎遠になり最後には自分自身にとってさえ他人になってしまう。 誰かを撮った写真は、近しい人間の心のなかでしか価値を持たないのと同じように、人の心も別の人間の心の中でしか価値を持たず、その人の思い出は、思い出したときにのみ存在するだけであって、思い出す人がいなくなれば、消え去るほかない。 人生は思い出だ、そして思い出が消えれば無になる。だから人は思い出を物語ろうとする―――コーマック・マッカーシーの『越境』を読んでいる間、そんな声が通底音のようにずっと響いていた。 マッカーシーの代表作ともいえる国境三部作(ボーダー・トリロジー)の第二作がこれだ。第
きっかけは、読書猿さんとの飲み会だった。 「海外の記事やSNSを読むのに英語力が足りない。しゃべれなくても書けなくてもいいけど、スラスラ読めるようになりたい」と愚痴ったところ、「まず2万語」と言われたのが最初だ。 語彙力こそパワー、ボキャブラリーを増やすぞとばかりに選んだのがこれだ。 理由は、英語を学んできた人たちの評価がダントツだったことが一つ。もう一つは、お試しで手にしてみたところ、「ちょっと難しいけれど、頑張れば読めないこともない」というレベルだった点だ。 本書を610日間かけて読み切った結果はこうなる。Preply のボキャブラリーテストによると、ほぼ一万語に到達できた。 7870 words (2021年4月) 9944 words (2023年4月) ぶっちゃけ私一人では無理だった。初志は継続せず、どこかで挫折する理由を探し出していた。 だが、私を一人にしない技法を用いることで
教養ビジネスに騙されずに、世界史をやり直したい。 ビジネス書コーナーに行くと、「教養のための世界史」とか「〇時間で分かる世界史」といった教養本が積んである。試しに手にすると、雑学を身につけるには最適だが、それを読むことで、手垢まみれの「教養」とやらが身につくかどうかは疑問だ。 むかし流行した、自己啓発本と同じである。 「自分の付加価値を高める」みたいな動機付けで誘引し、お財布から出しやすい2千円ぐらい、週末にサクっと読める程度に簡単で、即効で賢くなった気にさせる。知識をひけらかしてマウンティングするぐらいにはなれる。 ただし、すぐ効く本はすぐ効かなくなる。結果、似たような本を継続的に買い続けることになる。 そういう教養商人のカモにならず、世界史を学びなおす上で、「軸」となる本が読みたい。それも、研究者の監修を受けた信頼できるもので、かつ、包括的でバランスのとれた内容のものが読みたい。定期的
この世でいちばん面白い物語は、『千夜一夜物語』だ。面白さのエッセンスを煮詰め、淫乱で低俗な世界に咲いた気高く美しい枠物語だ。 この世でいちばん面白いファンタジーは、『氷と炎の歌』だ。エロとグロと波乱と万丈と冒険と怪奇の群像劇だ。 この世でいちばん面白い小説は、『モンテ・クリスト伯』だ。究極のメロドラマであり、運命と復讐の逆転劇だ。 そして、『サラゴサ手稿』は、面白さのエッセンスを煮詰めた枠物語であり、エログロ波乱万丈の群像劇であり、究極のメロドラマである。惜しむらくは全三巻と短く、気のすむまで狂ったように読み続けることはできぬ(その点、千夜一夜は全11巻なので延々と没入できる)。 しおり無用の面白さだが、一気に読ませぬ迷宮が仕掛けてあるのでご注意を。ひとたび頁を開いたら最後、物語の物語の物語の中に入り込み、ストーリーのダンジョンを行ったり来たり、延々と彷徨うことになる。 説明する。 『サラ
ネットには「死にたい」「消えたい」「殺して」というつぶやきが流れている。 しかし、「死にたい」は一種の忌み語になっており、入力すると速やかに相談窓口へ誘導される。また、この言葉を掲げる記事は目立たないよう扱われる。切実な声は画一的に処理され、表立ってこない。 こうした声にどう向き合うべきなのか。また、こうした声と共に居ることは、いかにして可能なのか―――「死にたい」をめぐるコミュニケーションのありかたを考えたのが本書になる。 社会学者である著者は、「死にたい」という言葉の使われ方に着目する。 この言葉を発する人は、社会的な属性や貧富の状態、学歴、就業状況は様々だ。心療内科に通っている人もいれば、行かない人もいる。診断名もまちまちだし、自傷する人もいればしない人もいる。深刻に吐露している人もいれば、「死にたい」は「生きづらさ」の言い換えだという人もいる。 だが、この言葉を介してつながりあう人
GPT-4のような高度なAIとヒトを識別するにはどうすればよいか? 結城浩さんが興味深い記事を公開している。AIか人かを判断するポイントを、ChatGPTに尋ねている点が面白い。ChatGPTによると、次のような質問が苦手だという。 複雑な感情やニュアンスについて尋ねる クリエイティブな質問を投げかける 時系列に関する質問をする 矛盾した情報を提供してみる 言語の遊びや言葉の意味を理解する質問をする AIには、矛盾や言葉遊びに対応することが不十分であることが浮き彫りにされている。一方、人間は矛盾や誤りに対する反応が上手く、AIよりも柔軟に対応できているのが現状のようだ。 もっとも、AIに関する技術は進歩し続けており、より高度な会話能力を持つAIが登場することは十分期待できる。AIにヒトを模倣させるチューリングテストは合格だろう。 だが、どれほどChatGPTが進歩しようとも、ヒトと区別する
コーマック・マッカーシー『すべての美しい馬』は、あまりに好きすぎて書評できない。そのため、以下の文章はわたしのノロケになる。 20年前に一目ぼれして以来、くり返し読んできた。好きなシーン(野生馬の調教、刑務所でのナイフ死闘)を擦り切れるまでめくったり、ふと開いた頁のセリフに啓示を探したり、リアルがキツいと感じたときのアジール(逃げ場)としたり、様々な読み方をしてきた。 10年前に文庫になったのを読み、読書会を機に先週また読み、いまKindleで原著に取り組んでいる。たぶんこれ、人生かけてくり返す傑作になるだろう。そしてこれ、読み返すたびに美しさを再発見し、苛烈さに震え慄き、運命に落涙する傑作となるに違いない。 時代錯誤のカウボーイ 舞台は1949年のテキサス、主人公はジョン・グレイディ・コール。祖父の牧場で生まれてから16年、カウボーイとして生きてきた。 冒頭は祖父の葬儀から始まる。そして
「死にたい」という言葉は、一種の忌み言葉になったように見える。 昔、といっても十年ほど前までは、もっと頻繁に見かけていた気がする。「辛い」「消えたい」という言葉と一緒に、もっと頻繁に目にしていた。 だが、いまではこの言葉を吐く人に、ネットは「慎重に」対応するようになっている。検索結果のトップは、心のケアをする相談窓口だし、ChatGPTやBingに尋ねても同様だ。即座に窓口へ誘導されるか、”This content may violate our content policy” (コンテンツポリシー違反のおそれ)の壁に阻まれる。 もちろんこの流れは、座間や練炭が加速しているのを知っている。さらに、今もこの言葉を縁として集う人がいることも知っている。だが、それでも、「昔のインターネット」は、死と寄り添っていたと記憶している。 「死にたい」という言葉は、ネットを経由すると、脱色された透明な存在
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