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ブックレビュー
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建築屋をやっています。自分の勉強のために、お客様からよく聞かれる質問をまとめてみました。 聞いてみたい質問などあればコメントでどうぞ。 私は、いま自分で外断熱鉄筋コンクリートの家に住み、外断熱鉄筋コンクリートの建物を建てる仕事をしています。ですから、どうしても外断熱について書くときに自分の思い入れを排除して書けませんでした。その辺を、頭においてお読みください。 まず、明確にしたいのは、内断熱、外断熱という考え方は、もともと鉄筋コンクリートの概念だということです。最近、木造の外断熱という看板をよく見ますが、外壁通気工法というべきだと私は思っています。木造には本来なかった外断熱という言葉を、木造の工法につけたように私には見えます。しかし、名前が違ったからといって、性能が変わるわけではありません。外壁通気工法は、それなりにすぐれた工法です。私が、「外断熱は鉄筋コンクリートの考え方」というからとい
建築屋をやっています。自分の勉強のために、お客様からよく聞かれる質問をまとめてみました。 聞いてみたい質問などあればコメントでどうぞ。 「週刊 東洋経済」さんが「ゼネコン現場崩壊」という特集を組まれていました。大変興味深く読ませていただきました。 東洋経済 08/1/19 建築に関係される方はぜひご一読いただきたいです。ブログで内容を要約してくださっている方もいらっしゃいました。 ゼネコン「現場崩壊」! [職人の心と技] @ 人間と環境に優しく、安全家づくり 正直に言ってしまえば、ここまで書かれてしまったことに怒りを覚えます。しかし、悲しいことにそれは建設業界の現在の情けなさの裏返しでもあります。 「東洋経済」の記事の内容ですが、少なくともゼネコンのOBを使ってゼネコンのコストを徹底的にたたいている会社が「異界からの大侵略」だとは思えません。あるいは、手数料だけをとって一括下請けに出
建築屋をやっています。自分の勉強のために、お客様からよく聞かれる質問をまとめてみました。 聞いてみたい質問などあればコメントでどうぞ。 私はいうまでもなく日々建築に関わる仕事をしています。つまり、本書で扱われている「分譲マンション」を建築した方々とある意味同じ穴のムジナです。ですから、以下に書くことには、私が好むと好まざるとに関わらず、バイアスがかかっているであろうことをおことわりした上で、お読みください。 正直にいって、本書を読むまでマンションというのがこれほどまでに問題を抱えた住み方であるかよく理解していませんでした。私の専門分野であるマンションの建築についても、まだまだ未整備というか、発展途上の建築手法であるか知りませんでした。 著者によれば、「マンションといえば欠陥という言葉が跳ね返ってくるほどに、建物の欠陥は分譲当初につきまとう問題である」のだそうです。実際としては、民間ばかりで
けじめをつけなければいけないとい思いながら、日々がただすぎていく。 あれだけブログの記事を書くことが楽しかったのに、自然だったのに、書くネタも無くなり、書くという行為自体が自分の生活習慣から遠いものになる日がくるとは思っていもいなかった。 ブログを書かなくなると、日々の事件やら社会の変動に対して関心が薄くなっていくのを確かに感じる。不思議なものだ。やはり、世の情報や人の思考というものには、通貨的な性質があるというか、出しただけ自分に入って来るものなのかも知れない。 また、何年も本も新聞も読まない年月が再び始まったのかもしれない。そう、ブログの日々の前には、長いこと虫のように目の前の生活だけの行き方が続いていた。めくるめくブログ界隈の展開にこころときめいた日々も終わってしまった。 なんというかブログの日々を想うとき、自分の求める答えは外にあるのではなく、自分の日々の生活、日々の仕事の中にある
