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インドバックパッカー旅行記「第29話」 第1話↓ jalapeno31.hatenablog.com 汽車に揺られてアグラに到着した。 アグラの駅前 駅前にタクシープールがあって、 愛宕神社の鯉か不忍池のハスくらい、わんさか客引きがいた。 僕は一番無口で商売っ気がない運転手に声をかけて、市街地までの所要時間と金額を聞いた。納得のいく金額だったから、その値段で交渉がまとまってタクシーに乗り込もうとする、おしゃべりで恰幅の良い別の運転手が僕の腕を掴んだ。 「いいかジャパニーズ、そいつは初心者だからダメだ。同じ金額でいいからこっちに乗れ」 腕、痛いよ。と思いながら無口のドライバーの方に目をやったが、うつむいたまま黙っていたままだから、 このおしゃべり運転手の車に乗った。 運転中、「タージマハルを見たら次はどこに行くの?」と彼は言った。 「まだ決めてないよ。」と僕は言った。 「バラナシかリシュケシ
前回の続き↓ jalapeno31.hatenablog.com jalapeno31.hatenablog.com 僕はインドの道端で、日本人のおばちゃんに話しかけられた。 「私は、子供が一人立ちしたからインドに来たの!」 と、その日本人のおばちゃんは言った。 「今まで、一人娘の世話が大変で、、」 「自分の時間なんかなかった!」 「毎日、働いて。娘を大学に行かせて、その娘が社会人になったから。これからアジアを一人で回ってみようと思っているんだ。」 「前回は韓国に一人で行って、今回のインドが2回目。次はタイとかに行きたいな。英語は全然話せないけどね。」 冬眠明けのクマみたいに、そのおばちゃんは話し続けた。まぁ、クマがおしゃべりかどうかは知らないけどね。 僕は、そのままこのおばちゃんが話しながら呼吸困難になってしまわないか、すごく心配だった。 僕は、、 「旦那さんはどうしてるんですか?」って
取引先との商談が終わって、 先輩と2人で公園のベンチに腰掛けた。 太陽が眩しくて、セミの鳴き声と工事現場の音がうるさかった。 先輩は、缶コーヒーを片手にボストンマラソンの歴史を僕に説明した。 「近代オリンピックに次いで、歴史の古いスポーツの大会だ」とか 「参加するために、参考タイムが何分台だ」とか 嬉しそうに話して、その数ヶ月後に先輩は会社を辞めた。 先輩が会社を去ってから、僕の趣味は走ることになった。 最初は短い距離しか走れなかった。 1km 走るだけで何度も立ち止まりたくなった。膝が震えて、喉が焼けるように痛かった。 初日は1.2km走った。 そこから次第に距離が伸びるようになった。 今では7km走れる。 走っていると、仕事のこととか、人間関係の悩みとか、嫌なことを考えなくてすむ。 心臓から血液が全身を駆け巡るように、小さな興奮が全身に行き渡っていく。 意識が自分の奥へ、奥へと進む。
前回の続き jalapeno31.hatenablog.com jalapeno31.hatenablog.com 僕は、おばちゃんが世界で1番嫌いなんだな。 おしゃべりなおばちゃんは特にね。 あいつらは自分で物事を考えられないんだな。 例えば、 テレビで野球の試合がやっていたとして、 テレビ画面の右端に、アメリカ対日本12年ぶりに決勝で激突。みたいな文字が書かれていて、 固唾を飲んで真剣に試合を観てる時にこんなことを言い始めるんだよ。 「ねぇねぇ、今どことどこが試合してるの?」ってさ。 「日本以外にも野球チームってあるの?」ってさ。 あれには、まいったね。 「ねぇねぇ、オタクの旦那さん浮気してるって聞いたけど本当?」って妻に直接聞くぐらい最低な質問だと僕は思うよ。 インドにきて、僕が寝台列車のチケットを予約しようとしていると突然、、、 僕はおばちゃんに質問されたんだな。 ねぇねぇ、この列
健康にも良い。 地球にも優しい。 大注目の趣味 「ロードバイク!!」(自転車) すでに持っている方も、これから買う予定の方にも、ロードバイクのおすすめのカスタムを一気にわかりやすく紹介していきます。 カスタムする際のパーツの場所、得られる効果、おすすめメーカーなどを紹介していきます。 フレーム ハンドル ステム ホイール タイヤ コンポーネント サドル シートポスト ペダル ボトルケージ フロントバッグ フレーム フレーム ↓ ・トレック (Domane) アメリカメーカーTrekのDomane 路面を滑らかに感じさせるIsoSpeedテクノジーを搭載し、より少ない疲労で遠くまで走ることができるエンディランスロードバイク。 ロングライドにおすすめ。 15万円〜 サーベロSシリーズRシリーズ イタリア語で頭脳を意味する「cervello」と、フランス語で自転車を意味する「velo」を組み合わ
