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多人数参加型ゲームをデザインするとき「いかにして、不利な状況や役割に陥ったプレイヤーを満足させるか」という問題がある。 ゲーム全体として見たときはスリリングな試合になるとしても、ある1プレイヤーの視点からしてみるとまったく面白くない、という局面はありうる。序盤に不利になったまま逆転の機会もなく最後まで続くゲームは苦痛だ。あるいは最初に割り振られる役割それ自体がつまらない、ということもある。 ゲームデザイナーは、プレイヤーがこういうときモチベーションを失わないように腐心する。対策としては ①不利な状況で得られる逆転のチャンスを与え、不公平感を緩和する。 ②「つまらない役職」はシステムに担わせ、プレイヤーに負担させない。 などが考えられるだろう。 むかしよく「マリオカート64」で遊んでいた。 あれの対戦モードには「ばくだんミニカー」というのがあった。対戦中、早々に脱落してしまったプレイヤーだけ
今日、LINEが「OpenChat(オープンチャット)」という新機能をリリースした。 これがどういうものかというと ・LINEの友達じゃない人でも入れるグループチャット ・名前やアイコンはLINEのものとは変えられるので、匿名での利用が可能 ・最大で5000人がメンバーになれるLINEと同じくらいカジュアルなやりとりを、SNSで知り合った人とできるよー、というものだ。 実はちょっと前、LINEから私あてに「特別先行ユーザーのご案内」が来ていた。まずはインターネットのオタクに使わせて、知名度とかフィードバックを得ていこうということらしい。面白そうなので使わせてもらうことにした。 立てる部屋のテーマを決めてください、とのことだったので、せっかくならLINEという媒体ならではの部屋が作りたいな―と考える。 そこで私は「存在しない高校のグループLINE」を作ることにした。 最近の中高生はみんなグル
本当に古そうな本が古書店に売っていたので買ってしまった。 『少年倶楽部』昭和6年(1931年)の7月号(復刻版) 表紙がいい。子どもの三島由紀夫みたいな少年が凛々しい顔でスターティングポジションについている。こんな表紙だけどめちゃくちゃ売れてたらしい。 『少年倶楽部』は大正3年(1914年)から昭和37年(1962年)まで発行されていた、10代前半の少年向け雑誌だ。愛称は「少倶(しょうく)」だ。別マと同じ構造だな。 これは1931年発行の号なので、このころの中心読者層であった12歳の少年は、いまごろちょうど100歳ということになる。具体的にいえば、サリンジャーとかやなせたかしの世代が読む本だ(サリンジャーが読んでるわけないが)。 世界情勢でいうと、この年の9月に南満州鉄道の線路が爆破される満州事変が起こっている年だ。この雑誌が出てからほんの数ヶ月後に戦争が始まって満州を占領して、そのあとに
noteで日記を書いている。2018年の6月7日に日記を書き始め、現在に至るまで1日たりとも更新を欠かしたことはない。 もともと私はひどい飽き性で、いままで「長続き」とは縁がなかった。「日記を書こう」と思い立ったことは何度もあるが、1週間と続かない。実家には最初の数ページだけ埋めたノートが積み重なっている。現に今だって『ブレイキング・バッド』はシーズン3で止まったままだし、『高慢と偏見』は上巻の途中だし、『SEKIRO』は毒沼の大猿に糞を投げつけられるのに怯んでそれきりだ。糞を投げないでほしい。 それでも、この日記だけは続いた。 1日だいたい1500文字ほど書いているので、単純計算すれば 1500×365=547500 54万7500文字も書いたことになる。さらに、週に1度は1000文字程度のコラムを書いているから、合わせれば60万文字。小説の単行本の文字数は、1冊あたり約20万文字弱くら