前回頭痛のために途中でなげだしてしまったシミュレーターに手を入れた。シミュレーションの設定パラメーターのせいだとは想うのだが、個体が生きられるセル(場所)が限られているとすると、子を産める期間に比べて寿命が長い条件設定の方が長期的には絶滅の可能性が高くなるという結果になった。また、これはあたりまえだが、あまり突然変異が起こりにくい十世代程度の短い時間間隔で考えると、潜在的に高い出産確率を持った個体の子孫が支配的になる。 ・「generation-sim060413.xls」をダウンロード 例によってエクセルで作ったということが特徴かもしれない。VBですら使っていない。 以前まじめな日本の人口の推移のシミュレーションを作るのに、統計を調べていてわかったのだが、今の日本の状況を想定して考えるとほとんど平均寿命近くまで人は死なない。交通事故だの自殺だのあったとしても、全体の人口の比で言えば1%満
クルーグマン先生の本を読んでから、とても気分がいい。少し前からひっかかっている生産性の問題についてもヒントが満載だった。 まず、生産性の問題がどれくらい重要か?クルーグマン先生はこうおっしゃっている。 仮に楽観論者が正しかったとしようか。アメリカの生産性がこれからの10年で、過去15年よりずっと速く上昇したとするーーーそうだな、年率3%とかで。そうしたら経済はどうなるだろうか? 答え・・・この本で議論してきた問題の多く(全部じゃないよ)はあっさり消えちゃう。 この話の前には、人々の実感と生産性の拡大が直結していないみたいだし、直結していていない理由も現代の経済学者はうまく説明できていないという議論がある。そして、「議論してきた問題」には、当時のアメリカが抱えていて、今は別の国が直面している年金、医療、所得分配、経済格差そして財政赤字や貿易の問題が含まれている。 では、この魔法の指標、生産性
いんやぁ、この本を読んですんごく安心してしまった。やっぱり、世の中わかってる人はわかっているわけだし、私のようなパンピーが心配しなくてもいいことは心配する必要はないんだね。 この本がどれくらいすごい本か、すごい本に山形さんがしたか、ということについては、ご本人の言葉にまさる言葉はない。 ぼくはこの本を読んで、目からうろこが山ほど落ちた。そうなのぉ!?生産性って、どうして上がったり下がったりするのかわかってないの!?インフレって経済大崩壊への序曲じゃないわけ!?G7国際サミットって、そんなどうでもいい代物なの?日米貿易摩擦ってのも、大騒ぎするほどのもんじゃないわけ?保護貿易っていいものではないけど、悪魔の尖兵でもなかったのね!?欧州通貨統合ってのも、そんな怪しげな代物でしかないのぁ!? まして、私ごときが最近の日本の就業人口あたりの生産性なんぞ計算できないのもあたりまえだ。 ・我々の未来とし
先日、また別な友人と話をした。 私「やっぱりさぁ、今の社会ってお年寄りにばっかりお金を使う傾向強すぎるんじゃないかな?」 友「そうそう、言っちゃ悪いけど、お年寄りにお金を使うのは消費だけど、子どもにお金を使うのは投資だよね。んで、今消費ばっかで、投資がない。」 私「なんつうか、人口が減っていくのだとすれば、一人一人の生産をあげるしかないわけだし、そのためには次の世代を担う子ども達ががんばれるようにしてあげるしかないよね。」 友「そもそも、いまの日本ってお年寄りがお金を独占していることが諸悪の根源だと思うよ、やっぱり。」 今日、この会話を思い出していて、猛烈に怒りがこみ上げてきた。 道義的にお前は間違っているといわれるのだろう。私だって、できれば敬老の精神を発揮して、まわりから礼儀正しいやつだと言われたい。しかし、ことは私達が感じている以上に深刻なのだと感じる身近な事件が最近多々ある。 最も