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 第25話「インドのペットボトルの水の値段」 1話目はこちら↓ jalapeno31.hatenablog.com ______ まず君に伝えたいことがある。 インドの水を飲むと死ぬぞ。 飲むと100%お腹をこわす。 なんか濾過システムとかが日本ほどちゃんとしていないらしい。 レストランの水を飲んでもダメだ。 フランス人のお姉さんが僕に教えてくれた。 レストランにペットボトルを持ち込んでも構わないから、 ちゃんとミネラルウォーターの水を常に飲めってさ。 だから、僕は毎日ミネラルウォーターを雑貨屋さんで買った。 確かにレストランに持ち込んでも誰も怒らなかった。 (まぁ高級店に入るときは店員に確認にした方が良いと思う。) 海外では水と安全はお金を出さないと手に入らないのさ。 インドにはkinley
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。 最低な場所だけどなぜか憎めないそんな場所。【第24話】 jalapeno31.hatenablog.com 僕には、1つ疑問があった。 それは、インド人に値段を聞くと 「As you like」(お好きなように)と言うことだ。 雑貨屋に行っても、 みみかき屋に行っても、 宿屋に行っても、 「 いくらですか?」と聞くと、 最初に必ず「As you like」お好きなようにと言われる。 最初は意味が理解できなかったけど インドに3日程いたから、だんだん意味が分かってきた。 「As you like 」というのは直訳で「お好きなように」だ。 だけど「君の好きな値段で売ってあげるよ。」という意味ではなくて、 「お前、ここら辺の物価の相場を知っているのか? 」 という意味だ。 「知っているなら、言ってみろよ」という インド人からの「挑戦状」だ。 こ
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。 人見知りがインドに行って人生が変わった話【第23話】「ガンジーの秘密」 jalapeno31.hatenablog.com ビートルズも利用したことのある伝説の楽器屋で、シタールのCDを買った。 ラーメンとチャーハンを同時に食べたくらいの満足感だった。 僕はその熱も冷めやらぬまま、もう一つの楽器屋に向かった。 先ほどの「高級店リキラーム」の近くに、庶民的な店があった。入店すると、そこにはギターやらバンジョーなどが飾ってあった。安くて小さなマンドリンもあった。 海外の楽器屋を巡るのは楽しい。 ふらっと入って、ふらっと勝手にギターを弾いても全然怒られない。 ディープパープルの「スモークオンザウォーター」とか、 ビートルズの「イエスタデイ」とか、 ニルバーナの「スメルズ ライク ティーンスピリット」とか、 割と簡単な曲を弾いても、 「Oh ,
またこの街(ニューデリー)で目覚めた。 窓から入る風は、近くに牛がいることを教えてくれた。 昨日は、「エア・インディア」でリコンファームをする為に歩きまわった。 悪い出会いも、、そして良い出会いもあった。 けれど、昨日は作業に終われた日でもあった。 ただ、「帰りの便にも乗りますよ。 」と航空会社に伝えただけの日。 日本だったら、電話1本で終わることに12時間はかけた。 区役所の住所変更でもそんなにかかりはしないであろう。 今日、僕は初めてインドの観光地に、目玉スポットに出かけるとしよう。 だってせっかくインドに来たのだから。 僕が、ニューデリーで1番行きたい観光スポット、、 それは「リキラームだ!」 君は知っているかい? あの伝説のロックバンド「The Beatles」がインドでヨガの特訓をしていたことを。 ビートルズの曲作りにインドの楽器「シタール」を使ったことを。 (シタールとは、、イ
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 _________ 原田さんと僕は、インドのレストランで色々な話をした。 「好きな国はどこか?」 「インドでは何をする予定なのか?」 「カップヌードルは何味が好きか?」 色々話をした結果、、 原田さんは、インドを1週間旅すること。 明日、世界遺産である「タージマハル」に行くことがわかった。 なんでも、 インドに来た理由の大きな1つは、「白亜の芸術」 「タージ・マハルを見たい。」ということだったらしい。 僕の勝手な調べでは、 たぶん東京の有楽町で街頭インタビューをして、 「海外で行きたい場所はどこですか?」という質問をしたら、 「タワーブリッジ」とか「エッフェル塔」とかの次くらいに、 「タージマハル」と、人々は答えるのではないだろうか? 僕の勝手な調べでは、 東京に住んでいる人間で「ヨーロッパ
