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kantodaishinsai.filmarchives.jp
報道性の強い記録映像では、それぞれの場面に、撮影場所や撮影時刻、被写体となっている具体的な事象など、多くの情報が含まれており、それらを知ることが映像を作品として理解することにもつながっていきます。ここでは、作品全篇から数多くのクリップを抜き出し、推定された撮影場所や撮影された事象を表すシーンによって分類されたクリップの動画とともに、推定された撮影場所や推定根拠となった資料などの詳細を見ることができます。
関東大震災映像デジタルアーカイブ Films of the Great Kanto Earthquake of 1923 震災フィルムとの出会い 1973年生まれのわたしは今年50歳になる。30歳の自分は研究者人生の展望が見えない大学院生で、バラックと呼ばれる仮設建築物がびっしりと立ち並んだ関東大震災後の東京下町に土地区画整理が施行され、社会基盤の整備に引き続いて建築物が建て替えられた結果生じた都市空間の変容を解明しようともがいていた。それから10年、学位を取得し、既にいくつかの研究機関を渡り歩いていた40歳の自分は専門外の分野の研究室に偶然拾って頂いた有期雇用の研究員になっていて、依然として研究者人生の展望が見えてはいなかったが、研究室を主宰するT教授から「関東大震災を記録した映画フィルムの研究」をしてみないかという提案を受けた。撮影場所が精確に把握できれば、他の資料と組み合わせることで
00:00は三越の店内から道路を隔てて向かい側にある三井本館の西翼部の鉄骨造の小屋組を撮影(カメラは北西方向へ向く)。00:09は三越の窓からカメラを突き出して同じく西翼部を北西方向に撮影。本館の背景に三井2号館が映っている。00:18は東翼部を俯瞰して撮影(これ以前のシーンとは撮影場所が高い位置にある)。背景に山口銀行日本橋支店の焼け跡が映っているため、北北東方向にカメラが向いていると分かる。そこから左へパン撮影(北〜北西)。01:27は西翼部1Fの受付入り口を俯瞰して撮影している。 山口銀行日本橋支店の場所は、日本橋区本町3丁目3番地(震災豫防評議會編『震災豫防調査會報告第百號(丙)下』230頁)。 (東京都立図書館デジタルアーカイブ[TOKYOアーカイブ])https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=00000
元素材は、1966年に35㎜可燃性ポジフィルムから不燃化した35㎜インターネガを基に、2005年に作成され、同年のイタリア・ポルデノーネ無声映画祭の特集企画「東からの光-日本映画を顕彰する」に出品した35㎜英語字幕付きポジプリントである(英語字幕翻訳:水野詠子、ジェイソン・グレイ、協力:有限会社ローデッド・フィルムズ)。 本作の製作者と見られる復興局は、震災後の1923年9月27日に設置された首相直属の帝都復興院が立案した帝都復興計画が、予算を巡る路線対立と虎ノ門事件による山本権兵衛内閣の総辞職に伴い廃止を余儀なくされ、新たに1924年2月25日に内務省の外局として設置された機関。1930年4月1日に復興事務局に改組され、1932年4月1日に廃局。 本作の台本と、本作のシナリオを執筆したと言われる復興局橋梁課長・成瀬勝武による製作経緯に関する証言が、『エンジニアー』第九巻第三號(1930年
『内務省検閲時報』によれば、1925年中に検閲を受けた本作と思われるフィルムは、以下の6件である。 ・1925年8月21日/1344番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/新 ・1925年8月21日/1345番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複一 ・1925年9月18日/2458番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/282メートル/(製作者)岩岡商會/(申請者)八千代生命保険株式會社/複二 ・1925年10月14日/3400番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/302メートル/(製作者)東亞キネマ株式会社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複三 ・1925年10月14日/3401番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/
内務省検閲において、日活製作による震災関連の記録映画と思われる作品が通過した初めての記録は、1925年7月17日『聞(ママ)東大震災實況』(検閲番号343番、巻数=1、米数=204、申請者=大正生命保險株式會社)。その後、同年9月1日には日活が申請者となり、『關東震災の實況』(検閲番号1,756番、巻数=1、米数=349)、『大震災後の東京市』(検閲番号1,757番、巻数=1、米數=133)、『關東大震災戒嚴司令部』(検閲番号1,758番、巻数=3、米数=789)の3本が、同年9月25日には同じく日活が申請者となり、『關東大震災第一報』が2本(検閲番号2685番,巻数=1、米数=124/検閲番号2686番、巻数=1、米数=179)が検閲を通過している。 素材は、プラネット映画資料図書館所蔵35㎜プリントより、2005年度に複製した35㎜インターネガ(同時に35㎜プリントを作成し、上映を行っ
関東大震災映像デジタルアーカイブ Films of the Great Kanto Earthquake of 1923 関東大震災映像デジタルアーカイブとは 「関東大震災映像デジタルアーカイブ」は、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災について、国立映画アーカイブで所蔵する関連の映画フィルムなどの資料紹介を通して、未曾有の巨大災害についての知識と関心をより高めてもらうことをめざしたウェブサイトです。本サイトは、国立映画アーカイブと国立情報学研究所の共同研究として構築・開設し、国立映画アーカイブが運営いたします。 日本で唯一の国立映画機関である国立映画アーカイブでは、現在8万本の映画フィルムを所蔵し、フィルムにとって適切な温湿度環境を整えた相模原分館の映画専用保存庫において、長期保管されています。 所蔵フィルムのうち、劇映画以外の実写作品である文化・記録映画やニュース映画は5万
With the aim of sharing knowledge about the historic disaster and its impact on society via moving images, this website offers a selection of films of the Great Kanto Earthquake of 1923 which have survived over the century and are now part of the collection of the National Film Archive of Japan.
サイトで公開する動画の元素材は以下の2本の映画フィルムである。 (1)全5巻中、欠落している3巻目を除く4巻については、茨城県土浦市に所在する曹洞宗寶珠寺神龍寺旧蔵の35㎜可燃性プリントである(一部、不燃性素材が含まれている)。4巻、2,813フィート13コマ(857,442m)、47分[16 fps]。 同寺第24世秋元梅峰和尚により創設された大日本仏教護国団が所有していたフィルムで、同組織による社会事業活動の一環として使用されたと推測されるが、所蔵の経緯や運用実態については不明である。 (2)上記のプリントで欠落している3巻目、ならびに一部欠落しているカットについては、文部省が1958年度に作成・取得し、1971年度に東京国立近代美術館に管理換された35㎜不燃性ネガを使用している。5巻、3,818フィート10コマ(1,163.757m)、64分[16 fps]。なお、この尺長は、文部省
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