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猫
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そして「必ずごま油でやってください。ない場合は作らないで下さい」「こんなうるさいところで料理したくないよ」といったタモリの音声を挟みながら「次回はズバリ『タモリの料理』。一体どんな料理が完成するのか」と企画が説明され、サイドのテロップには「9年ぶり!ネコ好きのあの大物芸人」「1939回目もゆるーくやってます!」と記されていた。 もちろん、既報のとおり、今夜放送のこの回で『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)は最終回を迎える。だが、予告ではナレーションでもテロップでも「最終回」という言葉は一切使わなかった。 それは最終回1週前の回も徹底されていた。 看板企画「空耳アワー」の少なくともレギュラー放送最後の回。1992年から2020年まではほぼ毎週放送(途中、休止されたときもあったが、投稿が止まらなかったこともあり復活した)され、毎週の放送が終わった後も定期的に放送される「空耳アワード」として継続してい
「ショートショート・フィルムフェスティバル&アジア2016」での上島竜兵(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ) 2022年大晦日に放送された『紅白歌合戦』(NHK)では、純烈×ダチョウ倶楽部のコラボに有吉弘行が参加し「白い雲のように」を歌った。 歌う前、なぜ今回出ることになったのかを聞かれ、同曲をリリースした25年前には『紅白』に出れず「こんなチャンスを逃すわけにはいかない」と語った有吉だが、2022年5月11日に上島竜兵が亡くなったという悲しい出来事がなければ、きっと有吉が出ることはなかっただろう。 歌った後、「有吉さん、ステージからのペンライトが星のように綺麗でしたけれども、そちらからの景色いかがでしたでしょうか」と櫻井翔に聞かれ、「上島も喜んでおります」と笑った。 「竜兵会」という拠り所 よく知られているように上島竜兵と有吉弘行の関係は深く強い。 「吉本に入って立派
7月2日より映画『バケモン』が全国公開される。 笑福亭鶴瓶を被写体にしたドキュメンタリー映画である。 映画の始まりは2020年。鶴瓶のマネジメントを担当する千佐隆智が「コロナ禍のさなか、いまは役に立ててないエンターテイメントで、鶴瓶という芸人で“なんかできへんか”」と山根真吾に話したことがきっかけだった。 山根は2004年から17年にわたり、落語家・鶴瓶を撮影し続けてきた。 2020年、鶴瓶は古典落語「らくだ」をメインに据え、全国ツアーを始めた。「らくだ」を本格的に披露するのは実に13年ぶり。奇しくも山根が2004年に最初に撮ったのも「らくだ」だった。「らくだ」は鶴瓶にとって、特別なものだ。映画でも非常に重要な軸として描かれている。 果たして鶴瓶にとって「らくだ」あるいは「落語」とは一体どのようなものなのか、拙著『笑福亭鶴瓶論』から抜粋・再編集して見ていきたい。 映画『バケモン』より (c
【シリーズ・令和時代を闘う芸人(5)】個性的で注目の若手芸人を紹介するシリーズ連載。今回は身長182cm、体重160kgの巨漢のボケ・大鶴肥満とツッコミ・檜原洋平からなるサンミュージック所属のコンビ「ママタルト」。大鶴の唯一無二のキャラクターと檜原のツッコミと大喜利力が注目を浴びている。 檜原は、4月28日にぺこぱ、かもめんたる、安藤なつらも出場した「サンミュージック大喜利No.1決定戦」でも優勝した。 音痴なツッコミ昨年9月26日放送の『アメトーーク!』「このツッコミがスゴい!!」では、中川家礼二や博多大吉、小峠英二などが、サンドウィッチマン伊達、ナイツ土屋、千鳥ノブ、フットボールアワー後藤といった当代きっての名ツッコミを紹介するなか、霜降り明星・粗品は若手芸人を推奨。ママタルト檜原のツッコミを「1個のボケの事実をわかりやすくお客さんに伝わるまで説明して最後ちゃんとウケてる」「理想的」と
志村けんさんが、29日、東京都内の病院で亡くなりました。 追悼の意を込めて、以前「水道橋博士のメルマ旬報」に寄稿した「ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか」を一部修正の上、転載します。 ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか一定の年代より下の世代にとって、ザ・ドリフターズといえば、いかりや長介、加藤茶、志村けん、仲本工事、高木ブーの5人。荒井注が中心メンバーの一人だったというのを知識では知っているが実感はない。ドリフのエースは志村けん、というイメージが強い。だから、志村けんが元々はドリフのボーヤであり、荒井注が脱退した代わりにドリフのメンバーに抜擢された、といわれてもピンとこない。 実際のところザ・ドリフターズにとって志村けんとはどんな存在だったのか。 『8時だョ!全員集合』が始まる1年前の1968年2月。 志村はいかりやの自宅を苦労して調べ、新宿から30分トボト
梅宮辰夫が12日、神奈川県内の病院で亡くなったと報じられた。81歳だった。 その梅宮辰夫の顔写真パネルを使った「体モノマネ」は、ロバート・秋山竜次の代名詞のひとつ。それを行う前、秋山側から梅宮辰夫に顔写真を使っていいかという問い合わせがあったという。それに対し、梅宮はこう答えた。 「後輩は先輩を利用するもんだよ、遠慮なくやってくれ」 出典:NHK『ファミリーヒストリー』18年10月29日梅宮と秋山の縁梅宮と秋山の間には奇妙な縁があった。 梅宮は1958年、東映の第5期ニューフェイスとしてデビュー。後輩の波多伸二の代役として出演した『殺られてたまるか』をきっかけに共演の三田佳子と「ゴールデン・コンビ」と呼ばれるようになり注目を浴びた。『夜の青春』シリーズ主演を経て68年から始まったのが、彼の代表作のひとつとなる『不良番長』シリーズだった。 周りは血気盛んな後輩たちばかり。夜通し呑み撮影に遅刻
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「生きる才能がある」 オードリー・若林正恭は、相方の春日俊彰をそんな風に評している。 お金もなく、ファンもいない、事務所さえにも見放されていた下積み時代もずっと春日は楽しそうだった。 貧乏暮らしの中にも悦びを見つけ、幸せそうにしている。 そんな春日を見て、自分の現状に焦燥感を感じていた若林はイラ立ちを募らせていた。 だが、オードリーが売れてもその構図は変わらなかった。 春日はずっと楽しそうで、若林はずっとつまらなそうだった。 状況がどうであろうと、春日はその中からポジティブな要素を切り取り、若林はネガティブな要素を切り取ってしまう。 つまり、若林には「生きる才能」がなかったのだ。 だが、そんな若林以上に「生きる才能」が皆無な男がいる。 それがツチヤタカユキである。 あるときを境に、『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に何度となく、そのラジオネームが読まれるようになった。時に
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