2016 - 03 - 07 断絶恐怖症あるいは誕生の暴力 我々は必ず死を畏れる。理性で畏れを懐柔している人もいるかもしれないが、一度として死を畏れたことがないという人間はいないだろう。そもそも、今この瞬間に生き続けているということ自体が、死を畏れ、死を遠ざけていることの表れではないか。我々が生きんとする意志を抱くということは、死を畏れるということと同義なのである。 では我々は、死のどこに畏れを抱くのだろうか。 思うに、答えは「断絶」である。 バタイユ に倣って言えば、死とは生殖と同じく「不連続な存在を危険にさらす」ものである( バタイユ , 2004: 19 傍点省略)。 生きた個体は他の個体から断絶した「不連続な存在」であるが、「死は人を個体の存続の否定へ開かせる」( バタイユ , 2004: 42)。これを生きている人間の側から語るなら、死とは、生でなくなるということだと言えるだろ