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ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 横浜の古道を一筋一筋丁寧に歩くことで、ピンスポットのガイドでは得られない「旅する感覚」を再現。まずは王道の東海道。その第5回は戸塚宿の中心地を通って、ついに藤沢との市境に到達! 近世の大動脈・旧東海道を横浜の端から端まで歩き通す今回の企画も、いよいよ佳境だ。 (© OpenStreetMap contributors) 戸塚宿(とつかしゅく)の江戸側からの入り口である江戸方見附(えどがたみつけ)に到達したところで終わった前回。当初の予定だった回数で完結できなかった横浜市内の東海道中も、この第5回目でやっと完全踏破を遂げることになる。 しかし、戸塚宿江戸方見附
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 横浜の古道を一筋一筋丁寧に歩くことで、ピンスポットのガイドでは得られない「旅する感覚」を再現。まずは王道の東海道。その第4回は武州・相州の国境を越え、江戸を出て最初の宿泊地だった戸塚宿へ至る。 近世の大動脈・旧東海道を、横浜の端から端まで歩き通す今回の企画。 (© OpenStreetMap contributors) 前回、江戸から京に上る旅人が最初に出くわす難所・権太坂を無事越えた筆者は、ついに『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんも初日の宿泊地に選んだ戸塚(とつか)宿にたどり着く。 戸塚宿は起点・日本橋からおよそ十里半(約42km)。驚くことに、江戸時代
人気の飲食店が集まる「横浜西口一番街」がオープン 横浜駅から徒歩5分の位置に、横浜の人気店7店舗が1つの大きな空間に集まった賑やかな横丁が3月20日にオープンとなる。 また、グランドオープン当日の20日16:00頃から、施設周辺で横丁の参加企業7社の社長がオープンを祝してチンドン屋を開催。普段は滅多に見られない、社長たちの愉快なチンドン屋から元気をわけてもらおう。 「魚と酒はなたれ」 早朝、買参権を持つ横浜中央市場にて、その日一番の『全国の旬の魚』をセリ落とし。その後、三浦半島佐島漁港まで行き、その日獲れたての湘南朝どり生しらすをはじめとした市場に出荷前の『朝どり魚』を漁師から直接買い付け。 日替わりメニューは30種以上。旬の走りと鮮度にこだわった自慢の地魚や地野菜を、全国各地の季節の日本酒と一緒に堪能しよう。 「ビーフキッチンスタンド」 名物ビフテキはなんと290円!ステーキをつまみにお
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 横浜の古道を一筋一筋丁寧に歩くことで、ピンスポットのガイドでは得られない「旅する感覚」を再現。まずは王道の東海道。その第3編の保土ケ谷宿周辺は史跡や寺社、脇街道の分岐点も多く、見どころいっぱいだ。 横浜市内を通過する近世の大動脈・旧東海道を、端から端まできっちり歩き通す今回の企画。 (© OpenStreetMap contributors) その第3回は保土ケ谷宿周辺。神奈川宿の京側の出入り口にあたる上方見附(かみがたみつけ)の先から保土ケ谷方面に向かってテクテク歩き始める。 なお、「保土ケ谷」はかつて「程ケ谷」とも表記されたが、本稿では便宜上「保土ケ谷」
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 横浜の古道を一筋一筋丁寧に歩くことで、ピンスポットのガイドでは得られない「旅する感覚」を再現。まずは王道の東海道。その第2編の神奈川宿周辺には、幕末・開港期の痕跡が数多く残っている。 近世の大動脈・旧東海道を横浜市内の端から端までたどる旅。 (© OpenStreetMap contributors) 第2回目の今回は、第一京浜(国道15号線)の京浜子安駅入口交差点から南へ下る。 この先はかつて神奈川宿だったところ。 宿場付近は中世から陸海交通の要衝地で、物資の集散拠点だった。そしてそこへ至る道、いや至ってからも、街道の左側には海岸線が続いていた。 初代広重