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話、「第20話」。 --- JALでリコンファームの手続きをしてもらった後、 「晩ご飯でも一緒に食べませんか?」と原田さんは僕に言った。 僕は、この人と晩ご飯を一緒に食べるべきかどうか正直迷った。 だって、「見ず知らずの大人についていってはいけないよ。」と子供の頃に親に言われたことがあるから。 脳みそをフル回転して考えた結果、 やっぱり僕は、「今日初めて会った見ず知らずの大人」と晩ご飯を食べることにした。 「嘘つきは泥棒のはじまり。」だとか「自分が人にされて嫌なことは人にもするな。」とか、 僕が日本で学んだ「それらしい言葉」は、きっと「この世界」では半分はうまく機能して、半分はうまく機能しないのだろう。 「郷にいったら、郷に従え」という言葉もきっと半分はウソで、半分は本当なんだ。 というか、まぁ、
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 原田さんと僕は二人でJALに向かった。 JALに行けば、「エア・インディア」のことが何か分かるかもしれない。 「モンキーキックくん、JALはあそこにあるよ。」と原田さんは言った。 ニューデリーにあるJALの旅行者デスクは、「みずほ銀行の受付窓口」みたいに、建物が綺麗でクーラーがしっかり効いていて、まるで天国のような場所だった。 僕は、窓口にいるスーツを来たインド人に声をかけた。 「あの、、すみません。。」 「JALのことではなくて申し訳ないんですが、エア・インディアについて、何か知っていませんか?」 「僕が行った建物には、エア・インディアはもう既になかったんです。僕はリコンファームというものをしないと、帰りの便に乗れなくなってしまうんです。」 「そうでしたか、まぁその、お掛けください。」とそ
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 僕は年上の日本人、「原田さん」と一緒に両替所に向かった。 二人で両替所に歩いている最中、 「モンキーキック君、ボクは会社でパワハラを受けていたんだ。」 と原田さんは僕に言った。 「有名大学を出て、大企業に入ったんだけど、仕事があまりできなくてさ。毎日会社で怒られてばかりいたんだ。人格を否定されたりもしたんだよ。」 「毎日、会社を辞めたいと思っていたけれど、奥さんがいるから辞められなくてね。あの時はとても苦しかった。」 「ボクは会社に行きながら、寝る間を惜しんで公務員試験の勉強をしたんだよ。」 「そして、ボクは4月からついに公務員になるんだよ。それで公務員になる前に休みがとれたから、人生で初めての海外1人旅に挑戦することにしたんだ。妻も応援してくれたんだよ。」 「そうだったんですね、公務員試験
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 心が完全に折れてしまっていた僕の目の前に 1人の日本人が現れた。 階段に座っていた僕の目の前を、 人の良さそうな顔をした、年上の日本人が歩いていた。 なぜその人が「日本人」だと分かったのかというと、「インドの地球の歩き方」を、まるで赤ちゃんでも抱くように、大事そうに両手でかかえていたからだ。 きっとこのチャンスを逃したら次はない。 そんな気がした。 僕の心は完全に砕けちっていて、もう一人ではどうすることもできない状態だった。 身体が重くて、歩くことも、立つこともできない。 この人に助けてもらうしか、もう助かる道はないのだろう。 これは最初で、そして最後のチャンスだ。 さぁ、言うんだ。 「お願いします。助けて下さい。」 小学生でも言える簡単な文章、 たった12文字のささいな言葉、 それなのに結