前に上野千鶴子の処女喪失作である「セクシィギャルの大研究」を読んでから、貨幣の最初はセックスから始まったのではないかという妄想が頭から離れない。 ・[書評]セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方 上野千鶴子は本書で見事に性的な記号が原初的であり、普遍的であることを証明してみせたと思った。唇に指を重ねるしぐさ、背中を向けた女性がふりかえる姿、みな見事にセックスと関連している。かつ、ひとつひとつのしぐさや姿勢が一定の記号という単位を持っている。 つまり、セックスとはヒトにとって価値を持つ単位であるということだ。そして、ヒトはヒトが欲望するものを欲望するという真実から、セックスが貨幣に成り得たのではないかとい妄想が誕生した。 しかし、それ以上には貨幣とセックスの関係についての思考の糸口がつかめなかったのだが、先日、palさんのぶくまを見ていてひらめくものがあった。 要は、セック
エクセルの表示桁数だと17番目の数字からほとんど、前後の数字の比率が変わらない状態になる。本当に単に足し算をしているだけなのに、不思議だ。 この数列をグラフ化してみた。 完全に重なっているので見えないが、指数関数の近似式がR^2=1で完全に一致しているのが分かる。 y = 0.4509e ^ 0.4811x これはすごいことだ。単なる足し算から自然対数の関数が出来てしまうということだ。ただ、残念ならがこの時点でべき乗則とは異なる曲線なのだと分かる。 あまりに美しすぎる話なので、なぜ?とググってみたら、すぐに答えが見つかった。 ・黄金比からフィボナッチ数列を作る by 上村さん(?) ・【はまぐりの数学】 by 上村さん(?) なるほどぉ!この上村さんという方は学校の先生らしい。やっぱり、すばらしい先生というのはいまもいらっしゃるわけだ。 結局べき乗ではないことがわかったが、エクセルの近似式
本書を読み終わってからずっとひっかかっている台詞がある。 「アイツーは、おだやかな社会が到来し、安定した市場に安定的に供給できることを歓迎します。」(私の不正確な記憶による引用) アイツーという巨大企業のプリンス、目弱光氏のせりふだと記憶している。メディックといわれる瞑想装置により全人類がニルヴァーナに入ってしまう可能性が示された場面だったはずだ。 なんというか、企業というものは、そんな形には決してならないだろうという確信が、当初私の中にあった。企業とは、競い合い、奪い合い、生かし合い、生成し、消滅するものなのだと思っていた。 しかし、多様な方とブログ界隈で交流させていただくに従って、その確信が弱まってきている。世界の進展、チープ革命というのは、生産性が高まれば高まるほど働く人がごく少なくて済む社会を作り出しているのだな、ということを教えていたいただいた。働く人が少なくて済むとは、多くの人
最近、確かに集団知というのはあるのかもしれないという気になっている。これから書くことは、ほとんど教えていただいたことばかりだ。 教えていただいた方に私の下手な記事で御迷惑をおかけしてはいけないので、その方々のお許しをいただくまで、あえてお名前をあげるのを控えさせていただく。 まずは、これもその存在を教えていただいた昔なつかしのClay Shirkyの論文から話を進めよう。 ・ Shirky: Social Software and the Politics of Groups by Clay Shirky この論文は、2002年と多少旧いがなかなか面白い。"Social Software"とは、ブログやRSS、SNSといったコミュニケーションを広げ、コミュニケーションを深めるソフトウェア環境のことを指しているのだと受け取った。Shirkyの考えは、いま夢中になっている「開放系の組織論」に様