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 数多く残る横浜の古道。その一筋一筋を丁寧に歩くことで、ピンスポットのガイドでは得られない「旅する感覚」を再現する。第一弾は王道の東海道。まずは、市内最北端から神奈川宿の手前までをたどる。 江戸・日本橋を起点に京都まで続いた近世の大動脈・旧東海道。その街道を現在の地図に重ねると、横浜市内の端から端までは次のようになる。 (© OpenStreetMap contributors) 緑のポイントはJR南武線と京浜急行線の八丁畷(はっちょうなわて)駅のやや南に位置する鶴見区・市場上町(いちばかみちょう)の交差点。そして赤いポイントは戸塚区・鉄砲宿(てっぽうじゅく)
ココがキニナル! JR鶴見線で夜景を楽しめるツアーが開催されるとの情報を得たライター・若林。鶴見線での貸し切り列車やツアー開催は非常に珍しい。ぜひツアーに潜入して工場の夜景を紹介したい!(ライター・若林のキニナル) はまれぽ調査結果! JR鶴見線でのツアーは珍しい試みだが参加者には好評。川崎市観光協会のガイドを交えて進行し、入賞したおむすびも楽しみつつ、昼とは全く違う沿線の風景を心ゆくまで楽しめる企画だった。 地元民や通勤客の他に、鉄道ファンにも広く知られているJR鶴見線。鶴見駅から京浜工業地帯へ走る通勤路線だが、日中は通勤客が減ることから本数が激減し、ローカル線のような趣に変わるのだ。 さらに、高架下が懐かしい雰囲気で有名な国道駅や、海(運河)が目の前なのに駅から出られない海芝浦駅など、個性的な駅も数多い。 短い3両編成で工業地帯を走る鶴見線 筆者・若林が入手した情報では、ここに貸し切り
ココがキニナル! 戦時中、新横浜には食べるための蛙を育てる養蛙場があったそうです。食糧難の時代、食用蛙は貴重なたんぱく源だったといいます。当時、市内各所にあったという養蛙場について知りたいです(ねこぼくさん) はまれぽ調査結果! 1918年に日本の食用蛙の歴史が始まり、その後市内には新横浜を始め3ヶ所の養蛙場があった。食用蛙は食糧問題解決の策として日本に持ち込まれたもの 岡野公園内にも養蛙場があった? また、「横浜市立図書館デジタルアーカイブ」を調べていたところ、岡野公園にも養蛙場があったという情報を見つけることができた。 左下が養蛙場の写真(『大横濱』横浜市中央図書館蔵) 雑誌『大横濱』1926(大正15)年10月号の巻頭写真部分に「保土ヶ谷の仙境岡野公園=入口 梅園 桜林 養魚場 養蛙場」として写真が掲載されていた。 岡野公園養蛙場の絵葉書(横浜市中央図書館蔵) 『大横濱』に掲載されて
ココがキニナル! 「昔は確かにここにあった!」という商店街を記憶や資料を頼りに再現すると、懐かしい情景がよみがえり、新たなキニナルも生まれる予感が(ねこぼくさん)――第4弾は南区睦町の「中村橋商店街」を調査! はまれぽ調査結果! 中村橋商店街の歴史は市電の盛衰と運命を共にしていた。すでにそこにはアーケードも商店会もないが、昔ながらの商店はまだ点在し、「まぼろし」とは言いがたい。そして老舗商店街ならではの下町人情も健在だった。 「ハムエッグ」さんから次のようなキニナル投稿があった。 「中村橋商店街はアーケードが取り払われ、商店もだいぶ減ってしまったようです。中村橋は市電の系統が集まる要所でしたが、廃止とともに商店街の盛り上がりも変わってしまったのではないかと察します」 これを受けてさっそく調査に乗り出した。だが、その端緒として商店組合の組織を探してみたものの、なかなか見つからない。 しかし横
