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円安とは
katari-mata-katari.hatenablog.com
特別に旅に行きたい人ではないので、旅に行くのは非日常で、すなわちときどき起こる非日常は旅なのである。 実際に旅をして生きているわけではないから、しばらく非日常があったらまた日常に戻れることが恵みのようだ。 自分にとって非日常は、どちらかというとストレスだ。ストレスを旅にたとえたら、旅好きな人が怒りそうである。しかし自分にとっては旅はもちろん楽しいけれど、日常より何がどうなるかがわかりにくいという意味ではストレスなのだ。 非日常を過ごすだけの気力と体力を、日常でつくって休んでいる。
ついていくことでもないとはいえ、いろいろな変化の速さについていけないと思うことがある。 ついていけないながらどうにかやっているのは、案外みんなそうなのかもと感じる。 人は変えられないとはいえ、辺りは変わっているように思われる。 自発的に変わったのか、変わること促す仕組みがあったということか、流行りというもにはよくわからない。 変わらない人に苛立ってみても、自分もところによっては変わらない人だ。変わりたくないから変わらないのだ。変わることにも変わらないことも、意思があるというところでは、同じなのかもしれない。
一年は早いけれど、まだ五月だとも思っている。そんなときに次の年までまだ一年ありますねという趣旨のことを話したら、もう少しですねと言われた。 「まだ」と「もう少し」は微妙にニュアンスが違う。「まだ」の方が「もう少し」より目標物に遠く、「もう少し」の方が「まだ」より目標物に近い気がする。「まだ」の方が悲観的で「もう少し」の方が楽観的な印象である。 近いも遠いも楽観も悲観も、いちいち数値化するわけではないので主観的な感覚ではある。その主観的な感覚をもって、自分の使っている話し言葉が悲観的であると思うことがまあまあある。 家族に親切をするつもりが「これこれしてあげましょうか」と聞いて、何か立場の高低というか家族より自分の方が高いところにいるような気になった。「これこれしましょうか」にしたら平坦な感じになってよさそうだった。 自分の使っている言葉を遊びのようにしつこく追っていくのはおもしろい。もちろ
夜に目がさめてどうにも眠れず、ラジオをつけてみた。タイムフリーで馴染みの番組を聞いてもよかったが、ライブの電波に軍配があがった。生放送というものは、その音声の向こうに"今"人の居る温度を感じるから、気持ちが芳しくないときには助かる。 眠れるまでのつなぎのつもりが、おもしろくて2時間弱みっちり起きてしまった。3時間目に突入してもよかったけれど、さすがにやめた。週末とはいえ次の日もある。好んで聞く番組ではなくて内容についても諦めていたからか、かえって火がついた。 いつでもどこでも直近の番組を聞くことができるようになって、聞きたい番組を聞きただけ聞いていたら一日終わるのだろうなと思う。自分は真面目に聞こうとすると「ながら聞き」ができない。真面目に聞こうと思ったら、ただ座ったり横になったりして「聞くだけ」になる。だから時間を持て余していた若いときには、よくラジオ聞きながら一日寝転んでいたものである
もう書籍を探すにも探せないのですが、「ゲシュタルトの祈り」を知ることがありました。そんな"あやふや"なきっかけとはいえ、インターネットでの言及を見かけることがあったり、昨年受講した講座の締めに「ゲシュタルトの祈り」が紹介されていたりしたこともあって、やっと、そうかけっこう知られているのかと思ったくらいです。 まえがき 「ゲシュタルトの祈り」の実際(パールズの著書より) 「ゲシュタルトの祈り」(国分康孝訳) 「ゲシュタルトの祈り」から省みる まえがき 「ゲシュタルトの祈り」とは、ゲシュタルト療法を提唱したフレデリック・パールズ(以下パールズと書きます。)が彼のグループワーク(セラピー)で用いた文章です。自分と相手の関係において指針になるようなことが述べられており、いつかブログに書きたいと思っていました。 自分としては原書といわずとも、実際にパールズによって展開されたグループワークの、どのよう
