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先日、読売新聞を見ていてあるろう学校の先生のコメントが目に留まった。読売新聞には「写真大賞事務局」があるそうだ。おそらく報道写真や人物写真等のコンテストをしているところだと思われるが、その事務局主催で「写真授業『見る・撮る・伝える』」という催しが、東京都立大塚ろう学校で行われた。小学4年生から6年生の児童を対象に、構図の決め方やカメラの扱い方などを教えるものだ。ろう児たちにいろいろな経験をさせるのは良いことだ。この写真授業をきっかけにカメラの魅力に目覚めた子どももいたにちがいない。 しかし、見過ごせなかったのは、その授業を担当した教師のコメントである。「言葉で表せない子どもたちの気持ちが伝わってくる」という。 ろう児たちは「言葉で言い表すこと」ができないというのだろうか。これがろう学校教師のコメントなのだろうか。ろう児たちは言葉を持たない動物と同じだととらえているのか。もしくは、言葉と
ろう者はカタカナが大嫌いである。外来語をすぐにカタカナにするのでなく和製語にしろ!とカタカナの氾濫に怒るろう者が結構たくさんいる。意外に思われるかもしれないがろう者は漢字が好きである。 誤解しないで欲しい。平均的な日本人より難解な漢字を知っているろう者が多い、ということを言っているのではない。 私の父は日本語があまりできない。父は昭和8年(1933年)生まれ。学童期は太平洋戦争の真っ最中。聾学校の集団疎開、畑や山にかりだされ、授業はまともに受けていない。手話は生活言語として習得した。日本語の読み書きは聾学校時代にでなく、住み込みをしていてときに手話のできるすぐ下の妹(聴者)から必要最低限のことを教えてもらったという。 父はスポーツ新聞を読む。父は活字を拾い読みしつつ文を読む。複雑な構文の時は飛ばし読みをしているようだ。(私が不得手とする英語の文を読んでいるときの感じに似ているかも。あるいは
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