ココがキニナル! 神奈川県の山奥に埴輪女子を夢中にさせる方がいらっしゃるので取材して下さい(ホトリコさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 埴輪女子を夢中にさせる山の主(ぬし)は気さくで優しい陶芸家だった。大井松田ICからほど近い松田山の中腹に築かれた別天地で、埴輪制作一千体の修行に励む作家に密着し、作陶体験にもトライ! キニナル投稿には「神奈川県の山奥」というヒントしかなかった謎の人物。これは探し出すのに一苦労と覚悟を決めて調べ始めたら、意外とすぐに発見してしまった。なぜならその人は、すでにテレビの人気旅番組などにも紹介されたことがある方だったからだ。 その人の名は志村正之(しむら・まさゆき)さん。足柄上郡(あしがらかみぐん)の松田山山中に「時光窯(じこうがま)」という窯元を築く陶芸家であった。 時光窯の場所 だが、山奥にこもって制作に耽(ふけ)る芸術家と聞くと、もしやかなり気難しい人では
ココがキニナル! 市の広報はみなとみらい関係の話題ばかり。昔ながらの横浜にスポットを当ててほしい。例えば三溪園は交通アクセス改善の施策が全く見えない。地下鉄敷設などの立案を見せてもらいたい(s39hbさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 三溪園へのアクセスを精査すると、どのルートも一長一短。結局、あまり便利とは言えない。この問題について市の担当部署を直撃し、三溪園側の意見も聴取。だがその結論は、そう簡単なものではなかった。 投稿者の「s39hb」さんが嘆かれる通り、横浜というと、刻々変化を続けるみなとみらい地区を中心とした新興開発エリアに、ついつい目が奪われがちだ。 昔ながらの観光名所について見ると、山下公園・中華街・元町・山手などは、みなとみらい地区からの延長線上にあり、いわば新興開発エリアとセットで存在している。 だが三溪園(さんけいえん)となると、そこからやや離れていて、今の観光ルー
ココがキニナル! 高島町交差点近くのマンションを建てる際に当時の赤レンガが出てきたという二代目横浜駅。関東大震災で廃止となった同駅をもっと知りたい。当時の東海道本線の痕跡は残っている?(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 二代目横浜駅の遺構は今も大切に現地に保存され、また旧東海道線の痕跡も突き止めた。同駅の興亡とともに、その背景にある、大都市の中心駅にもかかわらず開業以来移転を繰り返してきた横浜駅の謎を深掘りする JR・私鉄・地下鉄と多くの路線が入り組む横浜駅は、年間乗降客数が新宿・渋谷・池袋に次いで国内どころか世界で4番目(2017年度)の巨大ターミナルだ。 今年新たに「JR横浜タワー」もオープンした西口駅前 ところが現在の横浜駅は、日本初の鉄道駅が誕生したその場所ではない。なにしろ開業した1872(明治5)年当時、この辺りはまだ海だったのだから。 ここに横浜駅ができたの
ココがキニナル! 久里浜と金谷を結ぶ東京湾フェリーの状況。1隻は代替新造ではなく廃船し、3隻体制から今では2隻体制に追い込まれています。遠い将来にはこの区間も橋で結ぶ計画もあります(よこはまいちばんさん) 東京湾フェリーの今後 利用車台数で最盛期の3分の1。売上的にはさらに低くなっている東京湾フェリー。 平日の利用者は少ない 2006(平成18)年6月から、閑散期の平日は2隻運航にダイヤ改正。現在は「しらはま丸」と「かなや丸」の2隻で運航を続けている。 しらはま丸 かなや丸 3隻運航を続けていたのは利用者を待たせないためと、法令によって各船ごとに年1回の定期検査があるためだ。 検査は12日間かけて行う定期検査の間、2隻運航を維持するために3隻で運航を続けていたが、2010(平成22)年7月には「くりはま丸」を売却。5月下旬と12月に行われる定期検査の間は1隻で運航することになるが、現状では