■ネットワーキング そもそも、ネットの役割とは、ひととひととをつなぐことであると考える。ネットにあるのは、文字や画像などの情報にすぎない。ネットは、ノードである利用者、参加者と一体で考えるべきだ。金槌もつかうひとがいなければ、なんの意味もない。この意味でネットワーク上のサイトもアクセスされてなんぼだというのが基本的な認識だ。 この意味で、先日の「帰ってきたアクセス向上会議」を主催された橋本大也さんがご自身のサイトに最近掲載された「再掲:成功するインターネットソフトウェアエージェント論」には大変刺激を受けた。自己組織化に当時興味を当時もっていらっしゃったのか、参考文献に「ゲーデル、エッシャー、バッハ」をあげていらっしゃったのがとてもうれしかった。橋本さんは、文化的遺伝子といわれるミームを比喩として使って今後のネットの方向性について以下のように書いている。 アクセス向上の研究はコンテンツに含ま
結局、これは、自分の認識の限界線をどこに設けるかという範囲の問題だ、と。 ある程度「閉じた」コミュニティーであれば、「海辺の生と死」が描いた世界がそうであるように、生産も取引も、個人と個人のつながりも、結婚と家庭生活も、基本的にはそのコミュニティーの中で行われる。信頼というものもそのコミュニティーの内で閉じているので、「評判」だの「家」の評価などが、個人のあらゆる面で同じ尺度、同じ評価がついてまわることになる。 しかし、「海辺の生と死」のような静的な世界でも、船に乗った芝居の一座は来るし、新聞も届く。第二次大戦も軍隊の駐留という形でやってくる。「外」と一体的に称される世界があり、自分たちの生活に大きな影響を及ぼしていることも、「外」がなければ「内」もないということも理解できている。 閉じた世界の中では、資本の蓄積もおだやかな形で行われるのだろう。 今日という現代に近づくに連れ、世界がどんど
ホリエモンとか「愛の流刑地」うんぬんはともかく...余丁町先生の法律に関するご意見に大変共鳴した。 ・ホリエモン逮捕!……ホリエモンと渡辺淳一「愛の流刑地」 by 余丁町散人さん 日本では、毎年新しく膨大な数の法律が作られるが、古い法律は廃棄されない。だから法律はどんどん積み上がる。明治時代の時代錯誤の法律すら今なお有効だ。こんな時代錯誤の法律は、さすがに滅多に使われることはないが、国家権力は「使おうと思えばいつでも使える!」。これが問題。 我々の生活は、加速しながら変化していく。今生きている私達は、あまりに社会の変化がはげしいので、なんとか置いていかれないように、自分の生活を維持することで精一杯なくらいだ。しかし、これだけ変化の激しい現代においても一旦できた法律は変わらない。本来、刑法であれ、商法であれ、あるいは税法であれ、人と人の間での習慣、社会の倫理感、国益を追求する国の政策などを反
タイトルの「もったいないからおもいやりへ」は、某雑誌で小泉首相が語った言葉だ。 ブログを始める前から、現代の社会の混沌の中にも倫理的価値、倫理的構造体が見出せるであろうというぼんやりとした考えがあった。 この言葉を読んで、なんとはなしにこの「ぼんやりとした考え」に形が与えられそうな気がしてきている。、「複雑系」という言葉は嫌いなのだが、複雑系の倫理学と呼ぶべき分野が今後「創発」しうると信じる。 ブログをはじめて、いろいろな方から刺激を受け、経済物理学からべき乘分布的に富が分布するという原則、経済学から共有地の悲劇という考え方、非線型・非平衡系の物理学から熱力学におけるカオスやフラクタルといった現象の記述の仕方、IT技術の進歩によるマルチエージェントシミュレーションから推察される知見など、少しずつ理解が進んできた。あまりに「ぼんやりとした考え」なのだが、これらの知見のうちになにか糸口がつかめ