あくまでも些細なことについて。 哀れなことがあってそれは哀れのままなのだけれど、まったくつながりがなく良いことがやってくる。 良いこともあれば哀れなこともあるというのは、哀れなことがやがて好転していくというわけではなく、それとは別に良いことがある、そのまわりまわった感が面白いと思った。 良いも哀れも、もしかしたら良いが哀れで、哀れが良いになるかもしれない不確かさをはらんでいる。 こうすればこうなるという確かな法則はないのであるが、哀れなことがあっても、ひょんな良いことが現れる意外さというか、いたずらのような動きに気づいた。 ほんの小さな哀れなことがあっても、そのうち良いこともあるとわかれば、哀れに後ろ髪を引かれてばかりにはなりにくい。
事の道理をとくとくと言い聞かせてみても、どこまで実感をともなって受け止められているかは定かではない。 具体的な経験と結びつけて抽象的なことを話して、また具体的なことがあって抽象的にまとめようとして、そうかこういうことなのだろうかとわかってくるのだから、こちらが急いでもいけないようだ。 今の大人といわれる歳になってから二十年、やっと親の伝えたかったことがわかる、そんな気がしている。口で言うことの加えてむしろ親の生活する姿から、子は何かを感じるものなのかもしれない。 父はとにかく「身体が資本」と言う人である。そんなに身体をいたわっているようには見えなかったが、年明けの食卓や晩酌のときには決まって「身体が資本」と口にしていた。自分のために言っていたのかもしれない。年齢が足されてくると、ますますその言葉の重みがわかるものである。 母は「頭を使え」と言う人である。手間をかけずに、身体を動かさずにでき
海沿いの炭鉱の町で三代に渡って過ごす家族が題材の絵本「うみべのまちで」。その一場面で、子どもが友だちと立ってブランコに乗っていた。思いっきりこぐと海が遠くまで見えるブランコだ。 思いっきりこぐと海が遠くまで見えるブランコに立って乗るとは、どんな感じなのだろう。立ちこぎなんてこの歳でしても大丈夫だろうか。ただでさえ三半規管が鈍っているのに。 付き添いで行った公園で、子どもがブランコで立ちこぎをしていたので、隣を陣取ってみる。その子どもは東を向いているのに対して、私は海が見えるかもしれない西を向いて乗った。海まで歩いて15分はかからないので、もしかしたら海が見えるかもしれないと思ったのだ。思いっきりこいでみたものの、平地なのと建物があるのとで海は見えなかった。 顔見知りだったので唐突に、「ここから海は見えないな。思いっきりこぐと海が見えるブランコがあるらしいからやってみたんだけど、見えなかった
書けば書くほどに調子が出てきて筆がすすむ。しかしどんどん自分しか見えなくなっていくようでもある。 ミヒャエル・エンデ文、佐藤真理子訳「満月の夜の伝説」にこんな一文があった。 (以下、内容についての記述あり) お前の魂を救ってやろうなどと、思い上がっていた。だが逆に、お前がわたしの魂を救ってくれた。 簡単にまとめると、盗賊を諭そうとしていた隠者は、満月の夜の出来事のからくりに気づかなかったのに、諭されていた盗賊がそれを見破るという話である。 物事を説く側と説かれる側がいつのまにか反対になっていくところが面白かったのだが、痛いところを突かれたような、身につまされたこと強く押したい。 親と子、先生と生徒のように、どちらかがどちらかに教える関係にいると、自分は教える立場なんだというおごりのようなものに染められているときがある。ブログを書いていても、少しでも誰かのためになればと思うあまり自分を振りか
人目を気にしたり、人に嫌われたくないとか、そもそも自分に自信がないと思うことは、ともすれば気持ちの弱さと見られる。 少なくとも自分にはそういう気持ちの弱さはあるし、その弱さをなくしたいと感じることもあるけれど、逆に気持ちの弱さにこだわらずにやっているところもある。 弱いのは弱い。しかし、強くならなくても弱いまま始めたらいいのではないかと。考えすぎてしまうよりやっていく、ということかもしれない。 そもそも、気持ちの弱い、強いはどういう状況かによっても変わるし、むやみに決めつけなくてもよいし、決めつけられるものでもない。 あくまでもこちらの想像であるが、人目を気にしたり、人に嫌われたくない、自分に自信がないゆえにそういった行動をしているのでは、という人を見かける。 ある人から見たら、ありえない行動をしているように思われるかもしれないが、そういった弱さに悩まされるこちらからしたら、その行動はわか