ココがキニナル! 桜木町からMM地区へのロープウェイが正式に決定しました。経路や料金について調査をお願いします。(パッチョさん、よこはまいちばんさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 2020年1月末から工事が開始され、21年3月の開業へ具体的な動き。景観などにも配慮しながら、日本初の常設都市型ロープウェイを目指す。汽車道を沿うように進み、料金は未定 みなとみらいの新しい交通機関として注目の集まるロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN(ヨコハマ・エア・キャビン)」(仮称)の設置工事が、2020(令和2)年1月末からいよいよ始まった。 桜木町駅前をスタートとして、汽車道を沿うように進み、横浜ワールドポーターズの前までおよそ630メートルを結ぶ計画だ。 今回は横浜市の担当部署である都市整備局企画課と、実際に「YOKOHAMA AIR CABIN(仮)」を設置・運営することになる泉陽興
ココがキニナル! 横浜港の歴史に欠かせない「ポートトレイン」。入港した外国人を東京へ運び、異国へ旅立つ日本人を送り届ける夢と希望を乗せた列車は、どんな人々を運び、どんな運命を辿ったの?(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 「ポートトレイン」の誕生と軌跡は、港湾・鉄道整備の進展、海外渡航の変容、そして戦争など、横浜や日本の近・現代化と密接に結びついていた。またその痕跡は、今も身近に見ることができる。 JR桜木町駅下車後、手軽に横浜の代表的観光地を見て回りたければ、東口駅前から出ている定期観光周遊バス「あかいくつ」がおすすめだ。 始発のバス停・桜木町駅前に停車中のあかいくつ けれども健脚の方であれば、ひたすら徒歩で、時間をかけてじっくり観光名所を巡るという方法もある。 そのルートの一つが、桜木町駅からワールドポーターズへ向かい、その先に続く海沿いの赤レンガ倉庫、開港の道、山下公
ココがキニナル! 天王町駅近くに、小さなチョコレート工場を備えた工房がオープンしたらしい。店内は工房と共に小さなカフェスペースも設けられているようだ。どんなチョコレートが楽しめるの?!(はまれぽ編集部のキニナル) はまれぽ調査結果! スーパーなどで売られているチョコレートは、基本的に均一の味を求め製造されているのに対して、「2U chocolate」ではカカオ豆の個性ある香りや味わいを活かしたチョコレートを提供していた。 相模鉄道の天王町駅近くにある「シルクロード天王町」商店街が、去年11月にケーブルテレビ「YCV」とコラボして、「YCVテレミン商店街」になった。 ポップな「YCVテレミン商店街」の横断幕が貼られている 一部にはまだ「シルクロード天王町」のなごりも残っている 庶民派商店街に誕生した、小さな「Bean to Bar」 とはいえ、商店街は昔ながらの庶民的な雰囲気はそのまま。その
ココがキニナル! 「ピアゴイセザキ店」が8月上旬に閉店。百貨店「松喜屋」から「ほていや」、「ユニー」と続く歴史ある店舗。競合店の進出やドンキの傘下になった影響?伊勢佐木町が危機的!?(よこはまいちばんさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 伊勢佐木町の総合小売店・最後の砦とも言えた同店の閉店は、近年の新規競合店に見られる商店街の店舗形態の変化が影響しているようだ。同店を含む伊勢佐木町通りの歴史、現場、そして住民の声など多角的な調査を報告 青江三奈(あおえ・みな)の唄「伊勢佐木町ブルース」のメロディーを口ずさみつつ「横浜といえばやっぱり伊勢佐木町でしょ!」と言ってしまうのは、筆者のような「昭和な人々」だけかもしれない。 4丁目の「CROSS STREET」前に建つ「伊勢佐木町ブルース」歌碑 ちなみにこのライブハウス「CROSS STREET」を命名したのは、伊勢佐木町から世界に羽ばたいたフォー
