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レイングッズ
marumushix.hatenablog.com
2月28日に、SCERTS研究会(http://scerts.jp/)が主催する「第5回SCERTS研究会例会」に参加してきました。 SCERTSモデルとは、「自閉症スペクトラム障害のある人たちの社会コミュニケーションや情動調整の能力を支援するための包括的、学際的アプローチ」です。 その開発を主に担ったアメリカのプリザント博士の著作、「UNIQUELY HUMAN」を少し前に読んで、いいなあと思っていたため、今回そのSCERTSの研究会が開催されることを知って、専門家でも関係者でもないけれど、思い切って、いち当事者・保護者として乗り込んできました。たいへん勉強になりました。 さて、そのSCERTS研究会のツイッターアカウント(@ScertsCollegium)で先日、こちらの記事が紹介されていました。 http://wrvo.org/post/what-having-autism-real
ずっとブログをほったらかしにしていて、今見たら最後にアップしたのは4か月前でした! さて。今日は、なんと、「寂しさ」について書こうと思います。 発達障害ブログで「寂しさ」、着地点はだいじょうぶかな…。まあ、「人生半ばで発達障害に気づいて以来、新しく見える世界を、観察していく」という主旨のブログなので、だいじょうぶでしょう。もうハードル上げると一生書かなそうなので、さくっと見切り発車で。(すみません、かなり長くなりそうです。) 何度かここでも書いていますが、全体的に感情面の成長がとても遅かった私は、思春期~青年期になってもずっと、「うすい半透明の繭に入っているような感覚」をどこかで持っていました。ちなみによく言われる「傷つく」ということの中身も、ずっとよくわかりませんでした。 今日は、そうした「全体的に感情面でぼんやりしていた」私の、「寂しさ」について考察してみようと思っています。 まず、私
今日は、二か月ぶりに市の教育相談室でのカウンセリングでした。 娘のことで、初めて教育相談室を訪ねたのは昨年の九月なので、だいたい一年になります。 夏休み中の個別面談で担任の先生に娘の特性と苦手なこと、でも本人は努力していること、を伝えたこともあり、最近の娘は学校で注意されることも減って、特に大きな問題はなくやっています。また、今月から大学の発達臨床センターで、同じようなタイプのお子さんたちとのグループ療育にも参加し始めて、こちらでもきっとこれからいろいろ学ぶことができるだろうと思います。 そういうわけで、今日のカウンセリングは特に大きな相談ごとがあるわけではなく、行くのを迷ったくらいでした。 でも、相談を始めた当初からこれまでの変化とか、今の学校での様子、友達との関わり、家での私との関係などについて話をしているうちに、この一年での娘と自分の変化を、改めて実感することができました。 相談させ
秋分も過ぎ、ひぐらしが鳴くようになって、いわし雲なんか出て、なんだか切ない夏の終わりの入口。 季節の変わり目にやたらとセンチになるのは、感覚過敏が多分に影響してるのでしょうか。気圧や風が変わったり。 というわけで今日はちょっとポエム入っちゃうかもしれません。スミマセン。 私は、おそらく生きている実感がふつうよりちょっとだけ薄いです。実感、というと痛みとかの感覚が薄いという意味に読めちゃうかな。もう少し説明すると、「なんのために」がわかりにくいです。特性上、子どもの頃からずっとそうなのだと思うのですが、いろんなことの「意味」や「意義」がわからないと感じることが多くて、なんでこれが必要なのかなあ、なんでこれやるのかなあ、ということの連続なのです。で、そういうのの行きつくところが、「なんで生きてるのかなあ」なわけです。 「意味がわかんない」というのは、つまり自分の中からいろんな動機を自然発生させ