・これです。数千RTされて、けっこうウケた。てらださんの記事に貼られている記事のような「解説」や「解釈」ツイートやブコメもいくつか目にした。時間も経ったし簡単な自作解説みたいなことをやろうかな。もちろんネタバレ注意です。 ・まず「哲学的ゾンビ」とは、作中でも説明されているように「人間と全く同じような振る舞いを見せるが『意識』だけがない存在」である。 ・作中には「哲学的ゾンビになれるキャラメル」が登場する。これを食べれば、振る舞いは何も変わらないが「意識」だけが消えるのだ。 ・この漫画は特殊なコマ割りのルールが課されていて、読み進めるとそれが理解できるようになっている。右、中心、左の3列が連なったコマ構成になっていて、主な描写は中心が担う。右のコマは一貫して真っ黒に塗りつぶされている。左のコマは、ピンク髪のキャラ(大朋)がメガネのキャラ(龍野)に渡されたキャラメルを食べると、右と同じように塗
「蛇が食事をしなくなった衝撃の理由」 大蛇と仲よく暮らしてる写真や映像を見る度に、この話を思い出して笑えなくなってしまう もちろん同時に 「ライオンが話したとしても、我々はライオンを理解できないであろう」探究 Ⅱ xi というヴィトゲンシュタインの言葉も思い出してニヤついてしまうのだが pic.twitter.com/AiiDkXszYk — 諸隈元シュタイン (@moroQma) May 18, 2019 ネット上でたまに目にする話。細部に違いはあるが、概ねこのようなエピソードとして知られている。 一緒に暮らしてかわいがっていたペットのパイソン(大蛇)が、急に数週間も食事をしなくなってしまった。体を真っ直ぐにしたまま横たわって動かないので心配になり、獣医に相談すると、医師はこう告げた。 「あなたのパイソンは、あなたを食べられるかどうか体を使って測っていたのです」 妙によく出来た話だけど、
ツイッター見てたら、ツイッターのスクショ画面を張ったツイートが流れてきた。何万RTもされている。 山間部の民家周辺にツキノワグマが降りてきてしまって危ないので猟友会が射殺した、というニュースが元。 大量のリプライがぶら下がっていて、中には動物愛護クラスタからの苦言がちらほらある。 「殺して解決する問題ではない」「射殺しか道はないのかな?」「人間が環境破壊するから民家に下りて来るのに人に被害を及ぼすから射殺?」 のような、クマ射殺に対する反感だ。 その一つ一つに 「現在、捕獲した熊を保護しています。引き取っていただけますでしょうか?」 とリプライしてまわっている人がいて、そのスクショ画像が「一撃必殺」という表現とともにバズっていた。 見たとき、まず直感的に「やだなあ」と思った。考えるより先の、なんかいやだな、という生理的反応だ。なぜそう思ったのかそのあと少し考え、以下のツイートをした。 クマ
■どんなメンバーシップか 品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)のコラムや日記が不健康な時間帯に配信されます。インターネットの速度に疲れている人の箸休めにオススメです。 日記は2018年の6月から休まず続いていて、1300記事を超えました。 ■活動方針や頻度 毎日、1500文字前後の日記を書きます。主にその日にあったことや屁理屈、「これツイッターに書いたら嫌なバズり方しそうだなあ」みたいなことを書いてます。 ※内容はこれまでの「居酒屋のウーロン茶マガジン」および「黒ウーロン茶マガジン」と同じです。
アイドルマスター シャイニーカラーズ(シャニマス) | バンダイナムコエンターテインメント公式サイト https://shinycolors.idolmaster.jp/ いまさっき始めたばかりで、チュートリアルが終わってから何もしていない状態。情報がなにもない。 以前『アイドルマスターステラステージ』で初めてアイマスに触れた時、各キャラクターの第一印象を勘で書いた。それを今見返すと感慨深くてよかったので、今の印象を残しておこうと思う。知らないがゆえにぜんぜん的はずれなことも書いてると思うので、キャラが好きな人にはすみません。 風野灯織 いかにもな真面目アイドルだ。名前的に「風前の灯」をモチーフにしているのかな。ということは、真面目ゆえにメンタルがポキっと折れたら一気にダメになってしまうみたいな弱点を抱えていたりしそう。テキトー系のアイドルに眉を潜めつつも、その天真爛漫さに憧憬を抱いたりし