ココがキニナル! 太平洋戦争中、古都鎌倉にも空襲があったらしいので取材をお願いします。/鎌倉ゆかりのラングドン・ウォーナーの取材をお願いします。(小鳩さん) “平和の時代の人々には想像もつくまい・・・” 戦闘機による機銃掃射は低空飛行で行われたので、住民に与える恐怖感は絶大なものがあった。また空襲警報も頻繁に鳴り響き、横浜大空襲などほかの都市が火の海となるのを眺めるような状況も続いた。 そんな当時の鎌倉住民は、一体どのような心持ちで日々生活していたのだろうか。 『一九四五年 鎌倉と米軍機による空襲』を読むと、当時の鎌倉住民がいかに大きな不安や動揺、疑心暗鬼の中で毎日を過ごしていたかがわかる。 のみならず政府が「空襲の際に住民は逃げずに消火にあたれ」と指導したことがさらに人々を追い詰めたと思われる。東京大空襲の報を聞いた大佛次郎は日記に書いている。 「初期消火を強制するために大量の死者を出せ
ココがキニナル! 第三京浜の羽沢町付近にある「十三塚橋」の名前の由来は?また、南神大寺団地の一帯には昔合戦の死者を弔うために九つの塚が造られ「九養塚」と呼ばれていたとか。どこにあったの?(ねこぼくさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 「十三塚」「九養塚」にかぎらず、神大寺から羽沢町にかけては「小机の合戦」由来と言い伝えられる地名がいくつもあった。数々の伝承の場所を求めて、貴重な資料を片手に、現地を徹底探訪! 「十三塚(じゅうさんづか)」や「九養塚(きゅうようづか)」についてネットで調べると、ブログなどに戦国時代の「小机(こづくえ)の合戦」との関連を記述した記事を数多く見かける。しかも、この2つだけでなく、「道灌森(どうかんもり)」「刑付原(はつけっぱら)」「赤田谷(あかだやと)」など、まだまだあると書かれている。 ただ、気をつけなければならないのは、その大半が「地名が現存する」ごとく書いて
ココがキニナル! 「昔は確かにここにあった!」という商店街を記憶や資料を頼りに再現すると、懐かしい情景がよみがえり、新たなキニナルも生まれる予感が(ねこぼくさん)――第2弾は「片倉商和会」を調査! はまれぽ調査結果! 地下鉄片倉町駅ができてから発展した片倉。町の中心を南北に貫く新横浜通り沿いには、以前はアーケード街もあり、そこで催された「夜店祭り」のにぎわいは、今も住民の記憶に深く刻まれていた。 「くろねこ」さんから次のような情報提供をいただいた。 「昭和の頃、神奈川区片倉町に『大丸ストア』という、小規模な商店街がありました。小規模なビルの中に、5~6件の店が入っていました。現在は『まいばすけっと片倉町店』が入っています。そこから数百メートル先にある『星野精肉店』は、昔は大丸ストアに入っていた店です」 「新横浜通りを挟んで向かい側には『片倉商店街』がありました。アーケードを取り払ってしまっ
ココがキニナル! 横浜市庁舎の移転に伴い馬車道駅に「副駅名:横浜市役所」が付くと発表あり。なぜ「横浜市庁舎」でなく「横浜市役所」なんでしょう?/バス停名の変更がキニナリマス(よこはまいちばんさん) はまれぽ調査結果! 副駅名は、「表記を統一してより分かりやすくしたい」という横浜市の意向を受けての決定だった! 市のオフィシャル表記は「市庁舎」ではなく、「市役所」に 2020年度前半からの使用開始を念頭に、建設工事の続く横浜新市庁舎。 今回の取材を行った2019(令和元)年7月後半はすでに本体の外側はできあがっていて、内装などの工事が行われている状況だ。 外観はすっかり出来上がった新しい市庁舎。通算8代目となる 背の高いビルがズンと建ち、なんとなく先が見えてきたという中で、その周囲を取り巻く環境作りも工事を追いかけるように進められている。 そのひとつが今回のキニナル。新市庁舎と直接つながる、み