私は、言葉による表現には、わりと思い入れがある方だと思います。 むかしむかし塾講師のアルバイトをしていたり、その後もちょっとだけ「教える」仕事をしたことがあり、その際には説明がわかりやすい、とけっこう言ってもらいました。 それから、決して社交的ではないけれど、近しい人と話すときには、かなり語りに熱が入ってしまう傾向があり、相手によってはすごく「お喋り」にもなります。思っていることそのままか、できるだけそれに近いものを伝えたい、という欲求が強いのです。 また、3年ほどアメリカに住んでいたことがあるのですが、私にとって「母国語でない言語を習得する」という過程は、決して楽しいだけではなくむしろ脳みそを絞られ続けるような苦悩の連続ではあれど、それでもいつも「面白さ」が勝っていました。 基本的に思考過多で、だいたいは認知がずれている妄想のように思うのですが、とにかくいつも頭の中がぐるぐるぐるぐるして
最近、娘の相談で大学の発達臨床センターに通いはじめ、先日も長時間にわたり成育歴に関する聴取があったので、頭のなかでその関連のことが活性化していて、自分自身のいろんな記憶も表層意識の方にぷかぷかと浮かんできていたのかもしれません。 夜にぼんやりしていたら、ふと、空から降ってきたみたいに、ある考えがピコーン、と頭の中にやってきました。 あれって、もしかして…。 それは、事実だとすると二重の意味でけっこうショッキングな気づきでした。 私は中高一貫の女子校に通っていたのですが、ここでの学校生活は、まあ六年もいればなんやかやはあるものの、概ね平和で、取り立てて大きな事件もなく、どちらかと言えばぼんやり過ごしていました。 ただひとつ、とても嫌なことがあって、はっきり時期は思い出せないけれどおそらく中学の終わりくらいから、卒業まで続いていた気がします。 私は、ノートを綺麗に書く、ということにかなりの執着
昨年の夏に娘の発達障害の可能性を疑い始め、市の教育相談室でWISC-Ⅳという検査を受けました。 その結果、4つある指標の点数がそれぞれ言語理解>知覚処理>ワーキングメモリ>処理速度、となり、言語理解と処理速度の間には25点の開きがありました。 また各指標間のみでなく、同一指標内の下位検査間に大変大きな差があるため、異なる能力間にかなり大きなばらつきがあることがわかりました。医療機関での診断は受けていませんが、発達の凸凹はかなりはっきりと出た結果となりました。 娘は、話し始めたのは特別早いわけではなかったのですが、2歳半ば頃から言葉が非常に立つようになり、また多弁傾向も目立っていました。 乳児期からとにかく恐ろしく寝なくて、私は何年も育児ノイローゼになっていたのですが、赤ちゃん期を過ぎても寝かしつけのときには本を読んで読んでと延々せがまれ、寝る前に毎日十冊くらい読まされていました。 ちなみに
娘は小2なのですが、学童に行っているので小学校に上がってからこれまで友達と待ち合わせて遊ぶことはありませんでした(幼稚園のとき、お母さんも込みで行き来することはありましたが)。 それが最近は、周りの友達が放課後に自分たちで約束をして遊ぶようになり、「私も誰々と遊びたい」というようになってきました。 まだ彼女は自分で友達と約束を取り付けて遊ぶ、ということはできません。私もクラスで知っているお母さん自体が少ないし、遊びたいという子の名前を聞いても、誰かもわからないしましてや家も知らない。ついこの間まで、一体どうしていいのかわからない、という状況でした。 でもこの頃、少しずつですが、近所の同学年の子のお母さんと話す機会があったりして、家に遊びに行かせてもらうことが出てきました。 今日は、娘が逆にその友達を自宅に呼びたいというので、はじめて同級生二人をうちに呼んで遊ばせています。 私は正直なところ
先日、はっとするようなことがありました。 娘は月に2回、私の友人がやっている小さなクラフトショップの子ども工芸教室に行かせています。クラスには年長~小5の子たち6、7人がいて、そのときどきのテーマで工作とか、絵とか、手芸とかを教えてもらっています。娘はものをつくるのが好きなので、毎回すごく楽しみにしています。 娘の特性として、「何かに集中していると、終わり時間が来てもやめられない」「何か興味を強く惹かれるものがあると、欲求を抑えられない」ということがあります。 つまり、学校の授業でも友達と遊ぶことでも、読書でも漫画でも、すべてにおいて「終わりにさせる、帰らせる、次のことに取りかからせる」のにとてもてこずるのです。 この工芸教室でも、やはり毎回言い聞かせていても帰り際に「あとこれだけ」とかぐずぐずと引き伸ばして、結局すごく帰るのが遅くなってしまいます。私はこの彼女の特性にこれまでずっと苦労し