「第三回東京ブロガーカンファレンス」にこれから行きます。 The Blogoshere Never Sleeps 無事、帰ってこれたら以下にそのレポートをします。 しかし、一波乱も二波乱もありそうな面子なんすけど、ホント、大丈夫っすかね? ちなみに、シャンパンなぞお持ちします。 翌朝6:33~ さて、行ってまいりました。すばらしかったです。えっ、なにがって?集まった面子もさることながらDANさんのお部屋ですよ! 高層マンションの最上階の見晴らしばつぐん!のお部屋でした。ま、昨日は霧がふかかったんで富士山は見えませんでしたが。 いえ、冗談はともかくご自宅を開放してくださり、ご準備等にお骨おりいただいたDanさん、そして奥様、本当にありがとうございました。 以下、記憶に残る限り御礼を! ○あしたさん、え、あれ、たしかともさかりえ似と申し上げましたよね?あれ、もしかしてのっけからつまづいておりま
なんとはなしに某所で始めてしまった主張がある。それは、「メイドという職業は、現代の日本で必要とされているし、そもそもきちんとしたメイドというのは高い技能が必要だ。」という主張だ。 最近、自分自身が長い記事を読むだけの集中力を保てないので、さくっと短めに行きたい。 先日、テレビでたまたま整理整頓を普通の主婦に教えるというコンテストをやっているのを見た。いまの日本の専業もしくは兼業主婦/主夫で、部屋が片付かないことに非常な罪悪感をもって毎日を過ごしている人は多いのではないだろうか?たまたまかもしれないが、仕事がばりばりできる、あるいは外に出てボランティアをしたいという熱望をもった方は、得てして家事が苦手だという事例が私のまわりでは多い。 そこで、メイドの登場となる。しっかりとした整理整頓の技術をもったメイドがいれば、女性の二度目の社会進出はますます進むであろうし、罪悪感をもった専業、兼業主婦/
やはり、対話のもつ力はすばらしい。どうにも形にならない自分の問題意識が次第次第にいろいろな方とのリアルでの、ネットでの、対話によって形になってくる。自分の書いたことを再引用するのは自己中毒的はなはだ抵抗があるのだが、書きちらしたメモなどを引用してしまおう。まず、時間は前後するがネットワーク思考と既存の学問分野のかかわりのひろさについての問題意識で某所に書いたメモだ。 ネットワーク思考と関係する学問の大々分類を思いつくだけでも、社会学、心理学、認知科学、物理学、数学、統計学、コンピューター学、それから経済学、もしかすると哲学などがあります。それぞれであるべきと想定される研究方法のスタイルはまったく違います。そして、それぞれの分野で「べき乗則」というものの適用、あるいはもう少しひろい範囲でのネットワーク思考の適用ということが、可能は可能なのだと感じます。問題は、学問としての厳密さと対象の定義で
catfrogさん主催の集まりに参加させていただいた。 ・第一回東京ブロガーカンファレンスのレポ 【全体的に人物説明追加】 by catfrogさん 楽しかった。あれだけブログ界隈で飛ばしまくっているcatfrogさん主催の飲み会であるにもかかわらず、ノン・ブロガーの妻(自称「成田のキョンキョン」)を軽く受け止めてくださるほど実に和やかな飲み会であった。ま、妻が切込隊長さんに枝豆を投げつけるという失礼があったことはこの場を借りてお詫びしておく。 しかぁーし!ディスカッション好きな私としては、ただただディスカッションあるのみであった。 まず、ガ島さんに「貨幣は生成することもあれば、消滅することがあるのではないか?ただただ積み上げた貨幣の山の方が、リアルの価値をうわまわっちゃうんじゃないの?日本の国債はデフォルトするのではないか?」としつこく絡んだ。絡みまくった。ガ島さんは「円なんてデフォルト
■ソーシャルネットワークのオフ会からの発想 なぜ、こんなにもソーシャルネットワークサービス(SNS)にはまる人がいるのだろうか?なぜこんなにSNSのオフ会が盛んなのだろうか?なぜこんなにさまざまな情報交換がSNS上で日夜おこなわれているのだろうか?なんでこんなにSNSは楽しいのだろう? 先日も、P2P TodayさんのOFF会に参加させていただいて、人間関係の輪がぶちぶちつながっていくのを見た。OFF会のその場で、ここのところ自分が強く求めていた答えが与えられた。自分のまわりに信じられないくらいSNSにはまっている人がいる(私ではないと書いておく)。SNSに入ると、あたかも誰もがここの場で生み出される魅力のとりこになってしまうようだ。こうした現象は、SNSになんらかの力の場があるからだとしか説明できないのではないだろうか? 私が到達した結論から書こう。SNSの力は本来「弱い紐帯」にしかなり