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 インド人の若者のグループに囲まれてしまった。 周りには5、6人の若者がいたけれど 僕の視線はずっと、リーダー格の若者をとらえていた。 「こいつだけは絶対にゆるせねぇ。」と僕は思った。 いったい何人の罪のない日本人が、こいつの餌食になってしまったのだろうか。 海外旅行ってのは、島国の日本人にとって人生の一大イベントだ。結婚記念日や、学生の卒業旅行とかでウキウキしていた人も多かったはずだ。 そんな甘くて優しい気持ちを、こいつは無残にも踏みにじった。 こいつだけは、生かしちゃおけない。 今までに涙を飲んだ日本人のためにも、これからインドに来る日本人の為にも、僕は戦うと、そう心に決めた。 けれど、3人のインド人の若者に肩や腕を掴まれていて僕は一歩も動くことができなかった。 ちくしょう。インドでは左手
インド旅行で人間不信になった話。「第15話」 僕は、インド人の若者について行くことにした。 そのインド人の若者は「DTTDCを知っているか?」 「俺たちは今からDTTDCに向かうんだ。」と歩きながら言った。 僕は「インドの地球の歩き方」を飛行機の機内で熟読していたから、既にDTTDCが何なのかを知っていた。 DTTDCとは「Delhi Tourism and Transportation Development Corporation」の頭文字のことである。 要は、「インド政府公認の旅行代理店」みたいな感じである。 「いや、長えぇよ!!」 「円周率か!」 「パブロ・ピカソ」の本名くらい長えぇよ。。 誰が覚えられるねん! けれどまぁ、僕の愛読書である「インドの地球の歩き方」によれば、インドのニューデリー周辺には、ありとあらゆる詐欺師がいて、 旅行者を悪徳旅行代理店に連れて行ったり、お土産屋に
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。第14話。 「や、、やっぱり一緒について行くのはやめます!」 と、僕は歯のないインド人に向かって叫んだ。 「それは、なぜですか?」 「あなたは、エア・インディアに行きたいのでしょう?」 「私がエア・インディアに連れて行ってあげます。」と歯のないインド人は言った。 彼は、何だか少し焦っているような、もしくは怒っているようにも見えた。 「さぁ、私とエア・インディアに行きましょう!」 そう言って、その歯のないインド人は僕の手首を「グイっ」と力いっぱいに引っ張った。 「い、、痛っ、、」 「ちょ、、、ちょっと、、、」 「は、、、離してください!」と、 僕が言おうとしたその瞬間、 「モンキーキック!!」(僕の本名の下の名前) と叫びながら、また別のインド人の若者がこの場に現れた。 そのインド人の若者は、僕
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。第13話。 耳かきが終わって、 「あのカスタマーノートを僕にも書かせろ。」と僕は言った。 しかし、「お前は、書くな。」と言われて、耳かきチャンピオンはどこかに去って行った。 インドでは、誰かに同情とか情けをかけてはいけない。自分の身は自分で守らないとダメだ。 「ズキズキ」と痛む左耳を押えながら、僕はまた歩き出した。 エア・インディアを探して、「リコンファーム」をしないといけない。 最初は「リコンファーム」の意味が分からなかったけれど(離婚ファーム?何それ食べれるの?)きっと、チケットを「Re confirm」することだと、ふと頭で理解した。 僕は、「エア・インディア」があると思われる「大きな商業ビル」の前を通った。そのビルは塀に囲まれていて、ビルと塀との距離は結構あった。 塀の前に、銃剣を持っ
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。第12話。 まだ承諾していないのに、 耳かきチャンピオンの木の棒が、もう既に僕の右耳に突き刺さっていた。 「ちょ、ちょっと!」 「チャ、チャンピオン!!」 「ねぇ、、、やめてよ!!」泣 「絶対いやだよ!!」 チャンピオンは言った。 「大丈夫でーーーす。」 「安心してくださーーい。」 「安心できるかコノヤロー!」怒 芝生の上に座って、ノートを読んでいる日本人の耳に、いきなり木の棒をいれるんじゃねぇよ!危ないし、マナー違反だろうが!! (お葬式に、全身デニムで参列するくらいマナー違反だぞ。) 耳かきチャンピオンは僕の肩をガッチリ掴んで、離さなかった。 「や、やばい!!」僕は叫んだ。 「や、やめろーーー!!!」 耳かきチャンピオンがよくわからない液体を僕の耳に注入してきたのだ。 「う、うあぁあああ