私自身の関心事になったから、ということもあるけれど、ここのところ発達障害関連のことがメディアで扱われることが、急速に増えていると感じます。 その中で、「発達障害は昔より増えている」という言い方/書き方を目にしたことが少なからずあり、そのたびに何とも腑に落ちず、納得のいく説明も自分の中になく、もやもやしていました。 昨日フェイスブックで、このようなリンクがシェアされていました。 #318 発達障害は本当に増えたと言えるのか? - 石川 憲彦さん(児童精神科・小児科医) | mammo.tv タイトルを見て、「またいつものような、『発達障害は医学会・製薬業界がねつ造したものだ』みたいなやつか」と思ってピクリとしながら、読んでみました。 この、石川氏という医師のことは、知りませんでした。 私なりにざっくり受け取った要点は、だいたい以下のとおりです。 ・80年代頃から出てきた「発達障害」の概念は定
これから書こうと思っているのは、「私がどうしていつも、自分ができそうなことを抑えて見積もって、常に出し惜しみしたり予防線を張ったりするか」ということについてです。 私は、元気でいつも体調がいい、という状態は子供のころからありません。いつも疲れているか、頭が痛いか、とにかくどこか不具合があるのです。 何をしていても、片頭痛発作で途中でいつリタイアになるかわからないし、運よく頭痛が出なくても、どこかへ出かけたり誰かと会ったりしたら、もう確実にその後は疲れてしまいます。たとえそれが近所のスーパーへ行くだけであっても、帰ってきたらとりあえず一回倒れるのです。 たとえば今は週三で一日五時間ほど仕事をしていますが、これで限界ぎりぎりです。昔ふつうにフルタイムで働いていた時代は、途中でちょこちょこトイレへ行って10分寝るとかしてました。通勤はほぼ白目向いてました。 それから中高のときは、朝から夕方まで続
なんか、全然ここに書くようなことじゃないかもしれないんですけど。 最近読んだ漫画が、めっちゃくちゃ良くてですね。 とりあえずそれを紹介したくて仕方がない!っていうのが この記事の主旨なわけですが。 これです↓ 子供はわかってあげない(上) (モーニング KC) 作者: 田島列島 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2014/09/22 メディア: コミック この商品を含むブログ (30件) を見る 子供はわかってあげない(下) (モーニング KC) 作者: 田島列島 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2014/09/22 メディア: コミック この商品を含むブログ (17件) を見る 『子供はわかってあげない』田島列島 これ、宝島社「このマンガがすごい!2015」 第3位、 マンガ大賞2015 第2位 の作品なんですが、本当、素晴らしかったです。 好みの創作物をさらすのは恥ずかしいで
このブログでは基本的に、発達障害という新しいメガネをかけた人になった私が、そのレンズを通して見たこと、考えたことを思いつくままに書いていく、という形式を取っています。というか、始めてみたらそういうパターンになっていました。 今日はちょっと毛色の違う記事になります。 めずらしく親視点で! 娘のこだわりの強さ、切り替えの悪さなど、当初はどうしてそんなことになっているのか、どう対処したらいいのか皆目わからず、何年もただ疲れ果ててへたり込んでいる状況でした。 昨年、やっと発達障害ということにたどり着き、そこからいろいろ本を読んだりネットで情報を得たり、ペアレントトレーニングに通ったりしました。その間、同時に自分自身のことについての考察も進めていたので、まさに「発達障害漬け」の日々でした。 気がつくと、中だるみというか飽きたというか疲れたというか、「なんでもかんでも発達障害に結びついてしまう。なんか