「新元号は縺オ縺です」 日本全国から集まる視線の中心で、官房長官が宣言する。 伏せてあった額縁を立てて起こすと、筆文字で「縺オ縺」と大書されていた。 2019年4月1日、平成の次の元号が発表された。天皇陛下の生前退位に伴って準備されていた新元号。数ヶ月前から世間はその話題で持ちきりで、さながら大喜利状態になっていた。 こんなことで馬鹿騒ぎしていったいなんの意味があるのか、という醒めたことを言う有識者もいたが、大半の者はこの「祭り」状態を楽しんでいた。暇な大学生の僕もその一人で、無責任に改元ニュースを楽しんでいる。 平日の昼間から特に予定がなかった僕は、テレビのニュースを見ながら「5ちゃんねる」の実況スレッドを開いていた。ここ数年は過疎化が進んでいるという5ちゃんねるも、こういうときは人が集まってくるらしく、発表を今か今かと待つスレッドの流速は凄まじい。そして今まさに、新元号が発表されたのだ
仕事で書き物をやっていて、特にマンガや小説などのフィクションを作っている人が、たまに言われることがある。 「いいアイデアあるんだけどあげようか?」 これを言われた人の結構な割合がムッとしている。 いらないからだ。 創作者(上から目線で嫌な言葉ですね)に、アイデアがない人などいないのである。 小説家なら「小説のアイデア」を10個や100個持っていて当たり前だし、マンガ家は「マンガのアイデア」を無数に持っている。起業家ならおびただしい数の「新しい会社のアイデア」を頭の中で泳がせている。 放っておいてもアイデアを思いついてしまって仕方がない! そういう癖(へき)を持つ人だけが、それを職業にする。 「いいアイデアあるんだけどあげようか?」 まにあっとるわい! というわけだ。 だが、彼ら創作者が勘違いされるのにも理由がある。 じっさい、彼らはアイデアがなくて苦しんでドタバタしている様子を周りに見せて
「僕、遅刻癖あるんで、集合時刻とかぜんぜん守れないんで、そこのところよろしくお願いします」 と、仕事相手に言われたらどう思うだろうか。はぁ? なんだこいつは。何を開き直ってるんだ。と、イラッとくるのではないか。 しかし、私はこういう行為を許容したい。「よくぞ言った!」と褒めたいくらいだ。その理由はシンプルで、遅刻する人間のほとんどは「私は遅刻します」と言わないから、言ってくれるぶんだけエライという話だ。あらかじめ遅刻することがわかっているなら対策を練ることができる。 「そもそも遅刻するなよ」と言いたくなるのもわかる。しかし、そもそも「そもそも遅刻しない」なんてことができるなら、遅刻で困ることなどないではないか。 これは「努力の効用をどれほど多く見積もっているか」という、ある種の宗教観が絡んでくる話だ。私は努力の効用をあまり信じていない。だから「本人ができないって言ってるなら、できないんじゃ
東京都がバンクシーの「落書き」を評価した?「バンクシーが描いたかもしれない落書きが港区で発見されたそうです」 「バンクシーといえば、イギリスを中心に風刺的ストリートアートを描いて注目されている正体不明のアーティストだな」 「東京都知事の小池百合子さんがツーショット写真を撮っていますね。どうでもいいけど服の柄がすごい」 「この行動に対して苦言を呈している人が多いな。バンクシーという世界的アーティストだったら例外的に落書きという器物損壊を許すのは、公権力を持つ側の態度として不誠実なのではないか、と」 「言われてみれば、正論ですね」 「だから、描いたのがバンクシーだろうと鶴太郎だろうと、落書きだったら粛々と消しちゃうのが公権力の役目だろう、と」 「たしかに。そんな原則も忘れて舞い上がっちゃうなんて、それ自体がバンクシーの風刺画みたいです」 バンクシーは褒められると困る「さて。ここでバンクシー視点
2018年に購入したもののうち「これはお金を払っても損してないな」と言えるものをだいたい順番に挙げました。 サブモニター Dell モニター 19インチ P1917S(3年間無輝点交換保証/広視野角/SXGA/IPS非光沢/ブルーライト軽減/フリッカーフリー/DP,HDMI,D-Sub15ピン/高さ調整/回転)www.amazon.co.jp