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。第11話。 僕の目の前に「耳かきチャンピオン」が現れた。 彼はカタコトの日本語でこう言った。 「ワタシ、、耳かきのチャンピオンです。」 「そっか、そっか、」 「君は、耳かきのチャンピオンなんだね、、、」 「いや、あやしすぎるよ!」笑 「幸せの壺とか、幸せのネックレスを売ってるやつの200倍あやしいよ!」 話を聞くと、このインド人は、10ルピーとか20ルピーとかで僕の耳を掃除してくれるらしい。 どんな商売だよ。 そういえばさっき、お風呂場にあるような薄っぺらい体重計の前に座って、使用料1回1ルピーで商売してるインド人がいたぞ。 「誰が利用するんだよ。」笑 インド人全員、発想が斬新過ぎるよ! 僕は、「すみません。結構です。」と断った。 けれど、耳かきチャンピオンはなかなか引き下がらない。 さすがは
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 僕は電車に乗って「コンノートプレイス」に向かった。 ホテルの最寄駅から「コンノートプレイス」までは、たった3駅くらいだった。 コンノートプレイスを東京の街で例えるならば、新宿とか渋谷みたいな繁華街だ。 僕は「エア・インディア」のオフィスに向かった。なぜなら、僕の買ったチケットは「リコンファーム」というものをしなければダメらしい。 仕組みはよく分からないけど、日本とニューデリーの往復チケットを買ったのに、「帰りもその便に乗ります。」という手続きをしないと、勝手にキャンセルになってしまうチケットらしい。 帰りの便に乗れなくなったら、会社の入社式に出られなくなってしまう。それは何としても避けなくてはならない。 「おい、あいつはどうした。あの色白の新入社員。」 「あ、はい、実は今インドにいるらしいで
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 少年と別れて、2日目の朝が始まった。 僕は自分の泊まったホテル(ツチノコホテル)で「地図はもういいですから、最寄駅に行くにはどうすれば良いですか?」と聞いた。 すると受付のオジサンは「この近くに駅はないよ。」と言った。 「それはおかしい!だって、昨日電車に乗りましたから。」と僕は言った。 「あぁ、そうじゃった、そうじゃった。あるにはあるぞ。」 「けれど、今日は日曜日で、電車は休みだよ。」とインド人は言った。 「本当か〜??てめぇ〜!嘘だったらタダじゃおかねぇぞ!」と僕は心の中で叫んだ。 てか、何で最初に「最寄駅は無い。」って言ったんだよ! 「とりあえず、その駅の場所を教えて下さい。」と僕は言った。 「確か駅はあっちだったよ、俺は忙しいから、もうお前はどこかに行け。」とインド人のオジサンは答え
インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。 僕のパスポートを持った少年が、どこかに消えた。 「なぜ、パスポートをあの少年に投げたんだ!」 「あの少年はどこに行ったんだ!」と僕は、ホテルの受付の人に激しく詰め寄った。 受付の人は悪びれるそぶりもなく「ノープロブレム」と一言だけいった。 「何がノープロブレムだ!この野郎!」 「だいたいインド人は、窓が割れたってノープロブレムと言うじゃないか。普通に大問題だろ!」と僕は心の中で叫んだ。 僕の抗議もむなしく、受付のオジサンは「まぁ座れ。」とだけ言った。 僕は、受付の横にある、誰がどう見たって全く掃除をしていないと思われる「年季の入ったソファー」に腰掛けた。 するとその10分後、 僕のパスポートを持った少年がホテルに帰ってきた。 「コピーとってきたよーー!!」と少年は笑顔で叫んだ。 「いや、コピ
人見知りがインド行ったら人生変わった話。 インドの旅2日目の朝 僕は部屋に入ってくる太陽の光で目を覚ました。 昨日どんなに嫌なことがあったって、明けない夜はない。 「今日はなんて気持ちのいい朝なんだろう。」と思いながら、昨晩ベッドの横に脱ぎ捨てた、お気に入りの白いアディダスの靴に目をやった。 「う、嘘だろ!!」と僕はつぶやいた。 「ブルータス、、お前もか、、、」 「靴に、ウ○コついてるやんけ!泣」 昨日は暗闇を歩いていたから、気がつかなかったけど「ぬっとりとした奴が、、***自主規制***」 部屋が暑い。。そして臭い。。最低な一日の始まりだった。 いや、けどさ、 これは逆に「ワイには運がついているんや!」「今日はこれから良い日になるんやでぇ〜!」と関西弁を無理やり使って自分を鼓舞した。 朝一番、まずは、泊まったホテルのフロントに行った。 「周辺地図をください!」と僕は言った。 昨日散々迷っ
