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コーヒー沼
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「横浜トリエンナーレ2005」で中華街の東屋をホテル「ヴィラ會芳亭」に変容させ、銀座エルメスのシンボルの騎馬像"花火師"を「天上のシェリー」で作品化して話題をさらったドイツ在住のアーティスト西野 達氏。 約30年ぶりに来阪されたことを記念して、これまでの活動と共に大阪でのアートプロジェクトの構想を語って頂きました。 text:木ノ下智恵子 西野逹(にしの たつ) 別名、西野達郎、西野竜郎、Tatzu Nishi, Tazro Niscino, Tatsurou Bashi)アーティスト 1960年愛知県生まれ。ケルン在住。ミュンスター美術アカデミー(ドイツ)を卒業後、1997年より、大聖堂の風向計を取り込んで部屋を創ったり、コンテナをクレーン車でつり上げた部屋をカフェとして営業したり、屋外の公共物を取込んで大掛かりなインスタレーションを手がける。海外でのプロジェクトが多数。 木ノ下智恵子(
李龍植(い・りょんしく/り・りゅうしょく) 1960年、京都生まれ。丹波マンガン記念館館長。1986年より実父である初代館長、李貞鎬氏(故人)の右腕となって館の設立・運営にあたり、1995年に二代目館長に就任。自ら鉱山で働き生活した経験、塵肺患者より集めた証言などを交え、鉱山(やま)で生きてきた者たちの歴史を語り伝える。『丹波マンガン記念館の歴史』を開放出版より出版予定。二児の父。 丹波マンガン記念館:日本の近代化に不可欠な物資として明治から昭和にかけて採掘されたマンガンの全体像を後世に伝えるべく、1989年に京北に開館された。マンガンの生成、開発の歴史とともに、採掘に携わった労働者の人権に関する資料も収集・展示する。現在、閉館が論議されている。 参照:虫賀宗博編集『ワシらは鉱山(やま)で生きてきた——丹波マンガン記念館の精神史』(丹波マンガン記念館発行、1992年) 高嶺格(たかみね・た
1969大阪生まれ/インディペンデントキュレーター 京都市立芸術大学 美術学部卒業後、設計事務所で2年ほど働く。いろんな偶然が重なって展覧会を企画するようになる。キュレーターやギャラリストを目指していたわけではなく、場所があったのと面白い作品を創っている人が周りにいたから「何かしなければ」と感じ、始めたことだった。1996年から3年間、現代美術画廊、アートスペース虹(京都)で働く。日本の美術システムを身体で体験。1999年渡蘭。映像関係の専門機関やフェスティバルが圧倒的に多いこと、また展覧会にも映像作品が当然のように存在していることにショックを受ける。World Wide Video Festival (アムステルダム)にて研修。2001年帰国、京都芸術センターにて『KYOTO x AMSTERDAM -NEWDIRECTIONS- 』を企画。日本人、オランダ人の作家を中心に映像インスタレ
付録 contact Gonzoとは。 多分僕は、発見したいのです。ある関係性をつくっているのです。 この二人の(そしてこの二人に関係なく)瞬間変わりゆく関係性を、そしてまたより本質的な関係を探りながらつくってゆく行為、学び、そのものをコンタクトゴンゾと名付け呼んでいます。 名付ける事は様々な要素、関係が絡み合います。 例えば子供に名前を付ける時、例えば゛熊五朗゛と名付ける時、両親のうちの力関係やバックボーン、父が熊が好きだからとか、以前父が熊に噛まれたからとか、父の名前が熊夫だからとか、五番目の子供だから、おばあちゃんの遺言で、時代のはやりで、動物の名前をつけると邪悪なものから身を守るという信仰がこの地域にはあるので、母は熊が大嫌いだけどあえて、あえて嫌な事をする事に意味があるという考えを母は持っているので、実は熊夫の子供ではない、顔が熊に似ている、熊五朗は天才で生まれてすぐ、自ら、熊五