トップ 娯楽・文化 70年代後半から80年代に大流行したオリジナルファッション「ハマトラ」を愛した女子たちや当時の様子は? ライターになる前、会社員だったが年の瀬に失業。某洋服のショップに一時的に勤務していた過去がある松宮。なので「ファッションは大好き」。もちろん“ハマトラ”にも興味津々なのだが、詳しいことは分からない。 そこで調べてみると、ハマトラは「横浜トラディショナルの和製英語」らしい。神戸発の「ニュートラ(トラッドと海外ブランドを合わせるコーディネート)」に対し、「ハマトラ」は「横浜発のファッション」というスタイルだ。 1970年代後半から80年代前半にかけて流行したファッションでモデルは「フェリス女子大」だと言われている。 『日本のファッション(城一夫・渡辺直樹)』はファッションの歴史が書かれており、おもしろい! 『サブカルチャー社会学(仲川秀樹)』によると、「ハマトラは女性誌J
ココがキニナル! キーコーヒーやキャラバンコーヒー、三本珈琲などコーヒーメーカーの多くは横浜発祥。これだけ揃っているのだからはまれぽさん主導で「横浜珈琲シティ」みたいな仕掛けはできないのでしょうか。(栄区かまくらさん) はまれぽ調査結果! 日本へのコーヒー普及のそもそもを辿っていくと、開国後の横浜とコーヒーとの深い関係が浮き彫りに。そんな地であるからこそ、横浜発祥のコーヒーメーカーには、創業の地への強い思いがあった。 はまれぽ主導で何かの仕掛けをするのはむずかしい。だが、確かに横浜発祥のコーヒーメーカーが多数あるのは大いにキニナルところだ。そこで、さっそく横浜とコーヒーとの関係に深煎り、いや深入りしてみることにした。 横浜コーヒー事始め まずは横浜のコーヒー事始めについて調べてみた。するとそれは、日本のコーヒー事始めでもあることがわかってきた。 とっておきの資料は、横浜開港資料館・横浜都市
ココがキニナル! 川崎市池上町がキニナル!時代に取り残されたようなこの一角はJFEスチールという会社の土地を不法に占拠した住宅地だと聞いたが調査して!(マイクハマーさん) はまれぽ調査結果! JFEスチールという工場の敷地内に、違法に建てられた住宅群。工場と住民との間で定期的に話し合いの場などが設けられるが、いまだに解決していない。 池上町の有名スポットを訪ねる 池上町には有名なスポットがある。 まずは飯塚議員に薦めていただいた焼き肉店・道飛館(どうひかん)を訪れ、店主に話を伺った。 池上町の焼き肉店・道飛館 まずはお店とご自身に関して伺うと「私は在日3世になります。店は50~60年前に私の祖母が始めました。インターネットには国内最古の焼肉店などと書かれていますが、当時は町内で家の軒先でホルモンなどを焼いて、小遣い稼ぎをしていた人たちが多かったため、当店が一番古いわけではありません」 「昔
ココがキニナル! 元町百段公園に光を当ててください。廃墟感が半端なく景色は良いのに観光客どころか地元にも見捨てられたような雰囲気が。名前の由来もキニナリます(横濱マリーさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 「元町百段公園」の成り立ちを調べていくと、開国から明治期に至る新興都市・横浜の誕生と繁栄、そして関東大震災が横浜に与えた被害の甚大さが浮き彫りになっていった 「百段」の由来と往時の光景 ひと通り公園内の様子を調査した後、ふたたび銘板のはめ込まれた入り口の記念碑の前に戻る。碑の中央には、こんな古写真を焼き付けたタイルがはめ込まれていた。 記念碑中央の写真 写真の左には説明板があった 説明板には、次のような文章が刻まれている。 《元町百段 この地は、横浜の開港時から大正期にかけて、浅間山の見晴台と呼ばれ、たいへん眺望のよいところでした。右の写真は、当時前田橋から「元町の百段」を撮影した貴重な