連休で家族がいない。1人だとものすごく怠惰な生活をしている。ダメ人間そのもの。 別にそれは誰に非難される筋合いもないし、他の人がそうだったら、 え?何が悪いの?別に全然いいんじゃない?と思うだけ。 でも私は思い描いていた「やりたいこと」や「やるべきこと」があって、それが全くできていないので、想定していた自分の達成イメージと現状のギャップのあまりの大きさに自己嫌悪で凹む。 考えれば私はいつでもそうで、こうしたい、こうありたい、こうするべき、の設定をたぶん身の程をわきまえない高さに設定してしまう。で当然そんなのできないので、そのギャップで苦しむ。 対して夫は、自分でやったことに基本後悔しないし、自己嫌悪は絶対しない。 毎日のように食べ過ぎて落ち込むのを繰り返す私のことは、全然理解できない。食べたいなら食べればいいし、食べたんなら気にするな。ということである。 同様に子供を叱りすぎても思わず手が
発達障害当事者界隈で、「みんなそうだよ」「私もあるよ〜」「子どもなんてそんなもんだよ〜」と反射的に言われるの、ちょっと・・・という話が時々出る。 私も、なんどかつぶやいた経験がある。 まず親にカミングアウトしたときに、頭ごなしに否定されたりはしなかったけど、やっぱり上の3つは全部言われた。特に、孫のことに関してはやっぱり、「普通の子」にしたかったんだろうなあと思う。 言葉でそうは言わなかったけど、「あなたの気に病みすぎなんじゃないの、考え過ぎなんじゃないの、大丈夫だよこのくらい普通だよ」という慰め?メッセージの波動を、話している間浴び続けた。 これは当然、しんどいわけで。理解してもらえていない、簡単に言ってくれるな、と、反射的に悲しくなってしまう。 娘も、私も、困っている。娘の育児があまりに大変なことで気付くきっかけになったけれど、私自身もこれまであなたがたの保護のもとで育っていた間、実は
私は、流れていくストーリーを理解するのが不得意である。 たとえば職場で口頭で仕事の指示を受ける場合、ものすごく集中して聞いて、なおかつすぐメモを取らないと整理できない。 先日あった、息子の幼稚園入園式後の園生活の説明でも、渡されたプリント6〜7枚の小冊子をざーっと駆け足で読み上げて説明され、もちろんついていけないのだが皆さん涼しい顔でスルーしている。多分皆さんは、なんか先生が読んでるわー、帰って読んどきゃいいでしょ、くらいな感じなんだろうな。 私は、その場で全てを理解しないと不安になるので、ちょっとしたパニックである。後で読んでわからないことがあったら不安だし、その「わからないことがある」状態の時間を長引かせるのがものすごく苦痛。タスクが後送りになっていくのもプレッシャー。 じつは姉も同じ幼稚園に行ったから、同じ説明2回目なのに! 「話を聞くだけで理解する」ことに苦手意識やプレッシャーを感
明日、4月2日は国連の定めた世界自閉症啓発デーなのだそうです。 自閉症をはじめとする発達障害について理解してもらおう、という 取り組みです。 nanaio.hatenablog.com その世界自閉症啓発デーに、啓発記事をコラボしよう! という呼びかけを、 id:nanaioさんがしてくださいました。 nanaio.hatenablog.com 自閉症について、何か知っていることはありますか? 通常、想像するのは「自分の殻に閉じこもっている人?」という感じでしょうか。 この頃、発達障害全般に関する啓発書もたくさん出ていますし、一般の関心も高まっています。最近では「自閉症スペクトラム」という言い方がされますが、これは重い自閉症からアスペルガー症候群まで、広汎性発達障害を連続的にとらえたものの総称です。 つまり、自閉症と一口に言っても、いろんなタイプの、いろんな程度のものがあり、しかもそれは「