「大学に行くことになったんだ」と言われて、どこのと聞いたらとなりの大学とわかってこれからも会えるのだとうれしくなった。自分は15歳以上若くなっていた。 そういえば番号変わってないよねと顔を上げると、別の女子たちに連絡先を聞いていた。いかにも彼が好きそうな風貌をしていた。 顔見知りの同級生が泣きそうな表情で「みんなどこ行っちゃったの…」とこぼしていた。ほんと、みんなどこ行っちゃったんだろうね。 カーテンと床の隙間に、薄明かりが見えた。朝だった。デジタル時計に5時38分が表示されていた。 まさかと思って連絡先を探そうとしたけれど、彼の名はないのだった。15年以上むかしに消していた。 「ひとりぼっちでゆく、ひとりぼっちでゆく」と聞き覚えのある旋律が流れている。 くるりの、さて何というタイトルだったか、歌詞を検索したら「飴色の部屋」とわかった。 一日が始まる。 今日はいそがしいのだ。 www.yo
同僚がつらそうにしていたので、水曜日に空き地で話を聞いた。水曜日は定時退社日だった。コンビニエンスストアで飲むものを買ってきた。同僚は甘味も買っていた。 別に同僚から頼まれたわけでもないが、環境を変えようにも自分にできることはやり尽くしたと思っていたので、もうお互いの手当てをするくらいしかなかった。 何かしていないとどうにかなりそうだった。同僚のためのようで、自分のためだった。 職場のいろいろな人と話をしたけれど、誰かといるだけでもっともらしい安心があるような気がしてついに助けてほしいと言えなかった。退職するときに、相談してくれたらよかったのにと数人から言われて、そうか相談すればよかったのかと思いながら、自分の困っていることをどう言葉にしたらいいのかわからなかったし、そうか相談か、とそのときに思ったほどだった。 誰かが自分の悩みを解決してくれるのではないかと思ったりしていたし、すぐに何かが
自分が書きたいことを一気に書くと400字くらいになって、文章のつながりはさておき、10分でそれらしいものが出てくる。ブログを始めたころは、ああでもないこうでもないと、一文書くのに10分かかっていたり、むしろ400字も書けなかった。 とにかく書いてみると、書いているうちに自分の納得できる言葉をひらめいたりするので、書けば書くほど頭が冴えてくるようである。 一気に書いたものは、どこかで手直ししながら仕上げていくものの、すぐに書きたいことを書けるのはある種、書き甲斐もある。そしてそれは趣味で文章を書くことに慣れたということでもあ 文章を書くことに慣れるというのは、自分にとって、自分の書き言葉が定まることだと思っている。 ここに文章を書くとき、自分は自分が心地よい言葉しか使っていない。好みでしかないけれど、それがネガティブなものであっても、心地よいネガティブな言葉を書く。心地よいネガティブな言葉な
自分の三分の二くらいの身長から注がれる眼差しが、準備はいいかと問うている。 球の打ち合いのようなことをしていて、彼女のターンになると決まってそうだった。そんなに見つめられたら見つめ返すけれど、こちらの目はどんな物言いをしていたのだろうか。 私はスポーツを極めたことはないが、卓球などのサーブのときには、相手の様子を目で捉えて打つということをするのだろうか。また野球のピッチャーとキャッチャーが、手のサインや首を振る、頷くといった動きを通して投球を組み立てることもあるすると、そこに目と目で交わす意思があるのではないかと思う。 言葉がない交錯というものを私たちは自然に行っていて、それができるからお互いに滞りなくその場を過ごすことができる。 言葉にしなくては伝わらないと心から納得している。しかし、目や身振り手振りで伝わることや、伝えようとする姿を目の当たりにすると、遥かむかしに戻ったような懐かしさが