2008年5月3日(晴) 多摩センター駅近くの薄暗いラウンジにて 柴崎のオーダー:アロエグレープフルーツジュース 長嶋のオーダー:ソフトクリーム(バニラ)とブレンドコーヒー 福永のオーダー:ソフトクリーム(あずき) 長嶋 有 (ながしま ゆう) 1972年生まれ。「サイドカーに犬」(2001年)で文學界新人賞を受賞しデビュー。「猛スピードで母は」(2002年)で第126回芥川賞受賞。「夕子ちゃんの近道」(2007年)で第一回大江賞を受賞。著書に『猛スピードで母は』(文春文庫)、『ジャージの二人』(集英社)、『パラレル』(文藝春秋)、『ぼくは落ち着きがない』(光文社)、エッセイ集『いろんな気持ちが本当の気持ち』などがある。朝日新聞夕刊(一部地域では翌日の朝刊)に「ねたあとに」を連載中。またコラムニスト・ブルボン小林として『ぐっとくる題名』(中公新書ラクレ)、『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ
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「井桁裕子」展 於・京都K1ドヲル(2007年) 撮影・筆者 ■身体と批評と表現とが絡み合う人形 ここで紹介する井桁裕子は、球体関節人形の作家だ。ダンスのサイトであるdance+に、どうして展覧会、それも人形の展覧会の記事が載るのか、奇異に感じる方は少なくなかろう。正直、私も少々無理筋であるのを承知の上で、編集部に掲載をお願いした。井桁はのちに見るように、ダンサーとのコラボレーションの多い人形作家だが、私がここで取り上げたい理由はそこにはない。けれども、その理由の説明に入る前に、まずは井桁裕子という作家について説明しておきたいと思う。 私が初めて井桁の人形を見たのは、とある雑誌の誌上だった。東京都美術館の『球体関節人形展』を紹介したその記事は、1体の奇妙な人形の写真を載せていた。中年男性がモデルと思しき禿頭の人形。しかも人形の胴体には、ぽっかり穴が空いていて、中のがらんどうが見えている。そ
チェルフィッチュ作品の際立つ特徴に、「誰が」「誰に」語りかけているのかが、小刻みに変わる点がある。今しゃべっているのは本人なのか、彼に話を伝えた人なのか。彼に話を伝えた人ならば、話しかけられている人は彼になるのか。その間、「〜じゃないですかぁ」と突然観客へ差し向けられるからだとことば。と思ったのも束の間、「ていうか、〜なんですよぉ」と語り手自身へ戻ってゆく。こういう話し方、あるあるなどと思っているうちに、観客は確実に、けれどもソフトに、作品世界に立ち会わせられる。独特のリアリティーを生み出す考えと方法について、お話をうかがった。 チェルフィッチュの舞台は、現代の日常に迫っているけれども、日常をそのまま再現しているのではありませんね。このとき役者の身体は、彼らの日常から稽古を経て舞台へと、どのような変化を見せるのでしょう。 岡田:そもそも日常と同じことではあり得ないんですよ。結局、普段やって
池田:まずはじめに、最近のことを伺いたいと思います。ちょうど今YCAM、ICCでの大規模なインスタレーション「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」の展示が一段落したタイミングということでもあるし、6月のKodama Gallery(東京)での個展もありました。 そういうのを見させていただいて僕が思うのは、今年(2007年)に入ってからということになるのでしょうか、印象としては高谷さんの転換期にあるのかなあ、という感じがしたんですね。僕らが漠然と持つ高谷さんに対する印象でいうと、Dumb Type「OR」以降ということになるのでしょうか、圧倒的なまでの多くのイメージを高解像度で、かつ圧縮された形で観客に強く突きつけるような、あるいは「optical flat」で見られるように、じっと視線を集中させて見る者に緊張度を強いるような作品を想起します。それに
チェブラーシカは“チェブ”の愛称で親しまれ、去年の映画公開をきっかけにあっという間に日本の人気キャラのひとつとなった。これを、日本に紹介した張本人がこの吉田久美子さん。一見、お洒落でかわいいお姉さん、といった風情の彼女。 知り合ってから数年経つのだが、いつも自分の好きなものにまっすぐにとび込み、奮闘しているその姿は、みていて本当に清々しい。今回はなんと自分でカフェをつくる!と大阪を離れ、単身上京してしまった。ここ数年、ゆっくり会えずじまいだったが、この際あらためて彼女に話を聞くことにした。 8月5日(月曜)のカフェ・オープンを控えた約2週間前の7月某日、彼女に会った。 今回、取材という名目もあったが、 ランチでも一緒に…と最寄り駅である三軒茶屋で待ち合わせ、 ここからの眺めがめちゃいいから、と彼女に誘われるまま、 キャロットタワー階上の展望もできるレストランで本当に久しぶりに話をした。 三