子ども二人を連れて実家に数日帰省している。 つい先月、自分と娘の発達障害のことについて両親には話をしたのだけど(【診断と、両親への報告】 - なんだなんだ、そうだったのか)、カミングアウト自体に特に大きな問題はなく。 「そうなんだ」という感じで両親とも受け止めていて、まあ若干「でも○○ちゃんはいい子だよ、問題なく見えるけど。子どもはみんなそうだよ」「それも個性ってことじゃないの」的なコメントもあり、少し引っかかりはあったものの、それはまあ最初の反応としては普通かな、と。 で、とりあえず私たち親子はそういうことですよー(っていうかつまりそれは私の親であるあなた方も多分に同類、ってことなんだが)、ということは共通理解となったということで、普通にとどこおりなくやっていけているので、そこはかなり恵まれたというか理想的な状況なんだろう。 なんだけど、発達障害持ちの親子関係はやはりそれなりの複雑さを含
娘は、ADHD特有なのか、彼女のキャラなのか、 身近に他のADHDのお子さんを知らないので何とも言えないけど、 間が悪い。挙動不審。動きが珍妙でおかしい。言動もときどき珍妙。どんくさい。 あと、人との間合いのつめ方が唐突で、かつウザいので、「巻かれる」とか、「なんとなく引かれる」ことが多くて、そういう現場を見てしまうと何とも不憫でいたたまれなくなることがよくある。 こういう娘の性質に振り回されたり疲弊させられたりはしてるんだけど、ただ、親ばかかもしれないけど、これが・・・愛しくもある。 動きがスムーズで、そつなく自然にふるまえる子より、なんかキョドってる娘のぎこちなさと一生懸命さが、何とも言えずカワイくも見えるのである。 そもそも私も同類だし、引っ掛かりもざらつきもないものよりはヘンテコなものの方が面白いと感じる。 変顔の微妙さとか、よくわからないギャグ(まったく面白くない)とか、 絶妙な
娘には、早期に自分の得意なこと・苦手なことを自覚して、処世術を身につけて欲しい。 しなくて良い苦労はしなくて良い。 でも告知は、一度してしまったら無かったことにはできないので、慎重になっている。 聞いたことをすぐ忘れてしまうことがよくあるね、いっぺんにたくさんのことを覚えられないね、支度をするのに人より時間がかかるね、 と言うようなことは本人に伝えてあるし、自覚もある。 ただ、お医者さんで「診断」がつくようなものなのだ、ということ、また学校で週一回別の学校に行っているお友達と同じように、自分もクラスの子たちとは別枠で支援が必要な人なんだ、とは全く思っていない。 そして今のところ、メインの困り事は母娘関係が難しいことであり、あとは親の指示が入らないこと、公共の場でもこだわりによるパニックが出ること、などで、学校生活においては、まだそれほど問題があると言う話は来ていない。 この段階で、本人にど
私はひどい頭痛持ちである。 小学校に上がったくらいの時からすでにしょっちゅう頭が痛かった記憶がある。 あと、頭痛と同時に、子どもの頃から常に肩とか首は慢性的に凝っていた。 「頭痛」は、これまでの人生で私を苦しめてきたもののうちで、一番大きいものかもしれない。とにかく、常に身体中がバリバリに凝っていて、頭は常にちょっとは痛い。そして走ったり階段を登ったりお風呂に入ったりして血流がアップし心拍数が上がると、どくんどくんと脈打って痛む。 普段は肩凝りや首凝りと連動している緊張性頭痛なんだけど、これが高じてスイッチが入ってしまうと、拍動性でかなり強い痛みの片頭痛になる。 片頭痛発作になると、まあまず丸1日死ぬ。頭をちょっと動かしても痛いし、とにかく身体のどこかを動かして血流が増えれば頭にズキンズキンと響く。光も音も受け付けない。 こうなると全く動けないので、出先にいたら帰れないし、家にいても立ち歩
娘はたぶんASDで、そのせいか、基本「女王様モード」である。 と、言っても、「あなた、私のためにこれしなさいよ!」という女王様ではない。 ただ、当たり前に、人は自分のためにいろいろやってくれるもの、人は自分のペースに合わせるもの、と思っている。思っている、でもないな。無自覚に、ただ、そう。 で、私もASDなので、当然私は私で「そっちが合わせろ」ってなっちゃう。そのぶつかり合いで、どちらかがもちろん折れて自分を曲げなくてはいけない。そしてその「折れる、曲げる」ということは、私たちにとってものすごく苦しい。そのことに気がつくまで、娘と私の関係は本当にひどかった。 エピソードをあげようとすると、どうしても「すごいつまんない、大したことないこと」に思えるんだけど、そのときは私たちにとっては大ごとなんだよなあ。 たとえば、娘は学校から帰宅したあとに手洗いうがいをし、ランドセルや上着や帽子を片付け、宿