昔のまんがとかお笑いを見るとオカマやブスを無邪気に笑いの対象にするネタがたくさんあって「今はこういうのもう無理だな」と思うと同時に、そういうのを面白がれる感受性が自分の中から無くなってるのにも気付く。自分以外の人の感覚も結構そうなってきてるんだろうか。「このツイート、ずいぶん拡散されてしまったな」 「3000RT以上されてますね、なんででしょうね」 「差別とかそういう話題はツイッターのトレンドだからじゃないか?」 「そんな簡単なもんですかね」 「みんなリプライや引用ツイートで勝手な連想を書きまくっているな」 「勝手な連想を書きまくるのがツイッターだからそれでいいんじゃないですか」 「それにしたって、ピントが外れた返信が多くはないか、これとか」 「これは確かにだいぶズレてますね。そこは主題じゃないし、書いたの、男だし」 「あくまで例のひとつにすぎない『ブス』という言葉に反応して、自分が常々抱
なんだかいつも喧嘩ばかりしている人がいる。 そういう人の話を聞いていると「言うためだけの言葉」を使っていることがかなり多い。非対称な言葉と言ってもいい。 ものすごく簡単な例でいえば「バカ」がそうだ。 バカと言う方は「こいつ、バカだよな~」と思ってそう言うわけだが、言われる方で「おれ、バカだよな~」と思っているやつはそうそういない。だから、「おまえ、バカだな」と言われたら、言われたバカは「なんだこいつ、何を勘違いしてるんだ」と、怒るか呆れるかするしかない。 言われた方は絶対に認めない言葉というのがあるのだ。 「嫉妬」もそうだろう。たとえば人気セレブタレントのブログのアラ探しをするのが趣味、という人はたくさんいるが、 「それって結局、セレブに嫉妬してるんでしょ」 と言ったところで、言われた方は誰ひとり認めはしない。客観的にはどう見ても嫉妬に狂っているとしか思えなくても、本人には本人の論理があり
訪れた目的は『THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆2nd SEASON』だ。知らない英語がいっぱい並んでいてわからないと思うので説明すると「アイドルマスターの、なんか新しい技術をふんだんに使用したライブ」である。ここからはアイマスMRと表記する。 アイマスMRとは そもそもアイドルマスターとは何か。今回それは重要ではない。10年以上前からあるアイドル育成コンテンツで、プレイヤーが「P(プロデューサー)」としてアイドルをトップアイドルへと導く。それがわかっていればいい。わたしは今年の7月に初めてアイマスに触れたばかりなので、ニワカもいいところである。 通常、アニメやゲームの生ライブといえば、キャラクターを演じる声優が登場して歌い踊る音楽ライブが主流だ。しかし、このMRライブでは「現実の舞台上に3Dモデルのアイドルが立っている」という点が大きく異なる。
を読んだ。 批判の正当性と傷つく心は関係がない 読んですぐ思い浮かびそうな「批判」は、「批判と非難は別物なのに、この記事では混同しているのではないか」じゃないだろうか。たとえば、マンガのストーリー展開の無理を理路整然と指摘する批判と、ただ「つまらん」という言葉を投げかける非難は違う。なのに、それらをひっくるめて「批判」という言葉で表現してしまうのは間違っているのではないか……という批判。 この「批判」と「非難」の違いの指摘は、ことあるごとに目にする。実際、その差を知らしめるのは大切なことだ。 とはいえ、その言葉を受け止める側にとってみると、そんな差は知ったこっちゃねえよ、であったりする。 だって、どっちも自分のやったことが否定されているのは変わりはない。正当性など関係なく心は傷つきうる。むしろ単純な罵倒、「バカ」とか「くたばれ」とか言われるよりも、自分の落ち度をしらみつぶしに指摘される方が
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◆最近の個人仕事・『SFマガジン 2023年2月号』に短編小説「伝統的無限生成装置」掲載 ・『このマンガがすごい! 2023』コラム寄稿 ・『テレビブロス2023年 2月号』マンガコラム寄稿 ・『バズの欲望からの退避 ダ・ヴィンチ・恐山のDiscord「みんなで集まりま専科」を考える』取材協力 ・『2022年あなたの推し記事は?』出演 ・『AIのべりすと文学賞』審査員 ・『面とペルソナ20's 創刊特集』にエッセイ寄稿 ・『キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々』発売