いま話題の「アルファブロガー」を読ませていただいた。 なんというか、11人の方のインタビューを読ませていただくことにより見えてくるブログ界隈共通の地平線というものがあるように感じた。たとえばそれは「ブログは、メディアリテラシーを高めるツールとして存在する」という側面だ。現代の複雑な社会において、既存メディアがなんらかの形で情報を偏光させていることに人々が気づき始め、漠然とした不信感が明確になってきているのではないだろうか?「大本営発表」から抜け出し、メディアからの情報を読み解き、自分に必要な情報を得るための「メディアリテラシー」の必要性が高まってきている状況が、ブログの価値を高めている。本書の中で、アルファブロガー達の何人かが「ゲート」という言葉を口にしているのはこの意味で正しい。 もうひとつは、ネットによって情報が安価になりあふれ出したことにより、大量の情報の渦の中で必要な情報が得ること
■ナウシカという透脱 「風の谷のナウシカ」を読んだ。もともといま勉強している「社会ネットワーク分析」のネタに使おうというのが読み直し始めた動機だった。肝心のネットワーク分析が遅々として進まない中、物語そのものに魅せられてしまっている。そう、ナウシカがどこまでもどこまでも世界を透脱していく姿にただただ感動する。 ・「社会ネットワーク分析の基礎」 by 金光淳さん ナウシカを改めて読み直すと、無慈悲で正義のかけらもない戦争が残酷なまでに生々しく描かれていることにあらためて驚きを覚える。私はここのところ戦記ものというか、第二次世界大戦前後の文献などをあたっていたので、特にリアルに感じるのかもしれない。クシャナの率いるトルメキア第三軍とドルクの主力があたるシーンは、実はかなり戦争指揮に通じた人が描いた場面なのではないかと感じた。宮崎駿は相当に戦争の研究をした人なのだろう。 人間の欲望のみにくさ。人
先週末、家からネットがつながらなかった。家では某光ファイバーでそもそもつないでいたのだが、なんでもメタル某というサービスと某フレッツというサービスは、実線配線は同じ会社やっているそうなので、線の引き換え工事をしようとしたらしい。ところが、先週の金曜日に中途半端なまま工事をほったらかしにされてしまったそうな。ちょっと不便だった。 しかし、よいこともあって、つながらなくてもPC自体は使えたので先般からトライしていたプログラミング言語Python上でのネットワークのオブジェクト表現に時間をかけてトライできた。私にとってオブジェクトは初体験だった。二流さん、Pythonをご紹介いただきありがとうございます!私は、スクリプト言語とは、スクリプト(書かれたもの=文字列、リスト)の処理にすぐれているという意味だとばかり思っていたが、どうも違うらしい。 ・スクリプト言語 @ IT用語辞典 Pythonとい
私は、本日をもって自分の生業の代表取締役社長に就任する。最近、ブログ界隈とリアルな自分の仕事が連動している。ブログをはじめた1年半くらい前には、この日をこんなに早く迎えるとは思っていなかった。 社長就任のために自分の抱負をリアルの世界で作ろうとしていた。これまで私は、ブログ界隈とリアルを厳然と区分することを自分のポリシーとしてきた。リアルの生業はリアルの生業、ブログの私はブログの私だと決めていた。ところが、この抱負はブログから訪れたように感じる。 ・[書評]「空気の研究」 この抱負とは、「修身斉家治国平天下」という言葉だった。これは、「身を修め、家を斉(とと)のえ、国を治め、天下を平らかにする。」と読むそうだ。同じ言葉を、14年前に自分の結婚式の最後にみなさまへの感謝をあらわすために使った。いま読むと全く違って読める。 どなたかの文章に西郷南州が遠島にあったとき古典を「耽読」したと書いてあ