この前、スティーブ・ジョブズの伝記映画を観ていて、「あれ、この人って死んだんだっけ?」と分からなくなった。 これ、私よくあるのだ。テレビに高齢の俳優が出ていたりすると、その人がまだ存命なのか亡くなったのかわからなくなるし、芸能人ならまだ「訃報を知らなかったのかも」と思えるけど、なんと親戚とかでも、同じことが起こる。 ひどいのは、ひいおばあちゃんが亡くなった後何年も、「あれ、亡くなったんだよね?」と時々わからなくなってしまったのだった。 (亡くなったとき私はアメリカに住んでいたし、そもそもひいおばあちゃんは遠くに住んでいて、小さい頃一度しか会ったことはないんだけど) 人の死を、くっきりと受け取れない。ような気がする。 生死の境界線のイメージも希薄なんだろうか。 昔から、「死への恐怖」が今ひとつわからない。だけど、そこへ至るまでの痛みとか、病気の苦しみとかに対しては、たぶん人一倍恐怖心が強い。
このブログを始めたとき、私自身は未診断だった。 昨年11月に「娘だけじゃなく、自分のことも調べたい」と思ったけれど、病院の予約が一杯で3ヶ月待ったのだ。 で、先日、診断を受けた。 大体思っていた通りで、アスペルガー+ADD。娘は連れて行っていないけれど、娘との関係の厳しさ、ということでもかなり話をして、それを聞いての医師の所見は、娘もかなりアスペルガー強め(私はADHDメインだと思っていた)ではないかということだった。 いろいろ始まってから、約半年。診断がつく、つかないということ自体はそんなに重要じゃないと思っているけれど、やっぱりなんか、「一段落」という感じではある。 ちなみにWAIS-3の結果は非常に意外な感じで、思ったほどいわゆる凸凹は激しくなかった。全然ダメと思っていた分野は、むしろ高得点だった。どうも私の場合、純粋に概念化されたことをテストという環境で集中してやれば、やたら能力を
前回、ペアレントトレーニングに行き始めた、ということを書いた。 →【ペアレントトレーニングに行きはじめました】 - なんだなんだ、そうだったのか ペアレントトレーニングとは簡単に言うと、子どもの「行動」に焦点を当てることで、子どもの好ましい行動を増やし、好ましくない行動を減らしていくためのプログラム。 子どもを変えようとするのではなく、親が子どもの持つ困難さ、特徴を理解し、よりよい対応を身につけることで親子関係の悪循環を断ち、よりおだやかな生活が送れることを目指すもの。つまり親側のスキルアップが目的である。 どうしたら娘をこれ以上追い詰めなくて済むか、怒りに飲まれて我を忘れて半狂乱になって、娘を泣き寝入りさせてから寝顔に謝る日々を、終わらせられるのか・・・と、一人で悩んで、あっちこっちいろんなことに手を伸ばしてきた。 そこからはちょこちょことヒントを得たし、実際に、今でもこれは役に立つな、
私は40歳になるまで、発達障害という言葉は知らずに、というか耳に入っても何の意識もせずに生きてきた。 2007年に第1子として娘が生まれてから、育児の日々は想像を絶するような地獄だった。子育てがここまで壮絶なものだとは。今も思い出すと情緒不安定になるくらいの、あの苦しい日々のことについては、いずれ改めて書くかもしれない。書かないかもしれない。 とにかくその、苦しい育児の毎日をただただ1日ずつ乗り切って、もがきながら必死でやってきて、なんとか昨年、娘は小学生になった。 ずっと「ここまで育てるのにしんどい子供はちょっと周りにもいない」と感じ続けてきたけれど、 それを発達の問題と結びつけて考えることはなかった。 そうして娘が1年生になって学校生活を始めると、ぽつぽつと、気づきの種、のようなものを拾うようになって行ったのだと思う。そういう種が潜在意識の中にストックされていって、あるとき 何かのきっ
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