1958年、京都生まれの弘前育ち。大阪大学サイバーメディアセンター教授。物理学者。しかし、その実態は単なるロック親父。最近プログレ系 テルミニストとして神戸チキン・ジョージにミュージシャン・デビューを果たす。SF評論家と呼ばれることもあるが、その実態は単なるSFオタク。訳書に「ニックとグリマング」「メアリと巨人」(ともにP・K・ディック。後者は共訳)。と学会会員。妻はボーイズラブ愛好家。息子はオタク見習い。 ホームページ http://www.asahi-net.or.jp/~dm6k-kkc/MCT http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/ 第3回 「気柱共鳴」 パイプの中で何が起こっているかというのは、これを見てもらうとわかりやすいのでまたスリンキーで考えます。これをパイプの中の空気だと思ってください。適当にこちら側から息を吹き込んでやるわけね
ロックとSFを愛する物理学者・菊池誠先生によるとっても楽しい物理学講座。「物理」と聞いただけで拒否反応を示してしまう文系の皆さんにもわかりやすいように解説します。今回は“音”をテーマに3回シリーズでお届けします。 音は空気の波です。そうですね。では、ギターがなぜ鳴るか説明できますか。弦が振動するから?それでは答の半分にしかなりません。身近な音もよく考えてみるとなかなか深いものなのです。 1958年、京都生まれの弘前育ち。大阪大学サイバーメディアセンター教授。物理学者。しかし、その実態は単なるロック親父。最近プログレ系 テルミニストとして神戸チキン・ジョージにミュージシャン・デビューを果たす。SF評論家と呼ばれることもあるが、その実態は単なるSFオタク。訳書に「ニックとグリマング」「メアリと巨人」(ともにP・K・ディック。後者は共訳)。と学会会員。妻はボーイズラブ愛好家。息子はオタク見習い。
自らの身体からコンピューターや映像テクノロジーまで様々なメディアを使って表現する美術作家、高嶺格。学生の頃からマルチメディアパフォーマンスグループ、ダムタイプに関わり、パフォーマーとして出演するほか、バットシェバ舞踏団(イスラエル)のオハッド・ナハリンや、Noismの金森穣など、演出家、振付家とのコラボレーションも手掛ける高嶺氏が、昨年から、アイホールの‘Take a chance’シリーズにおける舞台作品の演出にも取り組んでいる。3年間のシリーズで展開される高嶺格演出による舞台作品は、京都造形芸術大学の授業で学生とつくられる予定である。今年も7月20日、21日には京都造形芸術大学、9月にはアイホールにて発表されることが決まっている。 今回のインタビューでは、学生と共につくられた初の舞台演出作品が、どのようなプロセスでつくられていったのか、また、舞台や美術作品、ライブパフォーマンスなど多岐
8月15日、暑い午後3時。 終戦記念日ということは特に気にせず、アップリンクの事務所を訪ねた僕と、カメラ担当の中里さん(元社員)の前に、どこか飄々とした調子で浅井隆さんは現われた。 随分気さくにお話いただけたが、僕にとっての氏は、伝説の天井桟敷にいた、そして自分の学生時代に最も刺激的な文化活動を展開していた、アンダーグラウンドの偉人なのだ。 時代のエッジを担い、併走してきた浅井さんの個人史を知ることは、日本のみならず世界のサブカルチャー史の、重要な一断面を知ることでもあるはず。 ご本人の口から語られた浅井隆ストーリーを、ここにまとめてみました。
【展覧会情報】 伊藤存『きんじょのはて』展 [会期]2003年9月5日(金)−11月24日(月) [開館時間]11:00−19:00(毎週水曜日は21:00まで) [休館日]月曜日(ただし、9月15日、10月13日、11月3日、24日の祝日は開館) [入場料]大人1000円/学生(25歳未満)800円 〈会期中何度でも使えるパスポート制〉 [主催/会場]ワタリウム美術館 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3-7-6 TEL:03-3402-3001 FAX:03-3405-7714 http://www.watarium.co.jp/ 第1章 NEW TOWN まず、最初に、子供の頃のことを聞かせていただけませんか。ご出身は大阪でしたよね。 伊藤:大阪やってんけど、新興住宅地やったから、空き地が近所にいっぱいありました。小学生のときは、よくそこであそんでましたね。柵がなかったし、自由さ