ココがキニナル! 50代半ばの人が小学生の頃「ど田舎」だったという神大寺の当時の様子や、江戸時代「塩の道」と呼ばれた「塩舐め地蔵」前を通る道のルートが知りたい。地名の由来のお寺はどこ?(ねこぼくさん/おおまるさん) はまれぽ調査結果! 高度経済成長期まで神大寺は純農村地帯だった。町名の由来となる寺は戦国時代に建立されたが、やがて小机へ移る。また、「塩の道」を探ると八王子~金沢八景、さらに鎌倉へ続くルートが見えてきた。 近くに神奈川大学・略称「神大(じんだい)」があることと、深大寺そばの連想からついつい「じんだいじ」と呼んでしまいそうな神奈川区神大寺(かんだいじ)。その町名の由来となる寺は果たしてどこにあるのか? まずはその調査から始めてみよう。 神大寺に神大寺はない グーグルマップで見ると神大寺の町は下のようなエリアだ。 赤枠内が神大寺1~4丁目の全域 この地図をいくら拡大して隅から隅まで
ココがキニナル! 横須賀市田浦町は、10年ほど前に「ホタルの里」として町おこしをしていたと記憶しています。今はホタルはいるのでしょうか。どうなったのか現状を教えてください。(619のキニナル) はまれぽ調査結果! 横須賀市田浦町のホタルの里は一部現在も行われているが、高齢化のため継続が難しい地域もある。谷戸の廃墟は過疎化や開発の立ち退きによってできた 田浦泉町に向かう 次に来た道を引き返し、田浦泉町へと向かった。 田浦泉町のホタルの里が残っているあたり(青矢印)(Googlemapより) 山のふもとに向かって住宅地内の細い道を進むと、ふもとに到着。するとそこには同じような形をした建物の住宅群が並んでいた。 通行人に話を伺うと「温泉谷戸住宅」という市営住宅だという。 市営住宅の温泉谷戸住宅 しかし人が住んでいる気配はあまりない。 そして近くにホタルの里の看板を発見。整備路と思われるものもあっ
2020年3月26日(木)、京浜急行電鉄株式会社は、京急線「日ノ出町駅」~「黄金町駅」の高架下スペースに飲食施設「日ノ出町フードホール」を開業する! 各店を“はしご酒”できる地域の大食堂が日ノ出町高架下に誕生! 京急電鉄は、2008年から日ノ出町・黄金町エリアにおいて、地域住民・行政・警察と連携し、高架下スペースに文化芸術スタジオの連続的な整備を行うなど「アートによるまちづくり」を推進してきた。 2018年4月にはアメリカ発祥の「タイニーハウス(小さな住まい)」を活用した宿泊施設、水上アクティビティー拠点などからなる複合施設「Tinys Yokohama Hinodecho」を開業するなど、「賑わいにあふれたアートのまち」の形成を目指し、同エリアの活性化に取り組んでいる。 京急が地域と協力し「アートによるまちづくり」を推進 「日ノ出町フードホール」では、「コミュニティー型フードホール」をコ
ココがキニナル! 相鉄線の2000系が廃車になった時、あるお寺が運転室だけ引き取ったはず。あまり情報もなく今はどうなっているか知りたい。(シウマイさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 相鉄・旧2100系の運転台は2004年に港北区大曽根台の大乗寺に引き取られ、今でも大事に保管されていた。各機器がほぼそのまま残っており、マスコンやブレーキも現役同様に動かせる! 相鉄・JR直通線が開業した今、相模鉄道に向けられた注目は大きい。なんといっても、今までは横浜から海老名、あるいは湘南台までの短い距離を走っていた私鉄が、JRという大きな鉄道会社に直通して新宿駅まで乗り入れを果たしたことには、筆者もいち横浜市民として大いに熱狂した。 西谷駅からJR線へ、相鉄の電車が走るように(過去記事より) 一方で、JRとの直通を迎えるもっと前に引退してしまった車両も数多く、その中に「2100系」という車両も含まれてい
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