みんなが自由に決めればいいと思う。 (おわり) ※ ※ ※ すみません。おにぎりの話がしたいんじゃないんです。 3大○○、「☓☓」「△△」あと1つは?↑このフォーマット、完成度高すぎない? という話がしたかったんです。 インターネットが誕生し、アクセス数で収益を上げるビジネスモデルが確立して以降、「記事タイトルでいかに読者を釣るか」という問題は常にホットであり続けました。その結果生まれたのが「【悲報】」や「結果」などの釣りワードです。その中でも上記の「3大○○」は洗練ぶりが半端じゃないと感じます。 なぜか。 ①読者を自発的に考えさせているまず、問いの投げかけかたの巧妙さです。しかし、ただ疑問符をつければいいというものでもありません。表題でいえば、最初に「シャケ」「梅」という例を2つ挙げているところが巧み。もしも、 ▼あなたにとっての「3大おにぎりの具」はなんですか? というタイトルなら、こ
ツイッターのタイムラインで「ヒプマイ」という単語を目にすることがちょくちょく増えてきた。なんだろうな、ジャニーズかしら、ソシャゲかしら、と思いつつ、調べたりはしなかった。 それからしばらくして「ヒプマイは"ヒプノシスマイク"の略で、男性声優12人によるラップバトルプロジェクト」だということを偶然知り、そこで興味を惹かれた。 といっても僕はラップ文化にも女性向け二次元コンテンツにも全然詳しくなく、フリースタイルダンジョンとかも観たことない男だ。それでも興味を持った理由は「男性声優×ラップ」という組み合わせがあまりにも狙いすぎに見えたから、逆に気になったのだ。 二次元アイドルとラップを組み合わせましょうよ! なんて、いかにも「THE マーケティング」って感じで、逆に失敗しそう感がすごくないですか。「スマートスピーカー付きドローン」くらい、いざ売り出したらコケそうな感じがしませんか。 でも実際ウ
相手の気持ちになるとはなにか「相手の気持ちになって考えよう」というのは、子どものしつけの常套句で、大人になるまでに何度も聞かされる。 たしかに他人の気持になって考えられることは、生活上とても重要なスキルだ。しかし、それは手放しに善と言えるような能力でもない。 まず「相手の気持ちになる」とき、実態としては「自分が相手の立場だったらきっとこう思うだろう」とシミュレートしているにすぎないという大前提がある。 これは自我を仮想の他人に移植しているようなもので、考えようによっては「他人の気持ちになる」の対極にある押し付け行為にも思えるが、テレパシーが存在しない以上、これをするほかに他人を思いやる方法はない。なので、これは良いとか悪いとかではなく、コミュニケーションのルールそのものである。それゆえ、この妥協策を「他人の気持ちになる」と表現してしまっても、齟齬がない限りはそれでいい。 イジメは相手の気持
しばらくnoteを使っていなかった。 ちょっと何か書く。 ネットでは、何も書いていないと、何もしていない人になる。 そして何もしていない人のままでいると、いつのまにか居ない人になる。 出力と存在が同等だ。 現実の世界では、何もしていない人も、少なくともそこに居ることができる。自分の手は手であろうとしているからそこにあるわけではない。 もしも世界が、じっとしているだけで体がだんだん半透明になって消えるような仕組みだったら、世界はもっと慌ただしく、そしてインターネットに似ていたと思う。 ただし、何もしなくても居ることができるのは自分に関してだけだ、という気もしている。 この前、誤って外に締め出された飼い猫を見た。 斜向かいの家で飼われているグレーの綺麗な長毛種だ。ふだんは内飼いだが何かのきっかけで外に出て、そのままドアを閉められてしまったのだろう。チャイムを押して家主に知らせると感謝の言葉を述
■どんなメンバーシップか 品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)のコラムや日記が不健康な時間帯に配信されます。…
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