ワタリウム美術館には全部で3つのフロアがあります。 現在、開催中の伊藤存の個展『きんじょのはて』は、3つのフロアそれぞれが、伊藤存の作品世界の、ひとつずつの〈部屋〉のようになっています。その3つの〈部屋〉がいったい、どんな様子なのかは、前回のインタビューで作家自身が語っています。 今回はここに、伊藤存の4つめの〈部屋〉をご紹介します。もちろん、ワタリウムのフロアは3つですから、4つめの〈部屋〉は美術館の外へ、ワークショップというかたちをとって、ということになります。 まずは「遊覧展覧会」ともいうべき『はんぶん 月見の会』のレポートから。そして、そのあとに、ワークショップについてのインタビューという順番です。 なお、この記事の最後に、おまけとして、伊藤存撮り下ろし写真を掲載しています。 台風も過ぎ去った9月23日の午後6時、『はんぶん 月見の会』一行を乗せた屋形船は、朝潮小型船のりばを出発し
美術家・執筆家・編集者。 メディアピクニック '73年、兵庫県生まれ。関西を拠点に、主に文字を使ったマルチプルピースやインスタレーションを制作。また98年にオフィス「メディアピクニック」を設立、雑誌や新聞での執筆、編集、各種コンテンツプランニングなどメディアにまつわる業務を行う。'04より北区南森町で住居用マンションを使ったクリエイティヴワークスペース「208」主催。 10月には天王寺区應典院で個展。くわしくはこちら。 ■「もうちょっと勉強してきて」 高校を卒業し、なんとなく雑誌の仕事でもしたいと考えながら、とりあえず金を稼ぐために百貨店やゴルフ場などのアルバイトを掛け持ちしてやっていた頃。とある知人の紹介で、某L誌で長年ライターをしているという人物を通して仕事をもらったことがある。仕事といっても北新地のバーの小さな紹介記事で、確かギャラも3000円程度だったと思う。それでも自分にとっては
「日常に対するパーソナルなまなざし」 美術家 藤本由紀夫氏の作品は、日常の中に潜む、ちいさなちいさな光のかけらを私たちに気づかせてくれる。 そんなかけらが沢山詰まった、氏のアトリエにてインタビューを行った。 インタビューア/構成:アサダワタル(大和川レコード) アサダ:まずはじめに。いわゆるアートであったり、作品をつくる以前のところで、「音」というものに興味を持ち始めたきっかけはどういったところからか、聞かせていただけますか?僕自身は「音」そのものに興味を持ちはじめたのは、随分大人になってからの話で、最初は「音楽」。姉が二人いまして、全然知らない未知の音楽が隣の姉貴の部屋から聞こえてくるというところから興味を持ちまして。あと、母親曰く、どうも僕は幼稚園や小学校の頃から歌を歌うことがかなり好きだったらしくて、本人は覚えてないんですが。小さい頃、母親とスーパーに買い物に行ってはヒット曲を歌った
では、時間をおって、「ニュー・ミュージック・アクション」のことから伺っていこうかと思うのですが。まず、ニュー・ミュージック・アクションが、始まったのはいつですか? たしか、96年の春だと思います、たしか。神戸のビックアップルというお店で、スタートしました。 僕は残念ながら現場には、知っていながら行った事がなかったのですけど、内橋さん一人で始めたのかとか、始めようとした時の様子とか、誰となのかとか・・・。 始めたのは一人で始めたんですけど。ただ、仲間っていうか、似たようなそういう事を考えている連中っていうのと、もっと知り合いたくて。とりあえず、自分でも長いことやってきて、こう、同じようなことを考えている人たちって、もっといるんじゃないか、絶対にいるんじゃないかと思って。それを実際どれぐらいいるのかを知りたかったっていうのがあったし、もしいるのであれば、そういう人たちと出会う場所っていうのを作
美術家・執筆家・編集者。 メディアピクニック '73年、兵庫県生まれ。関西を拠点に、主に文字を使ったマルチプルピースやインスタレーションを制作。また98年にオフィス「メディアピクニック」を設立、雑誌や新聞での執筆、編集、各種コンテンツプランニングなどメディアにまつわる業務を行う。'04より北区南森町で住居用マンションを使ったクリエイティヴワークスペース「208」主催。 10月には天王寺区應典院で個展。くわしくはこちら。 【仕事】する事。しなくてはならない事。特に、職業・業務を指す。(広辞苑 第4版より) 仕事とは何だろう? かつて無条件に受け入れてきたはずのそれについて、このところ考える機会が増えた。ニートの出現やフリーターの増加、若い世代の定職率低下に中高年のリストラ問題……新聞をざっと流し読みするだけでも、それについて考えるべき理由は多い。ただ、それにも増して考えなければいけない理由は