人生初の、インドでの一人旅に挑戦した話 イケメンのドイツ人のお陰で、何とか地下鉄の駅までこれた。 「思えば遠くまで来たもんだ。」と武田鉄矢の声が脳内でリピート再生されている。 僕は、窓口で電車の切符を買った。 10ルピー(20円)くらいの切符だったので、100ルピー札を係員に渡した。お釣りが80ルピーしか戻って来なかったけど、その1枚を取り返す気力はもう既になかった。 「あきらめたら、そこで試合終了ですよ。」とスラムダンクの安西先生の声が聞こえたけれど、今日はあきらめることにした。 「安西先生。日本に、、帰りたいです。。。」 電車に乗ると、車内はガランとしていて、座席に座っているのは僕一人だけだった。数分後、隣の車両からフラフラとインド人の男性が同じ車両に入ってきた。 8人がけくらいの長椅子で、他にめちゃくちゃスペースが空いているのに、そのインド人は僕の真横に座った。 そして、僕のヒザとか
ヘタレの僕が、1ヶ月間、インドを旅する話。 僕はニューデリーの繁華街である「コンノートプレイス」にバスで向かっていた。 けれど、トラブルによって降りる場所を見逃してしまった。 バスガイドのオジサンが言うには、コンノートプレイスはここから2個前の駅だったらしい。(後になってわかったが、「東京駅に行くには、丸の内で降りろ」的な話だったらしい。) ぼくは、長旅の疲れと、これまでのトラブルによってパニックになった。「ここで降ろしてください!」と僕は叫んだ。 「二個前の駅なら、道路沿いを歩けば戻れるかもしれない。」 すると、バスの後ろで白人の男が叫んだ。 「ボウヤ、そいつはやめておけ!危険すぎる!」 ぼくは、ハッとした。 「確かに、この暗闇の中、空港からの高速バスの2駅分を徒歩で歩くことは、あまりにも無謀で危険すぎる。」 それと、ずっとバスガイドの声だけに集中して前だけ見ていたから、自分と同じ「外国
人見知りがゆく、初めてのインド旅行記。第4話 夜の10時に、空港からローカルバスに乗った。 大体の人は、ホテルの送迎車かタクシーを使う。そしてもし君がインドに今度行くのなら、「絶対にタクシーを使え!!!」バスのメリット何て1個もないから。 バスを使うとだいたい100円くらいで目的地に行ける。例えタクシーを使っても200円とか500円とかで行けるだろうから、外国人にとってバスを使うメリット何てほぼない。唯一あるメリットは、「おれ、あんな汚いバスに乗ったんだぜ!」と言えることだけだろう。 インドのローカルバスは、運転手の横にバスガイド的なおっちゃんがいて、そのおっちゃんが乗客の乗車を促したり、次の目的地の名前を大声で叫ぶシステムである。「Next station is Shibuya」的な機械のアナウンス何てマジでない。 日本人の英語の発音もよくないけれど、インド人の英語の発音もこれまたクセが
人見知りがインド行ったら人生変わった。第3話 空港の職員に銃剣を首元に突きつけられたあと、その銃剣を持ったインド人にバス停の場所を聞くことにした。するとその銃剣さんは的確にバス停の場所を教えてくれた。 モノゴイの件も 、「外の銃剣を持った警備員の横に立てば大丈夫だぞ。」と教えてくれた。 それと、彼はこう言った。「お前、なんかダマされそうな顔しているから気を付けろよ!」 「いや、どんな顔だよ!!」 「やめろよ。なんかこれから不安になるだろ。。」 僕はとりあえず、「センキュー」と言って、空港の外に出た。やっぱりモノゴイの人が追いかけてきたけれど、外に立っている銃剣を持った警備員の横に立つと、確かに彼らは追いかけてこなかった。 何か謎のルールがあるんだろう。トランプの「大富豪」の地元のルール見たいなやつが、階段しばりみたいなやつが。 空港のバス停の前には、僕とこの銃剣さんしかいなかった。 僕は銃
人見知りがインド行ったら人生変わった話。第二話 空港からバスでホテルに向かう前に、日本円をインドの通貨「ルピー」に変える必要があったので、空港内の両替所に向かった。 両替所のインド人の店員さんは、すごい気さくな人で、僕の日本円を手際良く数えてくれた。そして、僕は何も考えずにお金を受け取ろうと手を伸ばした。 すると、そのインド人の店員さんは、僕の手をみて、「ちょっと待て」と言った。 それからオジサンは、僕の目の前でもう一度お金を念入りに数えてからこう言った。「オッケー。これでもう大丈夫だよ。」 「間違えないように、二重チェックしてくれるなんて、何ていい人なんだろう!」僕はそのお金を笑顔で受け取った。 けれど、何かその行動に違和感があった。 なんか、浅草園芸ホールのマジシャンが、「ほらね、タネも仕掛けもないですよ?」的なことを言っているような気がした。 だから、僕は両替所の横で、ゆっくりとお金
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