多分、ちょっとグーグルで検索すれば、あるいは書店に足を運べば、本書の解説は幾千も見つかるに違いない。いや、解説などを読むよりも、以下の私の拙い書評を読むよりも、本書を直接読んでしまった方が有意義であろう。それでも、自分がなににどう感動したかを書きたい。書きたくてたまらない。 まず、本書の日下公人の解説で山本七平が4つの世界を持っていたという話に感動した。 ・日本人及び日本社会論の書き手としての世界 ・日本陸軍物語の語り手としての世界 ・聖書の専門家としての世界 ・山本書店店主としての世界 どれをとっても超一流の切れ味を持つ山本七平に比べることすらおこがましいが、以前から「修身済家治国平天下」という言葉を生き方の縦糸だと信じてきた私にとって、山本の4つの世界の発見は実に意味深い。特にいまこの時機にこのことと出会えたというのは実に稀有だ。いまの自分を肯定されたように感じる。 ちなみに、本来儒教
梅田さんが、アマゾンの売上ランク10万位以下の商品の売上が、総売上の57%を占めるというロングテイルが話題になるきっかけになった情報が間違っていた可能性が高いということをレポートしていらっしゃっる。 ・ロングテール論の修正と「AmazonとGoogleの違い」 by 梅田望夫さん そして、アマゾンが扱っているのが有限の商品数で、グーグルは無限の商品数を対象としているということが重要だと書かれている。 でも「まだ何者でもない」不特定多数「無限大」にまで対象を広げて「新しい音楽を生み出そうという試み」こそが、ロングテールの裾野を広げ、より大きな可能性を拓くのである。インターネットはそういう方向に進化しているのである。それが僕が「ウェブ社会[本当の大変化]はこれから始まる」はこれから始まる」のなかで「総表現社会」がこれから到来するのだと指摘したことと全く同じである。 しかし、ロングテイルが商品の
そもそも資本主義だとか難しく考えるのがいけないのかもしれない。でも、できるとこまでやってみよう。 「貨幣の複雑性」を再読して、あらためてその射程の長さにきがついた。安冨さんの議論は、しっかりと資本主義全体をにらんでいる。ここを足場に自分なりに資本主義を構成するものはなにかを問うと、以下の四つになった。 ・欲望の対象としての商品 ・商品を生産する主体 ・商品を消費する主体 ・商品の交換を媒介する主体 そう、まずは商品ありきなのだと感じる。商品が商品であるということは、欲求される対象であるということだ。アフォーダンスの議論ではないが、欲望の対象となりうる単位であれば、商品と呼んでよいのではないか。現在の社会では、人のサービスでも、石油のような取引商品でも、記憶装置の本の数十バイトの物理存在でしかないほぼ純粋な情報でも、オプション取引のような将来の少々あいまいな契約もふくめ、リアルで生活する限り
情報通信分野への都市経済学の応用 by 宮尾 尊弘さん ■はじめに 山口浩さんから、とても「そそる」論文をご紹介いただいた(いいつもありがとうございます。)。ここのところの「麗しい澤」、「約束の知」、「愛に空間を」などの議論がたてにつながりそうな論文である。これを「距離、時間、そして統治と戦争」にあてはめるとヴィリリオが出てくるか、ということろにチャレンジしたいのだが、その前に、これは産業論、技術経営などでよく言われる地域クラスターの基礎概念につながっていると気づいたので、ちょっとだけメモを残したい。 ■ネットと都市 この論文は、ネットの上でのつながり方を、都市とのアナロジーで考察を加えている。私は、どうしても経済学がわからないので、グラフなどを使った分析にはまったくついていけなかったことをあらかじめ告白しておく。経済学におけるノードとしての人間の定義に異議があるのだが、いまはおく。都市に
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