冬の装いだった山に、淡い綿菓子のようなものが点々とあって、それが桜だとわかって春だと思った。若葉の色をした一体があるかと思えばしっかりとした緑もあって、その模様にしばし見入る。 水仙は花をひそめ、チューリップも徐々に見納め、つつじが一つ二つが開花している。 谷川俊太郎の詩で「朝のリレー」という詩があるが、順に咲いていく花を追っていると、それもまさにリレーであった。 昼の日差しの高さに眉間にしわが寄る。しかしそれでも冷房いらずの気温と、朝と晩の涼しさとひんやりと吹く風に、季節にある自分の立ち位置をたしかにする。
下駄箱からスニーカーを出して一メートル下のコンクリートに落とすと、ターンと音がした。不機嫌だったこともあるが、スニーカーに対してはどうもこの調子である。 履いてなんぼの靴とはいえ、あまりに扱いが粗末すぎである。集積場でビニル袋を投げていた文章を書いたからか*1、思わず自分を顧みずにはいられなかった。 スニーカーは歩きやすさと履きやすさを考えて、選びに選んでいる重要なものだ。いつも足元を見てはうっとりしているのに、どうしたことであろうか。 液体を詰め替えるときにこぼしたり、菓子のパッケージを開けるときに中身が飛び出すことがあるような動作の粗さを持っているが、靴を出すのにテクニックも何もいらない。ただ高いところから低いところに移動させるのみである。 もう、私はスニーカーをコンクリートに叩きつけることはない。 *1: katari-mata-katari.hatenablog.com
手本を見せるために逆上がりをやってみたらできた。 やはり意欲の問題なのか。気まぐれに鍛えた筋力のおかげか。 鉄の棒に支えられてしばし宙に浮き、辺りがまるでアニメーションのように動く。うれしくて笑ってしまう。 幼いときに最も得意だったのが鉄棒だった。自分より背がある棒に伸びをしてつかまり、前に後ろに回った。もっとできるようになりたくて、一人で両手に豆ができるまで回った。 干支を三周して、もう若くないとか、むかしみたいなことはできないと決め切っていたけれど、そういうわけでもないらしい。それは両手に豆ができるまで鉄棒をしたら伏せるだろうが、もう少しできるかも、というところで次に回していったら何とか具合は保てそうである。 考えてみれば、腹八分という言葉があったり、誰かに会っても話足りなかったと思えるくらいの方がまた会うことにつながったり、余力をつくることは快適なことなのだ。 全てを投入して泥のよう
幼いころに泣きたいことがあって、目が潤んでくるのがわかっていながら、泣いていると思われたくないと懸命に涙を落とさないようにしていたことがある。 映画館などははたと行っていないけれど、少しの涙ならぬぐわない、出てくるものを啜らないでしばらく様子見、おそらくひどい顔をしていることだろう。泣いていることを知られたくないのが、幼いころから一貫しているらしい。おそらく誰も気にしていないし、静かに浸る分には周りもそっとしておくだけなので、自分が意地を張っているだけである。 ジョバンニは、青い琴の星が三つにも四つにもなって、ちらちらまたたき、足がなんべんも出たりひっこんだりしているのを見ました。 「銀河鉄道の夜」(文・藤城清治)にある一文だ。"泣く"と書かなくても、泣いているときの目から見えるものを巧みに表すことで、泣いていることがわかる。こういう言葉を持ちたいと思う。大人になってからの泣くという行動は
へたってくると隙あらば嘆きたくなってくるが、嘆きばかり言っている人とも思われたくないので、話したくないわけでもない話せることを話して戻ってくる。 一人で嘆いているのではどうにもならずそれは独り言で、嘆くことによるけれど、やはり誰かに投げかけて何か返ってくることには敵わない。 嘆きたいときに嘆けるわけでもなく、相手に都合がつかなかったりもするので、どうにもならないことを持ちながら、おいしいと感じたり、音を聞いたり、眠ったり、体を動かしたりしながら、どうにもならないで居る。 そうしていたら、嘆きたくなくなってくることもあるし、まだ嘆きたいときもある。 気づいている気づいていないにかかわらず、どうにもならないことをどうにもならないままに持って、どうにもならないで居ることが自分の大くを占めているような気がする。