昨年のトヨタ・コレオグラフィー・アワード受賞を皮切りに、コンテンポラリー・ダンスの振付家として、国内での評価と世界への切符を、正当にも手にした東野祥子。だが、このジャンル内での評価とともに得た道筋は、東野さんが踊りながら切り開いてきた回路の一つにすぎない。作品タイトルによく用いられる’/(スラッシュ)’のように、東野さんはコンテンポラリー・ダンスと、どんなジャンル、場所、ひとの間に立ってきたのだろうか。 いつ頃から他のジャンルのアーティストと? 東野:昔は先生のところについて一ダンサーでやっていたんだけど、自分で踊りをつくってみたいと思ったときに、最初にDJの二人組とユニットを。 Baby-Qの前のERROR SYSTEMですね。 東野:そう。それが最初。すでに結構クラブでやったりしていて。それから。 当然、劇場とは客の構えが違いますよね。 東野:そうそう。ダンスがあるなんて全然知らないで
1972年生まれ。「サイドカーに犬」(2001年)で文學界新人賞を受賞しデビュー。「猛スピードで母は」(2002年)で第126回芥川賞受賞。著書に『猛スピードで母は』(文春文庫)、『タンノイのエジンバラ』(文藝春秋)、『ジャージの二人』(集英社)、『パラレル』(文藝春秋)、『泣かない女はいない』(河出書房新社)、エッセイ集『いろんな気持ちが本当の気持ち』などがある。またブルボン小林名義として『ブルボン小林の末端通信』(光文社)『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』(太田出版)。俳人長嶋肩甲としても活躍する。東京在住。 http://www.n-yu.com/ 1973年生まれ。「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」(1999年)でデビュー。著書に『きょうのできごと』(「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」所収、河出文庫)、『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』(河出書
09.03.26 PEOPLE>>李龍植(丹波マンガン記念館館長)×高嶺格(美術家)対談アップしました。 09.03.12 MOVEMENT>>CULTURE CRITIC CLIP更新しました。 09.02.12 MOVEMENT>>CULTURE CRITIC CLIP更新しました。 09.01.15 MOVEMENT>>CULTURE CRITIC CLIP更新しました。 08.12.25 MOVEMENT>>dance+更新しました。 08.12.11 MOVEMENT>>CULTURE CRITIC CLIP更新しました。 08.11.27 MOVEMENT>>dance+更新しました。 08.11.13 MOVEMENT>>CULTURE CRITIC CLIP更新しました。 09.03.26up 丹波マンガン記念館で『在日の恋人』(京都ビエンナーレ2003)が制作、発表されて
小説を読みながら自転車を運転したりすると危ない。また小説を読みつつ畑を耕すことはできない。読書とビルディングの建設を同時に遂行するとかなり危険に違いない。電話をしながら読んでいたりしたらきっとどちらかが頭に入っていない。小説を読むには現実生活からいったん離れるしかない。自転車から降りて、畦道に座って、休憩時間に、一人で読むしかあるまい。それはどこか夢を見ることに似ているかもしれない。だが眠りながら読むことはできない。すると小説の場所は、現実、から遠く離れたところに位置しているということになるのかもしれない。現実を置き去りにしているからこそ小説はおもしろい。といわれたら否定するのは難しい。それがいいことなのかどうかはわからない。ここに書き継がれる文は、小説ではないが、小説というより演説みたいなものだが、現実、を言葉は、文字は、突き刺すことは可能かどうかを探求するために書かれるといっていい。
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