よくやっていました、それしかやっていませんでした。アルバイトの終わりに、集積場に黄色いビニル袋を投げていました。 密閉された集積場の扉を開けると、むわっとしたものに囲まれる。もうそこから早く出たい、むしろ開けたくもない、入口近くに投げて後は知ったこっちゃない。 あんなに美味しそうに運ばれたのに、どうして残ったものをこうもを嫌うのだろう。 じゃあ、投げて袋が破れて中身が溢れたら。 入口に積み重なったら、後から来た人は入れられるだろうか。 集積場に入れたらそれを回収する人がいるけれど、その人たちのことは考えているのか。 捨てるのは、自分のためにいらなくなったものたちである。 入口から離れたところから順に、静かに、整列させて置く。そうありたいものだ。 家族に注意して、でも自分はむかしできてなかった、とそんな話をした。
開花するチューリップのつぼみは気づいたときからつぼみであった。球根を植えて芽が現れたと思ったら、もうつぼみがある。つぼみができそうでできないときを自分は知らない。眠っているときに背が高くなるのを、幼いころにも意識していなかったように。 花を楽しみにしているのだから、つぼみがついたら見てしまうものではあるが、つぼみをつくっているときがあるから、つぼみがあるのだ。つぼみになるまでの姿を拝みたくなったけれど、もう次の春を待たなければならない。 先に花を咲かせる桜は、つぼみになっていくのを追いやすいのだけれど。 日光を追うように伸びていくチューリップが風に揺れていた。咲くことだけを考えているように思われた。
舞台であろうと体育館であろうと、舞台照明というものは熱い。ただでさえ緊張する演奏に、照明をも当てられるのだから困ってしまう。とはいえ、そういうものなのだから、額に汗を滲ませながらも歌うしかない。 普段の音楽室にはない環境、最後まで慣れることはなかった。不安や高揚をよそに、対角の上部からレーザーのように斜めに走る照明に目を落とす。舞っている埃が見える。絶え間なく運動している。演奏のことを考えなければと思うほど、舞う埃に目が行ってしまう。今から歌おうというときに何を考えているのだろう。 演奏に臨む部員たちと指揮者の顔と、暗い客席と、照明に舞う埃を覚えている。
学生のとき、お昼にしようと学生街の通りを同級生の友人と歩いていた。自分がよく行くパン屋がある通りだ。パン屋は夫婦でされていて、カウンターには可愛らしいご婦人、厨房には寡黙そうな紳士がいらっしゃる。 授業やアルバイトの前に立ち寄ると「いってらっしゃい」、テスト期間中と言えば「がんばってね」など、パンを買うと何かしら声をかけてくれるお店だった。客の一人ではなく、一人の客として接してくださるその姿は、まったく知り合いがいない土地に移り住んだ自分に、まるで親しい家族といるようなぬくもりを感じさせた。だからパンも美味しかったはずである。 さて目的地に向かいながらもう少しでパン屋というときに、私たちの先を一人で歩いていたこれまた同級生の友人が、歩き煙草の吸殻をパン屋の入り口にある細長い筒の傘立てに放り込んだ え、と思いながらそれでも歩いていると、パン屋のドアが開き、厨房にいたであろう紳士がコックコート
くじ引きの結果がどうなるかわからなくて不安だ、行きたいイベントの内容がわからなくて不安だ、子の担任の先生が誰になるかわからなくて不安だ。ここ最近の平和な不安である。平和ではあるが不安は不安で、何かの拍子に不安がふっと浮かんできては受け流すようなことを繰り返していた。いつものことだ。 くじ引きの結果は引いてみないとわからないし、イベントの内容も聞いたらいいけれど聞かないと決めたからわからないのであるし、子の担任も始業式の日になってみないとわからない。 何が起こるかわからない、未知のことに人は不安を感じるものである。 たとえばイベントの内容がわからないという不安に対して、内容を聞くことができれば未知が既知になり不安が減る。もちろん内容を聞いたところで当日のことは予測できないのだから、未知なことはあるものの、内容が何もわからないときに比べて不安が減る。つまり、未知を既知にしても残る未知への不安は
どうなっても不快なことはあるのだ。 不快な気持ちで帰宅して、しかし雑事は待ってくれなくて、そのまま一時間が経った。まだまだ不快だった。 ああすればよかった、こうすればよかったと繰り返す。自分は衝動で動いてから悔やむことがある。自分の目指すものがあって、それに正直に動いたのだからよかったと思ってみる。むかしの知人が、「人生万事塞翁が馬」を座右の銘にしていることを引き出して、不運も幸運になるかもしれないと考えてみる。諺とか誰かの言葉などを自分にかけるのはわりとやる。 これといって聞きたい音楽もないけれど、Lisa Loebなどを流してみる。平原綾香さんがラジオで紹介していたアーティストだ。 カウンセラーでもある下園壮太さんは、講演時に激しい怒りに見舞われたとき、帰りの電車で2時間ほど音楽を聞いて気持ちを落ち着かせられたとのことなので、自分も真似をしてみる。やることもあるので、早々に終わらせて台
悪口とは「自分の不満を言っているだけ」と書かれているの本があった*1。おそらく顔を合わせてのやりとりを想定していて、インターネットなどは含まれないと思われる。 自分は30代後半であるが、10代のための…というメンタルについての本は、つい読んでみたくなる。平易な文章であるし、子のいざこざへの対応への切り札でもある。自分が10代のころにそのようなものはまったく読んだことがなくて、親に相談したところであまり納得できる話もなかった。実際に子が悪口(といっても軽いものだが)を言った言われたという話を聞くこともあるので、その場その場でどうにかはしているものの、そもそもどうしたものかと考えるためでもあった。 本人がいないところで悪口を言うことを陰口というが、陰口の内容は本人に伝えるわけではない。本人には言わない、または言えたものではないことを、陰でこっそり表明するというのが陰口である。とはいえ、話すこと
相手の反応を全体で受け止めているというよりも、頭上を通り過ぎて行く感じを持つようになった。自分と相手の境界が曖昧になりやすい自分としては、まだ自分側に反応が入って来ているとは思うものの、幾分か身体が軽い。 人によっては、相手の反応は漫画の吹き出しのように見えるとか、お互い透明な箱に入って何か発していて、それが自分の箱には入ってこないで、相手の反応をただ見ているというような人もいるというのも聞いたことがある。 小学三年生の掃除の時間に、友人と二人で流しの担当になったとき、友人が「私たちは歯医者だよ」と言い出した。今からこのステンレスの流しに泡をつけて、歯を磨くのだと。深く考えることもなく自分もその遊びに乗り、友人と二人、ごしごしと流しを磨き続けた。水で泡を取り除いたら、任務完了。また歯医者さんやろうねと友人が笑っていた。 自分たちを歯医者に流しを歯に見立てたわけであるが、こういう突拍子もない
「(りす組*1の友達に)ありがとう言っておいてね」と子に頼むと、その友達がいないのにその場で「ありがとう」と言うものだから、「あなた(子の名前)から友達(友達の名前)にね」と加えた。文脈から内容を読み取ってもらえないときがありつつ、そんなことがあると、自分はまた主語と目的語を省いたのだと気づく。もう癖なのだと思うが、指示するときはせめて5W 1Hを云々である。 話し方を大胆に真似されていると思えなくもなく、ときどき「はさみ」とか「パン」とか名詞だけで子から指示がある。せめて「はさみを取って(ください)」とか「パンを焼いて(ください)」まで言わないと私は動かない。「それがどうかした?」と差し戻し、だいたい「わかるやろ」と来るので「わからん」と返して、ようやく「パンを焼いて(ください)」を引き出すようにと会話は往復する。 *1:仮名。
夕方に近くのパン屋さんに行ったら、惣菜パンを子が買いたがって、時間を見ると6時近くだったので「安くなりますか」と聞いたら、店員の方が壁の時計をチラリと見て「安くしてもいいよ」と答えた。夕方に行くと惣菜パンを半額にしてくれるものだから、ちょっとこちらから申し出たものの、何か申し訳ない気持ちになった。家電量販店や家の修繕などではどんどん値切るのに、やはり会社と個人経営では事情が異なるだろうし、また何日かしたら定価でパンを買いに行こうと思った。
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